風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

第100回ピースボート船旅㉓/ラパヌイ(イースター島)

2019年05月10日 | 第100回ピースボート南半球クルーズ





この島は、三つの名前があります。現地語はラパヌイ、スペイン語はPascua(パスカウと私は書きましたが、
youthhostopiaさんからそれは間違いで正しくは”パスクア”とのご指摘がありました。訂正します。ありがとう
ございます。=復活祭島)、英語名がイースター島    2月27日、3月1日1時間時差調節、 
3月4日 月 8:00ラパヌイ到着。ラパヌイは、大型船が着岸できる大桟橋がありません。船は沖合に碇を下ろし、
10人乗りほどのテンダーボートで島の港に接岸しなければなりません。また、全島がラパヌイ国立公園なので
入園料(US$10=チリペソ$5000))が必要で、何らかのツアーに参加する必要があります。テンダーボートや観光
バスなどのキャパシティがあるので、大型船の場合は二日に分かれて上陸するのが一般的のようです。
私は、「英語ガイドツアー」に申し込み、私の上陸は二日目の3月5日でした。環境保護の観点から食品や動植物など
の持ち込みも厳禁です。ランチは、現地支給のパンとジャムだけです。
沖に停泊する船                  テンダーボート
 
ライフジャケット
 
 1960年のチリ地震による津波でアフ・トンガリキは倒壊しました。1988年11月、前イースター島知事セルジオ・
ラプさんは日本のテレビ番組で「クレーンがあれば倒れたモアイ像を起こせるのに」と訴えました。この番組を見
ていたタダノの社員が「自社のクレーンで援助できれば」をきっかけに、日本のクレーン製造会社・タダノが無償で
援助し1995年復元されました。さらにそのクレーンは、そのまま島に寄贈され、他の復興にも役立ったそうです。

以下ニ葉はタダノHPからの引用
 
このプレートをを探したのですが見つからないので案内所で聞くと風雨で無くなってしまったそうです。
 
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ラパヌイのモアイ像文明の崩壊については諸説あります。多数意見は、19世紀、人口増加とモアイ像建設に
伴う森林破壊です。18世紀〜19世紀にかけてタヒチのフランス人らの手によって、島民が奴隷として連れ出
され、さらに彼らが持ち込んだ天然痘や結核などで人口は激減し島民は絶滅寸前まで追い込まれ、1872年
当時ではわずか111人になってしまったと言われます。この過程でロンゴロンゴ文字を初めとする文化伝承は
断絶してしまいました。
私は、ピースボートで2008年12月4日訪れました。その時と比べると、森林と緑の復活が進んでいると感じました。




私達が停泊したのは、一番大きな集落ハンガロア村沖でした。  ハンガピコのモアイ
 
モアイ像が海岸で海に背を向けて立つアナケナビーチに山を越えてバスで向かいました。
 
入口でユニークな像(出産の場面)が迎えてくれます。
 
ここのモアイは砂に埋もれていたため保存状態が良いです。帽子あるいは結った髪とも言われるプカオ。
 
 
 
トイレ、ツアー参加者にトイレチケット2枚が付いています。3回目は1米ドル
 
 
アフ・トンガリキ、 冒頭に述べたチリ地震の津波で崩落したものを日本のクレーン製造会社・タダノが無償で
1995年復元しました。 
  
 
  
  
 
 
プカオと言われるモアイの帽子or髪の部分
 
ラノ・ララク                   トイレ
 

ラノ・ララク山は、モアイ像の石の採掘、製造場所です。作りかけの、放置されたモアイ像などもあります。
 
 
 
 
公園のレンジャー、遺跡に上ったりする人がいるとホイッスルを鳴らして警告

茂みに姿を消す人、警告はありませんでした。 私は、レンジャーに許可を得てここでパンの食事をしました。
 
膝まづくモアイは珍しいそうです。
 
 
 
 
 
オロンゴ 島の南端、鳥人儀式(部族の代表の青年が、沖に浮かぶ島に這い上がり、鳥の卵を取ってくる、勝者の村
は政治の長を務めたと言う、村同士の争いを防ぎました。西洋人の来訪とともにこの伝統文化は衰退しました。)
小さなビレッジセンターがあり、トイレもあります(確かここは無料でした。)
 
 
 
 
オロンゴ島 手前の高い島

住居とも、儀式のとき使用したともいわれる石組みの家様の構造物跡
 
 
ここを過ぎると、カルデラ湖のあるラノカウ山


ここには、神話伝説由来と言われる鳥人とされる様々な特異な像が岩に刻まれています。それらは、鳥人儀式と
強いつながりがあることは疑いないのですが、その解釈は諸説あるようです。私は、この絶海の孤島にあって、
鳥のように自由に遠くに羽ばたきたいという強い願望という素朴な感じがします。
 
 
 
 
 
強い日差し、しかしさわやかな風が流れる中、14:30頃ツアー終わりました。港に戻って、テンダーボートで帰船しました。
この島では、携帯電話の電波が届く範囲が限られているそうです。
ハンガロア村の港周辺を少し散策したかったのですが、帰船時間があるのでできません。

18頃出港、少し島を回遊しました。
オロンゴ                     アフ・トンガリキ
 
ラパヌイは、2回目です。来ることは容易ではありません。私が2008年訪れた時のブログは、
63回ピースボート・イースター島/チリ編 です。
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【以下、余談】
長いツアーが終わって、2月28日からGETプライベートレッスンの後期が始まりました。開始時間は、なんと早
朝8時から、プライベートレッスン担当のKebinは、私の好みのテーマに従って学習を進めてくれたのですごく
良かったのですが、私のクルーズの第一の目的は、なにより「くつろぎながら旅を楽しむ」ことです。プライベー
トレッスンは、前後期計20回で8万円、決して安くはありませんが、8時に学習を始めるには、少なくとも7時には
朝食を取らなくてはなりません。そんなべらぼうなことは強大なストレスでできないので、4万円を捨てること
にしました。すると気分は楽になり、朝早く目覚めた時は、7時からヨガのクラスに出て、8時からのんびり朝食、
その後、のんびりと散歩することにしたら、とてもゆったり気分になりました。時間変更を頼みましたが、ダメ
でした、イヤハヤです。この決断は大正解でした。GETのグループラスは、11:20~12:20でちょうどよい時間で
した。12時を過ぎるので食堂も空きます。しかし、人気の8階の「麺レストラン」は売り切れが度々ありました。
私は、まず8階のデッキレストランで日本そば、ラーメン、うどんなどの日替わりの麺を食べて後、4階レストラ
ンで日本食がメインの日替わりビュッフェランチをたっぷり・ゆっくりいただきます。後日、麺数が増加され
たので良かったです。最後のひと月は、寄港地も少なく、ジムでのウエイトトレーニングや時々ある100回筋
トレのクラス、部屋での自主エクササイズやストレッチ、そして講演会やイベントにはほとんど出ないなど、
空いた時間は読書とすっかり私の生活リズムが出来てのんびり穏やかで、本当に良かったです。  【終わり】


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2 コメント

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スペイン語で (youthhostopia)
2019-06-22 15:30:40
pascuaは、パスカウではなく、パスクアですので訂正しておいてくださいませ。
ご指摘ありがとうございます。 (管理人)
2019-06-23 09:38:41
ご指摘ありがとうございました。早速訂正しました。

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