おのずがた劇団MOOの公演
6月23日の日曜日は、本吉町はまなすホールに出かけて、おのずがた劇団MOO(モー)の公演「米は我らの親じゃもの」を観てきた。劇団は、平成10年の旗揚げから15年、今回が第11回公演だとのこと。
私自身は、旗揚げと、たぶん、第2回は観たのだったと思う。今回までの間は、なにかと用事があって観ることができなかった。実は、今、職場が、はまなすホールと同じ建物にあって、平成23年11月の前回第10回公演の際は、その日、職場にいたのだが、ローテーションの関係で仕事にしていたこともあって、観ないでしまった。考えてみればうかつなことである。すみません。
まあ、こちらはこちらで、目の前の役割にまい進して気を取られ、脇目をふることができなかった、ということではある。
今回のお芝居は、端的に言って、笑って泣けた。正直に言って、期待以上のものがそこにあった。
地域にとっての大きな道理、のようなものが、舞台に貫徹していた、と思う。
自分で脚本は、いまだかつて書いたことがないのだけれど、最近、ドラマを観ても、脚本の良し悪しみたいなことが気になってしょうがない、というようなことになっている。筋の流れが理屈に合っていない、とか、感情の流れからして、こんな行動は絶対にとらないとか、こんな言動がでてくるはずがないとか、いちいち、気になってしょうがない。
道理に合う、ということが、芝居にとっても、とても大切なことだ。
本吉町は、農業の土地だ、と思う。気仙沼市は、全体として、漁業の町であることに間違いはない。唐桑町も、農業というより、漁業だ。沿岸・養殖漁業がおこわなれるのみならず、遠洋漁業の乗組員の供給地である。
その中で、本吉町は、農業の地域である。大谷、小泉は、むしろ、漁業中心であろうが、特に、津谷は、農業と林業の土地だ。畜産業も含めて。
その昔は、馬籠を中心に鉱業も盛んであったはずだが、それはさておき。
「米は我らの親じゃもの」という今回の芝居は、まさしく、本吉という土地のアイデンティティにのっとった、大きな道理に合った芝居だった。
それは、たとえば、脚本・演出を担当した佐藤かずふみさんの「本家のおじいさん」の鍬をふるう腰の定まり具合に現れる本物性である。最後に「米は我らの親じゃもの」と唄う民謡の声の本物性である。
米そのものや、田んぼの水への争うほどのこだわり、おにぎりへのこだわりもほんものだろう。
出色なのは、手伝いの近所の四人の母ちゃんたちのシーンである。そしてそこに、ほんもののおばあさんが登場する。おばあさんの言葉は、方言として、ほんものである。まったく堂々とした方言であり、堂々とした振る舞いである。これほど見事なものはない。
それに劣らず、母ちゃんたちも見事である。
欲をいえば、田植えのシ―ンでは、田植え踊り(たとえば新城の田植え踊りを借りてきても良いと思う。)を見せて貰えて、稲刈りのシ―ンでは、稲刈り唄を聴かせてもらえれば、もっともっと面白かったのであろうとは思う。
しかし、あの語り(おしゃべり)の掛け合い、動作の掛け合い、見応えのあるものであった。
で、方言という問題がある。
今回の舞台で、実は、方言が、みなばらばらであった。いや、これは、気仙沼弁や本吉弁や仙台弁や津軽弁や福島弁が混ざっているという意味でのばらばらではない。
なんというか、方言のレベルがばらばらだということ。
共通語との混ざり具合というか、自分が普段使っている、体の底から馴染んでいる言葉か、舞台上であえて使っている言葉か、結果として、どこの言葉でもないものになっているか、みたいな話。
それで、これは、実は、現在の日本において、あるいは、特に東北にとっての非常に大きな問題だということなのだ。この舞台の上で、誰の語り方が、演出上問題だったか、という話では、全くない。
明治以降の学校教育の在り方、つまりは、日本という国の中での方言の位置、標準語ないし共通語の、まさしくコミュニケーションのツールとしての役割、あたかも、方言が下で、標準語が上であるような扱われ方の問題。
そういう問題が、端的に、こういう舞台に現れるということ。
われわれが、普段使っている言葉自体が、実は、一様ではない。昔の気仙沼弁と共通語が、それぞれの度合いでミックスされた言葉。
私自身として、ひとつの夢は、気仙沼弁による芝居をひとつ書くということなのだが、それは、現在のアクチュアルな気仙沼弁で書きたいということで、古くからある伝統的な昔の気仙沼弁でということではない。で、これは、それほど簡単な話ではなく、現在の時点での、「標準的な気仙沼語」を定めるという作業になるのだと思っている。あたかも、井上ひさしが「国語元年」で描いたような作業、というほどにはヴァラエティに富んではいないのだが。伝統的な気仙沼弁というもの自体、実は自ずから定まっているものではない。
そういう意味で、今日の舞台上の言葉は、どれが本物で、どれがにせものだというようなことはないのだが、「笑いのとれた台詞」は、腹の据わった言葉による台詞だと言ってよいと思う。本物の方言による言葉は笑いがとれていた。
その典型は、あの「近所のおばあさん」のことばである。
彼女が何を言っても、観客はどっと笑った。それがまさしく本物の方言だからである。
「本家のおじいさん」の言葉も、あの鍬をふるう腰の定まり具合と同様に本物である。
あとのそれ以外のひとびとも、腰の据わったところから発声しているひとと、つくりもの性の勝ったところから発している人とそれぞれであるが、それは、まさしく現状の方言をしゃべる地方の在りようそのままの縮図なのだ。演出家が、その語りのレベルをひとつに揃えて纏め上げるなどということは、ほぼ神業に近いものだ、と思う。
さて、この芝居は、本吉の地域にとって、大きな道理の通った芝居だと言った。それは、言葉を変えて言えば、ひとつの共同体として、自らの道理を語る芝居になりえているとうことだ。ひとつの共同体として、自らのアイデンティティを語る。ここがどういう場所で、どういう人間が住んでいるかを語り、再確認する。
そういう芝居がある、とうことは地域にとってとても大切なことだと思う。
地域によっては、地歌舞伎があり、あるいは、神楽があり、あるいは打ちばやしがありと、伝統芸能がそういう役割を果たしている場合がある。
本吉町は、おのずがた劇団MOOの、この一五年の活動によって、地域共同体のアイデンティティの表現を獲得することができた、と言えるのだと思う。自らが自らを表現して、それを自ら観て、笑う。場合によっては泣く。共同体にとって、自前の芸術を持ちえたということは、計り知れない大きな意義のあることである。そして、この意義は、本吉町の区域のみにとっての意義ではなく、もちろん、気仙沼市においてというだけでもなく、広く、現在の日本にとっての意義を有する出来事なのだ、と思う。
6月23日の日曜日は、本吉町はまなすホールに出かけて、おのずがた劇団MOO(モー)の公演「米は我らの親じゃもの」を観てきた。劇団は、平成10年の旗揚げから15年、今回が第11回公演だとのこと。
私自身は、旗揚げと、たぶん、第2回は観たのだったと思う。今回までの間は、なにかと用事があって観ることができなかった。実は、今、職場が、はまなすホールと同じ建物にあって、平成23年11月の前回第10回公演の際は、その日、職場にいたのだが、ローテーションの関係で仕事にしていたこともあって、観ないでしまった。考えてみればうかつなことである。すみません。
まあ、こちらはこちらで、目の前の役割にまい進して気を取られ、脇目をふることができなかった、ということではある。
今回のお芝居は、端的に言って、笑って泣けた。正直に言って、期待以上のものがそこにあった。
地域にとっての大きな道理、のようなものが、舞台に貫徹していた、と思う。
自分で脚本は、いまだかつて書いたことがないのだけれど、最近、ドラマを観ても、脚本の良し悪しみたいなことが気になってしょうがない、というようなことになっている。筋の流れが理屈に合っていない、とか、感情の流れからして、こんな行動は絶対にとらないとか、こんな言動がでてくるはずがないとか、いちいち、気になってしょうがない。
道理に合う、ということが、芝居にとっても、とても大切なことだ。
本吉町は、農業の土地だ、と思う。気仙沼市は、全体として、漁業の町であることに間違いはない。唐桑町も、農業というより、漁業だ。沿岸・養殖漁業がおこわなれるのみならず、遠洋漁業の乗組員の供給地である。
その中で、本吉町は、農業の地域である。大谷、小泉は、むしろ、漁業中心であろうが、特に、津谷は、農業と林業の土地だ。畜産業も含めて。
その昔は、馬籠を中心に鉱業も盛んであったはずだが、それはさておき。
「米は我らの親じゃもの」という今回の芝居は、まさしく、本吉という土地のアイデンティティにのっとった、大きな道理に合った芝居だった。
それは、たとえば、脚本・演出を担当した佐藤かずふみさんの「本家のおじいさん」の鍬をふるう腰の定まり具合に現れる本物性である。最後に「米は我らの親じゃもの」と唄う民謡の声の本物性である。
米そのものや、田んぼの水への争うほどのこだわり、おにぎりへのこだわりもほんものだろう。
出色なのは、手伝いの近所の四人の母ちゃんたちのシーンである。そしてそこに、ほんもののおばあさんが登場する。おばあさんの言葉は、方言として、ほんものである。まったく堂々とした方言であり、堂々とした振る舞いである。これほど見事なものはない。
それに劣らず、母ちゃんたちも見事である。
欲をいえば、田植えのシ―ンでは、田植え踊り(たとえば新城の田植え踊りを借りてきても良いと思う。)を見せて貰えて、稲刈りのシ―ンでは、稲刈り唄を聴かせてもらえれば、もっともっと面白かったのであろうとは思う。
しかし、あの語り(おしゃべり)の掛け合い、動作の掛け合い、見応えのあるものであった。
で、方言という問題がある。
今回の舞台で、実は、方言が、みなばらばらであった。いや、これは、気仙沼弁や本吉弁や仙台弁や津軽弁や福島弁が混ざっているという意味でのばらばらではない。
なんというか、方言のレベルがばらばらだということ。
共通語との混ざり具合というか、自分が普段使っている、体の底から馴染んでいる言葉か、舞台上であえて使っている言葉か、結果として、どこの言葉でもないものになっているか、みたいな話。
それで、これは、実は、現在の日本において、あるいは、特に東北にとっての非常に大きな問題だということなのだ。この舞台の上で、誰の語り方が、演出上問題だったか、という話では、全くない。
明治以降の学校教育の在り方、つまりは、日本という国の中での方言の位置、標準語ないし共通語の、まさしくコミュニケーションのツールとしての役割、あたかも、方言が下で、標準語が上であるような扱われ方の問題。
そういう問題が、端的に、こういう舞台に現れるということ。
われわれが、普段使っている言葉自体が、実は、一様ではない。昔の気仙沼弁と共通語が、それぞれの度合いでミックスされた言葉。
私自身として、ひとつの夢は、気仙沼弁による芝居をひとつ書くということなのだが、それは、現在のアクチュアルな気仙沼弁で書きたいということで、古くからある伝統的な昔の気仙沼弁でということではない。で、これは、それほど簡単な話ではなく、現在の時点での、「標準的な気仙沼語」を定めるという作業になるのだと思っている。あたかも、井上ひさしが「国語元年」で描いたような作業、というほどにはヴァラエティに富んではいないのだが。伝統的な気仙沼弁というもの自体、実は自ずから定まっているものではない。
そういう意味で、今日の舞台上の言葉は、どれが本物で、どれがにせものだというようなことはないのだが、「笑いのとれた台詞」は、腹の据わった言葉による台詞だと言ってよいと思う。本物の方言による言葉は笑いがとれていた。
その典型は、あの「近所のおばあさん」のことばである。
彼女が何を言っても、観客はどっと笑った。それがまさしく本物の方言だからである。
「本家のおじいさん」の言葉も、あの鍬をふるう腰の定まり具合と同様に本物である。
あとのそれ以外のひとびとも、腰の据わったところから発声しているひとと、つくりもの性の勝ったところから発している人とそれぞれであるが、それは、まさしく現状の方言をしゃべる地方の在りようそのままの縮図なのだ。演出家が、その語りのレベルをひとつに揃えて纏め上げるなどということは、ほぼ神業に近いものだ、と思う。
さて、この芝居は、本吉の地域にとって、大きな道理の通った芝居だと言った。それは、言葉を変えて言えば、ひとつの共同体として、自らの道理を語る芝居になりえているとうことだ。ひとつの共同体として、自らのアイデンティティを語る。ここがどういう場所で、どういう人間が住んでいるかを語り、再確認する。
そういう芝居がある、とうことは地域にとってとても大切なことだと思う。
地域によっては、地歌舞伎があり、あるいは、神楽があり、あるいは打ちばやしがありと、伝統芸能がそういう役割を果たしている場合がある。
本吉町は、おのずがた劇団MOOの、この一五年の活動によって、地域共同体のアイデンティティの表現を獲得することができた、と言えるのだと思う。自らが自らを表現して、それを自ら観て、笑う。場合によっては泣く。共同体にとって、自前の芸術を持ちえたということは、計り知れない大きな意義のあることである。そして、この意義は、本吉町の区域のみにとっての意義ではなく、もちろん、気仙沼市においてというだけでもなく、広く、現在の日本にとっての意義を有する出来事なのだ、と思う。
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