はぐれ雲のつれつ゛れ日記

還暦が過ぎ、そろそろ人生を振り返る歳、日々の出来事や思ったことを、思いつくままに・・・。

洲本城と徳島城

2023-09-25 23:44:13 | お城巡り

やっと秋らしくなってきたが、まだ日中は暑い。友人と初めての洲本城と2度目の徳島城に行ってきた。

 

国の史跡「表御殿庭園」の青石の橋は渡っておかないとね。

心字池(どうしても心にみえない)

外堀だったJR徳島駅

芸術モニュメントのひとつ、リアルすぎてくっつけてあるのかなと思って触ってみたら石?だった。

次に淡路島の洲本城跡へ・・

洲本城は、大永6年(1526)に淡路水軍を率いた安宅(あたぎ)氏によって築かれたと伝わります。その後、天正13年(1585)に入城した脇坂安治によって、今に残る総石垣の城に改修されました。脇坂氏が伊予大洲に移った慶長14年(1609)、事実上の廃城となりますが、その威容は、今なお保ち続けられています。

壮大な総石垣、大石段、全国で数例しかない登り石垣などがあります。その他、天守台には1928年に鉄筋コンクリートで建設された日本最古となる模擬天守閣があります。

洲本市街のみならず大阪湾を一望できる、まさに南海の要塞と呼ぶに相応しい堅城です。

洲本城(下の城)は、当初の築城は桃山時代ですが、現在見られる石垣や堀が造られたのは、蜂須賀氏が淡路支配の拠点を由良から洲本に移した寛永年間(1630年代)以降と思われます。

なお、上の城は1999年(平成11年)、国の史跡に指定され、下の城も洲本市の史跡に指定しています。

上下の城を繋ぐことで防御力を高めた「登り石垣」という全国でも数例しかない珍しい遺構が良好な状態で保存されていることが評価され、2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城に選定されました。<洲本市HPより>

日本最古の模擬天守

洲本八景・・・(淡路島の先端、和歌山まで見える)

淡路SAで玉ネギのお土産

行きはスイスイだったが帰りは渋滞、おまけに日が暮れるのが早くなって暗い中、亀山JCを見過ごして(追い越し車線走ってて急ぎすぎたかも・・)四日市JCまで行ってしまった。故障車で渋滞、追突事故で渋滞、徳島城のボランティアガイドも長かったな・・話しかけたのがいけなかった。(蜂須賀家のこと勉強になったけど)

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

勅願院観音寺・垂坂山観音寺・長興寺・宝性寺・慈眼寺

2023-09-04 21:27:14 | 伊勢西国三十三か所

長らくご無沙汰してた伊勢西国巡りを再開しました。6月下旬以来だ。今年は特に暑い、あと6か所桑名と員弁、1日で達成だ。そのあとは鈴鹿セブンマウンテンが目標になる。残り三座、そのあとは・・・城巡りになるけど、本格的に行くのはやはり仕事をやめてからでないと無理になる。来年春になったら区の役員仕事も終わり、バイトもやめるつもりでいる。

年金だけになるので城巡りの旅も節約との戦いになる。車で寝泊まりするか・・・・。仕事やめれば時間はたっぷりある。

温泉巡りの嵐山光三郎・呑み鉄の六角精児・とうちゃこの火野正平・五木寛之の百寺巡礼など全国をめぐる旅にあこがれる。お金は無いが行けないこともない。何回かに分けて行こう・・。先ずは足を踏み入れたことがない東北へ・・・・

 

どこかの家族の法要が始まる前に住職に御朱印を押してもらう。

こちらに四足八鳥如意輪観世音が祀ってある。

如意輪観音坐像 画像を拝借

補陀洛山(ふだらくざん)勅願院観音寺は、港に出現した如意輪観音を信仰した聖武天皇が737年に創建したお寺で、後奈良・正親町・後陽成の三天皇天皇の勅願所(天皇の命令によって鎮護国家などを祈願する場所)となっていた事も、寺名の由来となっています。

寺が創設に由来する如来輪観音の像は、今も本堂で祀られており、頭が8つ、脚が4本の霊鳥に乗った観音像で、四足八鳥(しそくはっちょう)観音と呼ばれ、全国でも唯一無二の存在である事より、1992年に県の指定有形文化財に登録されています。

また徳川家康が、徳川家の「三葵」の使用を許した事より、徳川家が深く信仰したことでも知られているお寺です。

伊勢西国三十三所観音巡礼 第25番」         <ネットより>

次に垂坂山観音寺へ

国指定重要文化財の慈恵大師像が祀ってある。(命日が正月三日なので元三大師ともいわれている)

西国三十三か所もお参りできる。

次に富田山長興寺へ・・

富田駅近くの街中で中も見れない。鍵がかかってて隣の家で開けてくれとお願いするのか?入り口横に御朱印があって押せたけど、せめてガラス越しでも中が見たかった。

次に宝性寺へ・・

本堂は市の文化財になっている。

カーナビで住所検索で来たが、寺の名前が違ってた。長明寺となってたので不思議に思ったが隣りだった。

昔はここは蒔田館という城だった。この寺は堀で囲まれている。

堀で囲まれた長明寺(昔はもっと水堀は広かった)

蒔田城は蒔田相模守宗勝の居城として知られています。その後、春日部家春の居城となり、織田信長による北伊勢侵攻の際に滝川一益に滅ぼされました。現在城址は浄土真宗本願寺派・長明寺の境内になっており、周囲には水堀が残っています。

蒔田城ネットから拝借

最後に慈眼寺

慈眼寺の奥之院である尾高山観音堂も伊勢西国のひとつだが、御朱印がここにあったので押してきたが観音堂には行かなかった。場所がわからなかったけど帰って調べたら車で近くまで行ける。六角堂で雰囲気がいいと口コミに出ている。行けばよかった。

また釈迦ヶ岳に行くからその時に寄ろう。

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする