木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1005 庭の花 H25-23(New:137~141)

2013-09-29 08:00:00 | 我が庭の花

  久々になりますが、 我が家の狭い団地の庭に咲いた花達を紹介します。 何度も登場の花もありますが、それはそれだけ長く、私を楽しませてくれた花なので載せさせて戴きます。

 今年のお正月以来咲いた花に番号を付けており、それを各写真の末尾に記載しております。 ( )の無い花は、今年咲いた順番を示し、( )付きは過去に咲いて紹介済みであることを示しています。

 

「セイヨウフウチョウソウ」 (西洋風蝶草)  別名: クレオメ

  「花写真鑑」  ttp://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/seiyouhuutyousou.html

永年に渡る我が庭の常連さんですが、 種を蒔いたり、肥料をあげたり全く何もしませんが、毎年花を付けてくれます。 この花は日が落ちる頃が最も美しいので、フラッシュを焚いて撮っています。

 No137

 

「フウセンカズラ」  (風船蔓)

   「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/huusenkazura.html

 今年の我が庭での、 エンターティナーを務めてくれました。

(No129)

 

「ルコウソウ」  (縷紅草)

   「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/rukousou.html

かなりアップで捉えていますが、この真紅には脱帽しています。 もう少し花の数が多いと申し分ないですが、先日の京都府立植物園の様子からしても、 華々しく咲く花ではなさそうです。 (今年初めて種から育てたもので、 未だ詳細には把握してませんがね・・・!)。

(No128)

 

「メランポジウム」

    「花写真鑑」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/meranpojiumu.html

大変に生命力の強い花で、放置していても、あちこちで咲いてくれると言う、子の家の主のようにぐうたら向きの花です。

(No131)

 

「センニチコウ」  (千日紅)

   「花写真鑑」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/sennitikou.html

春植えたのに未だ咲いてます。 花期の長いありがたい花です。 ただし水やりは絶対に欠かせませんがね。

(No120)

 

「ニセコバンソウ」  (贋小判草)

   「花写真鑑」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/nisekobansou.html

我が庭への、不法侵入者ですが、 好きにさせてます。 実りが近いのか、 薄紫色に化粧を変えて来ました。

 No 138

 

「ミズヒキ」

    「花写真鑑」   未登録

この花も上と同様に、通常は「雑草」に分類せれているようですが、 我が家の庭では立派な一員です。 従来は早目に抜かれて花を見せる事はありませんでしたが、 今年は「花写真鑑」に載せるためにと、 自由に咲く事が出来ました。 ただし、来年は目が出た所で抜かれても文句は言わないようにと言い聞かせながら見ております。

写真右は普通に見られるもので花は”赤”ですが、 いつの間にか左の”白”もやってきました。

 No139

 

「アゲラタム」

   「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/ageratamu.html

この花も下記がとても長いので有難いものです。

(No75)

 

「オキザリス」

   「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/okizarisu.html

(No12)

 

「スズメウリ」

   「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/suzumeuri.html

赤くなるのを待ってるのですが、なかな色が付いてきません。 葉が黄色くなってきました。 そういえば、 未だ子供の頃でしたが、山野で「カラスウリ」が、実は赤くなってるが、葉が全て落ちていましたっけ!。 

(No134)

 

「トクサ」  (研草)

   「花写真鑑」    未登録

水性植物として、 寄せ植えとしていましたが、いつの間にか大幅に勢力拡大して、我がもの顔になってます。 削除しても少しもへこたれる事なぞ見られない、大変に姿勢がよく、元気で素敵ななやつです。 先頭は「ツクシ」とかなり似てます、これでも花の積りでしょうか?。

 No140

 

「ヤブラン」  (藪蘭)

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/yaburan.html

下の写真は「フイリヤブラン」ですが、 庭には普通の「ヤブラン」も同じ花であちこちに沢山生えています。

 No141

 

「ワタ」  (綿)

   「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/wata.html

今年我が庭の新人さんですが、 ついに”実=綿”が実りました。 左はあと1~2日で右の状態になります。

(No135)

 

今回は以上です。 お粗末でした。

 

 

 

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1001 東海道 坂下宿 (2) 鈴鹿峠

2013-09-26 08:00:00 | 名所旧跡

 東海道五十三次の宿場町、三重県内(江戸寄り)の北端は「桑名宿」の「七里の渡し」です。 ここを起点として、街道筋にある旧跡を訪ねていますが、いよいよ三重県内の終点、鈴鹿峠にやってきました。    取材日 2013.09.11(水)

鈴鹿峠は伊勢と近江の国境にまたがる鈴鹿山の脇を縫うように超えるのが鈴鹿峠越えです。 古くは「阿須波道」と呼ばれ、仁和2年(886)に開通したとされています。 なだらかな近江側と異なり、山深い「八丁二十七曲がり」の急な山道は、古くは山賊が出没したようで、江戸時代には箱根越えに次ぐ東海道の難所として知られていました。

旧東海道の関宿から鈴鹿峠までは、平成8年11月に文化庁の「歴史の道100選」に選定されています。

 

下の地図で、赤い線が旧東海道であり、丸付き数字は尋ねた旧跡の位置を示します。 ●H= 標高 を示しますが、計算値のため必ずしも正確とは言えません。参考値と考えて下さい。

 

 今回尋ねた旧東海道の距離(①~⑭間)は凡そ980mですが、その標高差は121m(平均勾配α=12.3%)でありましたが、片山神社(⑤)から国道との交点(⑥)の間は約80mの距離で、高低差は54m(α=67.5%)と極めて急峻であることと、この辺りは車の走れる道は国道一号線しかないし、しかも、上下線が離れている(一方通行)ので、道順に”取材”する事が出来ませんでした。

それで、”後期野次喜多衆”は、一号線の峠を昇る側で一旦峠を越えて、滋賀県側に入り、峠のトンネルを出た所で、わき道に入り戻る方向でトンネルの上に出て、旧東海道に入ったのです。 つまり、滋賀県側から鈴鹿峠近くまで車で入り、そこから先は国道との交点⑥までは徒歩で往復したのでありました。

車に戻ってからは、もう一度滋賀県側に入り、今度は峠を下る側の一号線に入り、少し下った位置でわき道に入り⑤の位置に着いたのでありました。 その後は当然旧東海道を下り、一号線との交点①の場所に到着したのです。 よって、今回に限り撮影順序の逆に編集して、あたかも峠を昇ったように書いています。

 

① 国道からの分岐点

左の写真で、右の道が旧東海道で、車の泊まってる真ん中の道が、旧国道であり、左端の道が国道一号線で亀山方面行きの一方通行道です。 旧東海道はこの辺りから片山神社の参道と化していたのでしょうか?。

 

 ② 旧東海道

最初のうちはなだらかですが、坂がきつくなってくると石畳になります。

 

 ③ 名号碑

「南無阿弥陀仏」 宝永7年(1710)と刻まれています。 間伐材が雨で流れて哀れな格好になってました。

 

 ④ 灯籠坂と常夜燈

昔はこの灯籠坂の両側に灯籠がならんでいたそうです。古いものは享保2年(1717)のものもあります。馬子唄の一節が書かれてますが、 馬も男は乗せたくないほどに、坂が厳しかったのでしょうなぁー!。

 

 ⑤ 片山神社と孝子万吉の碑

その由来が古代にさかのぼる神社で、鎌倉時代にはここにあったようです。江戸時代には鈴鹿権現と呼ばれ、多くの信仰を集めたそうですが、平成11年に本堂などを火災で消失しました。

孝子万吉は4才で父を失い、6才から茶屋の使い走りなどをして、病弱な母を助けていました。 旗本が通行のおり、万吉の事を知り、その話を広めました。 いつしか万吉の話は評判になり、幕府にも届き、万吉母子は江戸に召されました。成人した万吉は代官に召し抱えられ長寿を全うしたそうです。

 

 ⑥ 国道との立体交点

ここからが鈴鹿峠の最も厳しい所、クライマックスになります。 足腰の強く無い私には、ここの上下は無理と判断し、実際はここでUターンしたのです。(ブログの進行方向とは逆です)

上の写真の細い道が、旧東海道ですが、国道一号線の工事のために幾分位置が変わっている事も考えられます。 下の写真左上方向に柵がありますが、それが旧東海道です。

 

 ⑦ 松尾芭蕉句碑

「ほっしんの初にこゆる鈴鹿山」とありますが、元禄4年(1691)刊行の句集に詠まれているそうです。

  

 ⑧ 馬の水のみ場

平成4年にコンクリートで復原されたものでした。

立て看板には西行法師が 「鈴鹿山 浮き世をよそにふり捨てて いかになりゆく わが身なるらむ」 と詠んだと書かれています。

  

⑩ 旧東海道

平坦は所もあるが、雨が降れば道は川になり、倒木が道を塞ぐ、まさに難所だ!。 

 

 

⑪ 鏡岩

これは鏡肌と呼ばれ、珪岩が断層が生じる際の巨大な摩擦力によって研磨され、平らな顔面が鏡のようにつやが出たもの。 昔、山賊が往来する旅人の姿をこの岩に映して危害を加えたので「鬼の姿見」とよんだと伝えられる。 県指定天然記念物。・・・とあるが・・・

・・・・・・しかし・・・・・近寄って見ると、断崖絶壁の端にあり、全面を見る事は出来ないが、鏡らしき面は少しも見当たらず。 時代の流れで風化などしたにしても、当時の事が推測も出来ない状態に唖然!。

友の情報によると、 新城市の県道沿いに「額岩(別名鏡岩)」を初め、埼玉県の御嶽鏡岩、京都貴船山の鏡岩、尾道千光寺の岩、吉備の中山の鏡岩、岩手県住田町の鏡岩、岐阜県の大倉山の断崖などなど、巨石信仰もこれありで、沢山あるようです。

 

 ⑫ 田村神社跡と無名地蔵

田村神社(詳細説明は土山宿編にて後述)は現在は土山の町にありますが、昔は峠にあったようです。

 

 ⑬ 鈴鹿峠

ここが標高378mの峠です。 車は滋賀県からのみ、この辺りまでは入る事が出来ますが、これから先(三重県側へ)は道幅が狭く急斜面であり車ははいれません。 また、勿論舗装などなく、雨が降れば川になり、倒木などが流れて来るし、落石もあるという、正に難所です。

 

⑭ 滋賀県との県境付近

左の写真、正面が三重県側、直進方向が旧東海道。 右の写真右奥が、旧東海道の土山方向。

三重県側は山が険しいので、畑などはかなり下がらないと見られないが、 滋賀県側は入った途端に平らになり、今は茶畑が広がる。 この極端な違いにまた驚く!。

 

 これにて、坂下宿が、またそれは東海道の三重県内が終了しました。 よって、当ブログの東海道三重県編はここで完結とします。 

 42 桑名宿   ブログ編数 7        街道の距離 3.8 km

  43 四日市宿               10             19.2 

 44 石薬師宿                 2               2.7

 45 庄野宿           2               5.5

 46 亀山宿           5               8.9

 47 関宿            3               4.7

 48 坂下宿           2               6.0

        合計            31              50.8

長期に渡りお付き合いを賜り、ありがとうございました。 この歴史探訪はこれで終わりではないと思っていますので、今後もよろしくお願い致します。

このブログに限りませんが、 主要なブログは別途 ホームページ の 「ブログ索引」 から入り、 「8.旅行の記録」 をクリックし、さらにスクロールして、「(8.6)後期野次喜多歴史散歩」の中に、上記31編のブログを見る事が出来ます。  

 

 

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993 花写真鑑 新規登録紹介No851~860

2013-09-22 08:00:00 | 花一般

 一般的な記事の合間に花を一輪挿入するという目的もあって、「花写真鑑」に新しく登録をした花を10点ずつ紹介しています。  集めた花の種類が900に近づいてきますと、私には新しい花には中々出逢う事が出来ません。 

先日、半年ぶりになばなの里に行き、温室以外の隅々を見て歩きましたが、「花写真鑑」に新たに登録出来たのは、3点のみでした。 植えられている花の殆どは、毎年変わる事が少ないようです。 これを克服するには、あちこちの植物園を回るしかないのかも知れません。

よって、野菜をも撮らざるを得ない事をお断りしておきます。 

 

851  「カボチャ」  (南瓜)  別名:ニホンカボチャ、パンプキン

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/kabotya.html

カボチャになる実の付いた雌花を取りたかったが、ここは他所のお宅の畑、中に入る事が出来なくて、雄花のみの写真となりました。

 

  

852  「オニユリ」  (鬼百合)   別名:テンガイユリ

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/oniyuri.html

昔は多くの家の庭や山間で見られましたが、最近は外来植物などに押されてか、めっきり姿を見られませんでしたが、どうした訳か最近帰ってきたように思います。 その為に遅まきのご登場になりました。

 

  

853  「アカバナユウゲショウ」  (赤葉菜夕化粧)  

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/akabanayuugesyou.html

”赤花夕化粧”ではありません、念のため。 これ”菜”とあるから、古代の人は食べていたと推測できます。

 

 

 

854  「ソテツ」  (蘇鉄)     

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/sotetu.html

亀山のお寺に咲いてましたが、誠に立派な花です!!!。

 

 

855  「カサブランカ」

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/kasaburanka.html

「カサブランカ」と言えば、ハンフリーボガートとバーグマンを思い出すご仁が多いと思いますが、そうは行かない、これは「ユリ」です。 ボガートフアンの私としては、これを書きたくて、「花写真鑑」に登録したようなものです。 

ボガートとバーグマンの会う最後のシーン、何とも言えない感情が湧いてきます。 悲しみを表に出さないボガートの一挙手一動が目に浮かびます。いい映画でした。・・・・・関係ない・・・か!。

 

 

856  「オクラ」   別名:アメリカネリ、オカレンコン

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/okura.html

取っても、取っても次から次へと実が成りますから、最近は家庭菜園でも見られるようになりました。

 

 

857  「ゴマ」  (胡麻)   別名:セサミ

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/goma.html

昔は何処の畑でも見られましたが、最近は目にすると何故かほっとします。

 

 

858  「ラッカセイ」  (落花生)  別名:ナンキンマメ、ピーナッツ

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/rakkasei.html

今でも植えてるお宅があるとは、知りませんでした。

 

 

859  「アサガオ」   (朝顔)   

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/asagao.html

何故こんな花が今頃登録か!?と言われそうなんですが、 それが、こんな事が結構ある事に最近気が付きました。 ありふれた花はその存在を忘れ勝ちであることが・・・・・!。

 

 

860  「チャワンバス」  (茶碗蓮)  

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/tyawanbasu.html

今年は見事に咲いてくれました。 我が庭の今年のグランプリ賞ものです。 今までは「ハス」の中の一員でしたが、今回の栄誉(?)により、「チャワンバス」として、「花写真鑑」上も独立することになりました。

 

 

私は花の名前を調べるために、幾つかの「花図鑑」を持っています。 その内のひとつ、講談社の「四季の花色大図鑑」についての内容分析を前回掲載しました。 掲載されている花は1063種類で、その内の約40%が、私の「花写真鑑」に登録済みであると書きました。

その本は、園芸店などで手に入れる事が出来そうな花、一般家庭の庭などで育てられ易いし、好まれる花に特化されていました。 よって、昔の庭にあった花や、道端の花、あまり美しく無い花は乗っていません。また、折角のっていても、利益が上がらないなどの理由で、出回らない花も数多く含まれているようでした。

要するに、上記図鑑の花の内、600種余りはまだ、私の「花写真鑑」に載せてない花があるにもかかわらず、園芸店などに行っても、その花には出会えないのです。 研究、改良が進んで市場に出回るのはそう早くはできないでしょうから、私の狙い所を改めなければならないと言う事になります。

そこで、狙いを「野草」に広げてみようとして、まずはその実態を知るべく、山と渓谷社が出している、「野草の名前」(122×204mm、351~367ページ、花の時期:春、夏、秋冬の3編構成、各¥2600)について、前回と同じく”全名前”をExcelの表に書き出し、データーベース化してみました。

  春編  花の種類 350種、  花の名前 449

  夏編         367            456

  秋編         324            354

  合計は       1041           1259

である事が判明しました。 内、我が「花写真鑑」には239種(23%)が登録済みでありました。 この本は嬉しい事に、「和名」のある物に限定しており、最近外国から入って来た花は含まれてないようでした。 よって、長ったらしいカタカナ名は無く、また、別名の数も多くはありませんでした。

この結果、この本に載せられている花の内、800種ほどは未だ”開拓の余地”があると言う事になります。但し、この本には地方の環境などによって変種が現れている場合も別名で上げられているので、その花に出会うためには、伊吹、立山、利尻、千島や樺太に出掛けなければならない物も多く含まれています。

これらの分析結果から、私の進むべき道についてはまた別の機会に述べたいと思います。

 

 

 

 

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998 東海道 坂下宿(1)沓掛坂下

2013-09-19 08:00:00 | 名所旧跡

 ”後期野次喜多”による、東海道五十三次の街道筋旧跡探訪の旅は、そのクライマックスの鈴鹿峠の一歩手前までやってきました。 取材日 2013.08.26(月)

 

 先ずは先例にならい、安藤広重さんの絵から・・・

この絵に相当する場所が何処か考えてみましたが、 ちょっと思い当たりません。 私達が通る道は相当に削られ、埋め立てられているし、雑木が生い茂っていたりして、見つける事はできませんですた。

 坂下宿はいつごろからかは明確ではないようですが、大永4年(1524)に「坂の下の旅宿」との記録があることから、室町時代には宿として機能していたものと思われています。

現在の地に昔からあった訳ではなく、昔は今より1kmほど上流にありましたが、慶安3年(1650)の大洪水により壊滅してしまい、現在の地に移転、復興されたそうです。

江戸時代には日本橋から数えて48番目の宿場町として多くの人で賑わいました。 鈴鹿峠を控えて参勤交代の大名家などの宿泊も多く、江戸時代後半には本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠48軒を数え東海道有数の宿にあげられています。 当時旅籠の数の記録をみると、亀山宿21軒、関宿42軒、土山宿44軒とあるから、坂下宿は険しい峠越えの重要な宿場であった事が伺えます。

「東海道名所図会」にも、「この宿の本陣の家広くして、世に名高し」 「大竹、小竹とて大きなる旅舎あり。これを俗に本陣、脇本陣などという」と図入りで紹介され、その繁栄ぶりが広くしられていた事が伺われます。

明治23年鉄道の開通によって通行者の激減により宿場としての役割を終えました。 道路の拡幅などにより、景観までも失われたのは淋しい事ですが、石造物などには、昔の面影を見る事ができます。

下の地図の赤い線は旧東海道を示します。丸付き数字は尋ねた旧跡を示し、下記の記事番号になってます。 参考値ですが国土地理院の標高計算方法により、道路面の標高をグリーンの及び H=で示していますが、凹凸の激しい地点では誤差があるやもしれません。

 

 

① 弁天一里塚跡 

 

② 超泉寺

  

③ 鈴鹿馬子唄会館

 ホールや研修室、展示コーナーのある地域文化創造施設。H7建築。 鈴鹿馬子唄と鈴鹿峠の歴史文化について常設展示されています。入館無料。

 鈴鹿馬子唄

   坂は照る照る鈴鹿は曇る、    あいの土山雨が降る  

   坂下では大竹小竹    宿がとりたや小竹屋に

   関の小萬が亀山通い    月に雪駄が二十五足

注)1.戦国時代の絵師狩野元信が山の景観に惹かれて筆を取ったものの、激変する天候に筆が追いつかず、ついに筆を投げ捨てたという伝承をもつほどに、この辺りの気候変動の激しい事を歌っている。

注)2.代表的な旅籠として、大竹屋、小竹屋があったが、大竹屋は大名、役人や金持ちの宿、庶民は”せめては小竹屋に”と、少し皮肉を込めたのかも?。

注)3.父の仇打ちを志し、亀山の道場に雪道を通い続ける、女剣士を憐れみと励ましを込めたものと私は解釈した。(「関の小萬」に付いては当ブログ東海道関宿(1)を参照されたい)

 

 ④ 鈴鹿峠自然の家 

昭和13年に坂下尋常小学校として建てられた。昭和54年に廃校となり、現在は青少年の育成のための研修施設となっている。現在は国指定有形文化財。

 

⑤ 河原谷橋

沓掛と伊勢国最後の宿、坂下宿との境界になっていたそうです。 下の端とも言うらしい。 道路は川面よりも7~8m程も盛り土されているが、当時はこんなに平ではなく、橋の位置はもっと低く、上り下りがきつかったものと思われます。

 

⑥ 大竹本陣跡、梅屋本陣跡

 

⑦ 小竹屋脇本陣跡、松屋本陣跡

 

⑧ 法安寺

大変に立派な山門ですが、元は坂下宿本陣のひとつであった松屋のものであったが、一時は学校の門などに使われましたが、昭和35年にこの寺に移築されたもののようです。

 

⑨ 地蔵堂、金蔵院の高い石垣

後方の石垣は、慶安3年(1650)に作られたものらしいが、金蔵院は鈴鹿山護国寺とも呼ばれ、仁寿年間(851~853)の開基と伝えられる古刹です。 江戸時代初期には将軍家の御殿が設けられており、徳川家康や家光が休息したと伝えられているそうです。

 

⑩ 岩屋観音

万治年間(1658~61)、法安寺の実参和尚が旅人の道中安全を祈って造立したもの。亀山市指定名勝。 高さ18mの巨岩の岩窟に弥陀・観音・勢至の三体の石仏を安置する。 また、堂の左奥にある「清滝」と合わせて、「清滝観音」として知られているそうです。 葛飾北斎の「諸国滝めぐり」にも取り上げられており、霊験あらたか観音霊場として現在も信仰をあつめているそうです。

下の写真上が言わば山門に当たる部分、今は金属のフェンスになっており、外見では寺があるようには見えない。

 

 この後はいよいよ県下東海道の最後となる、また、クライマックスとも言える、鈴鹿峠になりますが、ここは車が入らない部分がありますし、また、旧道は地図にも載らない道、そして極めて勾配が険しくなるので、街道の道順通りとはゆかないのですが、そこは工夫して何とかクリアしたいと考えています。

 

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992 花写真鑑 新規登録紹介No841~850

2013-09-16 08:00:00 | 花一般

 「花写真鑑」に登録された花の種類は、2013.09.01現在、882種類になりましたが、その”ニューフェース”を順次紹介しています。

   「花写真鑑」表紙はこちら・・・http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/idx/01frame.html

 

No 841  「ヤブイチゲ」   (藪一華)   別名:ヤエザキイチリンソウ

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/yabuitige.html

山野草には違いないようであるが、ヨーロッパ原産の「ヤブイチゲ」の変種だそうだ。 昨年春、ご近所で咲いていたものですが、この清楚な姿に惚れて、懸命に資料を漁ったが名前を知る事が出来なかった。それが、最近になり、「みんなの花図鑑」と言うサイトを知り、ここに写真を投稿した所、間髪を入れることなく名前を書き込んで戴いたので、早速登録したのでありました。 

 

 

842  「ハナカタバミ」   (花方喰)   別名:オキザリスボーウイー

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/hanakatabami.html

「カタバミ」によく似たはなですが、葉などが全く違います。

 

 

843  「チョウセンアサガオ」   (朝鮮朝顔)   別名:ダッチュラ or ダツラ

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/tyousenasagao.html

四日市宿の旧跡を訪ね歩いている時に、小古曽の「願誓寺」山門前に、大きく咲いている花を見附けたもの。 はなほ直径は150mm位の大きく、蔓もないが、花の形が少し似ているからと、「アサガオ」と付けるのは、「アサガオ」に対し少し失礼ではないかと・・・・(?)。

 

 

844  「オシロイバナ」   (白粉花)

     「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/osiroibana.html

夜咲く花であり、朝が来るとしぼんでしまうので、開いた状態を見る事が難しい花であります。 赤、桃、白の他に黄色があり、毎日沢山咲いているにも関わらず、黄色はまだ開いた状態を見て居ないのです。下の写真は夜19時頃にフラッシュ焚いて撮ったものです。

 

 

845  「ハツユキソウ」   (初雪草)   別名:ユーフォルピアマルギナタ

    「花写真鑑」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/hatuyukisou.html

この他に「ハツユキカズラ」という観葉植物があります。 和名は花を連想し易い名前が多いので、大歓迎ですが、この”草”と”蔓”の違いを、うっかりすると混同してしまう事になり兼ねないないです。

 

 

846  「セリ」    (芹)    別名:シロネグサ

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/seri.html

花があったのかと言われそうな花です。 近くの田んぼの畦に咲いてました。

 

  

847  「ニッコウキスゲ」   (日光黄菅)  別名:ゼンテイカ

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/seri.html

よく似た花3点をまとめて掲載しました。 わかり易いとは言いかねますが、その違いを見て下さい。

 

  

848  「ユウスゲ」   (夕菅)   別名:キスゲ

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/yuusuge.html

 

  

849  「ノカンゾウ」  (野萱草)  

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/nokanzou.html

 

  

850  「ヤブマオ」  (藪真芋)   

    「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/yabumao.html

これぞ”雑草”と言わんばかりの植物・・・・!。  これも私には大切な花です。

 

花の名前を調べる場合に、私が第一に見るのは、講談社が出している「四季の花色・大図鑑」(¥2900)です。 この本の大きさは210×260mmですから、A4より少し小さいですが、全体で240ページあり、花の色ごとに分類されているので、比較的楽に探せるので、重宝しています。 

しかし、一体何種類掲載しているのかが謎でありました。何故なら、異なる色がある花は複数回出てますので、写真の数を数えても花の種類はわかりません。 また、花にはいくつもの名前があるものがあり、最大4種類まで名前が書かれ、その全て(推定)が索引に載せられているので、索引の数(約2270)は種類にはなりません。

それで、花の種類毎に載せられている”科名、原産地、特徴、育て方など”に書かれた、花の名前を全てExcelの表に書き出して見たのです。 このようにデーターベース化しておけば、簡単に数は数えられますし、「花写真鑑」の表と突き合わせて、”色んな使い方”が出来るので、暇にまかせてやったのです。

”色んな使い方”は、これからの事ですが、取りあえずの疑問、この本の花の種類などが判明しました、その分析結果のあらましは・・・・・。

    花の種類=1063   花の名前=2274   内、「花写真鑑」に掲載=430

これらの結果から、この本は、家庭菜園で扱われ易い花に焦点を絞り、1000種以上を載せたもの・・・であり、 私の「花写真鑑」は花の全てであることから、山野草、雑草、樹木、野菜、水生植物、熱帯植物などは殆ど載せられていないので、「花写真鑑」882種掲載の半分も載ってないこともわかりました。 

花の名前を知るためには、この本を多くは全ページ何度もめくって、ひとつずつ比較検討してゆくのですが、名前が無いと判断するケースが多い事が、納得行きました。 名前を探す花が園芸店で売られそうになければ、早く他を当たる必要があると言う訳です。

また、家庭菜園に植えられ易そうな花で、「花写真鑑」に無い物が、まだ600種もある事も解りました。 その割には、園芸店に再々行きますが、目新しい花が極めて少ないのは、開発直後の花で知られていないか、又は、新しい花は出来たが、育成が難しく儲けが少ないから、店に置かないことも考えられます。

 

 

 

 

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997 東海道 関宿 (3)関町新所市瀬

2013-09-13 08:00:00 | 名所旧跡

 旧東海道筋の旧跡を尋ねる旅は、五十三次の内、桑名宿、四日市宿、石薬師宿、庄野宿、亀山宿、そして関宿に来ましたが、今回はその3編目をお届したいと思います。 ここまでに28編公開してきましたので、第29編となりました。  撮影日 2013.08.26(月)

 例により、下の地図は赤い線が旧東海道を示し、丸付き数字は尋ねた旧跡の在りかを示し、尋ねた順になっています。赤い線が薄くなってる部分は本来の道ですが、今は消失している事を示しています。

 

① 道標、常夜燈、町並み 

 地蔵院前の町並みは関宿を代表する旅籠のひとつ、「会津屋」などがありました。 この旅籠は元は「山田屋」と言い、前出の「小萬」が育った旅籠であることも知られています。

二階に洋風の窓が付いた「洋館屋」、米をつく水車の音から付いた「川音」、伝統のある鍛冶屋、など、特色のある町屋がならんでいます。

 

② 地蔵院

「関の地蔵に振袖着せて、奈良の大仏婿に取ろ」の俗謡で名高い関地蔵院。 天平13年(741)行基菩薩の開創と伝えられています。 近郷の人々ならず、東海道を旅する人々の信仰を集め、現在でも多くの人の参拝で賑わっています。 境内の本堂、鐘楼、愛染堂が国の重要文化財に指定されています。

 

③ 知行付の鐘

寛文11年(1671)建立。 国の重文。

 

④ 誓正寺   真宗高田派

下右の写真の右端の灯籠は「正定院筆子中」と刻まれています。 「筆子中」と言うのは寺子屋で教育を受けた門下生の事です。 この筆子塚はこの寺の住職であった先生に教え子達が学恩に感謝し、慶応4年(1868)に建立したものだそうです。

 

⑤ 長徳寺

 

⑥ 観音院

関の守り仏であった。裏手の観音山h名勝として訪れる人が多いとか。

 

⑦ 道標

大正15年に建てられたもので、観音院の裏手(西側)にあり、「観音山公園道」と刻まれている。

 

⑧ 法悦供養塔、道標

元禄14年(1691)谷口長上衛門の建立。「南無妙法蓮華経」と刻まれている。

 

⑨ 西の追分

東の追分が「伊勢別街道」(伊勢神宮方面への道)との分岐点であったが、それに対し西の追分は「大和街道」(加太越奈良道=伊賀奈良方面への道)との分岐点。 県指定史跡。

左に行くのが大和街道」、左の道は国道一号線で正面方向が鈴鹿峠、右の道が旧東海道。

ここまでが関宿とされる地域かも知れないが、明確でないために、 編集の都合もあって、少し離れてはいますが、もう少し坂道を上がり、関町市瀬まで、このブログでは関宿としました。 

 

⑩ 一の瀬社常夜燈

 

⑪ 常夜燈

西願寺の門前に位置する。 手前が旧東海道で、その前方が国道一号線です。

 

⑫ 西願寺    浄土真宗本願寺派

 

 

 関宿は以上3遍にて完結とします。

 関宿のスタート地点から旧東海道を通過した距離は合計4.7kmとなりましたので、三重県内の東海道を合計では44.8kmになります。

関宿のスタート地点の標高は66.1mであり、今回の終了地点が116.7mだったので、標高差は50.6mとなります。 結構上ったように思っていましたが、下がる場面もあったので、結果として左程上っていない事が解りました。 逆に言えばこれから先、坂下宿の勾配の厳しさが窺い知れるというものです。

 

 

 

 

 

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1000 東浦町 於大公園のオニバス

2013-09-11 08:00:00 | 公園の花

 9月に入り、急に涼しくなったが、異常気象なのか天候が極めて不安定となり、台風まで加わって、突風で家が壊されたり、大雨で河川氾濫などであちこちで被害の出る状況が続いた。 暑さでブログの”取材”も遠慮がちであったが、涼しくなったので”取材日”を狙っていたが、2013.09.06(金)、漸くすっきりと晴れたので、早速出かけることにしました。

友からの情報で、絶滅が危惧される「オニバス」が、愛知県下唯一植えられているが、今が見ごろと聞き狙っていたのです。 先に、海津市の”水郷公園”へ出掛けた所、蕾であったので、今度は開花状況を確認し、ベストシーズンと確信してやってきたのでありました。

ここは、愛知県東浦町の役場の近くにある、「於大(おだい)公園」です。

 

 海津市の「オニバス」は無暗やたらに多くの株を植えて居たために、花芽の数が少なくまた、花芽が葉を突き破っていましたが、ここは株毎にきちんと隔てられ、「オニバス」が自然の形で安心して咲ける環境が整えられていました。

私達が公園に到着したのは、午前9時になっていませんでしたが、枯れた葉はきれいに取り除かれて、大変美しい状態で見られるようになっていました。

花の茎などは鋭い棘もあり、若干グロテスクな形ではありますが、それを忘れさせるように花は美しく咲いていました。 なお、下の写真中央長丸のはこれから開く葉であり、幾つか首を出してるのは、花の蕾です。 この様子から見頃は未だ続きそうです。

「花写真鑑」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/onibasu.html

葉がゆったりと茎を伸ばせるように、株が配置されているので、花に近づく事が出来なくて、270mmの望遠レンズいっぱい伸ばしてもこの状態がベストでした。 もっと近くから花をドアップで撮りたかったが、残念ながら、それは叶えられませんでした。

 

そのほかに見られた花などを紹介します。

「スイレン」

    「花写真鑑」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/suiren.html

 

「クルミ」

    「花写真鑑」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/kurumi.html

 

「コブシ」

こんな実が成るとは知りませんでした!。

    「花写真鑑」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/kobusi.html

「ヒトツバタゴ」 別名 「ナンジャモンジャ」

    「花写真鑑」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/hitotubatago.html

 

他にも花は「シュウメイギク」など若干ありましたが、掲載は省略しました。

 

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996 東海道 関宿 (2)関町中町

2013-09-09 08:00:00 | 名所旧跡

 旧東海道筋にある、旧跡を訪ねる、”後期野次喜多”は関宿の中ほどをうろうろしております。この辺りは、古い町並みを中心に見るべきものが多く集中してるので、車を止めて歩いて回るのが良い所でした。

 

下の地図で赤い線は旧東海道を示し、丸付き数字は尋ねた旧跡の所在地を示します。 ● は今回のブログ対象の区域を示しますが、東海道の距離は約520mあります。

① 延命寺

立派な山門は、旧川北本陣の門を移築したものだそうです。 赤い実は「ザクロ」です。

 

② 瑞光寺 

中世にこの地を治めていた関氏ゆかりの寺です。

 亀山市指定史跡、 瑞光寺の庭にある、「権現柿」。 徳川家康が関宿に立ち寄った時、賞味したと伝えられる柿の木だそうです。

 

③ 山車倉(だしぐら)と川北本陣跡

”関の山”という言葉の語源にもなった、関宿の山車(やま)は、最盛期には16基ありました。 互いに華美を競い、また狭い関宿を練ったことから生まれた言葉だそうです。 現在は4台の山車があり、四か所に山車倉があるそうです。

 

④  町屋

関宿の町屋は、最も古いものは18世紀中ごろの建築で、明治時代中頃までのものが半数以上を占めます。 平入の二階が一般的ですが、二階面を土壁で覆ったものが多く見られます。

また、窓が漆喰で塗り固めた竪格子窓の事を「虫籠窓」といい、関宿にはさまざまな形の窓があります。

 

⑤ 百六里庭 眺関亭

関宿の町並みの中に生まれた小公園。 関宿が江戸から百六里余りにある事から名付けられました。 通りに面した建物「眺関亭」には珍しく屋上のようになっていて、関宿の家並みが一望できました。(下の写真下右です)

 

⑥ 伊藤本陣跡

 

⑦ 旅人宿 石垣屋

今も泊まることが出来ると書いてありました。

 

⑧ 深川屋

寛永年間から、関の名物「関の戸」を売っていた。 二階に掲げられた「関の戸」の看板は、左側(江戸方面)は”せきの戸”であり、右側(京方面)は”関能戸”と変えてあり、旅人が向う方向を間違えないよにとの工夫がされていました。

 名物「関の戸」は、直径が30mmもない¥500玉程度、厚みが8~10mm位の小さいお菓子で、1個毎に紙に包まれたもの15個入りで¥850でした。 原料は砂糖、小豆、水飴、米粉、トレハローズと書いてあり、かなり甘いが美味しい菓子でした。

 

⑨ 関町郵便局

高札場にあることから、昔はお役所だ」ったかも?。

 

⑩ 高札場

結構いろんな通達があって、高い所にも立てないと収まらないから、高札になったものと勝手に推測してます。 ”知らしむべからず”と言いますから、あまり知らせたくない事は高い位置に張ったのかも?。

 

⑪ 白玉屋

関の戸と並んで、ここの名物の「白玉」、直径45mm暑さ15mm位の、餅状の饅頭。 6個入り¥650。 甘い物には目が無い私は、これも買って、仏様へのお土産に・・・・。

 

⑫  福蔵寺

下の写真、右上は前出の「小萬」の墓。

 

 関宿の賑わいはこの後の「地蔵院」あたりまでだったようですが、 長くなるので、ここらで一区切りとさせていただきます。

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991 花写真鑑 新規登録紹介 No831~840

2013-09-07 08:00:00 | 花一般

 「花写真鑑」のメンバーが増えましたので、ご紹介いたします。

800種を越えてきますと、新しい花に出会う事がだんだんと難しくなってきました。 その一方で、以前に撮ったが名前が不明のために、埋もれている花も多くありますので、 ひとつずつ名前を調べ追加登録しております。

2013.08.15 現在870種を「花写真鑑」に登録済みです。

 

831  「ナス」  (茄子)     登録日 2013.07.03 

   「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/nasu.html

ついにここまで来たか!と言われそうですが、そう、「ナス」です。 

 

 

832  「モウズイカ」  (毛蕋花)

   「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/mouzuika.html

 

 

833  「ヒメイワダレソウ」  (姫岩垂草)

   「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/himeiwadaresou.html

最近あちらこちらで植えられるようになりました。生命力が強く、痩せた土地でもどんどん広がるようです。

 

834  「サフランモドキ」

   「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/sahuranmodoki.html

この写真は昨年6月にご近所の庭に咲いていたものです。 この花も名前が解らずに埋もれていましたが、 漸く表舞台に出て来ました。 

 

835  「ファイヤークラッカー」

   「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/huaiya-kurakka-.html

今年7月にご近所で咲いていた花です。 ご近所の皆さまは本当に色々珍しい花を植えられていますので、植物園に行かずとも新しい花が次々と「花写真鑑」が増えて行きます。

 

 

836  「ヒメヒマワリ」  (姫向日葵)

   「花写真鑑」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/himehimawari.html

田舎の我が家の庭に咲いていたのをよく見ましたが、 名前がカタカナで似た花はよく見ますが、この花は最近見る事が少なくなりました。 

 

837  「ニワフジ」  (庭藤)

   「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/niwahuji.html

この花も昨年6月にご近所にて撮らせて戴いた花ですが、最近になり漸く名前が判明したので、「花写真鑑」に登録したものです。

 

 

838   「ハナアロエ」

    「花写真鑑」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/hanaaroe.html

この花は長い間「姓名不詳」であったために、 何処に咲いてたのか、いつ撮ったのかの記録が失われてしまったのです。記録がないはずは無いので、何処に記載されているかが不明なのだとは思いますが・・・・?。

 

 

939   「クレマチスシロマンエ」

   「花写真鑑」 http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/kurematisusiromane.html

 

「テッセン」の仲間ですが、ご近所に咲いてました。

 

840   「シュッコンバーベナタピアン」      登録日 2013.07.12 

     「花写真鑑」  http://mokunen.c.ooco.jp/fpkan/flw/syukkonba-benatapian.html

 

 この花はブルーボネットに咲いていました。

 

このシリーズは、この先も「花写真鑑」登録されましたら、10点毎にお知らせして行こうと思っております。

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995 東海道 関宿 (1) 関町小野木崎

2013-09-05 08:00:00 | 名所旧跡

 ”後期野次喜多”による、旧東海道筋の旧跡めぐりは、お江戸日本橋から始まる、五十三次の内の42番目の桑名宿を皮切りに、四日市宿、石薬師宿、庄野宿、亀山宿と来て、その47番目の関宿に入って来ました。

関が歴史に登場するのは、7世紀この地に「鈴鹿関」が設けられたのが始まりで、これが地名の由来となりました。

慶長6年(1601)徳川幕府が宿駅の制度を定めた際、47番目の宿場となり、問屋場や陣屋なども整えられました。 古文書によると天保14年(1843)には家数632軒、本陣2、脇本陣2、旅籠屋42あったとされ、鈴鹿峠を控えた東海道の重要な宿駅として、また伊勢別街道や大和街道の分岐点として、江戸時代を通じて繁栄しました。

先ずは歌川広重さんの絵から・・・・

 

 下の地図は今回紹介する、私達が尋ねた旧跡の場所を丸付き数字で示し、尋ねた順番になってます。 なお、赤い線は旧東海道で右が四日市桑名方面であり、左は鈴鹿峠、京都方面になります。 関西本線の駅は「関駅」です。   撮影日 2013.08.26(月)

 ① 関宿の入口

下の写真左の道は国道一号線で前方が鈴鹿峠方面になります。 また、右の道が旧東海道です。

 

② 関の小萬の碑と小萬のもたれ松(跡)

九州久留米の藩主の妻は良人の仇を討とうと志し、旅を続けて関宿の旅籠山田屋に止宿した。そこで一女「小萬」を産んだ後病没した。 小萬は旅籠の山田屋の養女として育ち、母の遺言により、亀山の道場へ剣の修行に通い、天明三年(1783)ついに仇敵と巡り合って志を遂げたと言う。 その碑がここにある。

小萬のもたれ松とは、当時小萬が若者の戯れを避けるために、姿を隠してもたれたと伝えられる松があったところから「小萬のもたれ松」と呼ばれるようになった・・・とか。

    関の小萬の亀山通い、月に雪駄が二十五足・・・・・・と鈴鹿馬子唄に。

 

③ 東の追分、伊勢神宮一の鳥居、常夜燈、一里塚跡 

ここ東の追分は伊勢別街道の分岐点で鳥居は伊勢神宮の式年遷宮の際、宇治橋南詰めの古い鳥居を移築するのがならわしになっています。 道標には、伊勢神宮・下宮までは15里(約60km)と刻まれています。

 

④ 町並み 

現在、旧東海道の宿場町の殆どが旧態を留めない中にあって、唯一歴史的な町並みが残ることから、昭和59年、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

関宿の範囲は、東西追分の間約1.8km、25ヘクタールに及び、江戸時代から明治にかけて建てられた古い町屋200軒余りが残っています。

 

 

 

⑥ 宝林寺 

 

⑦ 弘善寺入口道標と古民家

 ⑧  雲林院家

昔は「開雲楼」と称し、松鶴楼とならんで芸妓置屋でありました。 街道筋の宿場では大抵の旅籠は飯盛女と呼ばれる遊女を置き、また、遊郭も多かった。 「開雲楼」はその代表的なもので、表の立繁格子やべにがら塗りの鴨居や柱にその面影を遺している(関町教育委員会)

 

⑨ 御馳走場跡(再現)

宿役人が大名行列を出迎えた場所。享保19年(1734)に作られた。

  

⑩ 大井家

 

⑪ 関神社

もとは熊野権現といい、伊勢平氏の流れをくむ地侍の関氏が勧請したものと伝える。

 関神社奥の神殿前の「クロガネモチ」・・・関町指定の天然記念物。

 

 関神社をまっすぐ南に行くと、関西本線の関駅になりますから、この辺りが、関町の中心になります。このあと更に鈴鹿峠に向ってゆきますが、それは次回になります。

 

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999 海津 水郷パーク

2013-09-03 08:00:00 | 庭園公園

 海津市の公園で「オニバス」が見ごろを迎えそうだとの情報を友からもらったので、早速行って見た。 ここは正式には、アクアワールド水郷パークと言うらしいが、要は国費で作られた公園である。

 オニバスは絶滅が危惧されており、生息するが所が少ないが、東浦町とここに咲くと知ったので、出掛ける時期を見計らっていた。 「東浦町」の花の開花情報からは8月末には葉が在る状態で咲き始め、花の最盛期は9月にはいってからの情報があったので、ここも同じと勝手に判断し、また、写真は葉がある方がよかろうとやってきたのであった。   取材日 2013.08.28(水)

所が・・・・・・

先ずは、広大な蓮の池。

 我が家ではもう花は終り、種も散り始めているのに、何故かここは未だ咲いていた。

 

 

 

 

ここが今日の目的の場所、「オニバス」の池である。

 

しかし、「オニ」は、巨大な葉を突き破り、首を出しているがまだ蕾状態。 正に鬼の面相だ!。

 

隣の池は「ヒシ」が可憐な花を付けていた。 池の淵にはいつくばり、望遠レンズを最大限伸ばしてもこの写真しか取れなかった。 

下は「ヒシ」の池

 

 

これは「ガガブタ」だ。

 

 今日は予報最高は気温32℃と、比較的低いのでやってきたが、暑くて何度も水筒のお茶のやっかいになりながらの「オニバス」退治であったが、 蕾は撮れたが花は再挑戦とあきらめて、帰途についた。

 

・・・と行っても、まだ午前11時を回ったばかり、返るのは勿体ないと「なばなの里」に寄ってみたが、案の定目新しい花は全くなし、本日はこれまでと早々に帰ることにした。

 

 「ペンタス」にやって来た黒い「アゲハチョウ」。

 

 

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987 東海道 亀山宿 (5) 布気町

2013-09-01 08:00:00 | 名所旧跡

真夏の”後期野次喜多東海道道中記”の亀山宿も今回で5回目、最後になります。 ここら辺りに来ると、暑さに疲労が重なって来て、ペースが落ちては来ましたがどうにか、今日の最終目的地まで達する事が出来ました。 これも友の協力があって初めてできたものと感謝しつつ進めました。  桑名宿の最初から数えて本編は第26編となりました。

いつも同じですが、地図の赤い線は旧東海道で、右が四日市、江戸方面、左が鈴鹿峠、京都方面です。また、丸付き数字は尋ねた旧跡の所在地を示すと共に、各記事の番号になってます。 なお、⑩は記事がありません。      取材日:2013.08.05(月)

 

① 「常夜燈」

付近に川も無く、大きな道でもありませんので、何処からか持って来たものと思われるますが、年代を感じさせる常夜燈でした。 亀山市指定史跡。 珍しい事に「さざれ石}が使われています。

 

 

② 「善性寺」   真宗高田派

山門は「マキ」の木で作った、H型の門です。 「マキ」の木がここまで大きく成るだけでも、かなりの年数が必要だと思いますが、それをこんな形に剪定し仕上げるには、2~3代に渡らねばならないと思います。 立派な門でした。 

 

③ 「毘沙門天」

ここも植え木による門でした。

 

④ 「布気皇舘太神社」  延喜式に載る古社。

鈴鹿川北岸の河岸段丘の上に鎮座する。
古く野村布気林(野村の西北部・野尻村との境)にあつたが、文明年間の兵乱によつて衰退し、のち、現社地の皇館の森に移つたと伝えている。
中世には、神戸郷の神領を管した在地の豪族板淵氏(同村の西北に居住)が当社の祭祀を経営していた。
文永元年(1264)に関実忠が地頭職として亀山に移住し、亀山城の氏神とした。
享保8年(1723)に吉田家より皇館大神宮の神号を受けた。

 神社の向い側には東海道随一と称された「立場茶屋能古」があったそうです。 

 

⑤ 「昼寝観音」  落針観音堂

途中に昼寝していて、三十三観音霊場に入れて貰えなかった観音さんらしい。 なんとのんきな観音さんですが、どんな御利益があるのでしょうか?。

 

⑥ 「常夜燈」、「道標」

常夜燈はかろうじて見るとおもいますが、道標は電柱の陰に隠れています。 道標は大正四年建立で「大正記念道」とあり。

 

⑦ 「清福寺」    真宗高田派

 

⑧ 「常夜燈」

安政六年(1859)の建立とあり。

 

⑨ 「太岡寺畷」  (たいこうじなわて)

鈴鹿川の北堤、約18丁(約2km)に及ぶ東海道一の長縄手です。江戸時代は、松並木でしたが、明冶になって枯松の跡へ桜を植えましたが、その桜もほとんど枯れ、近年再び桜の木を植樹し、桜の名所となっています。

芭蕉七部集「ひさご」の中に風の厳しい畷の様子を「からっ風の太岡寺畷手ふき通し連れもちからもみな座頭なり」と詠まれています。

また、「源氏物語」賢木巻に、この辺リの鈴鹿川の情景と歴史的背景を題材とした和歌が詠まれています。「振り捨てて今日は行くとも鈴鹿川 八十瀬の波に袖はぬれじや」「鈴鹿川八十瀬の波にぬれぬれず 伊勢までたれか思ひおこせむ」  この2首は、光源氏と六条御息所の悲恋の歌です。 二人の永訣の契機となった六条御息所の娘が斎王として伊勢に向かわれる際に詠まれたものです。

 また、別の資料によると、里謡に「わしが思いは太岡寺 他にき(木・気)はない まつ(松・待つ)ばかり」と謡われたとありました。 松が一本も残ってないのは、大変残念な思いでした。

 

2kmに及ぶと言う「太岡寺畷」の途中、亀山ICから分岐した伊勢湾岸道と東名阪道が横切るが、そのガード下には、県下の6宿についての、歌川広重の東海道五十三次の絵が描かれている。 写真右が四日市名古屋方面、左は伊勢、大阪方面です。

 

 

これにて亀山宿はおしまいとし、次は「関宿」、その次は「坂下宿」で三重県内は終了になります。

ここまでの旧東海道の通過距離は、亀山宿の始点(関西本線井田川駅の手前)から約8.9kmありましたので、桑名宿の始点(七里の渡し)からは約40km来たことになります。 鈴鹿峠までの三重県内の東海道は45kmと言いますから、残り少なくなりましたが、まだ「関宿」、「坂下宿」と二つあり、距離は5km程と言うことになります。

また、この「太岡寺畷」あたりの標高は66m前後でした。 亀山は台地の上にありますので、少し登り降りはありましたが、とどのつまりは殆ど上ってないことが解りました。 旧東海道の県境は377mくらいあるそうですから、ここから5kmとすると、平均ではありますが、勾配は6.2%となりますから、 これより先は坂が次第に急になってきそうです。 

 

 

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