判例の根本的な問題は、既に述べたように、金銭債権が法定相続分どおりに当然に相続されるという結論は、遺言や生前贈与がある状況を想定してはいないように思える点にありそうである。
そうだとした場合に、考えようによっては、持ち戻し計算等をした結果である、具体的相続分に応じて相続するという考え方もあるかもしれない。しかし、こうなると、どれだけの割合で相続されるのかが、一義的にはわからず、いたずらに混乱が生じるだけであろう。
そもそも、遺産共有の状態というのは、学説上組合財産と同様の合有説もあるが、判例上では、通常の共有と同じといわれている。そのため、遺産共有状態において共有持分を処分することも判例は認めているはずである。しかし、そうだとしても、その後の処理につき全面的に共有の規定に任せるのではなく、遺産分割という特則を設けているのも確かである。
他方で、多数当事者の債権債務の規定が、債権債務における共有の規定の特則という位置づけがなされることもあるようだが、遺産分割という制度は、その後の処理に関するさらにその特則でもあるという言い方だってできると思う。
そうであれば、金銭債権も、確かにいったんは法定相続分どおりに相続されるとしても(これは不動産もいったんは法定相続分に応じた普通の共有関係になるというのと同じことである)、だからといって金銭債権が遺産分割の対象にならなくなるということまでは意味しないという解釈だって十分にあり得ると思うのだが……。
この解釈のメリットは、単に金銭債権も遺産分割審判の対象となることを認めることができるというだけでなく、遺産分割の対象となるとしつつも、債務者側からすれば、遺産分割協議(または審判)が成立するまでは、法定相続分に応じた支払いをすれば免責されるという解釈をとりやすい点にもある。
私の弁護士としての経験上、遺産分割の実際は、銀行預金等の金銭債権も含めて遺産分割協議を行っていると思われる。銀行実務も、相続が発生すると、被相続人の預金の払戻しには相続人全員の協議が成立した文書(それも銀行側が用意する書式のものが多い)の提出を求められる。判例と遺産分割の実際とが食い違う典型的な場面である。
なぜ判例の存在にもかかわらず、遺産分割の実際(あるいは銀行実務)が動かないのかは、やはりそれなりの理由があるのではないだろうか。
そうだとした場合に、考えようによっては、持ち戻し計算等をした結果である、具体的相続分に応じて相続するという考え方もあるかもしれない。しかし、こうなると、どれだけの割合で相続されるのかが、一義的にはわからず、いたずらに混乱が生じるだけであろう。
そもそも、遺産共有の状態というのは、学説上組合財産と同様の合有説もあるが、判例上では、通常の共有と同じといわれている。そのため、遺産共有状態において共有持分を処分することも判例は認めているはずである。しかし、そうだとしても、その後の処理につき全面的に共有の規定に任せるのではなく、遺産分割という特則を設けているのも確かである。
他方で、多数当事者の債権債務の規定が、債権債務における共有の規定の特則という位置づけがなされることもあるようだが、遺産分割という制度は、その後の処理に関するさらにその特則でもあるという言い方だってできると思う。
そうであれば、金銭債権も、確かにいったんは法定相続分どおりに相続されるとしても(これは不動産もいったんは法定相続分に応じた普通の共有関係になるというのと同じことである)、だからといって金銭債権が遺産分割の対象にならなくなるということまでは意味しないという解釈だって十分にあり得ると思うのだが……。
この解釈のメリットは、単に金銭債権も遺産分割審判の対象となることを認めることができるというだけでなく、遺産分割の対象となるとしつつも、債務者側からすれば、遺産分割協議(または審判)が成立するまでは、法定相続分に応じた支払いをすれば免責されるという解釈をとりやすい点にもある。
私の弁護士としての経験上、遺産分割の実際は、銀行預金等の金銭債権も含めて遺産分割協議を行っていると思われる。銀行実務も、相続が発生すると、被相続人の預金の払戻しには相続人全員の協議が成立した文書(それも銀行側が用意する書式のものが多い)の提出を求められる。判例と遺産分割の実際とが食い違う典型的な場面である。
なぜ判例の存在にもかかわらず、遺産分割の実際(あるいは銀行実務)が動かないのかは、やはりそれなりの理由があるのではないだろうか。