友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

地域でつながる

2017年02月22日 17時03分54秒 | Weblog

 自分のブログを見て、「おかしいな」と思った。どうして19日がアップされていないのか、書いたつもりでいたけれど思っていただけだったのか。ワードの下書きを見ると確かにある。下書きが完成するともうそれで出来たような気になってしまう。いつもなら、もう一度見返すのに残念だ。今日も体調不良だから丁度いい。ちょっと古いネタだけど、今日はこれにしておこう。

 昭和19年4月から20年3月に生まれた同学年の集いを結婚式場で行ったが、やはり賛否に分かれた。女性たちは「たまにはこういうところもいいわね」と言うが、男性たちは「バイキングの食事は食べた気がしない」と不評だ。食べ放題という割には並んだ料理の数が少なかった。従業員の教育も出来ていない感じがした。ただ、結婚式場だけあって、宴会場から南国風の美しい庭が見え、「雰囲気がいい」と言ってもらうことは出来た。

 「こんなところで結婚式を挙げたい」と言う女性がいれば、ダンナのいない女性は「それが出来るのは私だけね」と微笑む。「オレなんかこの先は南無阿弥陀仏しかない」と手を合わせる男もいて、大笑いになった。「こんな風な結婚式場はなかった」と昔の話になる。結婚したのは昭和40年代で神前結婚が多かった。私たちは団塊の世代よりも若干年上の世代、子どもの頃の貧しさは体験しているが、みんな似たようなものだったから不満はなかった。それが「もうすぐ金婚式」という年代になった。

 私は結婚するまでテレビも冷蔵庫も洗濯機もなかった。洗濯機は下宿にあった共同の物を使っていた。毎日必要な物を買って食べていたから冷蔵庫は必要なかった。テレビもなく、新聞も購読していなかった。教員採用試験の他に新聞社の試験を受けた。試験が一般教養だけというので、それならチャンスがあると思ったのだ。ところが新聞を読んでいれば答えられただろうが、詳しく知らない時事問題ばかりで完敗だった。

 自営で今も働いている人もいるが、多くは退職している。子育ては終わり、孫育てで忙しい人もいる。親の介護の人もまだいるが、そろそろ自分が介護される側になってきた。それでもこうして集まれる人は元気で、何かしらボランティア的なことをしている。何かに役立つならと活動することが、自分を元気にしているようだ。核家族化を進めてきてしまった反省からか、地域につながりを持とうとしている。


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