友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夏目漱石の結婚

2016年10月09日 18時26分52秒 | Weblog

 姜尚中さんの話の中で印象的だったのは次の言葉だった。「夫婦は番狂わせがあるけれど、友だちは番狂わせがまずありません」。これは夏目漱石夫婦を引き出すための言葉だったが、私には説得力があった。友だちは長い付き合いの中で形成されていく。昔から「類は友を呼ぶ」というように、どこか似たところがあるから友情が育まれる。ところが夫婦は、昔なら見合いで結婚したから相手を理解し合うことなど無かった。

 恋愛結婚も相手を理解するというよりも、「好き」という感情が先走って何も見えないまま結婚してしまっている。夏目漱石の場合は見合い結婚で、しかも相手は漱石よりも裕福な家庭の娘だった。嫁の家は後に落ちぶれてしまうが、漱石がロンドン留学できたのは嫁の父親の働きであったことは確かだろう。漱石は明治維新直後の東京生まれ、父親は名主であったが武士ではない。身分に対するコンプレックスが漱石には一生つきまとったように私は思う。

 それと幼児期の体験も大きいだろう。両親が高齢だったのですぐ里子に出されたが、商家だったから放っておかれていたのを不憫に思った姉の直言で一度引き取られた。再び父親の信頼の厚い名主の里子になったが、父親とその里親との間で諍いもあり夏目の姓に戻ったのは帝大生の時だった。子どもの頃は秀才であった漱石だが、進路については兄との対立もあったようだ。いかにも神経質な人格が形成される要素が大きい。それだけに心が通じ合う友だちとは仲がいい。

 嫁となった女性は自由な家庭に育ったから、どちらか言えば大雑把な人だったようだ。漱石と平気で大喧嘩してしまうところからヒステリー症とも言われているが、NHKの土曜ドラマ『漱石の妻』を観ていると、漱石の自分勝手で女性蔑視の態度によく我慢していると同情したくなる。このドラマも来週15日が最終回だ。伊豆での大出血が描かれるのだろうけれど、漱石の作品に共通する男女の三角関係はどう描かれるかと思う。

 姜尚中さんが漱石は資本主義が隆盛していく時代を見ていると評価されているのは分かるが、その先にあるものは何だろう。明日は小1の孫娘の七五三のお祝いなのでブログは休みます。

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