木燃人の波止場

花やお寺や観光地の写真を紹介しつつ、皆さんとの交流を計りたく思ってます、気軽に見て戴き、コメントを戴ければ嬉しいです。

1556 音痴の音楽歴(4)音楽の有難さ

2017-01-31 08:00:00 | その他

 今から一年近く前に、友達から「悲しみは星影と共に」という昔の映画のテーマ曲を探してくれと頼まれた。 当時は情けないがその検索方法が分からず、単にYahoo検索で探したが見つからない。 止む無くCDなどを売っている店3軒に行きレンタルも含めて探したが見付けることは出来なかった。

  この映画は1965年のイタリア映画で、ナチスによるユダヤ人迫害のストーリーで、目の不自由な小さな弟を目の治療にと嘘を言って、姉が連れ出す(収容所に貨物車で送られる)という大変悲しい物語の主題歌であった。 映画の検索は簡単にできたが、音楽のダウンロード方法にその時点では全く無知であり、彼に断ったのであった。

 それから数ヶ月、家内のカラオケ練習用にと懸命に音楽のダウンロード方法を模索した結果、曲がりなりにも音楽のダウンロードが出来るようになった。 それで、「悲しみは星影と共に」を検索したら簡単にダウンロードできることが判明し、彼に早速伝えたのであった。

  丁度このころは、ブログの“取材“としての行きたいと思う先が無くなってきたのと、老齢化が進み体調も思わしくなく、内に籠もることが多くなってきたのであるが、何かをしなければと思い始めたのが、音楽の検索、ダウンロードであり、暫くはこれに没頭したのであった。

  また、老齢化で手術を予定していたので、病院での時間つぶしにと最初はパソコンがあればいいわ!、と思って居たところ、キーボードが故障し修理は内部のボードの取り替えを要し、高価になると聞いたので、修理を止め、ノートパソコンはキーボードの購入で使えるが、病院に持ち込むのは荷物が多くなり苦しいと感じた。

  そこで、入院中は音楽で持て余す時間つぶしにと考えたのであるが、この考えはかなり甘かった。 老化してはいるが健康な体への手術だから、暇を持て余すだろうと考えていたがこれが大間違い、結果は過去最大の痛みで、パソコンやるどころではなく、ひたすら痛みに耐えるだけの毎日であった。

   痛い下半身、横向きしか寝られない、襲ってくる激しい痛みと続く出血で、最初の夜は一睡もすること無く、暗闇の中ひたすら痛みに耐え、ただ聞こえてくる好きな軽音楽に耳を仮すことで痛みを懸命に忘れようとしたのであった。 もしあの時、音楽がなかったら、医者や看護師に噛みついていたかも知れない。

 音楽ってこんなにもありがたく、また、癒やされるものかと思ったのはこれが最初で最後かもしれないと、いまでもしみじみと感じるのである。 この過去最大の難儀を受けている時に、僅かな光明を見いだした音楽に心から感謝したので、これが今回開き始めた最大の動機なのである。

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1555 音痴の音楽歴(3)家内のカラオケ

2017-01-29 08:00:00 | その他

 さらに時はながれて・・・最近になり家内が近所の奥さんから刺激を受け、「カラオケ」を始めるという。今まで歌ったこともないのにと思いつつも、健康のためにも良かろうと、練習用に新聞広告を見て安物の「カラオケセット」を購入した。マイクの中にメモリーがあり、テレビに繋いで音を出すものである。

  このメモリーには300曲入っているが、童謡、民謡、軍歌、カタカナ曲も入っているので、演歌、フォークソング併せて90曲に満たないものであった。そこで、好きな50曲を追加したので、凡その曲は入ったが、美空ひばりの「柔」をはじめ「岸壁の母」「北へ」などは、何故か追加購入のリストにも無かった。

  最初の内は、ひとりで歌うのは・・・と言うから、ワインなどを飲むついで(?)に、私もお付き合いをしたが、安物の機械では甚だしく臨場感がなく直に飽きてくる。 最近は家内が友達を呼んだり、ひとりで歌っている。 地区の老人会でカラオケの会もあるが、私は入る気は全くないが、矢張りたまには歌いたい衝動に駆られる。

  最近のカラオケハウスでは、音響効果が相当に改善されているから、下手な歌でもかなりカバーしてくれるから、自身の耳に伝わる自分の歌の下手さ加減が余り分からない。 それと比較して我が家のカラオケはなんと粗末な歌なのかともろに聞こえてしまうので、最近、私は歌わなくなってしまった。

  また、誰かが歌ってるからとか、歌いやすそうだからと、新しい曲のリクエストがある。 一方、パソコン界では音楽の入った動画が氾濫しているので、ダウンロードすることは容易なれど、著作権侵害とならない範囲が良く分からないので、パソコンで聞かせるようにしているが、余り練習になっていないようだ。

  話は少し戻るが、私がカラオケを再開したのは、インターネット上のある会でオフ会と称して、ハイキングなどの後、名古屋市内のカラオケハウスに行くようになったが、それはさほど頻繁では無く、また会が解散状態になってカラオケとも今度こそ永遠のお別れかと思ったこともあった。 

 その後は、前に当ブログいも書いたが、高校時代の友達と時々一泊の近場の旅に出ているが、一昨年に下呂温泉に宿泊したときに、このメンバーとしては初めてのカラオケを3時間ほどやったことがあるが、カラオケに対する執着心は私以外は極めて低く、このメンバーではこれが最初で最後になるような気がしている。

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1554 音痴の音楽歴(2)カラオケに嵌まる

2017-01-27 08:00:00 | その他

  時はながれて・・・昭和50年頃、山口県徳山市(現周南市)にサービス拠点が作られ、そこで私は営業と総務と経理をやらされていた。本社から総務課長がやってきて、食後にスナックバーに行き、当時始まったばかりの「カラオケ」を指して、営業担当なら率先して歌うべしと諭され目が覚めたのであった。

  だが、歌えるのは童謡や社歌くらいのもの、それから一念発起、先ずは息子のCDを拝借、車に積んで通勤と営業の道中に懸命に歌を覚えた。その時は長渕剛の「乾杯」「とんぼ」などであったが、若者の歌ばかりであったから、CDを次々と買って練習を繰り返し、やっと演歌にも慣れたのであった。

  酒場に「カラオケ」が入ってきたことにより、飲む為か、歌うためか分からないが、私のような「下戸」でも、酒場に出入りするようになったのであった。 しかし、そこで歌う歌は他の人には甚だしく迷惑な下手な歌、“音楽=3”の歌でしかなかった。 だから、今でも酔わないと絶対歌えないのである。

  笑われるかも知れないが、これでも、どんな歌が私に合うか、どのように歌ったら、本気の拍手がもらえるのかなどと、まじめに考えたこともあった。 しかし、所詮は悪あがきでしかなく、歌も聴かず顔も見ずのお付き合い拍手ばかりであったが、それでも本人はとても楽しくて仕方が無かった。

  どうせ下手なんだからと、柄にもなくいろんな歌を歌った。 おはこは、ピンカラ等の「女の願い」「ひとり酒」、森進一「港町ブルース」、八代亜紀「もう一度会いたい」、五木ひろし「千曲川」「蝉しぐれ」、牧ひでと「雨の東京」、箱崎真一郎「抱擁」、園まり「逢いたくて逢いたくて」青江三奈「池袋の夜」等々多々。

  宴会のトップバッターで歌うのが「すごい男の歌」、送別会で普通は「贈る言葉」「帰ってこいよ」、いやな奴の時は「ラブイズオーバー」が多かった、私自身の時は「北へ」を心を込めて歌った。 宴会たけなわの時にはみんなで「サライ」を大合唱し、ラストは「宗右衛門町ブルース」を“さよならさよなら”と合唱したものであった。

  私のカラオケ好きは人が呆れるほどであり、6日間毎日何処かで歌っていた事もあったほどによく歌った。 しかしそれも、会社を65才で退職したので、私の送別会は津市の都ホテルでやってくれた、そして、その後の二次会が私の華々しい(?)カラオケ歴の最後であった。 

 私はみんなに感謝したい気持から、二次会は30人は入る行きつけのスナック(More)を貸し切り、送別会参加者を招待したが、入りきれず立っていたものもいたようであるが、二時間ほどこれが最後と歌いまくった。 費用は餞別金で品物(大工道具一式)を買ってくれた残金と後は私が全額出して確かスナックに30万円払った記憶がある。

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1553 音痴の音楽歴(1)音楽嫌い

2017-01-25 08:00:00 | その他

 自慢ではないが、私の小学生時代の学業成績では、算数や理科は人に負けない自信はあったが、音楽だけは常に3しかもらえなかった。 いや?!、本来なら2以下なのに、他の成績が悪くないので、先生のお情けで3を付けてくれているとのだと思ったほどに音楽嫌いであった。

  その後は、相変わらずの“新物喰い“で、ハーモニカやギターを手にしたが、それらは音の出る箱でしかなかった。 また、会社に入った時には、配属先の組長(893ではない)がクラブの部長をしていた関係で、尺八部に引っ張られたが、練習の3日目にはもう行かなかった。

  私が会社に入ったのは、昭和31年であるから、戦後の復興が漸く軌道に乗り始めた時期であったが、社交ダンス教室が四日市のあちこちで始まった。 職場のイケメンがダンスの先生だったので、うるさく誘われて止む無く習い始めたが、ブルースとクイックをちょっと“かじった”ところで逃避した。

  母が踊りの練習をしたいので、金を出すから「南国土佐をあとにして」を聞けるようにしてくれと頼まれ、余り興味はなかったが、「レコードプレーヤー」を買った所、思ったより安く出来たので、当時流行していたレコード、テックスリッターの「ライドウエー」ダイナショアの「青いカナリア」 等を買った。

  しかし、レコード板は買ったが、2~3回聞いただけで、棚の奥に眠り母の死後、レコードプレーヤーは誰かが持って行ってしまい、レコードを聞くことも永久になくなったのであった。 この後は会社の仕事に没頭したこともあり、音楽らしきものには殆ど無縁であった。

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 追記

 最近、体調などを理由に“取材“に出掛けることがなくなり、当ブログも休みが多くなってきた。 私のは自分が何かをして、その過程や結果を書くことが多いので、動かないとブログが作れない。 私の生きた記録を残そうの発想から始まったのであるが、先日、ある読者からの指摘で方向転換をしたのである。

  少し肩の荷を下ろし、思いついたことを書く、なんでもありきにするなどして、少しでもブログを書くことにより、頭の体操をし、その結果で読者や友との交流ができれば、これ以上の事は無しと考えて、書き始めたのである。 相変わらず読みにくい下手な文章ながら、全ては頭の体操ですから、ご勘弁を戴きたし。

 

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1552 庭の花(2901)

2017-01-15 08:00:00 | 我が庭の花

 大変居遅くなりましたが、今年初の書き込みです。 今年もよろしくお願いいたします。

 

かねてから私の「花写真館」にまだない花(以下”新種”と称す)が友の畑にあり、花が咲いたら写真を撮りに来るようにとの話があったが、 2017.01.14(土)突然電話があり、花が咲いたが花の命は短く、撮り損なう危険が多々あるとして、今から持って行くとの連絡があった。

  そして、小ぶりの植木鉢に一株植えたものを、珍しく雪の降る中を、わざわざ持ってきてくれたのであった。 これを早速写真に撮り、”新種”として登録したのであった。 持つべきは良き友というが、居ながらにして”新種”がひとつ増えた。 誠にありがたい事である

 

 「ベニナバナ(紅菜花)」  ”新種”登録 第1389号

別名の「コウサイタイ(紅菜苔)」のほうがよく流通しているようだが、 わかりやすくするために、和名である「ベニナバナ」を基準名とすることにした。

 

 花の極めて少ない時期に、居ながらにして”新種”が出来るなんて、極めてありがたいこと。 また、我が家から車で30分ぐらいの所に、国の天然記念物「御池沼沢植物群落」があると教えられるなど、 この友は予てから”新種”発見に多大な援護をしてくれており、暖かくなるのを一日千秋の思いで待っているところである。

 

下は正月の床の間用に購入した「スカシユリ」の切り花であるが、 今咲くことは通常ではあり得ないことであるから、最近の流行とも言える、”園芸品種”ではなかろうかと思う。 本来なら名前を調べて”新種”とするところなれど、ここは我慢のしどころと考え、思いとどまったもの。 しかし、この思いがいつまで耐えられるかは極めて疑問!。  

 それにしてもきれいだなあ!。

  

 「カネノナルキ(金のなる木)」

やっと咲き始めたところの今時大変に貴重な花。  昨年は咲かすことが出来なかったが今年は珍しく咲いたので、「宝くじ」買うべきかも?。

 

 

「シノブ(忍)」

通年は今頃は哀れな姿を見せているが、今年は室内に置き、肥料と水を欠かさないで与えたら、こんなにも美しくなるものかと、感激中。

 

                            以上

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