まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

天の呼び声

2009-10-17 07:26:03 | お仕事のオキテ
マックス・ウェーバーの名著に 『職業としての学問』 と 『職業としての政治』 があります。
いずれも岩波文庫に入っていて、もとはといえば講演を1冊の書物にまとめたものなので、
とても薄い本ですから、すぐに読めてしまいます。
どちらも素晴らしい内容ですので、ぜひ一度読んでみてください。
ただし今日お話ししたいのはその本の内容ではありません。

いずれのタイトルも翻訳では 「職業」 と訳されていますが、ドイツ語の原語は Beruf です。
この Beruf という単語はとても奥深い言葉で、
たんに 「職業」 というのでは表しきれない意味を持っています。
英語にするならば calling になるのですが、
Beruf というのは 「神の呼び声」 という意味をもつ単語なのです。
つまり、たんなるお仕事ではなくて、
神様が 「お前はこれをしろ」 と呼びかけ、
そのための才能をわざわざ与えてくださっているような職業が
Beruf であり、calling なのです。
したがってこの言葉を翻訳するのに 「職業」 という言葉では軽すぎます。
日本語にするとしたら、
「天職」 という語が一番ふさわしかったのではないかと私は考えています。

天職、いい言葉ですね。
天から与えられた仕事という意味です。
たんに、職業選択の自由が認められた時代だから、
何でもいいのでテキトーに選んでみました、
なんていう軽い気持ちで選択された職業とはわけがちがいます。
私はまさにそれをするために生まれてきたのであり、
そのための才能を生まれつき持っており、
それをすることこそが私の使命であると言えるような職業、
それが天職なのです。

天職に出会えた人というのはとてもうらやましいですね。
私は塾でバイトをしていた頃、ああこの人は教師が天職なんだろうなあ、
と思える人に何人か出会いました。
大学で教員養成に携わっている身としては、あまり大きな声で言えないのですが、
教育という仕事は特に、それが天職であると言えるような人にこそやってもらいたいですね。
もちろん、一所懸命学んで努力することによってある程度後天的に、
教師の資質を育てていくことは可能だと思いますが、
教育を天職としているような人は、そんな努力をあっさり乗り越えて、
どんなに出来の悪い子相手であろうとも、いつの間にかやる気にさせ、
確実に力を伸ばしてあげていたりします。
私などは自分と同じような、もともとやる気があって、
何とか手を抜いて成果をあげたいと思っているような子に、
効率的な勉強のしかたを教えてあげられるよう、いろいろと工夫することはできましたが、
やる気のない子をやる気にさせる、なんていうことはまったくできずお手上げでした。
ところがそういう子相手にも、
たった100分のあいだにやる気を起こさせることができる先生たちが実際にいて、
これはいくら授業を参観してテクニックやノウハウを盗み取ろうとしてもまったく歯が立たず、
この人たちはこれが天職なんだろうなあと指をくわえているしかなかったのです。

ほかにも、電気工事屋さんとか、レストランのウェイトレスさんとか、
ああこの人はこれが天職なんだろうなあと思える人を何人か知っています。
そういう人たちは、もうそれをやっているのが楽しくて楽しくてしかたないように見えます。
その働いている姿を見ているだけでこちらも元気が出てきますし、
なんだかウキウキしてきます。
皆さんは自分の天職に出会えましたか?
もしも出会えたのなら、何があろうとその仕事を大事にしてください。
それはあなただけに向けられた天の呼び声なのですから。
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4 コメント

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れれれのれ (きさらぎ)
2009-10-17 13:32:17
わが店に最近よく人が立ち止まる
駐車場脇の草むらに佇んで写真をとる人あり
こちらをしげしげ眺め手を叩く人あり
狙いはシャム顔の白い子猫達だ

近ごろはこの野良の子猫に餌をあげていく人もいる
毎朝駐車場には餌の残りがこびり付いたトレーや豆腐のパックなどが転がっている
駐車場脇の側溝には毎朝新しいビニール袋が捨てられている

駐車場の掃除はしても側溝まではなかなか掃除が行き届いていなかった
側溝の中のゴミ枯草虫をさらい側溝脇のぼうぼう草もむしり取った
朝、真新しいビニール袋は側溝の同じところに汚れの無い状態でやはり佇んでいる

川原の土手の青々とした草は清清しく眺めて心地よい
同じ草なのに堤防を挟んだこちらの草はひどく見苦しい
人工物の側にあって放置された自然は異様にみっともない
それゆえかゴミがよく捨てられる
人口ゴミはこれまた一段と目立って汚らしい
自然の草はどんなに勢いよく茂ってもいつかは土へ帰る儚い過程を歩んでいる
ところがお菓子の袋や紙箱やゴミ入りビニール袋に缶ビンなどは
ひたすら醜く汚れ穢れていくだけでしぶとくしぶとく形を止める
煙草の細く小さなビニール紐さえもビックリするほど確固と存在している

たまに掃除してもそれは一時ゴミ箱が空になっただけのこと
そう簡単に認識は覆せない
近ごろやたらとれれれのおじさんが頭に浮かぶ
勝手ながら 続:れれれのれ (きさらぎ)
2009-10-18 17:48:41
今朝も駐車場には猫餌トレー側溝には新しいビニール袋
今日もだと思いつつ1時間後に外へ掃除に出た
なぜか猫餌トレーが見当たらない???
でもビニール袋は側溝にそのまま

駐車場は私有地だ
さすがの愛猫家もそこは心を痛めていて回収していったのだろうか
でも駐車場の柵の外である側溝は公有地

柵の内側で草むしりをしていて見知らぬ人から声がかかることはないけれど
柵の外ではたまに見知らぬ人から挨拶や励ましの声がかかる
同じ意思、同じ信念、同じ欲求に従ってただただ草をむしり取っているだけなのだけれど
柵の内側か外側かでは見る人の受け止め方は何かしら違うのだろう

柵の外の草をせっせとむしり取るのは
もしかしたら国土交通省だか農林水産省からお咎めをうける行為かもしれない
菜の花を植えて注意されたという話を聞いたことがある

れれれのおじさんに見習い観察するのも悪くない







れれれの報告 (きさらぎ)
2009-10-19 09:45:26
昨日のトレー行方不明事件の真相は分からないけれど
今朝の状況を見る限り愛猫家の意思・信念・欲求も強固なものと見受けられます

ブログの趣旨からますます離れる報告は終了し
日常の一人静かな戦いへ埋没しようと思います
れれれの天職? (まさおさま)
2009-10-19 12:40:21
名古屋に出かけていたもので、出張先からもブログにログインはしていましたが、
コメントをいただいていることに気づかず、失礼しました。
(研究室にはありがたいことに、「コメントが届いていますよ」というメールが届いていました)

天職を論じたブログへの書き込みだったので、
店周りの掃除が私の天職です、という話なのかと思いましたが、
どうやらそうではないようですね。

野良猫がシャム猫の顔立ちというのはさすがというか、
野良猫の社会にも格差が生じているのでしょうか。
野良猫のくせに趣味が高尚なんですね。
首輪がダイヤモンドだったりするのでしょうか。

駐車場のゴミ問題を解決するには、2種類の解決策が考えられます。
1つは、元凶であるその高貴なネコを排除する。
いわゆる「元から断つ」という強硬手段で、根本的解決法ではありますが、
この手は、別の観点から見てとても非倫理的であると言えるでしょう。
2つめは、お掃除を天職としているような人(つまり、レレレのおじさん)を雇う。
その人が常に駐車場にいて、愛猫家が来たら「野良猫にエサを与えないでくださいね」
と注意してもらうようにします。
これは猫との共生とか雇用促進とか景気対策とか、いろいろと社会的な効用がありますが、
支出する経営者としては、うちがなぜそんな負担を強いられなきゃならない、という、
受け入れがたい思いが残ることでしょう。
でも倫理学者としては2番がお奨めです!

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