実務家弁護士の法解釈のギモン

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定義規定の???(6)

2010-07-12 13:42:33 | その他の法律
 私が定義規定で一番問題としたいのが、「社債」の定義(会社法2条23号)である。

 旧法時代には、社債についての定義規定は存在せず、一般には「公衆に対する起債によって生じた株式会社に対する金銭債権であって、有価証券が発行されるもの」というような定義で説明されていたと思う。新法では全く違っており、会社法2条23号では、「この法律の規定により会社が行う割り当てにより発生する当該会社を債務者とする金銭債権であって、第676条各号に掲げる事項についての定めに従い償還されるものをいう。」となっている。
 この規定の意味であるが、立法者としては、まず「会社」が行うものであることから、外国会社が発行する債権(債券?)は「社債」ではないこと、さらに会社法676条の規定が適用されることを前提としているので、外国法を準拠法として発行する債権(債券?)は、たとえ会社が発行するものであっても「社債」ではないことを、意識しているようである。
 この立法者意思の当否はともかくとして、この「社債」の定義で、果たして、「社債」として『発行すべき』債権(債券?)が何かが明らかとなっているのであろうか。何を言いたいかというと、会社が、会社法676条が適用されることを前提に発行されたものが「社債」であることは間違いないであろうが、会社がを起債する場合に、会社法676条を『適用しなければならない』場合があるかどうかについて、果たして明らかとなっているのだろうか、ということである。

 例えば、①ある会社が総額1億円の起債を銀行に限定して募集して、ある一つの銀行が全額これに応じた場合に、これが社債であろうか。これが社債であるとして、それでは、②ある会社が総額1億円の借り入れを銀行に申し込んで、ある一つの銀行から全額借り入れた場合、これは社債であろうか。①と②の事案は、文章で説明すれば違う表現をしている事案であるが、例えば、②の事案であっても、会社側で借り入れ条件をすべて決めて銀行に借り入れの申し込みをすれば、実質は①と何も違わないではないか。①の事案あっても、どのような条件なら起債に応募してくれるかを、予め銀行と協議し、そこで事実上決まった条件で起債することを会社が決定すれば、②のような一般の銀行借り入れと何が違うのであろうか。
 もっと問題のある別の事案で考えるに、③一般公衆に一口1万円で総額1億円の起債を募集したい場合に、676条と違う償還条件を定めること(例えば、いくら借り入れが可能かわからないとしておおよその総額しか定めないとか、個々の引受人に対する償還条件を別個に定めるなど)が可能であろうか。普通の1万円の金銭消費貸借の借入の申し込みが多数行われているだけだと考えれば、これは社債ではない。が、これは違法ではないのだろうか。
 何が言いたいかというと、676条に『従わなければならない』という条文上の根拠が難しく、676条に『従わなければならない』起債の場面というのがあるのだろうか、という疑問なのである。

 旧法時代は、「公衆に対する起債」といのが定義の中心であったと思われるので、これを前提とすると、③の事案では、676条と違う償還条件を定めることは許されないという結論を取りやすそうであるが、現行法の定義では、「公衆に対する起債」というのが要件となっていないのである。
 もし、以上のように現行会社法を形式的に解釈すると、結局、社債に該当する債権(債券?)は、会社が意識的に676条を適用することを意図して起債した債権(債券?)だけということになる。どうも、江頭憲治郎教授の株式会社法第3版656頁は、このような解釈をとっている(というより、とらざるを得ないと考えている)ようである。そうだとすると、会社が起債するときに、社債の規定を適用するか否かは、当該発行会社の全くの任意ということになってしまう。
 しかし、このような形式的な解釈が、実質的に妥当性を持っているとは、到底思えない。社債に該当するかどうかは、社債管理者設置義務の有無などで少なからぬ違いが存在するからである。

 結局、現行法の社債の定義の内容が無内容化していることに大きな問題があると思われるのである。やはり、「社債」とは、会社が公衆に対して起債することを可能にする債権(債券?)のように定義すべきではなかったか。あるいは、少なくとも公衆に対して起債するには、社債として起債しなければならないことを、別途一条文設けるべきであったように思う。現行法の解釈論としても、同様に解釈すべきであると思われるのだが……。
 社債の定義から、「公衆に対する起債」という言葉が抜け落ちたのは、総額引き受け(あるいは金融商品取引法の言葉で言えば、「私募」)の方法で発行する社債があり得ることを意識してのことと思われる。しかし、過不足のない社債の定義をどうするかと、公衆に対して起債するには、社債として起債する義務があるか否かとは、別の議論があり得るはずである。そのことを意識した立法が必要だったのではあるまいか。
 公衆に対して起債するには、社債として起債しなければならないことを、別途一条文設けるべきである。

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