木燃人の波止場

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960 東海道 四日市宿 (5) 三ツ谷 北町

2013-07-10 08:00:00 | 名所旧跡

旧東海道筋の旧跡を訪ねて、桑名宿の「七里の渡し」(東海道三重県内の起点)から、初めは徒歩、桑名を出て、四日市に入ってからは、自転車に変えて巡っています。

四日市に入っての第5編は、四日市市三ツ谷から北町までを紹介したいと思います。 下の地図で、 赤線は旧東海道であり、丸付き数字は尋ねて写真を撮った場所を示し、下記の記事の番号にしています。 

 

 

① 「多度神社」

 明治18(1885)年2月、桑名郡多度大神を勧請し、東阿倉川村一里塚跡に作られました。東阿倉川の一里塚は、海蔵川の堤防の敷地にあったそうですが、現存しません。明治40(1907)年、海蔵神社に合祀されましたが、その後、三ツ谷町の発展に伴って、昭和10(1935)年、分祀して再び多度神社が建立されました。

 

② 「海蔵川左岸」

 海蔵川沿いの小公園には、昔、加納藩の郷倉がありました。この郷倉の北西隣には加納藩の陣屋があったそうです。
 加納藩は、三重郡内では東阿倉川・西阿倉川・芝田・貝家・北小松各村を支配していました。藩祖は川吉宗の側用取次だった加納遠江守久通です。享保元(1716)年、吉宗が征夷大将軍になると、紀州藩士だった加納久通は、三重郡内に千石の所領を得て、その後どんどんと加増されて享保11(1726)年には一万石の大名になりました。最終的には一万三千石です。

この道が旧東海道ですが、堤防にぶち当たりますが、昔はここに橋があったのです。なお、現在はこの右(北側)に国道一号線があり橋は「海蔵橋」と言います。

 

 「海蔵川右岸(南詰め)」

この正面に橋があったようです。左の端は国道一号線。

 

③ 「三滝川」

「海蔵川」から700m位の所に「三滝川」があります。正面の先はは海ですが、今は埋め立てられて、かつては悪名高き公害の元「四日市コンビナート」です。

下の有名な絵は、上の写真のやや手前から書いたのでないかと言われているようです。

昔はこの橋から1200m位が海岸線だったので、船の穂先が見えていますが、その代わりに今はコンビナートの煙突が立っている・・・とは友の言葉でした。

④ 「なが餅」

四日市名物の「なが餅」ですが、先に紹介した「安永餅」とどこが違うのか、どっちが美味しいのかは永遠の謎かも?。

 

今はこの店の物がよく売れているようです。

⑤ 「建福寺」

     宗洞宗

 応永年間、諸国行脚中の竺堂了源が三滝川畔のこの地に草庵を構えたのが始まりだそうです。その後、浜田城主赤堀氏の菩提所となり、その庇護により発展しました。赤堀氏滅亡後も3万坪の敷地を有する大寺院として栄えました。
 竺堂在世当時より建福寺には禅僧が多く修行に来ており、境内には修行僧のために学寮が設けられていました。第二次世界大戦前までは雲水の修行道場として有名だったそうです。
 安政の大地震で本堂・庫裏が倒壊し、明治10(1877)年再建されましたが、その後明治38(1905)年火災に遭い、昭和20(1945)年の四日市空襲で建物や什物、古文書などを失いました。境内には泗水の井戸が残されています。この井戸は四日市の雅号を「泗水の里」と呼んでおりますがその由来となりました。その他、芭蕉句碑安政元年震災惨死者之碑、仏涅槃図(室町末期)があります。

その井戸は非公開なので、見ることはできなかった。

 

⑥ 「本陣跡」 四日市宿陣屋(四日市代官所)

四日市町は江戸時代1724~1801年を除き天領(幕府領)であった。江戸時代を通じ幕府の支配拠点としてこの地を移動することはなかった。建物の詳細は不明であるが、明治9年の伊勢暴動の際全てを焼失した。

 

⑦ 道標

 このあたりは、戦国時代には、南市場と称して市場町として栄え、江戸時代に入ると東海道の宿場町として栄え、寛文3(1663)年に南町と改称したところです。
 この道標には、文化7(1810)年の年号が刻まれていますが、これは戦後再建されたものだそうです。

写真の左右が旧東海道であり、今の国道一号線は写真右奥に見える道であり、右の道は一号線を縦断して「菰野道」に続きます。 道標は菰野道の起点を示すものとして、古くからあったものを、造り変えたようです。

 

今回紹介した場所がかつては四日市の中心であったようですが、「後期野次喜多」はこれから今の四日市の中心地(諏訪~浜田、鵜の森)に向います。 その記録は次回にします。

 今回の記録は羽津の「光明寺」から「菰野道」起点まででですが、その凡その距離は2.3Km、第二弾のスタート地点「町屋橋」南詰めからは、約10.4Km、よって、三重県の旧東海道の起点桑名宿の「七里の渡し」からは、約14.2Kmとなります。

 

                                            << 続く>>

 

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