常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

秋を歩く

2024年09月04日 | 日記
朝がめっきり涼しくなった。久しぶりの秋晴れの空のなかに立つ木の姿も美しい。蝉はいつのまにか鳴くのを止め虫の声が主役になっている。散歩道の田では稲穂が頭を垂れている。今年の米は豊作らしい。果物はどうか。気候の変動が農作物に強く影響する。昨日生協の売り場を覗いたら5年産の県産米5㌔袋が売り場いっぱいに積まれていた。米がないという、日本人全体の不安が世のなかを大きく動かす。微妙なバランスで成り立っている需給はみんなの不安で一気に売り場の棚を空にする。売り場に米が並ぶのを見て、「ない時はカップ麺や外食でしのいでいました」と語るお母さんがいた。

米が無いと聞いて人々は過去を思い出す。戦後の食糧のない時代が頭に浮かび、近年の不作ではタイ米がスーパー並んだことを思い出す。同時に、大災害が来て米が作れなくなる日本を思い浮かべる。だが、過去や将来をいくら考えても問題が解決するわけではない。不安になって買いだめが多かったのが不足の理由。このひと時を代用食でやり過ごす知恵を持てば米はまたスーパーの棚に並ぶ。心理学者アドラーの言葉。

楽観的であれ。過去を悔やむのではなく、
未来を不安視するのでもなく、
いま現在の「ここ」だけを見るのだ。
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蓬生

2024年09月02日 | 源氏物語
朝の散歩で気になることがある。長年歩いているとこの季節にはあそこの庭に桔梗が咲く、シオンの花はあの空き地とだいたい覚えている。今年になって、毎年きれいに手入れされて花が咲いていた庭や空き地にヨモギや雑草はたまた葛までが大きくのびているのを見かける。朝夕、雑草をとり庭や空き地で草むしりに余念のない人々が高齢か病気のために作業ができなくなっているように思う。尾花沢の親戚を訪れたとき、一家の働き主の病気で畑の草が腰まで伸びたときかされた時はたまらない寂しさを感じた。こんな光景を見て思い出すのは『源氏物語』「蓬生」の帖だ。

ヨモギが大きく伸び、荒廃した邸に住むのは光源氏の世話を受けていた末摘花だ。源氏は須磨に流滴して3年、末摘花の邸を訪れる人もなく、侍従たちも一人去り、二人去りという案配で邸の荒廃はもちろん庭の手入れもできず荒れ放題であった。兄の禅師が、京に来たとき立ち寄るのだが、生い茂った庭の雑草のを取ることに気が回らぬ人だった。台風で建物あちこちが壊れ、召使の住む胸は骨組みばかりというありさま。牧童たちは邸の庭で牛や馬を放し飼いにする始末。そんな荒れ果てた住まいで姫がすることは古い歌や物語の本を読むことぐらいであった。そうするうちに京に帰った源氏が、花散里を訪れる折り、近くの末摘花の邸を思い出し、従者に雑草の露払いをさせて分け入るようにして入ったのがこの邸であった。

源氏はあまたある女性のなかでさほど美貌でもない末摘花は源氏から忘れられがちの女性であった。この3年、荒れ果てた邸を思いやるでもなく、ひたすら源氏を待つ続けたことへ愛着を感じたのであろうか。またこの邸は賑わいを見せ離れた侍従たちも戻ってきた。手元に『源氏物語絵巻』(中央公論社)がある。その巻頭を飾るのが、「蓬生」の源氏と末摘花との再会の場面だ。崩れ落ちた簀子、御簾の影から声をかける老女、馬の鞭で蓬の露を払いながら源氏を先導する惟光。傘をさしかけられている狩衣姿の源氏。邸の荒廃と対比される源氏の気高さが絵のなかに浮かびあがっている。

今夜は台風の影響で明け方にかけて強い雨になるらしい。消滅しかかった台風だが、これを追うように11号が発生した。平年を平均気温で2℃以上も高い最も暑い8月が終わり、その影響を残す暑い9月が始まった。

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八月終る

2024年08月31日 | 日記
台風が四国、近畿あたりをゆっくり進むうちに八月が終わろうとしている。自民、立憲の党首選から総選挙へ。暑い夏が終わり熱い政治の季節が始まろうとしている。台風の中心の気圧が下がっているが、ここへ向けて吹き込んでくる湿った空気がまた恐ろしいほどの雨を降らそうとしている。八月が終わってもいtもの秋らしい季節がななかやってきそうにない。新しい月は長月というが、金田一春彦先生によれば長雨月からきている、とされている。ただでさえ九月は長雨が降るのに、台風の迷走で大雨が3日も続き、500㍉、700㍉という聞いたこともない雨量の雨になっている。先月新庄、酒田で降った雨が400㍉で驚いたのにたちまちこの雨量を凌駕してしまった。月を越えても台風はまだ東海のあたり。これから関東、東北で大雨が懸念される。

昨日、トウモロコシを買った。今年4回目になる。薄皮をつけてガスの魚焼きで回しながら5分ほど焼く。甘く香ばしい焼きトウモロコシは秋の定番だ。子どものころ炭火で焼いたトウモロコシは今も美味しいものとして記憶の底に残り続けている。『朝鮮詩集』から金尚鎔の「南に窓を」から

南に窓を切りませう
畑が少し
鍬で掘り
手鍬で草を取りませう。
 
雲の誘ひには乗りますまい
鳥のこゑは聞き法楽です
唐もろこしが熟れたら
食べにお出でなさい。

なぜ生きてるかって、
さあね。

少しばかりの畑に植えたのは豆。草取りの作業は、収穫を売るためにはどこでも必須だ。南に窓があるのは、秋から冬、太陽の恵みを得るにはなくてはならない知恵である。暑い夏も、あっという間に終わりに近づいた。
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ドライハーブ

2024年08月29日 | 日記
台風が九州の方で猛威をふるっている。高齢になってできることは何もない。せいぜい外出を避けて室内でじっとしていることか。それでもベランダで育てているハーブの徒長した枝を刈り込んだり花を採って室内の小瓶に活けて楽しんだりする。切り取った枝を束ねて壁に吊るした。玄関先にほのかな香りが漂ってほっとする時間。枝の曲がり具合に個性があり何かいとおしさを感じる。高齢になって趣味が女性的になっている。山に入ってキノコを探すような元気はなくなっている。

ハーブのいいところは苗から花、枝や葉の香りを楽しんだ後は枝はドライにしてお茶やポプリにして楽しめる。植物全体を成長に合わせて全部楽しめるのがいい。乾燥したハーブはエキスが凝縮してフレッシュのものよりも香りが濃いらしい。夏の間せっせと伸びた枝や葉はドライにすることで保存でき冬の間、フレッシュなもののない季節に身体のケアもできる。オレガノはギリシャ語の山の喜びを意味し幸福のシンボルとされている。ギリシャには婚礼で新郎新婦がオレガノで作った冠を被る風習があったらしい。オレガノで作ったドライは過熱してしても風味がとばないため煮込みの香りづけに用いられる。
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米不足

2024年08月27日 | 日記
昨日、この地方では一番大手のスーパーのコメ売り場を見に行ったら張り紙があり、入荷できなく申し訳ありませんと断り書きがしてあった。売り場にはパックご飯が段ボール入りで置かれていた。農協系の産地直売の店に電話すると、品切れで新米が出るまでの入荷はないとのこと。毎日行っている業務スーパーは2週間ほど前から欠品で、入荷は未定という。ネットの売り場では、販売はしているがいずれも10月中旬入荷となっている。なかに3日後着のものもあるが、5キロ3000円と2倍近い値段になっている。今不人気の大阪の知事が政府の備蓄米の放出を要請というニュースが流れた。いろいろ情報を集めてみると、昨年の不作、外人客のおにぎり人気が原因だという話は嘘であるみたいだ。政府は主食の不足についての取り組みどうなっているのか明らかではない。新米が出回ってくれば、米の不足感は解消するという見解のようだ。

コンビニに行けばおにぎりもあるし、パックになったご飯もある。カップラーメンやうどん、スパゲッティなどしばらく米がとぎれても明日食べ物がなくなるという心配はない。だが日本人が米を食べられないというのはいかにも異常だ。おりしも外人客が、日本のおにぎりをおいしそうに食べているニュースが流れている。自民党の総裁選挙で、米不足という問題解決を説く候補者はまだ現れない。日本の米をどうするか、この国の政治はこの問題のビジョンを示すことが基本となる。


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