風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

千歳船橋・下北沢・代々木八幡・西新宿5丁目駅を歩く

2010年12月29日 | ウォーキング
12月27日、寒いという天気予報ではあったが、ぽつんと離れていたり、見落としていた小田急線沿線のいくつかの外国大使館を訪れた。
日射しがあったせいか、寒くはなかった。


千歳船橋
まず、新宿から小田急線で千歳船橋に向かった。

タンザニア大使館
 
久成院                                 宇山稲荷神社
 
実相寺 本堂                            不動堂・閻魔堂
  
弁財天堂                                     淡島堂
  
千歳船橋駅まで戻り、電車で下北沢駅まで行った。
下北沢

森巌寺                                 アンゴラ大使館
  
                                     真ん中後ろの高く白い建物は大使館ではなく教会です。
下北沢駅まで戻り、電車で代々木八幡駅に行った。
代々木八幡

ラトビア大使館
 
ヨルダン大使館
 
代々木八幡駅に戻り、反対側の線路沿いを歩き、 大日寺
  
たくさんの提灯には般若心経、一つの提灯に一文字書かれています。[再訪]
ブルガリア大使館                             裏門
 
ブラジル大使館
 
青山にあるブラジル大使館が現在のもので、代々木のこちらはおそらく古い大使館ではないかと思うがどうであろう。
青山のブラジル大使館はこちら                   代々木八幡神社
 

再び代々木八幡駅まで戻り、新宿駅に。
初めは京王線の初台に向かおうとしたが、都営地下鉄大江戸線で西新宿5丁目駅に向かうことにした。
都営地下鉄大江戸線を利用するのは初めて。大江戸線はリニアモーターカーで多の地下鉄車両と比べてうんと幅が狭い。
羽田空港のモノレールと同じくらいで、とても狭く感じる。
ソウルの地下鉄は日本の地下鉄と比べると幅広、それと比べると大人と子供の違いという感じである。
大江戸線の他の駅は知らないが、新宿駅はすごく地下深い所にある。
普通の地下鉄の駅のエスカレーターよりも少し深いエレベーターで降りると、二つ目のエレベーターがあった。

これは二つ目のエレベータ。おいおいどこまで降りていくんだよとだんだん恐怖が募って来た。
万一、火災や地震や事故が起きた時ここはどうなるのだろう。
地上への道はごくわずかで、暗闇の中人々が殺到したエレベータは停電で止まり、その長い階段を這いつくばって上るのだろう。
人々が慌てずに行動できるとはとうてい思えない。
緊急の避難経路の標示はあるのだろうが特に目には入らなかった。
一つ目の階を脱してもまだ地上ではないところか、まだ長いエスカレーターがあり、コンコースは更に人々で混雑し、
そこから更に地上への階段がまだあって、しかもそれは決して広くはないのだ。
人は、当然事故や災害が起きるとは思わないで日々生活している。
私は、なるべく大江戸線は使いたくないなと思う。
後発の大江戸線は既存の地下鉄の更に下を走らなければ成らないためにより深くなったのだろう。
かつて警視庁・国会・市ヶ谷自衛隊を地下で結ぶ地下鉄有楽町線はとても深く、それは防空壕だと言われた。
その後できた新御茶ノ水駅のエレベーターの長さに驚いたが、大江戸線新宿駅はそれらとの比ではないし、
ソウルの地下鉄も防空壕になるためとても深いが、ここはもっと深い。
また、大江戸線は他の私鉄と相互乗り入れし、更に都営地下鉄新宿線への道も連なっているのでとてもわかりづらい。
上下線を間違えると、反対の線路に戻るのも一苦労だ。[私は間違えた。]
私は、これが言葉に通じない外国であったらと思うと、この駅・メトロを利用するのは至難の業と思った。
日本に観光できている外人にとってもすこぶる難しいだろう。


大江戸線・西新宿五丁目駅/西新宿

ベリーズ大使館
 
私は、恥ずかしながらベリーズという国を全く知らなかった。
ベリーズ国とは、中央アメリカ北東部・ユカタン半島の付け根の部分にある英連邦王国の一国で、北にメキシコ、西にグアテマラ、
南東にホンジュラスがあり、「カリブ海の宝石」と呼ばれている国だという。

大江戸線・西新宿五丁目の駅を降りて路地に入ると、そこは先ほどまでのきらびやかな新宿駅の地下街とは別天地の装いであった。
区画整理がまだ行われていない狭い路地が入り組んで、家々が密集している。
ここから200メートル離れると、広大な新宿中央公園・高層ビルが林立する新宿駅周辺とはとても思えない。
新宿中央公園一帯は、かつて角筈(つのはず)と呼ばれ、そこには東京都の淀橋浄水場、熊野神社(今もある)などがあった。
そして十二社(じゅうにそう)温泉があった。茶色のビルあたりだと思う。
 
私は35年ほど前、短い期間ではあるが十二社温泉の少し背後あたりに住んでいたことがある。
アパートではなく、二間ある古い民家で、私は4.5畳の一間、もう少し広い部屋に別の男性が住み、大家は別に住んでいた。
風呂はなく、トイレ・台所は共用で、汲み取りのトイレであった。
近くに来たので懐かしく思い少しぶらついたのだが、民家の跡は当然なく、それがどこにあったかもわからなかった。
十二社温泉の名残もなかった。
私の記憶はとても曖昧で、銭湯がどこにあったのか、どこで買い物したのかなどの記憶も皆無であった。
古そうな和菓子屋があったので、戸を開けて入って聞くと、昨年3月廃業したと親切に教えてくれた。
淀橋浄水場は約50年ほど前から徐々に縮小され、新宿副都心として再開発され、東京駅・有楽町駅間にあった都庁がここに移転された。
そして、角筈、淀橋と言った古い地名は西新宿と変わり、廃止された浄水場跡の茫洋とした不思議な風景も無くなった。
私は、新宿駅まで歩いたが、当時の風景は全く覚えていないが、その雰囲気は全く残っていないと思う。
確か京王プラザホテルは出来ていたと思う。
こんな高層ビルで地震で倒れないのかと思ったし、それ以上にそのデザインは当時とても珍しくきらびやかであった。
西口地下街も当時はとてもおしゃれで、そこから地上に出るといわゆる「ションベン横町」があってよく食事したものである。
また、南口はまだほとんど開発されてなく、目の前の甲州街道は夜になると暗かった。
        

ヤギと男と男と壁と/ハングオーバー!

2010年12月27日 | 映画

今年一番寒いとの天気予報だったので、ウォーキングはやめて、映画を見に行った。
予告遍はとても面白かったので、期待したのだが、結果は残念であった。

ジョージ・クルーニーの喜劇は二度続いての期待はずれであった。
「米軍の超能力部隊養成を巡る」コメディと宣伝文句は歌うのだが、お粗末な作品であった。
実話とか社会派などと言うが、そんなの無視して徹底的にコメディ・パロディに徹すればよい。
例えば、アメリカは呪いによるフセイン暗殺を試みたが、イラク側もこの超能力部隊がいて念力でこの攻撃を阻止した、とか
大統領が気に入った女の子をゲットしようとこの部隊を利用したが、彼女に赤っ恥をかかせられらた、とか、
全く役に立たない超能力というか超主観主義の連続のおかしさ、をいかにもまじめに描いたりとか。
ところが映画は、とても中途半端で創造性も工夫も奇想天外もなく、途中からはすっかり退屈してしまった。
アメリカは、「神秘」となるとアジアとなるのだろう、合気道やヨガのポーズが超能力修行になってしまうあほくささには笑ってしまった。
映画の最後が覚醒剤では、これはもうお笑いとはいえない禁じ手であった。
せっかくの企画なのに至極残念であった。
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原題は、ハングオーバー(二日酔い)と芸がないが、二日酔いではなく覚醒剤酔い。
「独身さよならパーティ」のハチャメチャは過去に何度も映画となっているので普通のストーリーでは笑いを取れないと思ったのだろうが、
単なる酒の飲み過ぎではなく、覚醒剤を飲んでの常軌を逸した騒動、だが、これはコメディでは絶対的に取ってはならない手法だ。
覚醒剤なしに、泥水なしで失敗したり、冒険したり、まじめに行動するのだがどこか歯車がずれてしまっておもしろさを産む所がコメディ。
花嫁の父が、義理の息子にベンツを貸してぼこぼこにされたのに、「独身さよならパーティなら仕方ない」なんてイヤミだ。
「ファック」と言う言葉の洪水は何とも耳障り、もっとおしゃれで皮肉に満ちた台詞にしてよ。
アメリカでは大ヒットしたと言うが、私は文句なしのC級・愚作と思う。

二つの映画は、コメディなのに覚醒剤という非日常のアイテムで笑いを作ったり、物事の解決をしたりと余りに安易だ。
それでも、映画は決してつまらなくはなく面白いのに、映画館には笑い声がほとんどなく、観客は静か。
あたかもコメディではなくシリアスな文明批判の映画をまじめに批評的に見てるって感じでとてもヤな空気であった。
最近の映画館は、静かにしていなくてはいけない、笑ってはいけないという空気が漂っているように感じる。


品川宿=立会川~品川を歩いた

2010年12月21日 | ウォーキング
温かくなると言うので、出かけた。品川宿を歩いた。


京急・立会川駅で下車して歩き出した。
品川駅の広告。              これは昨年末の品川駅の広告
   
品川駅が新しくなったのはつい最近、新幹線開通に伴ってからだろうか。それまでの品川駅は暗く、汚く、不便であった。
特に東海道線に通じる地下通路は、いつも悪臭が漂っていた。
現在、すっかり明るく、通路も広く、乗り換えもだいぶ分かり易くなってきた。

大福生寺 大井町聖天堂                           護摩堂
 

来福寺
 
阿波藍商人墓標群(藍は徳島藩の名産だった) 寶篋印塔             玉川74番札所
  

泊舩寺
 
海晏寺
 

海雲寺 
三門                                   平蔵地蔵
 
鐘楼                   本堂                                 品川千躰三宝荒神(台所=防火の神)を祀っている
  

品川寺
銅造地蔵(江戸六地蔵)                  三門                                  庚申塔
  
本堂
  
ジュネーブ平和通り[ジュネーヴ市は品川寺の梵鐘を通じて品川区と友好都市提携を結び、「平和通り」の標識を贈ったと言う。]


極楽寺                                 諏訪神社
 

真了寺                                 天妙国寺
 

長徳寺                                 常行寺
 

心海寺                                  本覚寺
  

                                     本栄寺
 

蓮長寺                                  願行寺
 

妙蓮寺
 

時宗海蔵寺                              首塚群
 

本光寺
  

清光寺                                  大龍寺(珍しい黄檗宗のお寺)
 

天龍禅寺                                 禅宗清光院
 

区立子供の森公園                           荏原郡区役所跡(区立子供の森公園)
 

官営品川硝子製作所跡(東海寺の境内に作られた)       春雨寺(マンションになっている)
 
春雨寺は左、東海寺大山墓地は右の狭い路地を100m程行くとある。

東海寺大山墓地
東海寺大山墓地の入り口・沢庵和尚の碑   沢庵和尚の墓
  
服部南郭(江戸時代中期の儒者、荻生徂徠の高弟)の墓   賀茂真淵の墓(鳥居が立っている)
  
私のイメージとしては、国学者・賀茂真淵と禅宗とはあわなかったのだが、賀茂真淵は死して後やはり神となっていた。
沢庵和尚・賀茂真淵の二人の墓は、石を積み重ねたもので禅寺らしいなと思った。
この大山墓地は、東海寺からかなり離れ、小さな看板があるが見落としやすく、少しで寂れた感じがした。
目の前の下をJR東海道本線などが走る。

東海善寺                                                                    庫裡と左はタワーコート北品川
  
タワーコート北品川の敷地は昔は東海善寺の境内であったようで、大山墓地までだいぶ広い。現在の敷地は狭い。

近くに銭湯が、上は高層マンション  品川宿交流館             品川橋
  

荏原神社                                 品川図書館/六行会ホール隣接
 
六行会とは、南品川宿の地主達が宿場の公的仕事が忙しいので凶年や不慮の災害時に備え基金の積立てを始めた組織という。
本照寺


品川神社
 
鳥居に水難を避ける龍の彫刻が。昔はこの辺りは海岸で水難が多かったのだろう。
本殿                                浅間神社
 
阿那稲荷神社/一粒万倍の泉[銭洗い弁天のように金を洗うと増えるという信仰らしい]  包丁塚など
  
                                     浅間神社からの眺望=第一京浜・京急線・品川埠頭方面
 

虚空蔵尊                                 養願寺
 

一心寺                                 正徳寺
 

法善寺(品川小学校発祥の地)                    流民叢塚碑(江戸時代、飢饉や水難で死んだ人を供養した)
 

時宗善福寺                             本堂
 

問答河岸碑[家光と沢庵和尚が禅問答したと言う碑]


八つ山橋[品川駅方向]                       八つ山橋から横浜方向のJR線路
 
JR線路の右は第一京浜、左に京急の線路、その左が旧東海道、そして海岸。埋められたため現在の海岸ははるか先。
ここはすっかり現代風なのだが、ここで品川宿が終わり江戸=東京に入るという不思議感じがするところである。
しばらく行くと京急線高架下はラーメン店などが多数の食堂が軒を連ねている。

私は、品川宿が好きだ。旧東海道は今も地元の商店街でとても賑わっている。
黄檗宗、時宗、禅宗など大きな寺はないが色んな宗派のお寺がある。小さな稲荷も多くあった。
小さな店舗がシャッターを下ろすことなく、明るい。人々の通りも多い。住みやすい街なんだろうなと思う。
京急の駅はいずれも小さく、高架にしがみついているかの様だ。新馬場駅など知らない人は通り過ぎて仕舞いそう。
ウオーターフロントはすっかり高層ビル街になって、下町品川の雰囲気とはだいぶ異なる。
まだそちらに行ったことはない。

家を出る時、膝の調子が良くなかったので、ゆっくり歩いたのが良かったのだろう。
北品川駅から帰る予定だったが品川駅まで歩いてしまった。11時頃から午後4時過ぎまでぶらぶらしていたことになる。
帰りの電車ではぐっすり寝込んでしまった。気温が高く、ワイシャツの上に薄いウインドブレーカーであった。

都立大学駅から中目黒駅間を歩く

2010年12月18日 | ウォーキング
先週に続き、東急東横線の都立大学駅前から中目黒駅の間を歩いた。


立源寺
 

カザフスタン大使館
 

ジプティ大使館                            キルギス大使館
  

東京インドネシア国学校                       バングラデシュ大使館
  

永隆寺                                   近くのマンションに日時計が[正確だった]
 

長泉院
 
長泉院付属現代彫刻美術館 [無料、本館と屋外展示場がある。57作家250点余が展示されている]
  
  

中目黒大使公邸 [駐日大使の公邸がいくつか入っているという。一帯はアーバンハイツというユニークマンションが並ぶ]
 

めぐろ歴史資料館
 
 

中目黒八幡神社


正覚寺 [とても広い境内で、日蓮宗のお寺だった]           本堂
 
開運堂                                   畜牛供養塔
  
昔、この一帯は牧場が多かった様で、畜牛の供養塔があった。

区立川の資料館 [土曜閉館、昔は目黒川の河川敷だったと思う]
 

中目黒アトラスタワー(中目黒駅前の45階超高層マンション)  現耀寺と目黒不動尊
  
手前クレーンの辺りが川の資料館公園           (ビルの入り口にお寺の表札が、ビル内の一室がお寺なのかはわからない、
                                     入り口に目黒不動尊、前は目黒川である)
特別に豪華な寺院・施設はないが、とても興味深い施設があった。
その第一は、なんと言っても長泉院付属現代彫刻美術館である。
どのような経緯でこの美術館が作られたのかはわからないが、その志は尊いと思った。
私はこの風景が特に気に入った。美術館入り口の前、この後ろがお寺。

無料で開放されているのは素晴らしいし、屋外に展示場があるのはもっと素晴らしい。
散歩していて、ふと立ち寄って"美しい"ものに触れることが出来るのがいい。

マンションの入り口にあった日時計も良かった。時刻が正確で分かり易かった。
中目黒大使公邸辺りの様子も面白かった。
目黒川をきれいにしたい取り組みも感じられた。
12月中旬というのに不思議な天候だ。手袋をしないと手は冷たいのだが、薄いウインドブレーカーで十分であった。
東急東横線・渋谷駅はすごい混雑であった。 

映画/北京の自転車・小さな村の小さなダンサー

2010年12月14日 | 映画

17歳の少年二人の物語。
一人は農村から出稼ぎに来たグイ、一人は高校生ジェン、彼の父親は連れ子を連れた母親と再婚し家庭内でちょっぴり冷遇されている。
グイは自転車便の仕事に就く。その自転車が何者かに盗まれてしまう。その盗まれた中古の自転車をジェンが買う。
その一台の自転車の取り返しを巡る騒動。
日本なら、自転車便経営者や警察が間に入って上手く収まるのだろうが、現代の中国では当事者間で解決する他ないらしい。
面白い題材なのだろうが、映画としては失敗。
とにかくテンポが遅すぎ、喜劇っぽく描き、背景に北京の繁華街や下町の風景、
そして農村からの出稼ぎ者や都会の若者の生活や個人ではどうにも出来ない不条理の様なものをさらりと描くと面白かったと思う。
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実話らしいが、映画としては面白くなかった。
主人公のリー・ツンシンが僻地の農村からバレエ学校生に選抜される経緯が全く分からない。
彼だけが垢抜けてきれいな顔であったのだが。
青年になって、彼はアメリカのバレエ団に研修生としてアメリカに招かれる。
三ヶ月が過ぎると彼は中国に帰らなければならない。
帰国直前、彼はアメリカ女性と結婚しアメリカ市民権を獲得し、アメリカに残り努力し成功するという話。
民主的アメリカというプロパガンダくさい映画ではある。
リーの英語会話能力が不十分なため、英語の台詞がゆっくりで複雑でないので私にも聞き取れれるのが面白かった。

自由が丘~三軒茶屋・世田谷観音寺を歩く

2010年12月11日 | ウォーキング
東急東横線(渋谷から横浜中華街に行く路線)・自由が丘駅から東急田園都市線三軒茶屋駅の間を歩いた。
歩く前は結構な距離かと思ったが、立ち寄る箇所が少なかったせいか時間が余りかからず、ウォーキングとしてはちょっと物足りなかった。


ケニア大使館                            これはエチオピア大使の公邸のようだ。
   
ケニア大使館は、門は閉まっていたが、「お入り下さい」とあった。

スーダン大使館                           ガボン大使館
  

龍雲寺 [臨済宗のお寺で、広い境内です]
         

カメルーン大使館                          街角、民家の壁に小さな仏像が
 

世田谷山観音寺
門標[吉田茂書]              旧小田原代官屋敷
 
地蔵菩薩と特攻勇士の像                       仁王門
 
関東で一番古い仁王像だそうです                    天井に鳴き龍
  
阿弥陀堂[韋駄天の額が]
 
七福神                                   六角堂[不動堂]
 
文殊菩薩                                夢違観音
 
本堂[観音堂]
 
八方睨み達磨・観音・馬頭観音                   特攻観音堂
 
多羅葉樹の木(葉に傷を付けると黒い汁が出、墨の代わりとなり"ハガキ"の語源になったと、説明があった。)
 
仁王門から境内を見る
 
お堂内部は開放されていないので、多くの仏像等は見ることが出来ない。

特攻隊を祀った碑は色々ある様だが、仏教寺院の観音堂は珍しいと思う。
広い敷地ではないが色々な仏像などがあり、ユニークなお寺になっている。

自由が丘は今でこそ、若者のおしゃれな町として有名だが、昔(40年ほど前)私が歩いた時は繁華街ではなく寂しい町であった。
ただ、自由が丘というその名はとても当時からしゃれていた。
今日、東急東横線・東急田園都市線ははるか郊外まで開発が進み、現在はものすごい混雑路線である。
駅から少し離れると、住宅街。一軒の敷地は確かに広いが決して豪邸とは言えない。
だが、とりたてての特徴がある街並みでもなく、珍しい建物なども無い。急ではないがアップダウンが結構ある。
かなり歩いたのだが、寺や神社などが見あたらないのも珍しいかもしれない。
12月中旬なのに、気温が18度もあって、ワイシャツにベストで汗が出て来た。
強く生暖かい南風が吹いていた。            

芝・増上寺、虎ノ門を歩く

2010年12月06日 | ウォーキング
 
地下鉄・芝公園駅から、芝公園・東京タワー・愛宕・虎ノ門を通って新橋駅まで歩いた。

東京タワーと増上寺                        港区平和の灯                芝東照宮
  
芝丸山古墳                              十月桜                銀世界
  
                                                          新宿にあった梅屋敷・銀世界をここに移したという

妙定院                                          伏見三宝稲荷
  

チリ大使館(伏見三宝稲荷の右隣のビルの8階=旗が見える)                     キューバ大使館
  

宝珠院・本堂                                弁才天
 
                                       弁天池
 

増上寺
三解脱門                                  本堂
 
本堂内
  
円光大師堂                                 経蔵
 
旧方丈門                                 グラント松
 
                                    グラント18代米大統領が明治12年参拝し植樹した松
阿波丸の碑(米国の要請で派遣した、日本人捕虜や民間人引き揚げ者を乗せた船が米軍によって撃沈された。昭20年、約2000人)
 
大梵鐘(高さ3m、15トン大晦日の鐘突は2000円だそうだ)        西向観音
   
安国殿内部                                  徳川将軍墓所・鋳板門
 
四菩薩像                                  巌谷小波句碑[桜咲く日本に生まれ男かな]
 

心光教院                       瑠璃光寺
 

東京タワー前の南極犬のモニュメント
 

金地禅院                                  光寶寺
 

幸稲荷神社
 

長元院                                  天徳寺
 

栄立院                                  光岳院
 

興昭院                                  栄寿寺
 

栄閑院 [別名・猿寺]                          猿塚              杉田玄白の墓
  

ジャマイカ大使館
 

真福寺                    ナイジェリア大使館                 実に広大なアメリカ大使館
    

菊池寛実記念智美術館(きくちかんじつきねん ともびじゅつかん=現代陶芸収集)(月曜で閉館)


12月だというのに、ワイシャツの上にベストでも汗が出た。
東京タワーは久し振りでした。
エッフェル塔と比べると、華奢な感じがしましたが、どうなのでしょう。
展望台には登りませんでしたが、トイレを借りました。
たくさんのレストランやお土産物屋さんがあり、賑わっていました。

増上寺が浄土宗のお寺とは知りませんでした。
境内の裏門の方で、外人にここは入れるか?と聞かれました。
「大丈夫です。まっすぐ行くと本堂で、そこを右に回るとゲートです。」
周囲には、たくさんの塔頭があるようですが、今回はパスしました。

ウィキペデアによると、アメリカ大使館の敷地は日本の国有地で、その広さは1万3,000平方メートルもあると言う。
これは後楽園ドームの三分の一強の広さだが、その借地料はタダみたいな、年250万円だった、と言う。
だが、1998年日本政府の値上げを拒否し、以降賃貸料を払わず、2007年になってやっと10年分の借地料7,000万円を支払ったと言う。
小さい国が、日本の一等地でおそらく高い賃貸料を負担していると想像されるのに、日本の国有地をタダ同様で使っている。
これも「思いやり」なのだろうか。  
そして、アメリカは、今日なお、ホテルオークラのある溜池の高台で、周囲を威圧し、様々な謀略を巡らしている。 

国会議事堂内見学と北の丸公園を歩く

2010年12月04日 | ウォーキング
議会開設120年「国会特別参観」に行ってきた。
通常は、国会見学は国会議員などの紹介が必要らしいが、議会開設120年行事として12月4日、5日両日は自由に参観できるので行って来た。
地下鉄有楽町線桜田門駅から、三宅坂・半蔵門・千鳥ヶ淵・北の丸公園・大手町を通って東京駅まで歩いた。

国会前の銀杏並木 銀杏の木の右側は、テレビの"相棒"の撮影がよく行われる憲政記念館と国会前庭北庭(洋式庭園)。
 
中央広場[中央玄関を入った所] 板垣退助、大熊重信、伊藤博文の像が並ぶ 
   
 
  
 
                                    天皇達の休憩の間
 
                                    廊下には郵便ポストと議員専用の電話ボックスが 本会議場の天井はステンドグラスだった
   

国会正門前には国会前庭がある。国会に向かって左が和式庭園の南庭・右が北庭で洋式庭園[憲政記念館がある]
和式庭園の南庭                           洋式庭園の北庭の時計塔と   日本水準原点
  
日本水準原点=標高24.4140メートルで明治24年に作られたという。20mとか25mとかきっちりの所をどうして選ばなかったのだろう。
そしてテレビの"相棒"でよく使われる場面、堀の右側・真ん中のビルが警視庁
 

最高裁判所                                「三宅坂」の標識の後ろの植え込みが渡辺崋山誕生の地
 
三河田原藩の上屋敷がここにあったという。国会前庭北庭は加藤清正の上屋敷であった。

国立劇場                                TOKYO MXビル
 

イギリス大使館                                国立近代美術館工芸館
 
国立近代美術館工芸館前のオブジェ                        国立公文書館
 

国立近代美術館
 

科学技術館                                吉田茂像          日本武道館
  

田安門                                 九段会館
 

昭和館                                   毎日新聞社本社
 

将門首塚 
 
地図には載っていなかった。一帯は、大手町で銀行や丸紅や三井物産などの商社の巨大ビル街である。
この一角だけが巨大ビルに囲まれて木々と土で覆われている。平将門の怨霊伝説などにより、今日も手厚く祀られているという。
蛙は、左遷された人や誘拐された人が「かえる」と言う信仰とか。
皇居近くに、将門を祀る地があるのは面白い。

丸の内鉄道橋記念塔(東京駅丸の内北口改札口近く)その上部の飾り
 

国会内に入ったのは初めて。もう少し歴史的建物かと思っていたのだが、現在の政治家と同様で重みが感じられなかった。
彫刻や美術品も少ない。ただ古いだけという感じであった。
将門首塚は驚いた。東京三菱銀行、三井物産の巨大な建物に囲まれ、陽の光が当たらず、森の中の様で薄暗かった。
皇居周回道路はそれほど広くない道、ランナー達が次々と走っていて、ぶつかりそうで騒々しく、落ち着きがない。
北の丸公園は、江戸城の北の丸だったところで今は、環境省が管理する国民公園というんだそうだ。
江戸城はとても広かったんですねぇ。
12月だというのに、長袖Tシャツ、ワイシャツでも少し汗をかくほどの暖かさであった。
5年ほど前皇居周辺を歩いた。その時の様子は、皇居一週 をクリックすると見ることが出来ます。