友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

新美南吉の『でんでんむしのかなしみ』

2017年09月27日 22時03分25秒 | Weblog

 

 サボテンの花が咲いた。地元の新聞販売店が30年くらい前に、何かの記念で配布したものだ。5センチほどの小さなサボテンだったが、ずいぶん大きくなった。大きくなってきた時に写真の鉢に移し替えた。特に肥料を与えたり水やりをしたりと世話をした訳ではなく、屋外に放りっぱなしだった。すぐに花が咲いたが、この何年間か咲かなくなっていたのに、どういう訳か今年は蕾が5つも付いた。

 「苦あれば楽あり」とか、「親はなくても子は育つ」とか、昔の人はいいことを教えてくれる。30年もたいして世話をしていなくても、サボテンは美しい花を咲かせてくれた。あらゆることが神様の計画(お考え)と考えれば、苦しいことも乗り切れる。神様は耐えられない試練を与えることはない。次の計画(お考え)が何かあると思えば楽しくもなる。

 新美南吉の童話『でんでんむしのかなしみ』を思い出す。でんでんむしとはカタツムリのこと、陸に棲む巻貝だが、地方によっては呼び方もいろいろあるようだ。背中の殻のないものがナメクジだが、私は子どもの頃、カタツムリの殻を取ったらナメクジになるのだろうとまでは思ったが、何だか気持ちが悪くて実験は出来なかった。

 新美南吉の童話はそのカタツムリの殻の話だ。「あるひ そのでんでんむしは たいへんなことに きがつきました」。それは何かというと、「わたしの せなかのからのなかには かなしみがいっぱいつまっているのではないか」という不安だ。でんでんむしは友だちのでんでんむしの所にやって来て、「わたしはもう いきていられません」と言う。すると友だちは、「あなたばかりではありません。わたしのせなかにも かなしみはいっぱいです」と言う。

 でんでんむしは別の友だちにも話すが、「あなたばかりじゃ ありません。わたしのせなかもかなしみでいっぱいです」と言われる。どこへ行っても友だちはみな同じことを言うので、「とうとうでんでんむしは きがつきました。かなしみはだれでも もっているのだ。わたしだけではないのだ。そして、でんでんむしはもう、なげくのをやめました」。

 人は誰も、不幸なのは自分だけと思い込もうとする。みんな、同じと思えば少し楽になる。

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