まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

邦画ディクテーション

2010-09-01 12:29:30 | 人間文化論
黒澤明監督の 『用心棒』 をツタヤでレンタルして見ました。
先月だか先々月の 『トランヴェール』(新幹線の中に置いてあるやつ) の巻頭特集で、
生誕100周年ということで黒澤明監督が取り上げられていて、
影響されやすい私はちょっと見てみようかなという気になったのです。
逆に言うと今までほとんど見たことがないんです、黒澤映画。
『デルス・ウザーラ』『七人の侍』 くらいですかねぇ、見たことあるのは。
ハリウッド・アクションやラブ・コメディが基本の私には、
『デルス・ウザーラ』 は重すぎるし、『七人の侍』 はハマってもよさそうなんですが、
長すぎたためでしょうか、あまり鮮烈な印象を残すことはありませんでした。
牧田先生 (映画狂) にこんなこと言ったら滔々と説教されてしまうかもしれませんが、
こういうのは趣味の問題なのでしかたないですね。
というわけで久々の黒澤映画・再チャレンジです。

ところが、映画が始まってすぐの場面で、なぜ黒澤映画が苦手だったのかよーくわかりました。
黒澤映画というよりも邦画全般、特に時代劇ものに共通して言えることかもしれませんが、
役者が何言ってるか、ほとんど聞き取れないのです。
三船敏郎や女優さんたちが言ってることはほぼちゃんとわかるのですが、
脇役の男優陣のセリフがさっぱりわかりません。
例えば冒頭、百姓一家の息子が博打打ちになるために家を出ていくというシーンがあるのですが、
百姓のオヤジのセリフが何一つ聞き取れないのです。
すぐに巻き戻して (DVDだから巻き戻すわけではないが) ボリュームを上げて見直しますが、
まったくダメです。
全編通じてこんな感じなのです。
途中あんまりにもわけわからなくてうつらうつら眠ってしまったりもしてしまいました。
けっきょく全セリフのうちの半分くらいしか聞き取れなかったのではないでしょうか。
これではストーリーや人物像やセリフの妙味を十分に堪能することはできません。
つまり黒澤映画の魅力を味わい尽くすことができないわけですから、
今まで黒澤映画の虜にならなかったのも無理ないのです。

こんな感じで、見終わってもなんかこう残尿感というかやり残した感というか、
スッキリしない気分でいました。
だから邦画ってキライなんだよなあ、セリフが全然聞き取れないんだもん。
よっぽど洋画で字幕ついているほうが内容が理解できていいよ。
などとグチグチ考えていたのです。
で、なんということはなしにDVDに特典映像とかついてないのかなあとか思って、
リモコンのスイッチをあれこれいじっていたら、「設定」 の画面に飛んでしまいました。
なんとそこには 「日本語字幕」 という選択肢があるではないですか
そうか、DVDって邦画も字幕つきで見られるのかぁ
こんなこと、今まで知らなかったなんて本当に不覚でした。
今見終わったばかりというのに、さっそく字幕つきでもう一度見始めてしまいました。

するとまあ面白いのなんの。
このオヤジこんなこと言ってたのかあとか、
この人はこういう人だったのかあなどと新しい発見の連続です。
聞き取れなかったのにはだいたい2種類の原因があったことがわかってきました。
ひとつは、俳優の滑舌が悪い、ないしは、早口すぎてセリフが上手く聞き取れない場合。
もうひとつは、時代劇用のセリフが日本語としてあまりにも馴染みがなくて、
音をちゃんと聞き取れたとしても、それだけでは何のことかまったく想像できない場合。
後者のタイプも字幕で文字として見るとだいたい意味はわかってきますので、
さっき見ていた映画と同じ映画とは思えないくらい、
ストーリーの細かい部分に感情移入しながら見ることができました。
同じ映画を2回続けて見てもう遅い時間になってしまっているというのに、
2回目は途中で眠くなることもなく、一気に最後まで見通してしまいました。
邦画を日本語字幕つきで楽しめるなんて、DVDさまさまです。

それにしても、こんなことでいいのでしょうか。
日本人が邦画を見てセリフを聞き取れないなんて。
しかもこちとら今どきの若者なんかではなく、いちおうアラフィフの文化人です。
その人間が聞いて意味がわからないなんて。
黒澤くん、リアリズムを追求するのもいいけれど、
お客さんは台本片手に映画を見るわけじゃないんだから、
もうちょっとセリフがちゃんと伝わるかどうかにこだわろうよ。
ま、これからは黒澤作品をはじめ時代劇ものをDVDで見るときは、
邦画だからと気を抜くことなく、あたかも洋画を見るつもりで、
最初から日本語字幕の設定をして見るようにしたいと思います。

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2 コメント

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そうかな (俺も文化人)
2010-09-03 19:33:59
当時の人は普通に聞き取れたのだが(俺含む)。だいたい、年上に対して「くん」呼ばわりはいかがなものかと。ま、自ら「文化人」を名乗る輩に碌な奴はいないが。
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ぜひ一度 (まさおさま)
2010-09-05 05:40:27
俺も文化人さん、初コメありがとうございます。
そうでしたか、当時の方々は普通に聴き取れていたのですか。
それはたいへんお見それいたしました。
うーん、とはいえ映画館で初めて見て、あれらをちゃんと全部聴き取っていたなんて、
ちょっとにわかには信じられないような気もいたします。
ぜひ一度 『用心棒』 や 『七人の侍』 などを字幕なしと字幕ありで見比べてみて、
新しい発見がなかったかどうかを教えていただけたらと思います。

なお、実際に書き取るわけでもないのに 「ディクテーション」 と言ってみたり、
自分のことを 「文化人」 呼ばわりしたり、
黒澤監督のことをあえて 「くん」 づけで呼んでみたり、
いずれもシャレというか、黒澤大監督ほどのビッグネームに対して、
私ごとき者が物申すためのレトリックの一環として用いてみたのですが、
お気に障ってしまったのだとしたら申しわけありませんでした。
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