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海上自衛隊艦船無線機ORR-7の保守業者について(令和元年11月26日)

2019年11月26日 14時26分33秒 | 04戦後の軍用無線機

海上自衛隊艦船無線機ORR-7の保守業者について(令和元年11月26日) 

今回、所有する軍用無線機の断捨離にあたり、この無線機ORR-7をある倉庫に永遠に封印・死蔵するこことしました。
このため記念として本ブログに記録していたら、ケースに修理経歴表がありました。
少し気になったので、保守施工会社について調査するこことしました。
何分に古い話となりますが、昭和37年3月に海洋電子工業株式会社(総分解手入工事)、昭和40年に三波工業会部式会社(特別修理)と記載されております。
ネットで調査すると両社とも現在も健在でご活躍されています。
少し気になったのが、三波工業会部式会社の会社沿革のことです。
下記会社のホームページから抜粋します。
創立
昭和21年11月3日
沿革
三波工業は、第二次大戦後、海軍技術研究所及び海軍工廠の技術士官が設立した会社です。
旧海軍の優秀な技術を温存し、将来に備えるため、技術者が集いました。
そして今日まで、多くの先達の意志を引き継ぎ、技術力の進歩向上に努め、海上自衛隊の装備の技術支援を行っています。
1947年7月 南氷洋捕鯨船団に対する旧海軍の22号電波探信機の装備、 保守整備及び修理業務を開始する。

興味を引いたのは、会社設立が海軍技術者で、昭和22年には旧海軍の22号電波探信機の装備、保守整備及び修理業務を行ったという事実です。
日本無線株式会社の社史では、南氷捕鯨船団(日本水産株式会社の橋立丸)に旧海軍の波長10cmのレーダ2号電波探信儀2型を改修して納入したとの記述があります。
また、会社名も三波工業(SAMPA kOGYO)と命名されていますが、一体どういう意味でなづけられたのでしょうか。
設立時の会社設立趣意書があれば理由が判明するかもしれません。

参考にソニーの趣意書を掲載します。 東京通信工業株式会社設立趣意書 https://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/prospectus.html

 

広島戦時通信技術資料館及は下記のアドレスです。 http://minouta17.web.fc2.com/


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