まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.考えすぎて疲れませんか?

2010-04-10 23:59:59 | 哲学・倫理学ファック
代表質問には選ばれませんでしたが、
今年は 「疲れませんか?」 という質問をワークシートに書いてくれた人が多かったですね。
哲学には、難しいことを考えているとか、考えすぎる、というイメージがあって、
それは疲れることだろうと心配していただいているようです。
こんなふうに書いてくれた子もいました。
「考えすぎて答えにたどりつかなくなったりはしないのですか? またその時はどうするのですか?」

最後の質問から答えていくことにすると、
哲学の問いの場合、答えにたどりつかなくなることはしょっちゅうです。
というよりも答えが出ることのほうが稀だと言えるでしょう。
哲学は、実証的に答えることのできない問いを考える学問ですので、
答えがすっきりと出ることはそうそうないのです。
で、答えが出なかったときどうするかというと、さらに考え続けます。
考え続けることが哲学であると言ってもいいくらいです。
ですから、答えにたどりつかないこと自体は別に悪いことでもなんでもないのです。

そして、哲学をやっている人たちは、
答えが簡単に出ない問題を考え続けることが好きで好きでしようがない人たちばかりですから、
好きなことをやっていて疲れるということはあまりありません。
あるいは、疲れるとしてもそれは心地よい疲れであって、
皆さんが心配してくださっているような悪い意味での疲れではありません。
料理を好きな人が毎日毎日料理ばかり作っていたり、
ゴルフを好きな人が毎日毎日ゴルフの練習ばかりしていたとして、
それらを嫌いな人から見たら、そんなことばかりやって疲れるだろうなあと思うかもしれませんが、
本人たちは好きでやっているのですから、それで疲れたりはしませんし、
肉体的に疲れたとしても、それは心地よい疲れですよね。
それと同じなわけです。

好きな人にとっては 「難しい」 ということはマイナス要因ではありません。
火加減がめちゃくちゃ難しい料理があったとして、
料理の好きな人にとっては、それに挑戦することは楽しみでしょう。
起伏が激しく球足が速いので有名なグリーンがあると、
ゴルフの初心者はイヤでイヤでたまらないかもしれませんが、
プロゴルファーはそういうコースに挑戦することが楽しくてしようがないでしょう。
哲学者も難しい問題に挑戦することを楽しんでいるわけです。
だから考えてばかりいたとしてもそれで疲れたりはしないのです。

なお、「考えすぎて疲れる」 とか 「考えすぎて答えにたどりつかなくなる」 ということを、
みんな心配してくれているようですが、
皆さんが言う 「考えすぎる」 というのはどういうことなのでしょうか?
日常生活において、例えば人間関係 (特に恋愛) や自分の将来について、
考えすぎて答えを出せなくなってしまっている人をよく見かけますが、
私に言わせると、そういう人たちは考え方を間違えていたり、
考えるべき問題をきちんと考えていないことが多いように思います。
本来の問題とは無関係なことをグルグル考え続けているから答えが出ないのです。
ですから 「考えすぎる」 というのは、
考えるのが下手で、ちゃんと考えられていない、ということなんだろうと思います。

哲学の場合、そういう意味で 「考えすぎる」 ことはありません。
哲学では、考えるためのトレーニングを受け、
まずは考えるべき問題をきちんと特定して整理するということから出発し、
ひとつひとつ順序だてて正しく考えていこうとしますので、
考えるのが下手だから答えが出ない (=考えすぎる) わけではないのです。
哲学において答えがなかなか出ないのは、
扱っている問題が、とても難しくて答えを出しにくい問題であったり、
そもそも答えがないかもしれない問題であったりするからであって、
それを考え続けることは、「考えすぎる」 こととは違うと言ってよいでしょう。

というわけで質問に対しては次のようにお答えしておきましょう。

A.私たちは考えすぎているのではなく、難しい問題を考え続けているだけですが、
  そうすることが好きで好きでしかたないので、
  ずっと考え続けていても (悪い意味で) 疲れるということはありません。
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