午後4時過ぎて風雨が強くなってきた。9月は台風の季節だが、直撃型の来襲は最近では珍しい。東海豪雨の時も夕方はこんな風に雨が降り続いていた。翌朝ベランダから見ると周り一面が大きな湖になっていた。今回の台風も雨に注意という、果たしてどんなことになるのか。
この街は平らな土地で大きな川もない。東海豪雨の被害は都市型浸水によるもの、要は降水に対して排水が間に合わなかったのだ。そこで行政は学校などの運動場の一角に地下貯水槽を造って雨水を貯めると提案した。私は街の中心部にある農業用水路の堤防を左右に20メートル広げ、河川敷を子どもたちが走り回れる公園にし、堤防をこの街のシンボルとなる桜並木とし、豪雨の時は巨大な貯水池とするように提案した。今でも私の案の方が夢があったと思っている。
街に750人収容できる会館が出来た時も、市民オーケストラを結成し会館の利用度を高める提案をした。大きな図書館が出来た時は、午後8時までと祝日を開館し住民のサロンとするように提案した。前者は首長が賛成したので実現したが、後者は担当者が大反対だったので潰された。創刊した地域新聞が5周年を迎えた時は、大学に頼んで「大学公開講座」を開いてもらったが、この時も「公民館の講座の参加者が減る」と教育長に反対され、首長から説得してもらって実現した。
地域新聞はスタッフに恵まれたので、美術館巡りや古刹巡りのツアーも行った。今ではどこでもあるフリーペーパーも手がけた。この街からボクシングの世界チャンピオンが誕生した時、街で祝勝会をする段取りをつけ、行政や商工会を巻き込んでパーティを開いてもらった。「マメだねえ」と人から言われるが、私自身は企画することが楽しく、絶対喜んでもらえる自信があった。だからこそ必死になれたのだと思う。
でも、それは私の勝手な思い込み、独りよがりだったのかも知れない。自分がよいと思ったことでも、強い反発と批判を受けたこともある。私が地域新聞を始める時、発起人となってくれた前首長が、「どんなに正しいことでも100%の支持はない。そう覚悟してやりなさい」と諭してくれた。あんなに皆さんから崇められていた人でもそうなのかと、その時は気が付かなかったことが後になって思い出され、「決めたからにはやるしかない」と自分に言い聞かせた。
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