はてなブログ https://satonoie.hatenablog.com/entry/2025/08/17/181906?_gl=1*13pextc*_gcl_au*MjEzNzQ3Nzg0NC4xNzUwMzIwMzI2
日本の加害の歴史を伝えるパネル展が横浜市で、市民の手により10年間、開催されている。自国の加害の歴史を知る重要性とは。毎年、展示を続ける背景を取材した。【戦後80年企画「加害の歴史否定と差別に抗う」】
Sumireko Tomita
ハフィントンポスト2025年08月08日
「加害の歴史を知らないと、戦争で何があったかという実態が分からなくなってしまう」
そんな思いで横浜市で10年にわたり、旧日本軍による加害の歴史を伝える展示を続けている人たちがいる。
日本では、学校の歴史教育でも戦争の加害の歴史については深く取り扱わない傾向が続いている中、市民による展示を毎年開く理由とは。
「戦争の加害パネル展」を訪れ、展示を10年継続してきた「記憶の継承を進める神奈川の会」の実行委員メンバーに話を聞いた。
自国の加害の歴史を知る「重要性」とは
展示を訪れると、「朝鮮人・中国人の強制連行」や「日本軍『慰安婦』問題」「731部隊」「南京大虐殺」「マレー侵略」など、旧日本軍が中国や朝鮮、東南アジア各国に対し行ってきた加害の歴史の数々についてのパネルが並んでいた。
戦争の加害パネル展が2016年に発足した時から企画に携わってきた竹岡健治さんは、展示の開催背景には、「加害の歴史を知る重要性」があると話す。
「加害の歴史を知らないことが戦争を美化する可能性にも繋がり、被害の歴史だけでは戦争の実態が分からなくなってしまいます。日本には周辺国を侵略してきたという歴史があり、加害の歴史抜きにして戦争を語ることはできません」
展示されているパネルは、それぞれの分野の研究者や歴史資料館、専門家・市民グループが作成したものだ。
専門家らが長年にわたり研究し、発表してきた論文や博物館の資料などをもとに作成され、参考文献なども書き添えられている。
例えば、強制連行についてのパネルは東京都新宿区にある「高麗博物館」、満州への集団移住のパネルは東京外国語大学関係者、日本軍「慰安婦」問題については新宿区の「女たちの戦争と平和資料館」が作成した。それぞれの分野の専門家と市民が連携し、展示を作り上げている。
パネル展は東京新聞横浜支局、神奈川新聞社、毎日新聞横浜支局、tvk(テレビ神奈川)など報道各社が後援、週刊金曜日が協賛している。
主催の「記憶の継承を進める神奈川の会」は、神奈川県在住者を中心とする市民約20人が実行委員を務める。広島への原爆投下や、第二次世界大戦中の歴史を描いた映画の上映会をきっかけに発足し、10年間活動を続けてきた。
広島県出身の竹岡さんは被爆2世。核兵器の恐ろしさを広島の原爆の歴史を通して知ってほしいと思うと同時に、「原爆の被害の歴史を世界の人に理解してもらうためには、こちらも自国の加害の歴史を知る必要がある」と考えた。
戦争の加害と被害の歴史の「相互理解」が重要だと感じ、加害の歴史を伝える活動を始めた。
長年、小学校教員としても歴史を教えてきたが、歴史の教科書では加害の歴史についての言及は少なかった。 近代史を学ぶ高学年の授業内では、できるだけ加害の歴史についても触れるようにした。
「知らなかった」日本の歴史の一面。来場者から反響
展示には毎年、小学生から70代まで幅広い世代の約2000人が訪れる。
来場者からは「知っているつもりで知らないことがたくさんあった」「衝撃的だった」「これからさらに知る努力をしたい」との感想が寄せられる。
学校の歴史の授業で加害の歴史をあまり習わなかったという10代、20代の若者からは以下のような声が上がった。
「知らなかったことがたくさんありました。今の日本では学校では被害の面ばかりを教えられるので、加害面もきちんと知る必要があると思い来ましたが、想像していた以上にひどい現実を知りました」(20代)
「今回見たものの多くが私に衝撃を与えました。私が想像していた以上に現実に起きたことは悲惨だったからです。あまりにも非人道的すぎます。これからを生きる大人として私もこの国の過去を知り、問題解決に努めなければいけないと改めて思える良い機会でした」(18歳)
アジア各国に留学や語学研修、観光に行く若者も増えている昨今では、現地の歴史博物館や事前学習などで日本の侵略や加害の歴史を知る人も少なくないという。
茨城県から展示に足を運んだ高校生も、こう感想を寄せている。
「去年、シンガポールに行った頃から、日本の植民地政策について少し知るようになりました。インターネットでなく、パネルという媒体の良さも今日感じました。情報を専門家がまとめ、写真や地図も載っている。信憑性があり、とても意義深いと思います」(10代)
また、この高校生と同じく、加害の歴史についての情報をネット上で探すことの難しさをつづった感想もあった。30代の来場者は「日本の戦争加害を調べようと思ってもネットでは参考になるものを探すのは難しく、ここで参考文献などを明記してもらえてよかった」とした。
自国の加害の歴史を知らないと、何が起きるか
展示は毎年同じ場所で10年間開催し、公的施設である「かながわ県民センター」(横浜市)で継続してきた。
目立った妨害活動などはなかったが、戦歌などを流す街宣車は毎回、周囲を走る。
受付や説明を担当するスタッフが「日本人じゃないだろう」「国に帰れ」と言われたり、嫌がらせの電話がきたりすることもあった。
差別は許さないというスタンスだが、淡々と接し、どのような意見を持つ人にも「まずは展示を見てほしい」という姿勢で接してきた。
戦後80年が経過し、実際に戦争を経験した世代が少なくなっていく中で、自国の加害の歴史を知らないと、何が起きてしまうのか。
実行委員として10年間、活動に携わってきた中井恭子さんは、加害の歴史を知らないと「同じことが繰り返される」と話す。
「ドイツのように歴史の授業で加害の歴史も教えている国もありますが、日本はそうではありません。例え『良い人』でも『加害者』になってしまうのが戦争。戦争は絶対にいけないということはもちろん、加害も含め、戦争の歴史を知ることが大切です」
竹岡さんは加えて、「日本の防衛費もどんどん増加する中、加害の歴史を知らないことで『歯止め』がなくなってしまうのでは」との懸念を述べた。
「ガザへの攻撃も続く中、戦争の加害の歴史の実態を伝えていくことにより、日本だけでなく世界で、『戦争をもって解決するな』というメッセージを伝えていきたい」
「歴史修正主義」に抗うため、「歴史」知る意義は
戦後80年の今年は、沖縄戦の慰霊碑「ひめゆりの塔」の展示説明を「歴史の書き換え」とした自民党の西田昌司・参院議員の発言や、「自虐史観からの脱却」を掲げる参政党の躍進などの動きもあった。
自国の加害の歴史を否定・矮小化する歴史修正主義について竹岡さんは、「教科書問題なども含め、歴史修正主義には常に関心はもってきたが、とにかく大きな流れにしないようにしたい」と話す。
歴史修正主義の台頭は「世界から日本がどう見られるかということにも関わり、日本が信頼されなくなってしまう」との懸念も指摘した。
「歴史や政治の話はタブーという雰囲気がある。反対意見があってもいい。普通に喋れるような社会になれば、少しは違ってくるのではないかと思う」
加害の歴史を学べる場所の少なさも問題視
学校の授業での加害の歴史の取り扱いの少なさに加え、日本では、加害の歴史について学べる場所の少なさについても竹岡さんは指摘する。
海外では、加害・被害含めその国の戦争の歴史についての総合的な国立博物館や資料館がある国も多い。
日本で総合的に加害について学べる場所としては、加害責任や補償問題に特化した、NPO法人運営の「長崎人権平和資料館」などが挙げられるが、国立・自治体運営の施設はない。
展示を訪れる人々からは「地元でも開催してほしい」「巡回してほしい」という声も多くあるという。学びたくても学ぶ場所がないという問題が浮き彫りになっている。
竹岡さんは「加害、被害を含めた総合的な戦争に関する博物館が必要」と指摘する。
なかなか学べる場所がないという状況の中、「1年に1回ですが、展示をやり続ける意味はあるのではないかと思って継続しています」とも話した。
「戦争の加害パネル展」は8月8〜15日、かながわ県民センター1階展示場で午前10時〜午後6時まで開催中。
(取材・文=冨田すみれ子)
今日は雨が断続的に降り肌寒い。
朝9時ころに25℃あったのがだんだんと下がり20℃を下回り、今かろうじて20℃を保っている。
北海道はお盆で急激に気温が下がる。