友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

男言葉の女の子たち

2008年05月29日 20時30分02秒 | Weblog
 中学2年の孫娘が友だち3人とやってきて、我が家でビデオを見るという。「何を見るの?ドラマ?」と尋ねると、「カンジャニを観る」と言う。どこかの忍者かと思うような名前だが、若い男の子たちのコンサートだった。余りにやかましいので、「どうぞ、ごゆっくり」と言って失礼させてもらったが、彼女たちのやり取りを聞いているとまったく男言葉になっている。

 そういえば、最初にやってきた子が玄関に立っているから、「上がってくれてもいいんだよ」と言うと、「イイッス」と答える。「こちらにどうぞ」と声をかけても、「結構ッス」と言う。まるでお相撲さんのようだなと思うけれど、孫娘もそんな言い方をするから、彼女たちの仲間では語尾に「ス」をつけることが流行っているのだろう。

 語学のことはよく知らないが、外国語では尊敬語とか謙譲語という表現は稀だと聞いた。だから日本語を学ぶ外国人は「日本語は難しいね」と言っていた。日本語はさらに、男言葉と女言葉がある。男女平等の世の中で、男言葉や女言葉があることがおかしいと意識して男言葉を使っているのなら、逆にたいしたものだと思う。日本の伝統的な言葉遣いがなくなっていくことは寂しいけれども仕方のないことだ。言葉は時代とともに変化するものだから。

 若い女の子たち、高校生の彼女たちがスカートを極端に短くして、下着が見えそうな格好をするのは、「性」しか見せるものがなくなってきた時代を反映しているのだろう。「私は女」と意識してそんなスタイルに固執しているのは、かつての女子高校生が超ロングのスカートを穿いていたのと同じことなのだと思う。若い男の子はズボンを極端に下げて足の短さを強調しているように見えるけれど、アレは何を見せたがっているのだろう。

 私の友人が、「若い女性の憧れの職業はキャバクラ嬢というのには驚いたね」と言う。「どういうことなの?」と聞くと、「新聞に出ていた」と言う。「楽して儲けたいと思っているのだ」「接客業はそんな甘いものじゃーないよ」「キャバクラなら接客のための知識も必要ないから、まあ短いスカート穿いてチラチラ見せてりゃーすむから」「それにしてもキャバクラ嬢になりたいと親は聞いたら、親はどう思うかね」「今の親なら、金になるからとやらせるんじゃないか」「職業に貴賤はないからキャバクラがいかんとは言えないが‥」。

 それはまた問題が違うように思う。そもそもキャバクラ嬢という職業があっていいのかということではないだろうか。かつて援助交際が問題になった時、「好きでやっているのだからいい」と言っていた女の子がいたが、SEXをお金で買うことは人身売買と同じことだ。人が愛し合うことにルールを設けることは難しいことだけれど、少なくとも愛をお金で買うことは卑劣なことだという意識は持った方がいいのではないかと思う。

 男言葉を使うことで、男女平等を実現したいなら、それはそれでいいと私は思う。男女平等は、男と女が違うからこそお互いを尊重し求め合うところから生まれると私は思っている。
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