風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

スペインの旅、最終日

2011年06月05日 | 海外旅行
6月6日、いよいよ最終日、でも時間がないので、簡単に。
9時半にマドリッドを立ち、1時にバルセロナに着いた。
バルセロナ美術館は第一日曜日はフリーだというので出かけたが、2時半で閉館、間に合わなかった。


海岸の、オリンピック村に向かった。


最後に、サグラダファミリアを再訪した。


スペイン最終日、夕食後カタルーニャ広場などのゆっくり散策を楽しんだのだが、荷物の整理や、
明日が早いこと、インターネット事情が悪く部屋ではできないなどの事情で、書きたいことは色々あるのだが、
今日はこれで終わり。
書きたいこと、感想は山ほどあります。帰国して、ゆっくり書きましょう。

スペインの旅、アルカラ・デ・エナーレス

2011年06月03日 | 海外旅行
6月3日・金 
マドリード予備日で、ちょっとマイナー気味だがアルカラ・デ・エナーレスという町を訪れた。
ここへは、電車の切符も予約も必要ないローカル線なので、とても気分は楽だ。
マドリッドの鉄道"renfe"は、日本の新幹線のような特急路線と近郊ローカルがあり、
特急路線は、改札の時、空港と同じようなセキュリティ検査があり、有人の改札口で入念な切符の改札を受ける。
一方、ローカル路線はすべて自動改札で、しかも料金がほとんどメトロ並み、アルカラ・デ・エナーレスまで、2.65ユーロであった。
10:30にアトーチャ駅を発ち、アルカラ・デ・エナーレスに着いたのは、35分後であった。
この町は、ドンキホーテの作者セルバンテスが生まれた町であるとともに、
1499年に設立された大学・アルカラ大学の町とも言われ、
他の観光地や大都市と違い、観光客も少なく、通りを歩く人もゆっくり、静かで、
とても落ち着いて、穏やかな感じがした。
通りの案内板を頼りに、町の中心地・セルバンテス広場のインフォを目指した。
インフォの女性は、トレドのインフォ職員と同様とてもてきぱきとわかりやすい説明だった。
セルバンテス広場


セルバンティス生家(左)[中に入れるのわからず、後に再訪]、その隣の彼の父親が勤めていたアンテサナ病院(右)



コウノトリの街と言えるようで、見上げるとあちこちにコウノトリが巣を作っていた。
 

BARに入って、辞書片手にカフェオレを注文したのだが、店員もゆっくり聞いてくれた。
日本のラーメン店で、客がナプキンをカウンターに放置したのはマナー違反だと老人が怒って、新聞に投書し、論争していたが、
スペインのBARなどでは、ナプキンを足下に捨てて行くのもマナーらしい。

「どうだ、これだけ多くの客が来ているんだぞ、ってことらしい」 
さてさて、文化は色々であるようだ。
ソウルの大衆食堂でも同様であった。
そこでは、トイレットペーパーがロールのまま置いてあり、客はナプキンとして使用し、床に捨てる。
それは決してマナー違反ではない。
日本のラーメン店でナプキンを捨てた女性は、ヨーロッパ人か韓国人だったのかもしれませんね。

スペインの旅、トレド2

2011年06月02日 | 海外旅行
6月2日、昨日と同じ電車でトレドに向かう。
二日目となると余裕で、最後に電車を降り、ゆっくり歩いて旧市街地に向かった。
歩いて10分足らずで、アルカンタラ橋に着く。
門を潜ると旧市街地=城壁の中だ。
ここからかなり急勾配の坂を上るか、もっと急な階段を上るかすると、中心地ソコトベール広場に着く。
ソコトレンというミニ観光バスが市内を一周し、昨日の絶景ポイントまで行くので、午後3時のチケットを購入した。


ここから道に迷ってしまった。
エル・グレコ美術館ともいえるサント・トメ教会を私が混同したことにあるのだが、
とにかくガイドブックもマップもとてもわかりにくいのだ。
迷いに迷いサン・フアン・デ・ロス・レイエス教会のチケット売り場で、この場所を聞いて確認し、やっと自分のいる地点がわかったと言う次第。



サンタ・マリア・ラ・ブランカ教会


トランシト教会


エル・グレコ生家


サント・トメ教会[いわばエル・グレコ美術館]


カテドラル


ソコトレンで市内を一周した後、サンマクロスカルチャーセンターを見、
その後ゆっくりトレド駅まで歩いた。
今日は、日本人のツアーにいくつかあった。

スペインの旅、トレド1

2011年06月01日 | 海外旅行
6月1日、10時20分発の特急でトレドに向かった。
トレドは、二日間取ったので気分的にすごく楽だ。
マドリッドからノンストップ、30分であっという間に着いた。
車両は6両くらいだったか、ほぼ満席だった。
駅の中に、インフォがあり、カウンターに着くや、マップをくれ、きわめて手短にわかりやすく説明してくれた。
行きは、旧市街地中心地まで、0.95ユーロのバスで行ったが、帰りは歩いた。
歩いも15分ほどなので歩いた方がいい。

さて、今日の目標は、次の写真を撮れる所に行くことだった。
旧市街地が一望できるポイントだ。

このポイントまでは、1時間に1本の7.1バス[これも0.95ユーロ]に乗るのだが、アルカサル前がバス停だという。
場所が分からず、途中で時間待ちしていたバスの運転手に聞いたら、最初のバスで降りた所の目の前だった。
でも、11:45発のバスがあり、15分ほど待つとバスが来た。
運転手に、もらった地図で絶景ポイントらしき“Emita del Vaalle”を示し乗車。
すると、そこに着くと、どうもそこはバス停ではないらしかったのだが、何か声をかけた。
するとバスの乗客の何人もが、私を指さし、「ワイワイ」、ここで降りろと言うことらしいので降りた。
私としては帰りのバスの心配があったが迷わず、降りた。
しばらく歩くと、このポイントに着いた。
アルカサルなどが見えるので、これからは歩くことにした。
おそらく30分はかからず、旧市街地に戻ったと思う。

旧市街に入り、用意していったサンドイッチや果物の弁当を木陰のベンチで食べた。

サンタ・クルス美術館[小さな考古学博物館も併設され、無料]

エル・グレコの絵


この後は、特別の目的場所を決めないで、旧市街の北側をあちこち歩いた。
そしてトレド駅に歩いて向かうことにした。
アルカンタラ橋


天気予報では、トレドは25度・快晴であったが、冷たい風が吹き、長袖ティシャツ2枚でも寒く、
その上から、長袖ワイシャツを着た。
もちろん、歩き出せばワイシャツは脱いだが。
不思議なのは、電車賃だ。
行きは10.60ユーロ、帰りは14.99ユーロ、行きが3分だけ時間が長かっただけなのだがぁ。

スペインの旅、クエンカ

2011年05月31日 | 海外旅行
5月31日、今日はクエンカという町に行った。
断崖に建つ「宙づりの家」を見るのが目的です。
電車賃は、往復60ユーロ位かかりました。
さて、これが高いのか、やすいのか。
カメラにフラッシュメモリーを入れ忘れてしまいました。
内蔵メモリーでどの位とれるのかは初めての経験で分からず、多くの写真は撮れませんでした。
カメラとパソコンをつなぐケーブルは持ってこなかったので、オリジナルの写真は提供できないので、
NHKの写真を引用します。

ご覧のように、決して宙に浮いているわけではありません。

クエンカへの行き方は、バス・ローカル電車・特急(日本の新幹線のような物)があるが、それぞれ一長一短、
でも、切符を買う時は、そんなことは分からず、特急を買いました。
ローカルの駅と、特急の駅は全く違うところにあるのです。
そんなことは分からず、駅を降りると、目の前にバスが止まっているのでそれに乗り、降りた。
そこが、旧市街地の入り口と思って、住民にインフォを聞くが、英語は全く通じない。
でも、聞かれた住民としても困ってしまうのは当然、そこはまだ新市街地なのでした。
旧市街地まではそこから歩いて30分ほどですから、教えたくても教えられないのです。
右往左往しているうちに、あるホテルでインフォを聞き、やっとたどり着き、地図などをもらいました。
そこの彼女の情報提供はまことに完璧で、見所を地図に書き込んでくれました。
2時間もすると観光は終わりました。
でも電車の時間まではだいぶ時間があるので、公園のベンチで昼寝をしました。

道の途中で、鼻血を出している男性がいるので、ティッシュをあげました。
いろいろあった一日でした。
【地球の歩き方の情報提供は、きわめて不十分で、結局役に立たなかった。でも、これもまた「旅」なのかも知れない。】

スペインの旅、マドリッド5

2011年05月30日 | 海外旅行
スペインの旅もいよいよ終わりに近づいた。
今日6月4日は、見落としていたマドリッド市内をのんびりと散策した。
ラス・ベンダス闘牛場


ここからのんびり、日本大使館まで歩いた。


付近を散歩し、ホテルに戻り、ランチを食べ、少し休憩してまた出かけた。

土曜の2時半以降は、国立考古学博物館やソフィア王妃芸術センターが無料なので訪れた。
残念ながら、考古学博物館は工事中でほんのごく一部しか展示されていなかった。


考古学博物館の隣は、コロン広場で、コロンブスのアメリカ大陸発見の「発見の庭」モニュメントがある。




その後、先週の土曜に引き続いて再度ソフィア王妃芸術センターを訪れ、ピカソのゲルニカを見た。
私は、芸術や絵画には全く造詣はないのだが、不思議な迫力を持っています。
早めにホテルの戻り、荷物の整理をした。

スペインの旅、マドリッド4

2011年05月30日 | 海外旅行
5月30日、マドリッド市内中心部の地理にもやっと慣れてきた。
地下鉄の駅間は、短いところだと300m位の所もある。
全ての駅にエスカレーターがあるわけでもなく、階段を上り下りしなければならないし、
出口もいろいろあるので、どの出口を選ぶかはほとんど気分次第。
そんなわけで、ちょっとの距離なら地下鉄に乗らずに歩いた方がいいことが多い。

王宮[相変わらず、チケット売り場が分からずうろうろ]


アルムデーナ大聖堂


その後、王立サン・フェルナンド美術アカデミーや国会議事堂の外観を見、ホテルに戻り昼食と昼寝をした。
その後、アトーチャ駅に行って、明日のクエンカ行きの電車のチケットを買った。
たった一枚のチケットを買うのに50分もかかった。
アトーチャ駅[マドリッドの中央駅、そのほかにも近郊駅(アトーチャ・セルカニア駅)、北駅 (チャルマンティン駅)がある]


レティーロ公園
ガラスの城

アルフォンソ12世のモニュメント


日射しは、強いのだが気温は決して高くない。
朝晩はひんやりし、日中は木陰にはいると涼しく、風が吹くとちょっと寒いくらいだ。
ブーツを履いた女性もいれば、毛皮の上着を着た人もいれば、
おっぱい丸見え、へそ出し、ホットパンツ、そしてレギンスだけの女性もいる。
町中でも、地下鉄の中でもキスは平気、手をつないだ女性同士、男性同士もいる。
一方、多くの人が犬を散歩させているが、ウンチは放置、たばこの吸い殻はポイ捨て、と
何でもありなのだが、これらについては、帰国後改めて書きましょう。

スペインの旅、アビラ・セゴビア観光ツアー

2011年05月29日 | 海外旅行
5月29日、今日は現地フリアトラベル社の『世界遺産/アビラ・セゴビア観光ツアー』に参加した。
アビラ・セゴビアは、マドリッドから約100キロの所にある。
アビラの城壁


セゴビアのローマ水道橋


セゴビアのアルカザル[白雪姫の城のモデルになったとか]

アルカザルからの眺望


セゴビアの名物料理は、子豚の肉料理とかで、ランチ付きを申し込んだ。
料理は、正直あまり美味しくなかった。
コロンビア人夫妻、アメリカ人の老人男性二人と相席となり、少し話した。
このツアー、珍しくフリータイムがなかった。(ランチを申し込まないとその時間はフリーとなるが)

このツアーの目玉は、なんと言ってもアビラの城壁とセゴビアのローマ・水道橋である。
水道橋を間近で見ることができるのはそう多くはないと言う。
とにかく圧巻である。

スペインの旅、マドリッド3

2011年05月28日 | 海外旅行
5月28日、今日は地下鉄を使って、マドリッドを散策した。
午前中は、道を間違えてとんでもないところに行ってしまって苦労した。
スペイン広場でサンドイッチなどのランチを食べ、木陰のベンチで少し昼寝したら涼しくて目が覚めた。
これ以降は、きわめて順調であった。
スペイン広場のドンキ・ホーテとロシナンテの像。


スペイン広場・バックはスペインビル


土曜の2時半以降は、無料のソフィア王妃芸術センターに行った。

ピカソの『ゲルニカ』のあるブロックは写真撮影はできないが、後はほとんどできる。
私は、絵画には全く造詣は無いが、ピカソとダリはひと味違うように感じた。


また、草間弥生は高く評価されているのか、かなり広いスペースが割かれて特別展示されていた。

スペインの旅、マドリッド2

2011年05月27日 | 海外旅行
今日は、朝から天気が良くなかった。
だが、雨が降る時は、ホテルの近くだったのでずぶぬれになることは無かった。

王宮[今日は入らず、外観のみ]

王立劇場に向かう、繁華街・アレナル通り


デスカルサス・レアレス修道院とその日本語の観光案内
 
この付近で、また雨が降りそうなので、ホテルに戻った。
1時間ほどすると、小雨になったのでまた出かけた。
夕方6時から8時の閉館まで、プラド美術館は無料なのです。
おそらく半数以上の外人が雨が降っても、傘を差さずにぬれても平気な人がいるんです。
無料なので、長蛇の列かなと思ったがそうでもなく、5分ほどで入った。
日本語のパンフがないので、聞くと「はい」と言って出してくれた。
館内は、写真撮影は禁止。

これで、夜8時です。
ぶらつきながら、レストランを探した。

スペインの旅、マドリッド1

2011年05月26日 | 海外旅行
コルドバ9:54発、マドリッドには予定より少し遅れて12時15分頃着いた。
メトロの回数券を買って、メトロに乗りアントン・マルティン駅で降りるまでは順調だったが、
調べた地図の路地が少し間違っていて分からなかった。
警官に聞いたのだが、分からず、近くにいた人が「100m位先だよ」と教えてくれた。
ホテルの部屋にはバスタブが着いていないので、バスタブ付きの部屋に変えてほしいと頼んだが、無いとのことだった。
荷物もほどくことなく昼食に出かけた。
BARで昼食を取ったが、パンとイカと野菜のサラダのようなものと水で16.75ユーロだった。
ホテルに戻り、荷物をほどき30分程昼寝をして出かけた。
街角で



マヨール広場


プエルタ・デル・ソル(マドリッド自治政府庁前)広場で行われている『より良い社会へ、15M運動』


マドリッドに入る前、電車からは曇っていたが、マドリッドに入ると良い天気になった。
日射しは相変わらず強いが、気温はコルドバ、セビーリャの夏日ほどではなく助かった。
夕方にはすっかり涼しくなった。


スペインの旅、セビーリャ

2011年05月25日 | 海外旅行
今日は、セビーリャに行った。
スペイン広場


黄金の塔


アルカサル内部


カテドラル


セビーリャもゴルドバも32~34度でとても暑かった。
不思議なのは、カテドラル内部である。
外気は、30度を越える暑さなのだが、カテドラル内部はひんやりしていて、長袖が必要である。
セビーリャもゴルドバも鉄道の駅とセントラル・観光地は1~2キロほど離れている。
タクシーは便利で早いのだが、地方ではメーター制ではない。
決して高くはないのだが、バスだと1.2~1.3ユーロ、タクシーだと7~8ユーロ、
面倒だができるだけバスを使うようにしている。

スペインの旅、ゴルドバ2、メスキータ

2011年05月24日 | 海外旅行
5月24日、ゴルドバの日中は今日も30度を越えて暑かった。
それでも朝は涼しく、毛布を掛けて寝ていた。
乾燥しているせいか、木陰に入り風がさぁーと吹くと涼しい。
洗濯物も室内で半日で乾く。
コルドバのメインは、メスキータ。
入り口はたくさんあるが、一番大きな・免罪の門[ここから中庭までは自由に入れる]、中庭から

メスキータ内の円柱の森

グアダルキビル川を挟んで、メスキータの反対側・カラオーラの塔とローマ橋、奥がメスキータ

10時から1時まで、メスキータ周辺を観光し、ホテルの戻ってクーラーのもとで昼食とシエスタ。
3時から夕方まで、散策した。

スペインの旅、コルドバ

2011年05月23日 | 海外旅行
ロンダを10時過ぎの電車電車に乗り、12時過ぎにコルドバに着いた。
コルドバに着いて驚いた。
コルドバの町・駅が想像していた以上に大きかったことと、気温の高さであった。
これまで日射しは強かったものの気温はおそらく25度前後だったと思う。
朝晩は涼しく、カーディガンが欲しく、日陰のはいるとひんやりした。
ところが、コルドバは一機に夏真っ盛り、おそらく30度は超えているだろう。
タクシーでホテルに向かい、チェックインはできたが、ベッドメイクなどはまだだったし、
昼食も済んでいなかったので、荷物もそのままに散策した。
BARに入り、冷たいミルクとアップルパイなどのランチの後、散策した。
灯火のキリスト広場

左[旗の]部分が議会、右が教会

コルドバのメイン観光地・メスキータ(夕飯を食べ終えて、現地時間夜の9:30である)

天気予報では、明日も暑いようだ。

スペインの旅、ジブラルタル

2011年05月22日 | 海外旅行
5月22日、ジブラルタルに行った。
ジブラルタルは、地中海で一番狭い海峡だ。
ジブラルタルは、イギリスの海外領地で、イギリス軍が駐屯している。
一方、アフリカのチュニジアの町は、スペインが領有している。
そう、実の奇妙な現象というか、ここだけタイムスリップしたかのように、大航海時代・帝国主義時代が残っているような。
スペインとジブラルタルの国境を越えるには、入国審査=パスポートが必要というのだから、イギリスの大国主義と時代錯誤は健在である。
ロックと言われ、この上からイギリスは大砲で威嚇し続けてきた。

ジブラルタルの飛行場の滑走路。

飛行機が飛ぶときは、滑走路を横切る道路は閉鎖される。


今日は、とてもうれしいことがあった。
アルヘシラスのバスターミナルの売店の女性に、ジブラルタルの国境への行き方を聞いた。
彼女、日本語を勉強しているそうで、美しい東京に是非行きたいと言っていた。
私がバスの中で出発を待っていると、彼女走って来て、御礼の絵はがきとお菓子をくれた。
タウリー山の頂上にロープウエイで登ったが、曇っていてアフリカはもちろん地中海すら見ることはできなかった。
ピースボートでは、ロックを海から眺め、
今回は、ロックから地中海を臨もうと思ったのだがそれはできなかった。