ぼくは行かない どこへも
ボヘミアンのようには…
気仙沼在住の千田基嗣の詩とエッセイ、読書の記録を随時掲載します。

エッセイ 場末とはどこか?

2010-01-16 22:32:40 | エッセイ
一昨年、霧笛に載せたエッセイ。だから、冒頭の四月は、08年の四月。

 四月から、仙台市の泉中央にアパート住まいである。もちろん、住所は、そして自宅も気仙沼市本町のままだが、転勤により、ウィークデイはここにいる。勤務先の仙台市北隣、富谷町・ガーデンシティなる新興郊外住宅地、結構おしゃれなニュータウンから車で帰ると、地下鉄のターミナル付近まで数分歩いて買い物に出る。
 イトーヨーカ堂か、その隣のセルバというショッピングビルの食料品売り場(いわゆるデパ地下風)が行きつけ。遅い時間に行けば、惣菜類が半額になる。
 買い物を終えると、セルバ入口のスタバ前のテラス風のベンチに腰かけて一服する。広場の向こうは駅ビル、スイング。壁面にネオンサインが光る。夕暮れ時には、その向こうの空が赤くなっていたりする。スターバックスでは、ほとんどコーヒーを飲まない。駅ビル内のベローチェは、一杯一七〇円、アイスコーヒーなら一八〇円と安いし、何より禁煙でないので、もっぱらそちらを利用する。このベローチェは、どこかヨーロッパの駅のカフェ風で気に入っている。
 駅前広場はもともとはなだらかな斜面に整備され、北側の泉区役所寄りは地面のレベルだが、南側はいつのまにか二階でぺデストリアンデッキになっている。人工的な副都心。歩行者、つまり、通勤帰りの男女や、大学生風、制服の高校生が多数。
 ほんの短い飲み屋街を抜けて、泉区の文化会館イズミティ、そしてやはり人工的に整備された泉中央公園の裏にアパートはある。さらに、もうちょっとだけ西に進むと徳州会病院のあたりは、田んぼが広がっている。副都心と場末と郊外がコンパクトにひとまとめになっている、というべきか。
 しかし、場末とはどこか?
 たとえば、大江健三郎の「われらの時代」に描かれた場末のバーという場所にいつか行きたいと、三十数年前、高校生のころ思った。東京に出れば、場末にも行けるのだろうと憧れた。しかし、東京は、どこまで行っても家並みが続き、どこが場末か分からなかった。
 いまでも、いつか、場末という場所に足を踏み入れてみたいものだと思っている。

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