木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1013 庭の花H25-25(New147~153)

2013-10-21 08:00:00 | 我が庭の花

 今年の正月以来、我が家の庭で咲いた花などを紹介してます。 

各写真の右下の”No”は、咲いた順に付けたもので、( )付は再掲載になります。 

 

ブライダルベール

     「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/buraidarube-ru.html

観葉植物で花は小さくあまり目立ちませんが、可憐に咲いてます。 5月にも咲いたので今年二度目になります。

(No81)

 

ベゴニア

    「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/begonia.html

(No65)

 

ウチワゼニグサ

    「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/utiwazenigusa.html

水辺の観葉植物ですが、どうしたわけか今年は花が咲きませんでした。 しかし、葉がとてもきれいだったので、片隅を飾らせていただいてます。

 No147

 

センニチコウ

    「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/sennitikou.html

花の紹介コーナーですが、この写真は、たまたま遊びに来た、チョウチョが主人公になっています。

(No120)

 

ツワブキ  

     「花写真館」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/tuwabuki.html

我が家の「ツワブキ」は斑入りです。花は間もなく咲きます。

 No148

 

ヒメツルソバ

    「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/himeturusoba.html

これも花より観葉植物として植えられる花です。 生命力が強く路地の片隅に生えてるのをよく見かけます。

 No149

 

アセビ

     「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/asebi.html

小さい鉢での寄せ植えなのですが、長年付き合ってますが、花が付いたのは初めてです。 何かいいことがあると嬉しいのですが・・・・?。

 No150

 

キキョウ

     「花写真館」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/kikyou.html

秋の七草のひとつですが、夏に咲いたので、二度目の開花になります。

(No123)

 

シュウメイギク

     「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/syuumeigiku.html

しっとりとした日本的な花と私は思うのですが、みなさんは如何でしょうか?。

 No151

 

シモツケ

      「花写真館」  未登録

 「シモツケソウ」は「花写真館」にありますが、なぜか木である「シモツケ」は未登録になってました。 写真は多数ありますから、この後登録したいと思っています。

 No152

 

ミゾソバ

     「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/mizosoba.html

水辺の植物を集めているときに、田んぼの畔から採取して来て植えてましたが、久しぶりに姿を現しました。

 No153

                                 撮影日 2013.10.06~10.18

 秋が深まって、咲く花が少なくなってきましたが、 今回は観葉植物を加えたこともあって、7種類の新規参加となり、当初予想の150種を越えることができました。 冬に咲く花には「山茶花」などがあり、もう少しこのシリーズは続きます。

 

 

突然ですが・・・

都合により、当ブログの発行、頂いたコメントへの返答、および、皆様のところへのお伺い、コメント記入などを、当分の間休止とさせていただきます。

いずれは再開したいと考えていますので、その際はよろしくお願いいたします。

 

 

 

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1009 東海道 土山宿 (3)徳原 大野

2013-10-18 08:00:00 | 名所旧跡

 旧東海道の宿場町を訪ねる旅は、滋賀県甲賀市に入り、 今回は土山宿の第三篇をお届します。   (写真撮影日  2013.10.03(木))

 

地図の文字が小さくて恐縮ですが、赤い細い線が旧東海道です。 丸付き数字は訪ねた旧跡を示します。 なお、地図の右方向が鈴鹿峠、江戸方面で、左は大津、京都方面になります。

 

 ① 垂水斎王頓宮跡 (たるみとんぐうあと)

 平安時代の初期から鎌倉時代の中頃まで、約三百八十年間、三十一人の斎王が伊勢参行の途上に宿泊された頓宮が建立された所である。
 斎王とは、天皇が即位される度毎に、天皇のご名代として、皇祖(こうそ)である天照大神(あまてらすおおみかみ)の御神霊の御杖代(みつえしろ)をつとめられる皇女・女王の方で、平安時代に新しく伊勢参道がつくられると、この道を斎王群行(ぐんぎょう)の形でご通行されることとなった。京都から伊勢の斎宮まで、当時は五泊六日もかかり、その間、近江の国では勢多(せた)・甲賀(かふか)・垂水の三ヶ所、伊勢の国では鈴鹿・一志の二ヶ所で、それぞれ一泊されて斎宮まで行かれたのである。その宿泊された仮の宮を頓宮といい、現在明確に検証されている頓宮跡地は、五ヶ所のうち、ただこの垂水頓宮だけである

右上の写真、右の道は国道一号線で、正面が鈴鹿峠方向であり、頓宮への道は左上に上がり、茶畑の間を30mほど行くとこんもりとした昼なお暗き森にぶつかる。

 

② 瀧樹神社  (たぎじんじゃ)

ここに祭る神は、水門神であり、田村川、松の尾川の落合に近く水害多きために勧請されたと伝えられる。正応二年(1289)本殿再建。 毎年5月3日に行われる、祭礼での、ケンケト踊りが国の無形民俗文化財に指定されている。

なお、ここは早春の花「ユキワリイチゲ」の群生地としても知られている。

 

③ 地安寺  (じあんじ)  黄檗宗

御水尾法皇の御影御位牌が安置されている。
御水尾法皇は慶長元年(1596年)後陽天皇の第三皇子として生まれ、慶長16年、16才の若さで即位された。徳川幕府が成立していく中で、天皇になられたが、寛永6年(1629年)明正天皇に皇位を譲られ、34才で上皇になられた。
元禄11年(1698年)、善明院(法皇の第一皇女)の意向により、法皇の像、位牌を下附され、その安置所として宝永5年(1708年)地安寺境内に建立された。

林丘寺宮御植栽の茶 (右下の写真)

御水尾法皇(1596~1680)の御影位牌安置所建立の際に林丘寺光子が植えたという。この近辺は宮ゆかりの茶畑で収穫された茶は毎年京都御所と林丘寺宮に献納され、いまも続いているとか。

 

 ④ 諏訪神社 (すわじんじゃ)

天文十一年甲賀三郎兼家が関東より故郷に帰る途中信濃国諏訪大社に立寄り分霊を受け市杵島姫を祀っていた社に奉斎したと伝える。

 

 ⑤ 長泉寺 

 

 ⑥ 大野市場 一里塚跡

 

 ⑦ 松並木

 

 ⑧ 三好赤甫旧跡 (みよしせきほきゅうせき)

「三好赤甫」(1789~1873)とは幕末の当地の俳人「花園月波」と名乗った。 京都東福寺で研鑽を深めた。 郷里に帰って、後進を指導し俳諧の基礎を築いた。 碑銘「ほとときす 早苗に影を のこしゆく」

 

 ⑨ 若王寺

 

 以上にて東海道五十三次の第49番目の「土山宿場町」にお別れをして、次の「水口宿」に入ってゆきます。

 なお、鈴鹿峠を超えて、滋賀県に入ってから、本ブログ上での土山宿の終点とする、土山町大野の国道との交差点「大野西」までの旧東海道の経過距離を地図上で計算したところ、約16.2Kmでありました。 三重県内が50.8Kmでありましたから、 桑名宿の「七里の渡し」から約67Km来たことになります。

また、標高は鈴鹿峠が378mであり、そこから16kmあまり来た今回の終点が194mですから、その差は184mしかありません。 三重県側の坂下宿の河原谷橋のあたりが、峠から2.4Kmで標高が197mでしたから、 三重県側が如何に険しかったかがわかります。

 

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1003 東海道 土山宿 (2) 南土山

2013-10-15 08:00:00 | 名所旧跡

 ”後期野次喜多 東海道道中記” は滋賀県に入っても続けております。 歴史に極めて弱く前知識ゼロ状態での、歴史探訪記ですから、ご覧戴く方々には歯がゆい思いの方も多々あろうかと思いますが、 これもボケ防止にと、乾いたタオル如くに無い知恵を絞りながら書き綴っております。

 滋賀県に入っての第二弾は田村神社の前にある、道の駅で必ずしも美味しいとは言えない昼食を食べた後から始めました。 ここはご飯物が少なく、ウドンを食したのですが、 先日、名古屋の熱田さんで食べたキシメンが美味しかった事を思い出し、美味しく無いと感じないように努力しました。

 

 では、土山宿第二弾の始まりです・・・・・・・

例によって地図ですが、三重県内は県が出している旧東海道を表示した地図があり、それを活用させてもらっていたのですが、 県境を越えたので 自前で作るしか無く、少々見難いですが、 フリーハンドで書き込むしか今は術がないので、ご勘弁戴きたく思います。  撮影日 2013.09.11(水)

細いですが赤い線が旧東海道であり、丸付き数字は尋ねた旧跡の場所を示しています。

 ① 旧東海道町並みの起点

旧東海道は下の写真の位置で直角に曲がり右に行くと、土山の古い町並みを通って京方面に向います。 従って、江戸方面へは手前方向に来て、国道一号線を越えて、田村神社の正面まで行き、更に右方向に直角に折れて橋を渡って行きます。

前回書いたように、もう一つ昔は、下の写真の左方向への道があり、川を渡って江戸方面へ行くようになっていたのですが、 大雨の時に多くの犠牲者が出るので、川幅の小さい上流へ道を変え、橋を作ったと言う訳です。 昔の道の渡し場付近には別の川(支流)があり、 大雨になると大幅に水かさが増えた事が伺われます。

 

 

② 歌碑 

この周辺、昔はは「幾野」と言ったらしいが、1700年代初めの頃から、ある旅人がお世話になったお礼代わりにと、「木櫛」を売るようになり、 「お六櫛」と言って、土山の名産品となったとあります。

松尾芭蕉とも親交のあった上島鬼貫(うえじまおにつら)が詠んだ句が書かれてます。

  「吹かば吹け 櫛を買たに 秋の風」

 

 ③ 町並み

この街道沿いの全体に、古いが美しい町並みが続き、 かつては旅籠出逢った所には”石柱”が立てられ、商店などは当時の屋号などを木の看板が掲げられていました。

 

 

④ 扇屋伝承文化館

地元ボランティアにより、土、日、祝日に開き、旧家をギャラリーや販売コーナーなどもあり、野菜やそばなどが並べられるそうです。

 

 ⑤ 一里塚跡

 

⑥ 白川神社 

8月1日に近い土曜日は「白川まつり」と言い、 花傘神事、みこし宮出しがあり、その前日には子供相撲や夏越神楽で賑わうそうです。

 

 ⑦ 町並み

関宿の町並みもよかttが、ここと比べると、建てた年代が智愚のではないかと思う程に、ここは美しく整備されているように感じた。

 

 ⑧ 森鴎外

旅籠井筒屋跡を示す看板には「森鴎外の祖父で津和野藩亀井家の典医だった森白仙が、参勤交代に従って江戸より旅の途中、病のためここで息をひきとった・・・とありました。

森鴎外が祖父の倒れた時に訪れて宿泊したのは、何故か対面の平野屋だったそうです。

 

 ⑨ 東海道伝馬舘

土山宿や東海道についての展示や特産品販売、体験工房などのある、資料館です。 (入場無料、写真撮影OK)

「伝馬制度」とは、幕府の公用などで宿から宿へ人馬の継ぎたてを行う事を言うそうです。

土山には上図の如く、松林があったそうですが、未だお目にかかっていません。 

 

 ⑩ 土山本陣跡

本陣当時の宿帳など貴重な資料が保存され、それには勝海舟など幕末の志士の名前も見られる。また、熊本藩細川家との関係も深く、同家ゆかりの品も残されているそうです。

 

 ⑪ 高札場、問屋宅、大黒本陣などの跡、大黒橋など

 

 ⑫ 常明寺

奈良時代、和同5年(712)長屋王が文武天皇の崩御を悼んで納めたと言われる大般若経が伝わり、国宝に指定されている。

森鴎外の祖父はここに葬られている。

 

 ⑬ 国道との交点

右が旧東海道左は国道一号線。 手前が水口、京都の方向。

 

 ⑭ 御代参海道起点

「お伊勢参らばお多賀へおいやれ お伊勢お多賀の子でござる」 と謳われた多賀大社(彦根市)へお参りする「御代参街道」はここから始まる。 

 

土山の旧道に入ったのは今回が初めてでありましたが、 大変にきれいでよく整備されていると感じました。 土山のメインの所は以上ですが、 水口宿とは言えない所にちらほら旧跡があるので、 土山に加えたいと思うので、あと一遍お付き合いを賜りたいと思います。

 

 

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1002 東海道 土山宿 (1) 山中 猪鼻

2013-10-12 08:00:00 | 名所旧跡

 先に三重県内の東海道五十三次の宿場町、お江戸日本橋から数えて、その42番目の桑名宿を皮切りに、四日市宿、石薬師宿、庄野宿、亀山宿、関宿、48番目の坂下宿ときて、鈴鹿峠にまでやってきました。 この間、街道筋にある旧跡を訪ねて写真を撮り、若干の歴史資料文を書き添えて、31編のブログとして残しました。

この東海道筋の歴史探訪の終りは想定もせずにスタートしたものでした。 只今は”伊勢神宮の遷宮ブーム”真っ最中故に、 「日永の追分」 から東海道を外れて、 伊勢に向うと言う考えもありましたが、 伊勢の今は人でごったがえし中であるし、調べて見ると、 途中の旧跡は東海道に較べれば、質量ともに見劣りするので、 鈴鹿峠を終点に置き替えしたものでした。

その時点では、鈴鹿峠以降は考えに無かったのですが、 別の新たな企画も生まれなかったので、 ひとまず続けることにした次第です。 この先、東海道の終点京都までは、土山、水口、石部、草津、大津、三条大橋があります。 都が近くなってきますので、旧跡の数も増えて来ますが、 目標として手ごろと考えて再スタートしました。

 

東海道の滋賀県の起点は”あいの土山”です。

土山宿は49番目の宿場で、最盛期には2軒の本陣、脇本陣の他に旅籠44軒を数える賑やかさでした。 今も土山氏本陣跡が昔の姿を伝えており、その周辺は宿場町の面影を残しています。 ”あいの土山”の名で呼ばれますが、”あい”の意味は「相対する」とか「向こう側」の意とする人など他にもいろいろの解釈があるとしているようです。

「坂(下)は照る照る 鈴鹿(峠)は曇る あいの土山 雨が降る」と、鈴鹿馬子唄のもあるように、鈴鹿峠を境に、天気ががらりと変わります。 また、川柳に 「土山で 濡れた雨具を 坂(下)で干し」があります。

下の地図、細いですが赤い線は旧東海道を示し、丸付き数字は尋ねた旧跡の在りかを示します。 

 

                            撮影日 2013.09.11(水)

 

① 万人講常夜燈

江戸時代に四国金刀比羅宮の常夜燈として、建てられたもので、重さ38トン、高さ5.44mもある、自然石で出来ている。 坂下宿や甲賀谷の人々の奉仕により作られたものと言われているそうです。

ここは国道一号線の峠を通過するトンネルの上にあり、 今は地元の農家の人と登山者、ハイキングの人と、何処かの物好きしか通らない場所にありました。 こんな立派な灯籠がです!。

 

 

 ② 十楽寺

 

 

 ③ 蟹塚

昔、鈴鹿の山に”大蟹”が住み、旅人や村人を苦しめていました。ある時高僧が訪れ、お経を唱えたところ、大蟹の甲羅が八つに裂けたといい、塚はその甲羅を葬ったものと言われているそうです。

また、弘法さんが杖で叩いたら甲羅が割れたとか、蟹は盗賊であったり、高僧が武士である場合などいろいろありますが、街道の名物の「かにが坂飴」(後述cf)もこの伝承を由来としています。

  

 ④ 蟹ヶ坂

現在は国道一号線の坂下江戸方面行き(一方通行)道路と交差する部分に、旧東海道はあったようで、下左の写真は水口京方面であり、右の写真右の道が旧東海道です。 

写真で見る限りは特別厳しい坂とは思えませんが、昔はなかなかの難所であり、「夏の日に あな苦しやと旅人の 横這いにして登る 蟹ヶ坂」と烏丸光弘の狂歌に謡われているそうです。  

前出の「蟹塚」は、右の道を100mほど下った所、うっそうとした林の中、川沿いにありました。

 

⑤ 白川神社御旅所

蟹ヶ坂の水口側中ほどにありました。

 

 

⑥ 蟹坂古戦場

天文11年(1542)、伊勢の国司北畑具教率いる1万2千の兵と、当時山中城の主、山中丹後国守秀国の軍勢5千との間で、ここ蟹坂周辺で戦い、秀国勢が勝利を収めたと書いてあります。

  

 ⑦ 高札場

上に示した地図にあるように、旧東海道が田村神社の前で不自然に直角に道が曲がっています。 例によって土地の権力者の仕業かと思いましたが、その理由が解りました。

昔は今の旧東海道の位置より、下流側に川の渡し場がありましたが、 大水が出るたびに溺れ死ぬ旅人が多く出たために、 川止めも再三あり、 旅人や役人を困らせていました。 そこで幕府の許可を得て東海道の道筋を変えて新しい道を作り、 田村川木橋を架けました。

「但し、この橋を渡る場合旅人などは「有料」だぞ!」と、「定め書」(規則)を書いたものが高札として掲げられたようです。 ちなみに、幕府の用で渡る人や、武家とその家族は無料。 近村の百姓などが田畑に行くための場合は無料であるが、それ以外は有料と書かれていたらしい。

 

 ⑧ 海道橋

前出の「田村川木橋」のあった場所にある橋は今は「海道橋(街道?)」と呼ばれています。 勿論、橋の前後は旧東海道であり、橋の向こう側には田村神社があり、 その先は京に繋がっています。 本当はもっと後方に下がって撮りたかったのですがそれは許されず、これでもこっそり橋の袂にある木材事業所の材料置き場に入らせて戴き撮ったものです。

 そしてここで、広重さんの絵、「東海道五十三次の内 土山」のご登場です。

上左の写真とこの絵とを見比べて欲しいのです。 雨の中を進む大名行列が正に渡っている橋はその橋なんです。 勿論昔の橋の位置はもっと低く水面に近かったと思われます。 橋の向こうには田村神社の林がばっちり描かれています。

 

 

⑨ 田村神社

鈴鹿の鬼を退治した征夷大将軍坂上田村麻呂が祀られ、厄除けの神様として崇められています。 平安時代の創建と伝えられています。

旧東海道は上記の橋から真直ぐ30m程で、下の写真右上の銅の鳥居の前に来ます。 旧東海道はここで急に直角に曲がり南に60mほど来ると左上の写真の鳥居に出ます。 そのあと国道一号線を突き切り、道の駅「あいの土山」を横目で見て通るようになっています。

 

 ⑩ 「かにが坂飴」

前出「蟹塚」の所で蟹退治をしたあと、高僧が八つに割れた蟹の甲羅を埋めて蟹塚を建てると、不思議にも蟹の血が固まり八個の”飴”と化し、それを竹の皮に包んで村人に授け「この八っ割飴は諸々の厄除に効あり」と伝えました。 その後数百年に亘り「厄除けのかにが坂飴」として有名になったとか。

昔は2月17~19日の田村神社の「厄除大祭」に売られましたが、 今は神社前の売店「蟹が坂飴販売所」や、道の駅でで売られています。  小さめの袋に500円玉くらいの飴が20個ほど入って荒縄で縛ってあり、ひと袋¥400でした。 あまり甘くはないですが、癖の無い誰でもが親しめる飴と感じました。 

 

 ”後期野次喜多衆”の旅はまだまだ続きますが、あとは次回のお楽しみとします。

 

  

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1012 庭の花 H25-24(New142~146)

2013-10-10 08:00:00 | 我が庭の花

 毎度のことですが、我が家の庭に咲いた花たちを紹介しています。 (写真撮影日  2013.09.25~10.06)

 

スズメウリ  (雀瓜)

    「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/suzumeuri.html

実りの秋が近づいて、スズメウリの実も鈴なりになってますが、なかなか赤くなってくれません。 子供のころ山に行くと、「カラスウリ」が真っ赤な実を付けてましたが、その時は葉がすっかり落ちて蔓だけになってましたので、スズメウリも葉が落ちる頃から色付くのかも?。

 (No134)

 

ルコウソウ  (瑠紅草)

    「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/rukousou.html

秋の風が吹き始めてから、花の数が格段に増えました。

(No128)

 

フウセンカズラ  (風船蔓)

    「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/huusenkazura.html

風船が茶色になったものは、収穫時期に来た証拠なのですが、 既に来年蒔く数の10倍くらい種を取りました。 ご近所にばらまくにしてもかなり余ります。 食べられるでしょうか?・・・?・・・?。

(No129)

 

キンモクセイ  (金木犀)

    「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/kinmokusei.html

過去は何度も大ナタ振るって、剪定してますが、 二年間やってないので、今年は花が沢山つき、いい香りを漂わせています。 花が終わったら今年は大幅にカットして、周囲の日照を改善する予定なので、この後はしばらくはこんなには花が付かないものと思われます。

 No142

 

マルバアサガオ  (丸葉朝顔)

    「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/marubaasagao.html

この朝顔は、原種であるので、生命力極めて旺盛です。 昨年、鉢に数本植えて放置していたら、いつの間にか種が落ちて、今年は苗を植えなかったが、立派に咲きました。 さらに放置していたら、今年の種が落ちて、それが芽を吹いて咲いたのがこの写真です。 花がやや小ぶりですし、茎も長くは伸びませんし、また、寒くなれば当然咲かないでしょうが、肥料も全くやらずで、こんなに長く楽しませてくれる、まことにありがたい花です。来年、どうするか考えものです。

(No96)

 

ナンキンハゼ   (南京櫨)

    「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/nankinhaze.html

どこからか種が飛んできたのでしょうか、一人生えですが、もう10年は庭の一員になってます。日当たり悪く肥料もやらずでは、木が大きくならないので、花は当分見込めません。 しかし、葉が美しいし紅葉がまたすごくいいので、庭の仲間として元気でやってます。

 No143

 

ガウラ    和名:白鳥草

    「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/gaura.html

この花も、手入れ肥料なしで、春から咲いています。

(No70)

 

ススキ  (芒、薄)

    「花写真館」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/susuki.html

ススキはススキでも、我が家のは”斑入り”です。 普通のススキと違うところは、穂の数が少ないことでしょうか?。

  No144

アニソドンテア

    「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/anisodontea.html

今年、二度目の開花です。

(No 5)

 

ダリア

     「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/daria.html

この花も二度咲です。 お友達が遊びに来てくれたので、再掲載となりました。

(No114)

この写真を大きいサイズでご覧になる場合は下記をクリックしてください。 (小さい画像が出た場合は、その画像をダブルクリックしてください)

  https://skydrive.live.com/?cid=864dbba571f30669&id=864DBBA571F30669%21150&sff=1&authkey=!AKtkPQf9KvATpBc

 

イワヒバ   (岩)

    「花写真館」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/iwahiba.html

寄せ植えなどとともに、我が家の庭の古株ですが、 ブログに載るのは初めてのこと。 あまり遅いのでいじけてはいないかと・・・・。

 No145

 

オクザリス

    「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/okizarisu.html

この花も活きの長い花で、ありがたいことです。

(No12)

 

マンリョウ  (万両)

     「花写真館」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/manryou.html

実が赤くなったら、掲載しようと思っていましたが、 蝉の抜け殻がついてたので、撮りました。 蝉は「アブラゼミ」にしては大きいと思うので、”シワシワ・・・・”とやかましい「クマゼミ」のようです。

 No146

 

今回は以上です。

 

 

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1008 猿田彦神社

2013-10-07 08:00:00 | 寺社一般

 伊勢には度々訪れていますし、 この「猿田彦神社」の前は何度も通過していますが、 この神社には一度も参拝していませんでした。 今回、朝早く出て来たのと、 高速道路も街中も混雑には全く無縁であったことから、 12時には両宮の参拝を終えたので、 入ってみました。 

 

正面の鳥居は、大きい通りに面していますが、 徒歩かタクシーでないと入る事はできません。 駐車場は東方にありました。

 

 日本神話によれば、猿田彦神はニニギ天降りの先導を終えた後、伊勢五十鈴川の川上に鎮まった。倭姫命世記によれば、その子孫の大田命は天照大神を祀る地として倭姫命に五十鈴川川上の地を献上した。大田命の子孫は宇治土公(うじのつちぎみ)と称し、神宮に玉串大内人として代々奉職したが、その宇治土公が邸宅内の屋敷神として祖神の猿田彦を祀っていた。明治時代に入り、神官の世襲が廃止されることになって、屋敷神を改めて神社としたのが猿田彦神社である。 猿田彦神がニニギの先導をしたということから、交通安全・方位除けの神社として信仰されている。

 

「本殿」

本殿は「さだひこ造り」と呼ばれる特殊な妻入造である。欄干や鳥居には八角形の柱が使用されている。5月5日の御田祭は、三重県の無形民俗文化財に指定されており、神饌として飛魚を献上する風習がある。

 

「本殿」から、正面入口方面を見てます。

 

写真左の立て札には、 「舟形石は宝船を連想させ、古来縁起の良いものと言われてきました。 この舟形石は蛇が乗っているように見えるため特に縁起が良いとされています」 ・・・と書いてあります。

 

「佐瑠女神社(さるめじんじゃ)」    猿田彦神社境内社

人と人、仕事や物との様々な縁を良い形で結び導く神様だそうです。 また、俳優の神として技芸、技術の上達を導く芸能の祖神として崇敬され、音楽関係、芸能関係者を初め、様々な習い事の上達、成功を祈る参拝者が多いと言います。

 

下は東口です。

 

 「おかげ横丁」はいつもの賑わいを見せていました。

 

 ここまで見終えても時刻は13時を過ぎたばかりでした。 携帯電話の歩行計を見ると未だ1万歩に満たないのに、 足腰に強い疲労感を覚えたので、 少々勿体ない気持ちを残しつつも、帰還することにしました。従来なら、もうひとつと行く先を追加するのですが、それは無く、体力の低下をひどく感じた一日になりました。

 

 

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1007 伊勢神宮 内宮

2013-10-04 08:00:00 | 寺社一般

 20年ぶりの”遷宮ブーム”もそのピークを迎えようとしている。 その時は混雑もただならぬものと予想し、その前に新装なった神様の住みかを訪れています。 今回はその本命の内宮を紹介したいと思います。 

 

 

 ここからは新装なったものだけを掲載します。

 ここの鳥居のお古は、旧東海道の各地の追分の鳥居になると、旧跡めぐりで知ったが、 取り変えたとの報道に接していないが、今はどうなってるのだろうか?。

 

「新正殿」

未だ、ここより近づく事は未だ許されない。 

 

10月の本番時の混雑を避け、順序良く並ばせるための場所(?)が作られていた。 

 

正殿の右の側面(写真左)、同裏面(写真右)。

 

「御稲御倉 (みしねのみくら)」

ここは、伊勢神宮公式サイトから引用しますと、所定の神宮神田より収穫した抜穂(ぬいほ)の御稲が修められているところであり、御正宮と同じ唯一神明造りになっています。抜穂とはつまり稲穂です。 簡単に言えばお米を保管する倉なのだそうです。

 

「外幣殿 (げへいでん)」

ここには「古神宝類」が納められているといいますが・・・・。

 

「別宮 荒祭宮 (あらまつりのみや)」

 荒祭宮は、内宮に所属する10別宮のうち、第一に位しています。殿舎の規模も他の別宮よりも大きく、行ニ丈一尺二寸、妻一丈四尺、高さ一丈四尺八寸あり、第一別宮として正宮につぐものです。
 ご祭神は、天照坐皇大御神の荒御魂。神様の御魂のおだやかなおすがたを、「和御魂(にぎみたま)」と申し上げるのに対して、時にのぞんで、格別に顕著なご神威をあらわされる御魂のおはたらきを、「荒御魂」とたたえます。延暦23年(804)選進の『皇太神宮儀式帳』に、「荒祭宮一院 大神宮の北にあり、相去ること二十四丈 神宮の荒御魂宮と称う」とあり、延長5年(927)成立の『延喜式』に「荒祭宮一座 大神の荒魂」とも見えます。
 お祭りにつきましては、正宮に準じる第一別宮として特別丁重に行われています。祈年祭・神嘗祭・新嘗祭の奉幣の儀も、正宮にひきつづき、同日に勅使、大宮司、少宮司以下神職がただちに参向して幣帛がたてまつられます。又、神饌の種類や数量も正宮とほとんど同一のものが供せられます。

写真左は旧殿、右が新殿=只今工事中。

 

 午前10時過ぎにここ内宮の市営駐車場に着いた時は、どの駐車場もガラ空きだったものが、 我々が帰る時間の13時頃は全てが、満車状態で空き待ち車が列を作っていた。 今でもこの状態では、先が思いやられる。

 

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1006 伊勢神宮 外宮

2013-10-01 08:00:00 | 寺社一般

 2013.09.26(木)、 からりと晴れて、 すがすがしい秋の陽を浴びつつ、 毎度の急な思い付きで、 今日は新装なったお伊勢さんにやってきました。 報道や友の情報から、 遷宮が本格的になる10月の大混雑を避けて、早めのお出掛けとしました。

小寒い程に冷え込みを感じながら、 午前7時35分我が家を出発しました。 昼間との寒暖差が大きいためか、早くも黄変の始まった木々を横目に、名阪、伊勢道を経て9時に先ずは「下宮」に到着しました。 ”早起きは三文の得” というが、 まさにその通り、伊勢市内の道路の混雑は無く、駐車場もガラ空き状態、極めて快適に到着です。

 

 今回は新しくなった物を中心に紹介したいと思います。

 

 下の写真正面が旧の正殿ですが、これより先は入れないし、撮影禁止となっています。 新正殿は左手の方になりますが、ここより先には未だ入れない状態でした。

宮殿と新殿の間には、杉材でつくられた”仮”と思われる屋根が作られていました。 祭礼は雨天中止とは出来ないし、神様に傘をさすのは失礼なのでしょうか?。

 

 今日は祭礼があるらしく、「前ぶれ太鼓」、神宮ポリスに先導されて、木靴の一団がやってきました、これから正殿に入る所ですが、中で行われる事は一般人は見る事さえできないのは、ちょっと悲しいねー!。

 

 

「 せんぐう舘」  休憩所

未だ、営業(?)していません。

 

 好天とは言いながら、 平日の朝でこの状態、 10月に入って遷宮が最終段階を迎えた場合の混雑は如何ほどのものか想像出来ないが、 近寄り難い感覚を覚える程に混み合うものと思われる。

 

 駐車場に戻ったのが、10時頃ですが、 ここは駐車場が広くないので、すでに満タン状態でありました。 この後内宮に向いましたが、それは後日に譲ります。

 

 

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