まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

ドキュメンタリー映画 『アクト・オブ・キリング』

2014-09-09 15:48:29 | カント倫理学ってヘンですか?


ドキュメンタリー映画に詳しい方から薦められた映画 『アクト・オブ・キリング』 を見てきました。
話を聞いて面白そうと思う一方で、見たくない気持ちも相当ありました。
映画は1965年にインドネシアで起こったクーデターの際、
100万人以上を虐殺したとされる首謀者たちに、
自ら演じてそのときの再現フィルムを制作してもらおうというものです。
基本的に映画にはポジティブな楽しさかヒューマンドラマしか求めていない私としては、
ホラー映画や戦争映画ですらムリなのに、
虐殺事件のドキュメンタリーだなんてちょっと耐えられるかわかりませんでした。
しかし、見てよかったです。
さすがは数々の賞を受賞しているだけのことはあります。
最初のうちはとても辛かったし、ものすごく納得いかない思いが駆け巡りましたが、
最後まで見終わってみて、ホントに見てよかったと思うし、いろいろな意味で学びがありました。

まず何よりも驚いたのが、当時の首謀者、実行者たちというのが、
現在でもインドネシアの政治や社会の中枢で優雅に暮らしているのですね。
で、カメラの前に堂々と素顔を晒して当時の様子を嬉々として語るのです。
この時点でポカーンという感じです。
悪いことをしただとか捕まるかもしれないといった罪悪感は微塵もありません。
そんな心配をしなくてもいい社会がこの世に存在しているということにショックを受けました。
「人権」 とか 「法」 とかが一顧だにされない世界です。
現代日本とは似ても似つかぬ世界ですが、しかしよく考えてみると、
日本が今目指している先にあるのがこういう世界ではないかという気もして、
それも笑えない感じでしたし、空恐ろしい感じが否めませんでした。

ところが撮影が進んで行くにつれていろいろと綻びが生じてきます。
まずは撮影方針で内輪もめが生じます。
当初は史実通りに虐殺を再現しようという方向で撮影していました。
しかし、そうすると自分たちが一方的に残虐な殺戮を繰り返したことが浮き彫りになってしまいます。
当時、新聞社で 「共産党支持者は残虐だから排除すべし」 という情報操作を行っていた者たちは、
こんな映画を作ったら我々の言ったことがウソで残虐だったのは自分たちだったとバレてしまう、
と当時の宣伝に合致するような脚色を施すべきだと提案します。
しかし、今回の映画の一番の首謀者は歴史のありのままの姿を記録することに固執します。
(むしろその姿は今の日本の指導者たちやマスコミに見せてあげたいくらいでした。)
それはもちろん自分たちがしたことに対して罪悪感がまったくないからなのでしょう。
歴史を改竄しようとする者は何か引け目を感じているということですよね。
どっちもどっちですが、歴史の記録ということに関していろいろと考えさせられました。

そして、撮影終盤にさしかかってみんなに少しずつ変化が生じていきます。
映画のはじめの頃の嬉々としてあの事件を振り返る彼らとは別人のようになっていきます。
特にその一番の首謀者が被害者役を演ずる場面が一番の転機で、そこで大きな変化が訪れます。
私はここでカントの定言命法のことを思い出していました。
「同時に普遍的法則として妥当しうる格率にしたがって行為せよ」。
自分がしたいことをただするだけでなく、相手が自分に同じことをしたとしても許せるか?
誰もがみなあなたと同じことをしたとしても問題なくみんなが共存できるか?
そのような普遍化可能な行為のみが許されるのであって、
自分の行為が普遍化可能であるかどうかをまず問うてみよ。
カントの定言命法はそのように命ずるのですが、
その第1段階が相手の立場に立って考えるということです。
長い間そんなことをまったくしてこなかった彼らが、
誰に糾弾されたわけでも誰に告発されたわけでもないのに、
自分たちがやってきたことを演じ、その相手役も演じるうちに、
いつの間にか自然と相手の立場に立って考え始めていました。
映画のなかに描かれているのはまだその端緒にすぎず、
彼らの反省も後悔もまだ浅薄なものにすぎませんが、
しかし、彼らはこれまでとはまったく異なる次元に立っています。
私はこれを自己中心主義 (=利己主義) から脱した 「道徳的観点」 と呼んでいます。
ロールプレイングによって道徳的観点を獲得する可能性を示したという意味で、
この映画は私にとってひじょうに教育学的な意味をもつものでした。

とまあ前半は筋金入りの悪が今もなお実在していることを見せつけられて辛かったですが、
最後は (ほんのわずかですが) 善への希望が仄見えて救われました。
フォーラム福島で金曜日まで上映中です。
今日は19時00分の回がありますが、明日からは12時20分の回だけになります。
大学生はまだ夏休み中でしょうから、この機会にぜひ見てみてください。

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2 コメント

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ロールプレイング (水辺のたんぽぽ)
2014-09-11 19:19:04
自分が親になると親の気持ちがわかるようになり、
年を重ねると老いるということがどういうことかわかってきます。

これらは自分の今回の人生の中で体験できるロールプレイングのわかりやすい例でしょう。

人は何回も生まれ変わりをし、役割・立場を変えながら
魂の成長をするという考えがあります。

まさおさまの言う「これまでとはまたっく異なる次元に立つ」ことのできるロールプレイングという体験スキルは、生まれ変わりと同じしくみのように思います。

生まれ変わりをしなくても、今回の人生で意図的にロールプレイングすることによって自分がより拡大し全体性に近づいていく。 いいですね。

私たちは自覚しているにせよ無自覚にせよ、日々、多種多様のロールプレイングを体験しているのだと思います。そうやって、成長し続けているのでしょう。

このロールプレイングという道具(道を具現化するもの)を意識的に多くのひとが使い出したら、この世界はいっきに加速して大きな変化が起こり

「まったく異なる次元に立つ私たち」を見ることになるのかもしれませんね。 おお、なんとすばらしい。

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生まれ変わらない生まれ変わり (まさおさま)
2014-09-24 16:16:05
水辺のたんぽぽさん、コメントありがとうございました。
申しわけないことに近代合理主義者の私は、輪廻転生とかはまったく信じていないので、
生まれ変わりによる成長という話にはまったく同意できないのですが、
ロールプレイングはこの人生のなかで体験できる生まれ変わりみたいなものだ、
という点には大いに納得いたしました。
ロールプレイングによって自分を拡大し全体性に近づいていき、
全く異なる次元に立つ自分に出会うことができる。
そうであってほしいと思います。
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