松実ブログ

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2019年07月12日 22時57分38秒 | Weblog

「格差」と聞くと、
まず、富裕層と貧困層の「経済的格差」。
つまりお金の有る・無しの「差」を思い浮かべる人が多いでしょう。

今日は、そのお金の格差ではなく、
「つながり」の格差について、最近オイラが考えていることを書きます。

「つながり格差」は、大阪大学大学院人間科学研究科教授志水宏吉氏が、
「つながり格差が学力格差を生む」という著書で発表して以来、
たびたび注目される言葉です。

この言葉が世に出てきた時、
「素晴らしい表現だ。それだ、それだよ。」と膝を打ったことを今でも覚えています。
(誤解しないでください。決してこの言葉を良い意味で捉えているということではありません。)


「なんだか、おかしいな。」と抱えていた違和感に対して、
まさにピッタリの言葉を当てはめられた、
という意味で納得したのです。

人間関係には、縦のつながり、横のつながり、
そして斜めのつながりがあると言われています。

縦は例えば親と子、祖父母と孫、教師と生徒の関係です。
(どっちが偉いとか偉くないではないです。)

横は例えば同僚、同級生、友だち、地域のスポーツサークルの仲間などです。

斜めは、家族でも友人(仲間)でもなく、年齢も立場もまるで違う存在どうしのつながり、
例えば住んでいる地域の自治会のおじさんと近所の子ども、
もしくは八百屋のおばさんと買い物に来た子どものような関係性です。
つまり地域の大人と子どもの関係と言えるでしょう。

オイラが大学生の頃にこの学園で勤務を始めた時、色々な生徒からの話や相談を聞くにつけ、「この子は人間関係(縦、横、斜め)のつながりがとても薄いなぁ。」と頻繁に思っていました。

もう少し正確に言うと、「特に横、斜めの関係が薄いな。」
と感じていました。

少子化ということもあり、親子(縦)の関係性はあまり弱まってはいないのかもしれません。
親が子どもに時間と手間をかけられるからです。

しかし、友だち(横)との関係性作りが極端に苦手であったり、
不器用であったり、臆病であるとよく感じたのです。

また、休日の過ごし方などを聞いても「あまり外に出ていない」
「お祭りに行ったことがない」など、地域(斜めの関係)で過ごす経験を
ほとんど聞かないのです。

ここまで読んでもあまりピンとこない人もいるかもしれません。


オイラの経験上の実例を出します。

Aさんの家は、夫婦と子ども2人の4人家族。夫は平日一生懸命に働き、原則土日は休みで我が子の面倒をよく見てくれる。妻は専業主婦で毎食美味しい食事をつくり、
家の中は洗濯、掃除も行き届いている。週末は家族で出かけ、夕飯はたまに外食する。
それだけではなく、子どもたちは近くに住む祖父母とも頻繁に会い、
食事をしたり公園で遊んでもらったりしている。近所には友だちも多く、
その保護者たちも面倒見が良く、可愛がってくれる。
日常風景を見れば、子どもたちを取り巻く環境に、両親、祖父母、友だち、
その保護者などがふんだんにおり、「つながり」を多く持っている様子が分かります。

Bさんの家は、シングルマザーで子どもは1人。
母は夜にスナックで働き朝方に帰宅する。
スナックは日曜日が定休日だから土曜日はお客さんと朝方まで飲む。
当然朝方帰宅しても昼過ぎまで寝ている。子どもは休日に母と遊べず、近所をうろつく。
友だちは家族と過ごしていることが多いため、誰も遊んでくれない。
家でも外でもかまってくれる人はいない。祖父母も近くにおらず、食事も一人で取る事が多い。
習い事などもやっておらず、地域の人たちともふれあうことはない。
「つながり」が極端に少ないのです。

このA、Bの家庭の状況を見て、どのように感じますか。
どちらの家庭が「良い」か「悪いか」を決めたいのではありません。
世の中には、Aのような家も、Bのような家もどちらも存在します。

子どもは、どういう家に生まれ、どう育てられるのかを選べません。
なぜ、オイラは今日、このブログでこのテーマをぶつけたのか。
それは教員としての教育活動、父親としての子育ての中で、
「つながり」についてすごく考えさせられたからです。

科学的な根拠はよく分かりませんが、オイラは、特に子どものうちは様々な
「つながり」の中で育てられるほうが良いだろうな、と感じます。
「つながり」の正体は、何気ない会話であり、心配の声であり、励ましの声であり、
一緒に笑うことであり、食事をともにすることであり、時に叱ることでもあるでしょう。

それが無いということは、無関心という状況となり「孤独」だということです。
子どもの「孤独感」は、あまり無い方が良いのではないかな、
というのがオイラの感覚的な答えです。

では、家庭状況的に様々な「つながり」を持ちづらい家庭はどうすれば良いのですか?
「つながりにおける貧困層」はもうダメだということですか?
という、批判含みの責めの声をいただきそうです。

オイラは、「つながり」について真剣に考えたいだけなのです。
何かお考えがあれば、反応をいただければ幸いです。


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