常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

一日暮らし

2017年02月08日 | 日記


雪の晴れ間に、千歳山がまた美しい姿を現した。今年、これだけきれいな千歳山を見るのは、これが最後のような気がする。予報では、しばらく冬型が居座るようだが、こんな条件が整う日はそれほど多くは無いように思うからだ。その瞬間の姿を、しっかりと脳裏に焼き付けておかなけらばならないように思える。水上勉が紹介した正受老人の「一日暮し」という言葉が、胸にすとんと落ちる。

「一大事と申すは今日只今の心也。それをおろそかにして翌日あることなし。総ての人に遠き事を思ひて謀ることあれども的面の今を失ふに心づかず。」(正受老人集」)

水上勉もまた晩年の暮らしを、電脳に支えられながら、その一日を生きることを心掛けた。朝が来ると、生きていることを実感し、何か儲けたような気になると述べている。その一日に書けるだけの短い文章を書く約束果たして、夜を迎える。睡眠導入剤で眠リにつくと、4時ころ目が覚めて朝がきたことを知る。そんな晩年の生活であった。

寒椿ぽとりと暁の救急車 笹沢  信

先年亡くなった笹沢信の句である。水上勉のように、死の隣合わせで生きていたわけでないが、笹沢の句には、どこか死を予感させる句が並ぶ。晩年に、井上ひさし、藤沢周平、吉村昭の3冊の評伝を書き上げた。笹沢の心にも、生きている一日を大事せねば、という気持ちが働いていたに違いない。

コメント (2)
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