風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

第100回ピースボート船旅⑯/ペリト・モレノ氷河とパタゴニアの大自然6日間・3、ペリト・モレノ氷河

2019年04月30日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

ペリト・モレノ氷河



2月17日 日 朝から冷たいかなりの雨です。
8:30バスで国立公園へ向かいます。

午前中は、小型クルーズ船で氷河を観光、強い雨なので甲板に出るのは短い時間だけです。
 
 
 
 

公園内のレストランで昼食 氷河が落ちる音が聞こえます。 カラファテの実が入っているプリン
 
氷河をカヌーで観光する人が見えます。
 
午後は、雨の中、傘を差し、カッパを着て、遊歩道散策と展望ポイントです。
ペリトモレノ氷河ビデオ1

ペリト・モレノ氷河ビデオ2


 
氷河の先端が崩落した後です。肉眼で落ちるところを見たのですが、カメラに収めることはできませんでした。


 
 
 
 
 
 
 
                           遊歩道で
 
 
遊歩道は、大きく三つあります。案内板は親切なので、迷うことはありません。遊歩道全体を頭に入れれば、
途中で疲れたら、進むか・戻るかを自分で判断し選べます。私はこれまでいくつかの氷河を見てきましたが、
氷河をこれほど間近で見ることができるのは稀有と思います。
ホテルに戻り夕食
 
 
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触えることが出来ると思われるほど間近に広がるペリト・モレノ氷河は、雄大でした。大きな氷河の崩落は、
年に数回だそうですが、小さな崩落は何回もありました。しかし、その振動も音もかなりのものでした。
雨でなかったら、ずっとカメラを構えて崩落の瞬間を捉えることができたかもしれません。
今回は、ペリト・モレノ氷河だけ明日は、カラファテの町、項を改めます。
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私が、このオーバーランドツアーを楽しんでいる2/20∼2/22間、船では『パタゴニアフィヨルド遊覧』が
行われたようです。知人が撮ったビデオを転載します。
パタゴニア氷河
【終わり】




第100回ピースボート船旅⑮/ペリト・モレノ氷河とパタゴニアの大自然6日間・2、ウプサラ氷河

2019年04月30日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

ウプサラ氷河

地殻変動の褶曲

2月15日 金
朝8時ホテルを出発し、ブエノスアイレス空港へ、11:45発~カラファテ15:00着、機内ではスナック程度なので、
前日パン・ミルク・バナナなどの昼食を用意したのは大正解でした。
カラファテ空港                  空港周辺は荒涼とした砂漠です。
 
 
カラファテ市内入口ゲート
 
ポサーダ・ロス・アラモスホテル
   
 
町は、音楽祭の最中で多くの観光客がいました。    音楽メイン会場
 
ホテルで夕食、豚肉を丸めたもの

今日は、移動だけ。風は強いですが気温は少し高く日差しは強く、荒涼としたむき出しの大地・パタゴニアという
私の勝手なイメージの天気でした。 明日から、いよいよ氷河観光です。
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2月16日 土
早朝7時にホテル出発の強行で、ロス・グラシアス国立公園へ向かいました。小型の船で入り江を上ります。
雨です。時々晴れて、
 
 
 
 
 
 
 

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エスタンシア・クリスティーナ、エスタンシアとは農場と言う意味だそうです。19世紀初頭、イギリスからこの地に
入植したクリスティーナさんが開き、現在ペリト・モレノ氷河観光の入口となっているそうです。
 
 
 
農場でパタゴニアのローカル料理のランチを食べました。ひき肉などをパイ生地で挟んだエンパナーダ他
 
 
羊を洗う水路
 
 
初代クリスティーナさんが野焼きをしたら乾燥していたため焼け野原になってしまったとか、寒さと水が少ない
ため木々の成長が遅く今なお焼けた木々が残っているそうです。森林の復活は200~300年かかるそうです。
 
この一帯は、火山と海底の隆起で大地が大褶曲しました。
 
氷河が削っていった面((氷河擦痕)、なめらかです。
 
この地を越えるとウプサラ氷河が眼前に一気に視界に入ります。
 
  
ウプサラ氷河の反対側はこの大褶曲です。氷河と大褶曲の対比がここの魅力です。
  




 
 
 
この地が海底であったことは、沢山のアンモナイトの化石が証明しています。
 
ブルーべりーに似たカラファテの実、ジャムや石鹸の香料などにも使われるそうです。カラファテの実を食べると
この地を再び訪れることができるといわれているそうです。4駆のドライバーが停車して取ってくれました。 夕食
 
陸上の移動は、普通のバスではできません。特別仕様の四駆車でなければなりません。
夜8時過ぎにホテルに戻りました。
ウプサラ氷河の魅力は、広大な氷河が目の前に迫っていることと同時に、海底隆起・地殻変動によってできた
大褶曲とのコントラストと火山がもたらした大地の色の鮮やかさです。
    
明日は、ペリト・モレノ氷河です。 項を改めます。  【終わり】 

第100回ピースボート船旅⑭/ペリト・モレノ氷河とパタゴニアの大自然6日間・1、ブエノスアイレス

2019年04月28日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

ペリト・モレノ氷河

ブエノスアイレスの街並み
2月14日 土
7時ブエノスアイレス着岸 雨でした。私は、『イグアスの滝観光5日間』に連続して、『ペリト・モレノ氷河と
パタゴニアの大自然6日間』のオーバーランドツアーに参加します。一日目の今日は、ブエノスアイ市内観光と
飛行機でペリト・モレノ氷河近くのカラファテへ移動です。アルゼンチンは広大です。

船からのブエノスアイレス港
 


レコレタ墓地・エビータ元大統領夫妻が眠っています。 高級住宅地の一角にあります。
 
 
エビータ家の墓
 

1974年普通選挙で選ばれたペロン大統領の死去後、夫人のイザベラ・ペロン(愛称:エビータ)さんがアルゼンチン初の
女性大統領に就任しましたが、軍事クーデターで追放されました。彼女はその後、国外追放など数奇な人生を送りますが、
後にアルゼンチンの国民的英雄となりました。
ここの墓地は、家が一軒買えるほどの高価だそうですが、彼女の妹が金持ちと結婚して、その妹がこの墓を建てたそうです。
連邦政府ビルに描かれたエビータの像
  
チリ・アジェンデ社会主義政権をアメリカが転覆して以降、南米のチリ・アルゼンチンなどは軍事独裁政権が
長い間人々を弾圧しました。現在、少し安定してきましたが、人々の生活はまだまだで労働者たちのデモや
ストライキが頻発しているそうです。
デモの様子                    メインストリートの7月9日通り
 
                       ランドマークのオベリスク
 
7月9日通りは、交通の大動脈ですが慢性的交通渋滞です。真ん中にバス専用レーンが作られました。
 
地下鉄も作られていますが、私は乗る機会がありませんでした。
 
 
街でこんな様子も
 
コロン劇場                    パナメリカーノ・ホテル
 
ブエノスアイレス大聖堂
 
 
 
 
大統領官邸 その前がマージョ広場
 
大統領官邸の反対側にブエノスアイレス市議会   公衆トイレはありません、これらの店の奥にトイレが二つだけ
 

ボカ地区に向かいます。
 
 
ボカ地区は、移民・漁師の町といわれ、貧困地区で治安もよくなかったのですが、タンゴ発祥の地と言われ、同時に
マラドーナが所属したサッカーのボカ・ジュニアの本拠地、いわばサッカーの聖地でもあり、現在ではブエノス
アイレスの欠かせない観光スポットです。 漁村特有のカラフルな街です。
 
              しかし、線路の向こう側は、治安が良くなく観光客は行かないよう言われています。
 
  
 
 
少し行くと磯の香りと港の喧騒です。
 
 
 
通りの名前です。
 
市内のレストランで昼食後、オベリスクののすぐ近くパナメリカーナ・ブエノスアイレスホテルへ、
夕食まで時間が少しあったのでホテルの周りを歩きました。
 
 
 
 
                         バス停
 
夕飯は、アルゼンチンタンゴを鑑賞しながらです。南極ツアーの人と一緒でレストランは日本人の貸し切り、
ワイン・ステーキは食べ放題です。ウエイターは、日本語の挨拶の学習などサービス精神旺盛です。 
 
 
 
 
21:30ホテルに戻りました。 明日は、ペトリ・モレノ氷河入口のカラファテへ移動、項を改めます。  【2月14日終わり】

第100回ピースボート船旅⑬/モンテビデオ・『イグアスの滝観光5日間』3

2019年04月26日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

国会議事堂
2月12日、イグアス滝空港、14:10~16:05 ブエノスアイレス空港乗り換え、18:10発~
 
ウルグアイ・モンテビデオ空港着18:55
 
ホテルで食事

2月13日 水 ウルグアイ・モンデビデオのラディソン・ビクトリア・プラザホテルからの景色
  
 
合流するピースボートが見えていました。

ホテル
 
 

南米のホテルにはビデがあり、とても良いです。 独立広場の真ん前にあります。    独立広場
 
建国の父Artigas将軍像               総督府
 
Solís Theatre                    サルボ宮殿・旧総督府・現オフィス
 
独立広場は観光スポット、警備は厳重です。       
 
 
Ciudadela門                    真ん中奥は海です。
 
国会議事堂                    裏側の屋根部分
 
 
  
 
メルカド市場
 
 
少女たちが何か練習していました。
  
バスの中から
 
レストランでランチ、
ヨモギ団子風の中身は雑草のような草だけ、不評でした、料理の名前は不明です。 道路には様々なデザインが…。
 
メトロポリタンカテドラル
 
La Corte・有名なレストランとか

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バスでモンテビデオ港に戻り、2月13日午後2時半過ぎ船に合流しました。
ホセ・ムヒカ前ウルグアイ大統領が船に来訪することになっていましたが、体調が悪く、奥様が訪れ、
記念講演をされました。私は、間に合わず、帰り際だけ撮影できました。

船からのモンテビデオの町
 
 
モンテビデオは、ヨーロッパ風の落ち着いた感じの町でした。自由に散策できなかったのは残念です。
ムヒカ前大統領は、世界で一番無欲な大統領と呼ばれたそうです。
モンテビデオは世界最南端の首都だそうです。ウルグアイは、大学入学試験がないので、入学してもやめて
しまう人も多く、また、給料が安いので仕事を掛け持ちしている人が多く、離婚率も高いそうです。
卒業式などのセレモニーでは、2名以上は追加料金が必要ですが、離婚夫婦も多いので参加者も多いとか…。
ガイドのゆきえさんのお話。
『イグアスの滝観光5日間』の長いツアーも終わり、明日からは『ペリト・モレノ氷河とパタゴニアの大自然6日間』
のオーバーランドツアーの連続が続きます。
今日中に大きな荷物を届けると明日港ターミナルまで運んでくれるので、食事・入浴・パッキング等大忙しでした。【終わり】
 

第100回ピースボート船旅⑫/イグアスの滝『イグアスの滝観光5日間』2

2019年04月25日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ


イグアスの滝全景


イグアスの滝全景


悪魔の喉笛展望橋

悪魔の喉笛エレベーター棟

2月9日 土、フォス・ド・イグアス市内、マブ・テルマス・グランド・リゾート、24:30チェックイン宿泊
 
 
  
                       
2月10日 日
ホテルで朝食、イグアスの滝ヘリコプター遊覧の現地申し込み(午前中)がありましたが、私は申し込みませんでした。
昨夜のチェックインが深夜だったからです。申し込んだ人は多かったですが、悪天候のため中止となりました。
バスでブラジル側イグアス国立公園に向かいました。  朝からかなりの雨でした。
国立公園入口
 
ブラジル側イグアスの滝 遊歩道散策
 
 
 
 
 
 
 
 
イグアスの滝ボートツアー  これで川岸に降ります。
 
 
 
以下、防水カメラで撮った「悪魔の喉笛」付近
 
 
 
 
 
  
日本を発つ前、安い防水カメラを買いました。(1.5万円ほど)、滝や海岸で予備として使おうと思ったからです。
液晶画面も暗く、映像もきれいではありませんでした。
川岸に降りる階段                  公園内のレストランで昼食
 
バスで国境を越えてアルゼンチン側へ イグアス川に架かる橋、真ん中が国境です。
 

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三国国境観測地点 アルゼンチン          パラグアイ
 
ブラジル
 
 
プエルト・イグアスのグラン・メリア・イグアスホテル 豪華なホテルです。
 
 
                         右にホテルが見えます。
  
2月11日 月 アルゼンチン側イグアス公園 ロートレイル散策
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ミニ列車で「悪魔の喉笛」観光
 
 
 
 
 
 
 
 
 
公園内のレストランで昼食

アッパートレイルへの自由行動がありましたが、私は雨でしたし、疲れたので出かけず、ホテルでゆっくりしました。
夕飯は、ホテルでステーキ、「固い、まずい」など不満の声がたらたら、「黙れ!」と言わんばかりに突然、落雷、停電しました。 

2月12日 火
11時まで自由行動でしたので、昨日行かなかったアッパートレイルへを試みました。ホテルの前庭から入れます。
 
 
 
 
 
 
 
長崎の堤さんご夫妻と一緒しました。約1.5時間のトレイルでした。昨日の雨で、足元が少し濡れていましたが、
少し涼しく、何よりも観光客はほとんどおらず、とても良かったです。
空港内で、サンドイッチ・ヨーグルトなどのボックスランチでした。
2月10日深夜1時間時差調整
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
イグアス滝空港、14:10~16:05 ブエノスアイレス空港乗り換え、18:10発~ウルグアイ・モンテビデオ空港着18:55と、
まだ、『イグアスの滝観光5日間』のツアーは続いていますが、次のモンテビデオは項を改めます。



第100回ピースボート船旅⑪/リオデジャネイロ・『イグアスの滝観光5日間』1

2019年04月24日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

リオデジャネイロ港岸壁、強烈な印象です。

リオの町



1月31日 木、2月2日 土、2月4日 土、2月6日 水、各1時間時差調整
旧正月を祝う人々(2月5日)、台湾人・中国人たちにとっては旧正月の方が盛大のようです。
 
                         宝・進・財・招の漢字が入っています。
 
 
2月9日 土 6時リオデジャネイロ着岸
私は『イグアスの滝観光5日間』ツアーに参加しました。一日目は、リオの市内観光と移動です。
船からの景色
 
 
 
10時集合・出発
 
                         リオのカーニバル会場
 
 
座席の下、奥は学校だそうです。 即座にガードマンが来て「出て行け」と出されました。
陸軍省
 
水道橋                      大 聖 堂(カテドラル・メトロポリターナ)
 
大聖堂内
 
 
 
 
 
                         ビルに映った大聖堂                         
 
ホームレスのイエス像
 
コパカバーナ海岸   ランチ、肉(シュラスコ)の食べ放題、大して美味ではありません、片付けのパフォーマンス。
                          
ポン・ジ・アスーカル、花崗岩の一枚岩からなる395メートルのシュガーローフ山、リオの町が一望できます。      
 
大聖堂                      日本領事館が入っているビル
 
 
二つのケーブルカーを乗り換えて上ります。
 
ケーブルカー頂上駅
 
 
 
 
サンダル屋さん、イニシャルなどをつけてくれます。
 
 
 
コルコバートの丘は、リオ一番の観光スポットで、道路・登山電車が大混雑で時間が計算できないと思われ、
ツアーには入っていません。
ブラジル・パラグアイ・アルゼンチンの国境にあるイグアスの滝は、リオから飛行機で2時間以上、遠いです。
ホテルのレストランで食事後、空港へ、リオ発21:10、イグアス着23:30、バスでホテルと言うハードさです。
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リオデジャネイロは、広く魅力的です。しかし、治安の心配があるので自由行動はかなり制限されるようです。
私は今回の旅ではツアーの途中なので、残念ながらリオデジャネイロの街歩きを全く堪能できませんでした。
いつの日か、今回の旅で訪れるイグアスやパタゴニアなどの大自然だけでなく、リオデジャネイロや
モンデビデオ、バルパライソ、ブエノスアイレスなどの大都会の街歩きをしたいものです。
イグアスの滝は、項を改めます。【終わり】

第100回ピースボート船旅⑩/ナミブ砂漠

2019年04月22日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ



ナミブ砂漠
28日 月 昨夜8時過ぎ下船後、27日はケープタウンの豪華ホテル、ウエステインホテルに宿泊
翌朝、なんと3:15起床、3:30パンとミルクだけの朝食、4:15出発、ケープタウン発6:00~7:55ヨハネスブルグ着
 
原発でしょうか

ヨハネスブルグ発9:50~11:45ウイントフック着
 



直行便がないのでしょう、一度ヨハネスブルグ空港へ行って、そこで乗り換え、丸一日かかって移動です。
バスで宿泊場所のセスリエムへ、ブッシュや草々がまばらに生えるほとんど砂漠状態を延々と走ります(6時間)。
ツアー会社から、アルミ製の水筒、水、昼食のランチが配られました。道路は舗装されていませんのでガタガタです。
 
 
                         検問がありました。重量を量っているようでした。
  
途中、サービルエリア風のところでトイレ休憩、スーパーなどもある小さな街です。
 
 
順調に走っていたのですが、14:15分頃タイヤがパンク、運転手が一人でスペアタイヤを外し始めました。
そこに地元のサンド&ストーン社のトラックが通りました。息子を助手席に座らせていたドライバーは停車し、
タイヤ交換を手伝ってくれました。ほぼ砂漠の中でパンクですから、夕方だったら一大事です。
 
 
                         男性の何人かは野原で立ちションをしました。
 
まだ日は高いので余裕がありました。小一時間でタイヤ交換が終わりました。ツアー客一堂感動の大拍手でした。
私は、彼に感謝の気持ちを表すため、カンパを呼びかけました。皆さん快く応じてくれました。いくら集まったかは、
数えませんしたが20ドルは超えていたと思います。車が日陰を作ってくれたので助かりましたが、
時折強い風が吹くので埃が大変でした。それでもホテルには、19:40ほぼ予定通りの時刻に到着できました。
ソッサスフレイ・ロッジ 砂漠の中ですが豪華なロッジでした。
 
 
チェックイン後、20:15夕食、グラスワインが無いというのでボトルで頼みシェアしました。
シマウマやオリックスなどのたくさんの肉がその場で焼かれていました。私はお薦めのシマウマともう一種類のお肉、
クロコダイルのしっぽを注文しました。話題は、パンクとお肉でした。
 
私が泊まったロッジ
 
星空がきれいですが、写真撮影を試みましたが上手くいきませんでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ロッジに戻り、パソコンの電源を入れたのですが、調子が悪く、電池残量が少なくすぐクラッシュしてしまいます。
とりあえず今日のメモとカメラで撮った写真をパソコンにアップロードして作業を終え、床に就きました。
しかし、翌日我がパソコンは電源が入らなくなりました。これまで撮った写真はパソコンに保存してきたので、
それらも消失してしまったかと背筋が寒くなりました。以後、パソコンでの日誌は書けないのでメモだけが頼りです。
1月29日 火 
5:15起床、砂漠の日の出を見るためです。


 
 
 
動き出した動物                  珍しい私のショット
 



トイレ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この一帯は、リッサスフレイ(死んだ湖)と言われます。
 
 
イギリス人のグループが砂漠でランチ
 
 
中国人の普通車が砂に車輪をとられ身動きできず、助け出されました。もちろんチップが必要です。
 
 
昔、大河が流れていたそうです。 6本のロープの深さと言われる谷です。


 
ホテルに戻り昼食、その後グループに分かれセスナで砂漠遊覧飛行(各1時間、ツアー代金に含まれています。)
 
私は、運転手の助手席でした。エンジン音がうるさいのでヘッドフォンをしているので、見どころの合図は手話です。
 
 
 
セスナのパイロットは、我々が驚くので、得意になって急ハンドル・急旋回サービス、砂丘にぶつかりそう。
 
                   サークルストーンと呼ばれています、由来、聞いたのですが忘れました。
 
セスナ飛行場                   砂漠の中のロッジ
 
                    ロッジに戻り、夕食、グラスワインがないのでボトルを頼みました。
 
パソコンの電源を入れたのですが、全く起動しませんでした。どうやら、悪路の振動でハードディスクが壊れたらしい。
1月30日 水
6:40出発なので5:25起きて朝食、各自焼いてくれるオムレツを注文したのですが時間がかかり慌てました。6時に荷物の
ピックアップサービスがありましたが、パッキングに時間がかかり自分で運び、チェックアウトしました。
バスの良い席争いの我先が熾烈で優しさ、譲り合いがないのが残念です。18:00までにウォルスベイ港に戻り、
船に合流しなければなりません。スワコプムンドへはバスで砂漠を抜け6時間ほどかかるのです。
                          ムーンランドスケープへ
 
砂漠の中のトイレ                 家畜の糞
                  
ウェルウィッチア(日本名:奇想天外)、1対のみの葉を伸ばし続け、寿命は非常に長く、1000年とも2000年とも言われ、
しかも雌雄異株のユニークな植物、和名はなんと「奇想天外」とも言うそうです。
オスの木                       メスの木
 
 
ムーンランドスケープ(月面のような景色が臨めるとのいわれです。)


 
水道と燃料パイプライン
 
砂漠の中の町です。              海岸の町・スワコプムンド市内にやっと着いてレストランで昼食
 
スワコプムンドは海岸沿いのリゾート、大都市です。治安もよく16時まで自由に市内を観光できます。
自由街歩きはやはりいいものです。久しぶりで十分楽しみました。新しい近代的町並みでした。
私は、地図を準備してきたので一人で散策できましたが、でも通りがよくわからず苦労しました。
 
 
 
以下、州政府ビルなど
 
 
裁判所                      警察署
 
 
 
                         スネーク博物館
 
ドイツホテル
  
インフォメーション                お土産屋
 
 
17時に港に着いたのですが、出国審査手続きがスムーズでなく、1時間以上かかりました。
ウォルスベイのイミグレーション  18時本船に合流

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
南回りクルーズの一つの特徴は、雄大な自然ですが、私はナミブ砂漠が一番驚き、感動しました。
地平線の先まで見渡す限りのピンク褐色のパウダー砂、生物はいなさそうですが、植物も昆虫も哺乳動物も生きています。
千年も生きるといわれるウェルウィッチアもありました。


数日は手書きで日記を記しましたが、手書きはとにかく時間がかかるし、疲れるので止めました。
パソコン・インターネット・スマホ・携帯・新聞・テレビなしの生活は、私の旅をゆっくりさせてくれました。
音楽と落語はそれぞれ別のMP3に録音していたので、それらは十分楽しみました。
ツアー中はメモをしましたが、写真とメモが一致せず、帰国してからのブログ作成に時間がかかる
ことになるでしょう。   【写真が多く煩雑となりましたが、私の喜びの気持ちと思って下さい。終わり】


第100回ピースボート船旅⑨/ケープタウン

2019年04月19日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

ケープタウン・テーブルマウンテンのテーブルクロス(雲が山頂から流れ落ちる)
26日 土
6時起床、6:45朝食、7:45ホテル出発、空港へ、9:50ビクトリアの滝空港出発

ジンバブエでは、出入国する飛行機内は消毒する必要があるそうで…。 
 
12:15ケープタウン空港着  南アはまだまだ難題を抱えています、家のない人々への住宅の提供
 
交差点で行商する人

カーステンボッシュ国立植物園のレストランでランチ
 
 
ここは、ゆったり時が流れるアフリカ時間の土地、レストランのサービスが「遅い」ことに、ツアー客は文句ばかり、
さらに問題なのはツアーに同行している通訳などのスタッフが「我関せず」風にスマホを操作していること、
せめて「飲み物だけでも急いでね」とやんわりお願いすると良いのに…。 
14:30から30分だけアリバイ的にカーステンボッシュ国立植物園を散策、買い物も良いけどせめてここで1時間は…。
 
 

バスで、ケープタウンウォーターフロント地区へ、大ショッピング街、このエリア治安は良いそうです。
 
 
 
捨てられた犬たちと触れあったり、散歩も出来、引き取ることの出来るコーナー
  
なんと18:15まで長時間の自由時間、巨大なスーパーでは日本人観光客が有名なルイボス紅茶を大量に購入し、棚が
空っぽになってしまったとか…。私は、港が見えるベンチに座って時間をつぶしました。
ホテルに帰って夕食、ホテルの部屋から夕焼け


27日 日
ホテルでゆっくり朝食、8:15ホテル出発、ケープ半島へ  トイレ休憩、ものすごい強風で立っているのがやっと
 
 
 
 

 

 
ケープポイントビジターセンター          フニキュウラ(ケーブルカー)で展望台下へ
 
                         そこから120段ほどの階段を上ると喜望峰展望台
 
       
お祈りする人(許可を得ました。)
 
 
喜望峰です。
 
フニキュウラ(ケーブルカー)頂上駅
 
ホテルで同室となった村上さんと記念撮影、穏やかで優しい人で気が合い、いつも一緒のデコボココンビでした。 
 
帰りは遊歩道をゆっくり歩きました。
サイモンズ・タウンのレストランでランチ 右は、他の外国人のテーブル
 
今日は、1号車と2号車と3号車を時間差したこととレストラン側の対応が良くすぐ飲み物が来ました。
サラダ、大エビ3匹と小エビと白身魚のムニエルのインディッシュ、量が多いだけで大して美味しくは
ありませんでした。フリードリンクはアルコールもありましたが、私は水にしました。
ホルダーズビーチのペンギンコロニー(サイモンズタウンの南)の観光、歓迎パフォーマンス
 
 
 
このセンターでは、巣箱の設置以外の餌付けや治療などはしないそうです。
  
 
 
こちらは海鳥の群れです。
 
思っていたよりペンギンは少なかったです。ペンギン達も人間にすっかり慣れているようで、驚きもせず、
逃げもせずでした。ケープタウンは、強風です。海岸ですから、細かい砂が舞い上がって体に当たります。
目や口に砂が入ります。カメラに入らないかと気がかりでした。バスで、ケープタウン市内に戻りました。
帰りのバスのエアコンが不具合で水滴が垂れました。ピースボートスタッフは、全く対応できずでした。
ボランティアとは言え、二の句が告げません。現地日本人ガイドの相原純子さんが丁寧に対応していました。
彼女の日本語は完璧でしかもガイドも的確、ランチでは各テーブルに飲み物、食べ物が配られているかを
細かくチェックしていました。
マンデラさんが収容されたことのあるケープタウンのポルスモア刑務所 右は、テーブルマウンテンのテーブルクロス
(冬だけに見られる雲が山頂から流れ落ちる)、この現象を見ることが出来るのは、珍しいとのことです。
 
こちらは山火事                  ケープタウン港ターミナル
 
16:30、船に合流し、荷物の整理とシャワーを済ませ、6時夕食、ワインを飲ました。今深夜船はケープタウンを出港します。
ナミブ砂漠のツアーの出発は今夜、8時ですので、私は出港セレモニーは出ず、部屋にいました。
下船後は、バスでケープタウンのホテルに向かい、泊まるだけ、本格的ツアーの開始は明日からです。 【終わり】

第100回ピースボート船旅⑧/ビクトリアの滝

2019年04月18日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

24日 木
私は『ビクトリアの滝と喜望峰観光4日間』(1/24~27)のオーバーランドツアーに参加しました。
10:10一端集合し、パスポートを受け取り、すぐ荷物を持って再集合、3台のバス分譲して10:30出発、
30分ほどで空港に到着、出国審査に少し時間がかかりましたが、12:45発ジンバブエに向かって出発しました。
 
チャーター便で、座席指定無し、乗った順に後ろから座らされ良い席をねらった人は失敗でした。
両サイド3人席で、前6席を除いて満席でした。2時間30分ほどでジンバブエに到着しました。入国審査は簡単で
バスでホテルに向かいました。16:45までホテル前の土産物店で自由行動の買い物でした。私は、何も買いませんでした。
  
  
キングダム・ホテルは豪華でした。歓迎セレモニー、ウエルカムドリンクは「あつものに懲りて」飲みませんでした。
 
  
  
  

WiFIはフリーで早いです。夕食まで時間があるので、ブログとFBの更新をしました。
メールのチェック後、バスタブで入浴しました。ついでに下着と靴下を洗濯をしました。夕食は、ワインがフリーでした。
胃袋が小さくなっているのでしょう、食欲はあるのですが、少ししか食べることが出来ません。夕食後少し柔らかい
排便があり、下痢がなくなって安心しました。9時に就寝しました。カヤは良いです。エアコンが効き過ぎるので消して、
寝ました。熟睡できませんでしたが、まぁまぁ寝ることが出来、一安心です。この日は、移動だけでした。








25日 金
5時目覚ましで起床、軟便ですがしっかり排便があり安心しました。6時朝食、8:00出発、8:30~10:30ビクトリアの滝観光
バスで、ビクトリアフォール国立公園へ 入口
 
 
 
 
リビングストン像
 
 
  
 
対岸で滝つぼに降りようとしている人
 
 
 
ビクトリアフォールズ橋              バンジージャンプの用具
 
ビクトリアの滝は、各それぞれに名前が付いています。メモしたのですが、残念ながら写真とメモが一致しません。
ランチのためホテルに歩いて帰ります。合羽を着ていても、水しぶきが霧になって下から吹き付けます。
午前中は、雨、晴れ、雨、晴れ、合羽を着ると暑いし、水しぶきが来るので傘はあまり有効ではないです。
午後から、晴れました。14:00からヘリコプター観光です。オプションで、12分2万円ですが、良かったです。14:40~14:52
まず体重測定と搭乗員名簿の作成
 
 
 
私は、運よく運転者の助手席で、足元はガラス張りで下が見えます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ビクトリア滝は実に雄大でした。
16:15から19:00は、ザンベジ川遊覧クルーズ、飲み放題でしたが、私はウイスキー1杯だけで我慢しました。
このクルーズは、ツアー予定にはないものでした。ツアーコンダクターの横野泉さんの急きょ企画で実現しました。
ザンベジ川の流れはとてもゆったりです。西日の日差しがとても強かったです。
 
 
カバです。
  
 
 
蟻塚だそうです。
 
ザンベジ川の夕焼け 少しずつ涼しくなりました。
 
ホテルで夕食。ワインをいただきました。しかし、明日は、早朝からケープタウンに移動、夜更かしせず休みました。
ケープタウンの様子は、項を改めます。     【終わり】

第100回ピースボート船旅⑦/ポートエリザベス・サファリ

2019年04月17日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

20日 日
夜中、悪天候で船が大揺れで、朝食後、おう吐しました。午後からは水便が止まりませんでした。腹痛はありません。
船酔いにマダカスカルの食が当たったのかもしれません。以降、この日は食事をせず、部屋で横になっていました。
21日 月
この日も水便は直らず、ポカリスエットを買ってきて飲みました。吐き気、腹痛がないので気分は良くありませんが、
辛さ・苦しさはありません。G・GET、GET・P、そしてニュージーランド人のアリス-ローザさんとの10分間チャット、
夜、30分間の手話のミニ講座があり、頼まれて参加しました。
夕飯に余りにもお腹がすいたので、持ってきたミニカップ麺を食べました。1時間の時差調整。
22日 火 旅行者下痢症   
水便が続くので医者に行きました診療代、薬代含めて5300円高くはありませんでした。
保険には入っていますが、保険が支払われのは、1万円を超えた額だけです。旅行者下痢症の診断、
マダカスカルの食事か細菌のある何かに触った手指に口が触れたのでしょう。整腸剤と止瀉剤が出ました。
細菌が無くなるには1週間ほどかかるとのことです。特効薬はなく、水分を摂ることが一番だそうです。
3~4日ものを食べなくとも大丈夫だそうです。熱は36.6と少し高めのようです。
海外旅行者で最も多い病気が旅行者下痢症です。約1ヶ月の途上国滞在で、発病率は20-60%とされています。
生水を飲むことはありませんが、サラダやフルーツなどを完全に食べないことはほとんど不可能ですし、
旅行者下痢症の大多数は病原体(細菌、寄生虫、ウィルス)の経口感染、つまり病原体がついたものに手を触れ、
その手を通して感染するのですから、感染を防ぐのは実際的にはほとんど不可能と言えます。
事実、このツアー参加者のほとんどが感染したようです。南アフリカでは細菌性下痢だと入国が拒否されることもあるそうです。
23日 水
6時ポートエリザベス着岸 曇り、涼しいです。


激しい下痢は、どうやら峠を越えたようです。昨夕、受診し、もらった薬と下痢してから約2.5日経ったからでしょう。
早朝便意がありました。何も食べていないのにおならの後、ほんの少し軟便がで、水様便は出ず、少し安心しました。
しか、朝と昼ご飯は食べませんでした。朝、ポートエリザベスの港町の写真を撮った後、体重を量ると54.9kgでした。
約5kgほどやせました。つくづく人間の体は上手くできているものだなと思います。自分に不要なものはどんどん体外に
排出する、食べ物を食べなくても体内に蓄えたエネルギーで1週間ほどは問題なく生活出来るのものだそうです。
反面、人の精神はだいぶ弱いもので、1~2日栄養を摂らないと重篤な病気になるのではとおろおろするのですから。
私は、ひたすら部屋で音楽や落語を聞きながらうつらうつらしました。思った以上に寝ることができました。
6:30入国対面審査が開始されました。7:45「1日サファリ体験」集合、8:00ツ出発 海岸線の高速道路を45分ほど走ると
SchotiaSafaris保護区レセプションに到着し、トイレ、9:30サファリカー(6~10人4輪駆動車)に分乗し、出発。
 
この保護区は、ジャスティン家族の個人所有のよう。広大な敷地内に宿泊施設、レストランなどがあります。
 
まず3頭のライオンがヌ~を食べている場に案内されました。ライオンは1~2週間一度ほどしか狩りをしないそうですが、
実際に捉えた獲物かどうかは不明ですが、食べてる姿を見ることはとても稀有なことだそうです。
途中から小雨が降り、ワイシャツの上からレインコートを着ても寒いくらいでした。
 
 
木の下の箱は、像が近づかないようにしているのだとか。
 
ミネラル豊富な蟻塚を草食動物は食べるそうです。
 
 
 
 
我々を威嚇していたサイ、我々が近寄りすぎて怒り、突進のデモンストレーション。手前は雄でしょう、雌の前で身を挺しています。
 
 
 
 
トイレ休憩
 
 
 
  
 
はるか彼方にバッファロー

間近に像が
 
 
 
  
 
 
 
ランチ場所には大きな焚火が焚かれていました。
 
 
 
私の体調は戻ったと思うのですが、明日から連続7日間のツアーなのでランチは食べませんでした。
食欲はあるのですが…。このレストラン、ワインやビール、ジュースが飲み放題のようで、ふらふらする人も数人。
この保護区は、個人の持ち物だそうです。動物の種類、群れの数は決して多くはないですが、ライオンまでの距離は30m
ほどでした。像、キリンは手の届く距離でした。サイは、メスをかばい、怒っているように頻りに我々を威嚇していました。
風車で地下水を吸い上げて水場を作っています。
14時、NanagaにあるFarm Stallと言うドライブウエーのサービスエリアの土産店に立ち寄りました。
何と45分間も、いかに時間調整と言え長すぎです。私は、外のベンチに座り買い物来ていた現地の人とお話ししました。
 
15:45帰船。時間はまだたっぷりあるのですから、ポートエリザベスの町を案内してくれても良いのに。
車窓から港の町並み
 
 
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
日本を発って1ヶ月、南アフリカにいます。明日は、初めてのオーバーランドツアー(一時船を降りてのツアー)です。
ホテルに泊まるのでPCを持って行きます。このツアーは、ジンバブエにある世界一の規模と言われるビクトリアの滝観光です。
日本を出て、最初の一週間は曇りや雨で海はかなり揺れました。その後初めての寄港地は、中国の厦門で私は土楼を訪れました。
次のシンガポールは真夏の暑さでした。その後、インド洋に浮かぶモーリシャスとレユニオン、マダガスカルを訪れました。
マダガスカルではバオバブの木々を見ることができましたが、食あたりの洗礼も受けました。
ビクトリアの滝の後、ナミブ砂漠を歩き、その後南米に向かって長い航海になります。  【終わり】


第100回ピースボート船旅⑥/マダガスカル・バオバオの木

2019年04月15日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

バオバオの木
18日 金 マダガスカル・エホアラ港

6時着岸 7:15上陸許可 入国審査、パスポート携帯義務はありません。
パイロット船
 
 
首都やバオバオ街道から遠く離れかなり辺鄙なエホアラ港が寄港地に選ばれたのかは疑問です。
船内では、現地通貨両替に長蛇の列が出来ていました。私は両替しません。9:15ツアー集合、出発
船からのエホアラ港
 
  
歓迎のセレモニー
 
マダガスカルは、まだ観光インフラや交通インフラがまだまだ未整備です。スクールバスが急きょ観光バスに
チャーターされたようです。ガイドも、公務員だったり学校の先生だったり、のようです。
 
港の近くのフォール・ドーフアン市内の市場
 
 
 
私は、日本から持ってきたサンダルが早くも壊れかけてきたので探すと上手い具合にありました。
はじめ米ドルではだめだと言われたのですが、2ドル示すと受け取ってもう1ドル上乗せしろと言います。
3ドルですから安いものです。女主人はにっこり笑って握手でお別れしました。
センスを忘れたので買いたかったのですが、探す時間はありませんでした。
ところどころに警官も立っていました。すりやひったくりは起こりえますが重大犯罪はなさそうです。
市役所
 
市役所の男性小便器                民家
 
ビーチで時間をつぶしました。
 
バスの中で外を見ていて目が合うと老若男女手を振ってくれます。
 

 
                         お墓の近くの道路
 
 
 
市内のレストランでランチ
 
 
 
ガソリン補充もおおらかです。
 
11:15、バオバオ街道のある空港へ。
大型観光バスはありません。近隣から集めることのできるすべてのバスが集められたようで、
私たちは子どものスクールバスでした。子ども3人席に大人三人、2人席に大人二人で、すべての座席を
使いましたから、まさにギュウギュウ、網棚はありませんし、シートベルトも絞まりません。
1.5リットルのペットボトル配布。
 
チェックインが非常に念入り、厳しかったです。パスポート携帯は必要ないので、船の写真入りIDカードで本人確認、
身に着けているものすべて、ベストまで脱いでトレイに入れて、念入りなボデイタッチによる検査とリュックのチャックを
開けて一つ一つチェックでした。それでも13:35発の予定が5分遅れたでけで出発、約1時間10分のフライトでした。
チャーター便で、座席指定はなし、ジュースとチョコと500mlペットボトル入り水が配られました。
バオバブ街道のスタートの町・ムルンダヴァへ、小さな飛行場です。ここからは小型マイクロバスにギュウギュウ詰めの車
でした。もちろんエアコンシートベルト、網棚はありません。おまけに凸凹の悪路です。
 
  
 
 
                         少年が見せているのはハリネズミのような動物
 
 
 
 
ツイン、ツインの枝には小鳥たちの巣が連なっていました。
 
 
乾季の水不足は深刻で、倒れる木々も多いそうです。

このスポットには、環境保護団体[FANAMBY]の事務所のある集落があります。
 
事務所や無料トイレ、駐車場、お店などが少しづつ整備されています。
 
苗木を育て、植林も始められているそうです。
 
茶色のポロシャツがスタッフのユニフォームですがボランティアなのか有給スタッフかはわかりません。
環境保護団体は、苗木からの繁殖、植林などをおこなっています。一帯を、保護地域に指定して観光客から入園料を取るのは、
必要です。バオバオの木を保護することはもちろんですが、人々が土産物売りだけではなく、雇用の創出、道路などの
観光インフラにも役立つと思うからです。
私は、彼らが休憩している所に思い切って入り込んで、話しかけました。チーフらしき人が答えてくれました。
彼は、地球環境の悪化がバオバオの森に深刻な影響を与えていること、苗木を育て、植え、守る活動は、人々に希望を与えていること、
そして日本に留学して、日本の環境保全などの先進的技術や考えを学びたいとの熱い思いを静かに語ってくれました。
私は、スタッフ以外の多くの人々がこの茶色のユニフォームを着ていると思いました。それは、自分たちはバオバオの
木を守る一員と言う誇りを彼らに与え、更に自分たちの生活と地域の在り方を見つめ直す契機を与えているのだと言う強い
思いを与えていると強く感じました。人々は裸足ですが、道にゴミは落ちていませんし、観光客に媚びを売って、
土産物販売の執拗さはありません。年端も行かない2,3歳の子どもが可愛く踊って駄賃を求めました。
あまりしつこく観光客に迫って母親が「だめ」としつけるほほえましい風景に私は嬉しくなりました。
 
確かに、バスが止まると「ワンダラー」の掛け声で土産物売りとトカゲやバオバブの実を持った子供たちが寄ってきます。
子どもたちは、それを写真を撮らせてお金をせびります。「かわいい」、「可哀そう」、と同情したら、寄ってきて囲まれてしまい
ます。ここは、じっと耐えて我慢するほかありません。しかし、かつてのエジプトやカンボジアの子どもたちのように
「マニ、マニ」と囲まれて身動きできないなんてことはありません。道路はでこぼこで穴だらけですが、ごみは散乱していません。
集落では、若者たちのストリートパフォーマンス、子どもたちも大喜びで観光客にも大人気でした。
彼らを見つめるポリス達の穏やかな表情は、このコミュニティの未来の明るさを表していると思いました。
 
お土産品も手作りです。
 
 
 
ライトアップ用のライト               マイルストーン
 
 
落書きで痛めつけられた木々
 
メインは、日の入りのバオバブ街道。でも、日の入りは1時間半以上先でしょう。ただひたすら時が経つのを待ちます。
観光スポットは他にはありませんし、暑いです。残念ながら日の入り時は雲が出て夕焼けはありませんでした。
それでも待った甲斐が少しはあり、バオバブの木々のシルエットを見ることができました。涼しくなると、
蚊なども動き出すと言うので防虫ネットをかぶったり、薬を塗ったり、観光客はまさに「異様」な姿です。
19時過ぎでしょうか。

悪路をホテルに向かいました。私たちの宿は、ムルンダヴァで一番の高級ホテルと言われる海岸近くにある
パリサンドル・コット・ウエスト・リゾート&スパ、2年前の資料で1パックおよそ130ユーロほどのようです。
私たち以外に客はいませんでした。大きなプールが二つもありますが、夜は蚊や虫の心配もありますが、
それ以上にまずは夕食、そして疲れているので汗を流したいです。夕飯は、ビュッフェ式で豪華ではありません
でしたが、疲れていたので、食べ過ぎないためには良かったです。私は、3米ドルのグラスビールを頼みました。
部屋が割り振られましたが、私はダブルベッドとシングル2段ベッドの家族部屋に一人でした。おそらく他に
客がいないこと、ツインが少ないのかもしれません。翌日のホテル出発が7:15、朝食が6時からですからゆっくりは
できません。レストランで無料WiFiが使えるようですが、PCを持ってこなかったのは正解でした。シャワーは
お湯が出ませんでしたが、暑いので大丈夫でした。ベッドには蚊帳があり、エアコンで部屋がキンキンに冷えていました。
冷蔵庫、湯沸かしポット、バスローブもありました。ウエイクアップコールの案内がありましたが予約できませんでした。
船でも、おおむね早朝に便意で目が覚めるので案じてはいませんでした。予想通り5時に便意で目が覚めました。
エアコンが冷えすぎたり暑すぎたり、仕方なく30度の設定、ジャージのズボンに腹巻にしました。事前説明では、
マラリア対策が過剰気味に流され、私もそれに従って虫よけスプレー、虫よけシール、そして顔面は虫よけネット
という怪しい装いでした。蚊は見ませんでした。これだけ暑いと蚊だって活動出来ないのではないでしょうか。
 
 
 
 
 
 
この地で一番豪華なホテルといううたい文句に気が緩んだのではないのですが、帰船後激しい下痢に悩まされました。
旅行者下痢症と言われるもので、主な原因は感染性病原菌と言われています。これについては、後で触れます。
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19日 土
朝食は、コンチネンタルブレックファースト、売りは卵料理を好みに調理してくれることです。私は、生野菜、
カットフルーツは止めました。一流ホテルですから問題はないと思いましたが、万一を考えたからです。
スクランブルエッグ、チーズ、ハム、クロワッサン、カフェオレ、ライス入り味噌汁だけにしました。
ここでも、マナーの良くない日本人が数名、料理の説明が書いてない、段取りが悪いなど不満を大声で。
私は、少し早くいただいて、荷物の再整理と洗面・排便などをゆっくりしました。
空港へはかなりスムーズに早く着きました。帰りのセキュリティチェックは、時計やバンドを外して完璧な準備を
したのにボディチェックも金属探知機チェックもなしの簡単さで拍子抜けでした。
 
来た時と同じスタッフのチャーター機でした。早めに機上出来たのでシングル席に座ることができました。
8:40頃離陸しました。1時間10分ほどの飛行です。陸上を飛ぶので景色が楽しめました。細いですがいくつかの川が
蛇行して流れ、また高くではないですが緑に包まれそれほど険しくはない山々も連なっていました。
 
 
 
 
海岸に近づくと水田や湿地帯が広がっていました。当初の予定では、Iグループは10分後のフライトと言うことの予定でした。
合流し、バスに分乗・同乗する予定でしたが、発着が遅れたようで、私たちJグループだけで港に戻ることになりました。
何人か調子を崩した人もいて、長時間この場で待機は良くないと幹部と相談・判断したようです。これは大正解でした。
バスはゆったりで気分爽快でした。
 
 
車窓は、穏やかな景色が続きました。
エホアラ港は、港内歩行禁止、ターミナルもありません。港の外に広い駐車場があって、そこから船までシャトルバスが
運行されています。そこに土産物店が並んでいるのですが、フルーツはありませんでしたので、私は直ぐバスで船に
戻りました。
 
 
部屋で、荷物を整理し、シャワーをしました。洗濯はしないでクリーニングに出すことにしました。
ズボン、ベストは汗でびっしょりでしたから。その後は何をするということもなくのんびり過ごしました。
さて、バオバブを取り巻く環境は良くないそうです。ガイドが言うには、地球環境の影響か、雨季の雨量の減少と
乾季の乾燥の悪条件はバオバブを痛め、さらに動物の減少がバオバブの実が広がることを阻害しているとのことです。
かつて豊穣や安産を願う人々の信仰の対象だった、有名だった絡み合う「愛し合うバオバブ」も倒れてしまったそうです。
また、心無い観光客の落書きがバオバブを痛めつけ、痛々しいです。
途中、中国が簡単な運動場を援助建設していました。また、韓国のキリスト教団体が設立した小学校もありました。
エホアラ港は、日本の企業がチタン鉱石採掘および積出しの拠点として2009年7月に完成させました。
ところで、ピースボートに乗船している人々はもう少し上質かと思っていたのですが、実際はそうではありませんでした。
肌の黒い人が路上で大勢でたむろして座っていると不気味だわ、と人種差別の発言や、何と段取りが悪いのか、もっと
テキパキ仕事をすればいいのに、などの声を多く耳にしたからです。自分たちの狭い価値観からの上目線です。
この暑さの中、一分一秒を争って頑張るのはいかに暑さに慣れている彼らとてしんどいはずです。
スペイン、イタリアなどではシエスタがあり、カンボジアなどでもアンコールワットの観光ツアーでホテルに帰っての
昼寝時間があるのですから…。
この地も昔から熱帯性果樹などの恵みはとても豊であくせくしなくても生活を享受出来てきたと思います。
私は、環境保護団体のユニフォームを誇らしげに着ている人々とここの住民の微笑みに喜びを覚えました。

しかし、教育・子育て、飲み水、電気などの生活・社会インフラの整備、そして観光インフラへの先進諸国の支援は急がれています。
17:00出航
 
 
                         Kevin先生ビール売り
 
12/26~1/17のカード明細書が届きました。計:22451円、宅急便代11200円、お菓子1240円、ランドリー3回1050円、
その他ワイン20杯など9960円でした。     【終わり】





第100回ピースボート船旅⑤/レユニオン島

2019年04月14日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

ムーンランドスケープ
16日 水
ツアー出発が7:15と早いので、5時半に起きて、6時に朝食。ツアー名は『世界遺産の火山・ピトン・ドゥ・ラ・フルネーズへ』

レユニオン港は、港内は徒歩が禁止されています。特に、私たちのツアーで行くル・ヴォルカノは11時頃から霧が発生しやすく、
また現在は雨季なので曇りや雨が降りやすいことなどから特に早い出発が必要のようです。
ツアーの場合は、舷門を出ると待機しているツアーバスにすぐ乗ることが出来ます。みなさん、良い席を取ろうと駆け足。
私は、結局最後尾で2号車の一番後ろの席でした。
 
レユニオン島はフランス領、リサイクごみの取集・リサイクルは本国並みだそうです。
 
1時間半ほど走って、ブルグ・ムラと呼ばれる所にある昼食場所のレストランでトイレ休憩。
ネ・ド・ブフ(牛の鼻の意味だとか)展望台、レユニオン島最高峰の(3071m)やランパー川が作った峡谷が一望できる所です。
 
 
レユニオンドスケープ                2016年9月に噴火した活火山・ピトン・ド・フレネーズ山(261m)
 
 
振り返ると
 
レオ火口(2077m)などが一望できるムーンランドスケープです。
 
アメリカの月着陸の写真は、この地の映像をもとにでっち上げられたという噂があります。私はことの真実は知りません。
ここには、雨が流れたと思われるたくさんの筋とそこに花々がひっそりと咲いていました。
 
最後のビューポイントは、パ・ドゥ・ベルコンブ展望台です。
 
ここからカルデラ内さらに下るとレオ火口まで歩くことができるようですが、このツアーでは危険もあるし時間もかかる
のでできません。ここには駐車場があって、山小屋風のカフェとトイレがあります。トイレは水が流れませんでした。
 
 
昼食場所に向かい始めると霧のような雲があっと言う間に湧いて来ました。
 
ブルグ・ムラのレストランに戻りランチタイム、ラム酒のカクテル各自とワイン一瓶(6人)と水がつきました。
カクテルはなめましたが、ワインはランチなので飲みませんでした。
椰子の芽が入ったグラタンと白身魚のカレー煮とチキンのカレー煮と蜂蜜が入った細かいフルーツのデザートと
ミニサイズのコーヒーでした。約1時間とのんびりです。 
          
 
軒先の「ギザギザ模様」は、現地特有の飾りです。その後、その隣にある火山博物館、入場料5.4ユーロ、でも1時間15分は長過ぎです。
 
 
有名な火山写真家の写真              小さな子ども達が遠足でしょうか、たくさん来ていました。
 
話しかけると英語は分からないようですが、笑い顔が帰って来て楽し気でした。
 
バスで船に戻りました。帰りは下りで早く1時間20分位でした。 町中の所々に小さな峡谷風の裂け目があります。
 
また、ほとんど水は流れていません出したが、かなり広い河川敷を持つ川もありました。
 
出港は少し遅れて19:10でした。1時間時差調整。 夕焼け雲がきれいでした。
 
 
レユニオン島観光は、かなり雄大な火山でしたが、私が撮った映像はいまいちでその迫力は伝わらないようです。
しかし、冒頭の写真の風景はとても雄大でした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
17日 木
9:00避難訓練 緊迫感皆無、段取り悪く、全員の出席確認に45分ほどかかる有様、実際の事故では火事は広がり、
救命艇に乗る前に船は沈没してしまうのではないでしょうか。救命胴衣を持ってマスターステーションに集合し、
それを身につけ、IDカードで出席を確認するだけ、クルーが防火扉の一斉閉鎖が作動するかだけの訓練は義務づ
けられているからしているという感じです。救命艇に乗り組む訓練は絶対必要です。

明日は、マダガスカルのエアホラに入港、私は『バオバブ街道のムルンヴァ2日間』のツアーに参加します。
ホテルは、ムルンダヴァで一番高級なホテル=パリサンドレ・コット・ウェスト・リゾ-トスパでWiFiは無料
だそうですが、バスと道路事情が良くないのでPCは残念ながら持って行きません。大型バスや道路舗装などの
観光インフラはまだまだ未成熟だそうです。      【終わり】

第100回ピースボート船旅④/モーリシャス(ポートルイス)編

2019年04月12日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

グラン・バッサン[モーリシャスのヒンドゥー教徒の聖なる湖]

6日 日曜

GETグループと担任・Robbieに決まりました。
シンガポールから新たな乗船者があったので、ディナーにグラスワインが付きました。深夜、1時間の戻りの時差調整
7日 月
グループGETが始まりました。8:50~9:50 
GETウエルカムパーティ。20:15~22:30、子供じみたゲームは辟易です。
8日 火
今日は日の出と日の入りを楽しめました。その他特別なことはなし。 深夜1時間戻し
 
9日 水
体は正直で6時前に便意で目が覚めました。ジムで上半身のウエイトトレーニングをしているところに、
ハウスキーパー等を束ねる幹部が来たので、劣悪なジムの環境の改善を怒りを込めて訴えました。
ジムは家庭用エアコンが1台あるだけなので、気温は30度以上、入り口のドアを開けるほうが涼しいのですが、
手を挟む危険性があるのでダメだと言います。ロープなどで固定すればその危険も防げるのにです。数分後に
メンテナンスの職員が来てチェックしていましたが、何の改善にもなりませんでした。
14:50~15:50TarGET説明会
10日 木
特別なことはない。 14:00~14:40プライベートGET 
ジムのエアコンをなにやら修理していたが効き目無し、甲板を狭間事務局長が歩いていたのでジムのエアコンについて
苦情を言うと、「レセプションに言ってくれ」だと、「私の事務所はいつもオープンしているので何かあったら言って欲しい」と
先日胸を張って豪語していたのに。相変わらず口先だけでした。
夕飯は、ストレッチ&気功の台湾人先生・揚文斌さん夫妻と日本に留学したことのある日本語ぺらぺらの台湾人青年・
陳皆助さんと一緒でした。とても楽しい人々で楽しい夕食でした。日本語、台湾語、英語そして陳さんは通訳でした。
彼は、この船に乗っている台湾人で一番若い男性だそうです。
11日 金
午前9:30時、海賊対策の訓練、サイレンが鳴ったら、自室に戻り、ドアに鍵を掛け、窓のカーテンを閉めるだけ。
今日も夕焼けは雲でみられませんでした。
12日 土
運動会のためほとんどの行事なし。私はオープニングだけ見て帰りました。今日は特別に暑かったです。

この暑さの中運動会とは信じられません。熱中症の人が出なかったのが全く不思議です。
午後は少し読書とプールに入って体を冷やしました。海水プールでした。船がかなり揺れるので水に浸かっている
だけでも体が左右に揺れます。夜、運動会打ち上げのイベントがありましたが、私は参加しませんでした。
夜、飲み水をもらいに行くと4人の女性がゲームをしていました。
 
マレーシアのゲームだそうで、麻雀とトランプゲームの一種が混合したようなゲームでした。深夜1時間の時差調整。
13日 日
11:30~12:00腹筋100回の筋トレを試しました。虹が見えました。

14日 月 成人の日 成人の日の特別なイベントは特にありませんでした。
10:10~11:10ポ゚ートエリザベス発OT(オーバーランドツアー)準備会、11:10~12:10ケープタウン発OT準備会、
15:00からパスポート受け取り、日の入りは雲で見られませんでした。
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1月15日 モーリシャス
 


ポートルイス港
 
7時ポートルイス入港、7:45入国対面審査、至極形式的で簡単、しかし1000名ともなると大変な時間がかかります。
8:30ツアー集合、9時出発、
9:30シャトー・レ・ゾビ、フランス人の屋敷跡
 
超豪華というわけではありませんが、やはり広く、彼らの収奪ぶりが窺えます。
ラム酒試飲、もちろん私は飲みませんでした。
 


グラン・バッサン、ヒンドゥー教徒の聖なる湖と言われます。ガンジス川の水を少し運んで来たそうです。
湖に向かってお供え物を捧げたり、足を水につけて体を清めたりするそうです。寺院があり、中には入ることが出来ます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
近くのレストランで食事、ちょっと豪華でした。お酒は飲みませんでした。バスでポートルイスに戻りました。

関帝廟=チャイニーズ・パゴダ 南半球・モーリシャスで一番古いパゴダだそうです。
 
 
 
 
 
 
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アプラヴァシ・ガード、世界遺産

アプラヴァシとは労働者、ガードは門という意味で、苦役・重労働を余儀なくされた移民労働者が劣悪な環境で
生活した居住区、保存状態が余り良くないですが、その一部が博物館となっています。アメリカの奴隷達が解放
宣言によって、本国に大量に帰国したため、それを埋めるように、インド、ミャンマー、バングラディシュ人達が
大量に移ってきたそうです。ほとんど奴隷扱いだった過酷な環境に涙し、同時にこうして富を得た人々と国々に
怒りを覚えました。
 
 
 
  
  
 
 
                         かつて移民労働者たちが上陸しただろう港
 
以上の施設は、観光資源としてのボリュームが余りないので、計画時間よりだいぶ早く観光が終わってしまいました。
ショッピングセンターで1時間以上も時間をつぶすという無策でした。これなら、グラン・バッサンでシヴァの巨像などに
十分立ち寄ることができるのですが、多くの人はこのショッピングが何より好きなようで…。
ポートルイス港
 
 
 
私は、クルー達へのお土産にフルーツを買いたく、スーパーマーケットの場所を聞いたのですが、たどり着けず、
小スーパーでオレンジ1kgとリンゴ6箇、133.64モーリシャスルピー(約430円、カード支払い)と安かったです。
18:00モーリシャス出港。
 
 
スタッフがビール販売

モーリシャス共和国、日本人にはなじみがないですが、イギリス連邦加盟国、イギリスはここを植民地にしてインド洋に
にらみを効かしていたわけです。また、インド洋中央のディエゴガルシア島もイギリスが宗主国ですが、現在は島全体が
アメリカに貸与されており、アメリカ軍最大の軍事要衝です。湾岸戦争やアフガニスタン攻撃、イラク戦争の際に、爆撃機などが
ここから出撃しました。イギリス、アメリカ、フランスはジブラルタル、沖縄、グアム、プエルトリコ、フランス領ポリネシアなど
世界の各所に軍事的拠点を置いています。      【終わり】


第100回ピースボート船旅③/シンガポール

2019年04月11日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

マリーナ・ベイ・サンズ・スカイパーク
12月5日 シンガポール
8:00入港 9:10着岸 9:30頃には上陸許可が下りました。
 
  
 
 
私のツアー集合時間は、なんと12:30。私は「シンガポール三大人気スポットめぐり」のツアーを選びました。
船からターミナルまで300mあります。イミグレーションは対面審査で、指紋登録が必要なので45分ほどかかりました。
ツアー参加者は130人ほどで4台のバスでゆったりでした。やはり暑いです。扇子を持ってくるのを忘れました。
暑いので荷物は水筒、帽子、傘、ワイシャツなど最小限にしました。
戦争慰霊塔                    レインツリー
 
旧最高裁判所・現在美術館             ドリアンイメージのコンサート会場
 
 
 
 
 
 
マリーナ・ベイ・サンズ・スカイパーク展望台(50s$)からの眺望、56階まであっという間です。
 
 
F1レース会場
 
ビクトリアシアター
 
 
屋上にあるプールは、ホテル滞在者しか入場できません。ですからそこの入り口は厳重な警備です。
上まで行く人は、赤いチケットを自慢気に見せていました。ここから、市内を眺望できます。
高層マンションが林立しています。金融オフィス街は当たりを見下す↙
かのようにバブリーに林立しています。 右は、旧最高裁判所・現在美術館
 
へリックス・ブリッジ                エスプラネードブリッジ
 
ストリートサーキット               ドリアンイメージコンサート会場                     
 
 
マリーナ・ベイ・サンズ・スカイパークの1階部分
 
 
                         スイーツ店
  
大噴水                      丸いヒョウタンの実の木
 
暑いのでアイスクリームをセブンイレブンで買いました。3s$、カード払い
スカイウエイ(8s$)のエレベーターが長蛇の列で45分ほど待ちました。 クラウド・フォレスト
  
 
帰りは階段で降りました。120段でした。
 
 
ガーデンズ・バイ・ベイ  フラワードーム、クラウド・フォレスト28s$ s$≒80円
この二つは、ドーム状にガラスで覆われた巨大な建物です。サボテンや花々を見ると温室と思われますが、低温室です。
花や木々だけでなく、動物や想像上の動物や人間の様々な彫刻や造形物がとてもリアルに時にはユーモア・ユニークな
ものがたくさん花々の間に展示されています。とてもおもしろいのですが、それらも写真に収めたら大変な量になるので
撮りませんでした。土曜日と言うこともあってでしょうか大変な混みようでした。マホを使ってのポーズを取っての自撮
りや大げさなポーズの撮影をしての撮りっこが生半可ではありません。特に中国人は派手です。
 
フラワードーム
 
 
 
  
 
 
   
 
 
 
 
 
 
 
 



この植物園は、花々の多さと美しさだけでなく展示にもとても工夫されていてとても見ごたえがありました。
マレー鉄道駅(バスから)
 
夕食は、中国料理レストランでした。スーパーの上にある一流レストランとは言えない大衆的食堂でした。
ここで奇妙というより異様な現象、WiFiが無料で使えるというので食事を楽しむどころか、ほとんどがスマホに夢中、
会話などほとんどありませんでした。あぁ、これが現代のほとんどスマホリックの現状なのかと思いました。
スマホを持たない私は、10米$約1120円のワインを、帰るだけなので飲みました。帰船は夜7時40分頃でした。
部屋でシャワーの後、ホットウイスキーを少し飲み、アキュローラーで足をマッサージ、足のストレッチをして、甲板に出ると、
シンガポールの夜景は廈門ほどのけばけばしさはありませんでした。

シンガポールは20年30年先の必至の超高齢社会に備えて、観光インフラの整備・準備、投資に余念が無いそうです。
事実、市内あちこちで道路工事や再開発の工事が行われていました。
シンガポールの5Cとは、キャッシュ・コンドミニマム・車・キャリア・カード、だそうです。ジャランはマレー語で散歩だそうで、
日本のじゃらん・じゃらんの由来だそうです。セントーサ島は平和と言う意味だそうです。
私は、シンガポールは何回か訪れています。特に11年前の63回ピースボートでは船の故障でシンガポールに1週間も滞在しました。
その時の私のブログは、第63回ピースボート・地球一周の船旅4・シンガポール編 です。
その時には、マリーナ・ベイ・サンズもフラワードーム、クラウド・フォレストもありませんでした。
シンガポールはやはり熱帯、初めて本格的暑さでした。歩数は1万2千歩ほど、扇子を日本に忘れたのは痛いです。
ネッククーラーは役立ちます。このツアーの添乗員は吉田真林さん、24才と若いが102回クルーズディレクターを務めるそうです。
テキパキして回転が良かったです。現地ガイドのJackさんは、ダジャレの好きな面白い人でした。昔、会ったような気がします。
【終わり】

第100回ピースボート船旅②/アモイ・福建土楼、そして正月 

2019年04月10日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ

土楼 
12月31日
早朝、厦門港に着岸、岸壁で歓迎のパフォーマンスが行われていました。
 
厦門港の様子、想像していたよりはるかに大きく、中国の力強さを感じました。
 
 
 
 
8:10ツアー集合、160人ととても多い、4台のバスです。
中国は対面での個人入国審査が必要です。私は坊主頭にしたので職員が上司を呼んで慎重でした。
荷物検査は2回ありましたが事務的・形式的なものでした。9:10ツアー出発、サポートスタッフは、西野さん、
アシスタント・通訳が菅野さんでした。        男性小便器
 
長蛇の両替所
 

10:30ホテルでトイレ休憩、トイレ数が少ないので25分もかかりました。
12:05ホテルレストランで昼食、一席8人で料理の品数は多かったです。客家の田舎料理だそうですが、
鶏肉、豚肉、牛肉、野菜をたっぷり使い、シンプルで素朴な味付けでした。二種類のスープとたっぷりのライス、
1テーブルに席にビール3本、コーラ1瓶、ウーロン茶付きでした。妻から「安全を考えて、昼間はお酒を飲まないで」と
言われて来ているので飲みませんでした。ツアーでは無料のビールやワインがが出ることが多かったのですが、
私は妻の正しい言いつけをほとんど守り、飲みませんでした。これは大成功でした。ホテルの夕食では飲みましたが。
  
  
 
1:10出発でちょっとあわただしい食事でした。トイレ数がやはり少ないです。
ハウスキーパーたちへのお土産に干し柿とバナナのお土産(30元、480円ほど)を買いました。
中国元は以前中国を訪れたときの残りが80元ほど残っていました。
福建土楼

1:50福建土楼着、厦門港から50km以上、遠いです。中国人ガイドのキョさんのガイドで見学。
途中の道は多くがバナナ農園でした。こんなに寒いのにバナナが育つのですね。
路上では、名も知らぬたくさんの南国果物が売られていました。

中国では今日から3日間正月休みというので道路は渋滞、大混雑です。
 
 
                          僑福楼
 
煙草で財を築いた承啓楼を見学しました。敷地面積は、5376㎡、高さ16.4m、、直径73m、外壁の円周229mあり、
最も大きい土楼だそうです。1階は台所、2階は倉庫、3・4階は居間と寝室からなり、多いときは80余戸、
600人以上の人が暮らしていたそうです。煙草で財をなした江氏一族が18世紀初頭に建設されたそうです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
                         炊事場
 
 
 
 
トイレ
 
 
台所、洗濯場などは狭いですが、手入れが行き届き、生活感が漂います。祖先を祭る祭壇もあります。
 
売り物の煙草を紙に巻いているところ
 
                         土楼の近くの民家
 
消防隊                      全景のわかる写真
 
福建土楼とは、黄河の中原に暮らしていた一族・客家(はっか)が戦乱を避けるために南下し、山奥の辺鄙なところに自然災害や
強盗や動物から身を守るために四方・円形に土壁で砦の様に作った集合住宅で、劣等地のため貧農も多く海外への移民も多い
そうです。土楼は、通常は外部立ち入りが禁止されていますが、長方形か円形をしており、厚い土壁と木の骨格から成り、高さは
3階か5階、80家族以上が生活しています。通常1つの入口しか持たず、建物の最上階には、盗賊を防ぐため狭間が空けてあります。
広東省の張家界・武陵源も客家が住み着いたところともいわれています。
『張家界・武陵源』についての私のブログは、家界・武陵源1張家界・武陵源2 です。
土楼にいた時間は1時間ちょっと、厦門から遠いので一日のツアーでは仕方ありません。
私は、ここをどうしても訪れたかったのでわずかな時間でしたが十分に堪能しました。
大晦日・新年の休暇に入っていたため多く中国人、外国人観光客で大変な混雑でした。集合に遅れた人がいて3:20の出発と
なりました。19:00ターミナル帰還、帰船リミットは19:30でしたので添乗員は焦ったでしょう。荷物を置いてすぐ夕食、
21:10廈門出航でした。廈門港は、電飾をこれでもかこれでもかとライトアップ。高層ビルはその豪華さをまるで競っている
ようで、中国経済の力強さより、過剰なバブルだと感じました。
 
  
  
  
 
廈門は最高気温15度、最低気温11度曇天で寒かったです。私は股式をはき、冬のジャンパーを着ました。
私は、前回のピースボートで武稜源に行ったときの約70元ほどが残っていました。
23:30から新年のカウントパーティがあるそうですが私はパスし、11時頃寝ました。
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2019年1月1日
6:30頃目が覚めました。朝食は普通メニューでした。鏡開きの時間、会場が2転3転しました。
内容は、退屈この上ないものでした。和太鼓の演奏、日舞その後はつまらない挨拶の連続、最後に鏡開きが行われましたが、
お酒はなんと有料、しかも升も有料、何とも貧弱です。前回は餅つきも行われ、無料で振る舞われたというのに…。
このセレモニーのためにわざわざ着物を持って来て着飾る、ピースボート幹部達、オイオイって感じです。
話の内容は、親が買ってくれたと言う自慢の話の連続ですから…。一般の乗船者の中にも晴れ着を着飾る人が結構いて、
オイオイここは「アスカ」じゃないぜ、ピースボートだぜと私は言いたくなります。
 
                         右から鎌田慧さんと東ちづるさん、平服が良いですね。
 
 
11時から東ちづるさん主催の「平成まぜこぜ一座・月夜のからくりハウス」の上映会に行きました。
2時間のパフォーマンスを1時間にした一種の宣伝用ビデオですが、とても良かったです。
NHKのテレビ放送・バリバラはちょっと説教過ぎますが、このパフォーマンスは立派な大衆芸能でありながら、
衝撃的に障害者の自己主張が全面に出ています。東さんの活動は以前から少し知っていましたが、彼女の新しい
素敵な一面を発見しとても良かったです。でも、このビデオの上映中ほとんど笑い声や拍手が無いのには、
あぁ世の中の常識をすごく反映しているなと思いました。彼らの存在をありのまま認めるだけでなく、
そのパフォーマンスが社会的にお笑いを取ることの出来る一流の芸なのですから、
おもしろければ声を上げて笑えばいいと思います。それこそ彼らが求めているものだと私は思います。
昔、テレビドラマの「同情するなら金をくれ」が大流行しましたが、まさに「同情は要らない、笑いをくれ」
だと思うのですが…。
しかし、「バリアだらけのこの船」に触れない東さんのお話も不満が残ります。
夕飯は、豪華なお節料理でした。新年なので赤・白ワインを飲みました。香港の王炳泰さんと同席となりました。
彼は広東語しか話さないそうですが、とても穏やかながら教養のある人で、私の名前の読み方、新年おめでとう
を隷書体でかいてくれました。ウエイトレスがホンジュラスの女性で、スペイン語を少し教えてもらいました。

1月2日
夜中、暑くて目が覚めました。23度になっていました。
10:20~11:00、GETプライベートコース説明会がありました。これは、グループレッスンとは別のもので、
先生とマンツーマンで40分20回のコース(8万円)です。私は、英語学習に付いて特別な思い入れはありませんが、
船内生活でつまらない講座や体験カルチャーに出るよりよほど良いと思ったからです。
12:50からGETグループコースのクラス分け面談がありました。相手教師はNZのEmily-Rose、所々分からない
ところもありましたが、質問にはかなりスムーズに答えることが出来ました。前回アドバンスドクラスで苦労したので、
そのクラスはさけて欲しいと要望しました。
海鳥が船の回りを飛んでいるのでおそらくベトナム沖当たりで陸も近いようです。このクルーズで初めて日が射しました。
30分ほどでまた曇天となってしまいましたが…。船の揺れもだいぶ少なくなり、甲板に出ることが可能になりました。
昨夜暑かったので、ベッドカバーを使わない方が良いので、シングルの毛布を頼みました。
21:00~22:00GETの「英語でおしゃべり」がありました。まるで子ども扱いで退屈でした。
パンフレット「阿倍一強政治の”終焉”-民主主義と社会保障のこれから」を読みました。

3日
全く久しぶりに太陽が顔を出しました。気温はどんどん上昇し、29度だとか。ホーチミン市の緯度当たりだそうです。
4日
9:40~10:20筋トレの催しに参加、筋トレと言うよりストレッチと体幹体操、工夫されていて良い内容でした。
明日は、シンガポール。シンガポールは入国対面審査と入出国カードの提出、パスポートの携帯が義務づけられているので、
パスポートと入出国カードの事前渡しがありました。
14:00~14:40GETプライベートレッスンがありました。担当は、アメリカコロラド州出身の、Kevin Sugiyamaさん。
私は、家族の写真や蕨市の地図などをPCに入れてきたのでそれを使って自己紹介をしました。
シンガポールで下船する鎌田さんと前田哲夫さんが、昼過ぎ、ワインを飲んでいたので、「お別れの挨拶」をしました。【終わり】