新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

ビッグモーターという会社の問題

2023-07-26 07:50:10 | コラム
所詮は「おやじ」個人の会社だったのでは:

私は昭和30年(1955年)に新卒で入社以来5年ほどは、需要家以外にも紙流通業界の卸商(紙類の二次販売店)も担当する営業職だった。その卸商(紙商)であり、多くは社名に「洋紙店」が入っていた店では、社長とその一族が経営する個人企業が圧倒的に多かった。そこでは多くの社長は「おやじ」と親しみを込めて呼ばれ、絶大な権限を持って彼独特の厳格な経営方針の下で店を運営していた。

その手法がどれ程厳しかったかの一例を挙げておけば「外交と業界用語で呼ばれていた営業マンたちは、勤務時間中に社内に止まっていることは許されず、その間はできる限り多くの得意先を回って歩き、少しでも多く受注して帰社することが仕事だった。そのような環境下では「おやじ」に「良い報告ばかりが上がっていき、滅多に悪い話は上がっていかなかったと理解していた。

長々と述べてきたが、昨日のビッグモーターの兼重宏行社長の記者会見を聞いていて、彼が「天地神明に誓って知らなかった」と言わばシレッとして語っていたのは、必ずしも嘘ではないのではと思っていた。それは、おやじ個人が大株主であり、絶大な権限を持ち支配していれば、社長が好まない悪い話が言上されることはなかっただろうと読んだという事。本来あるべき姿としては「社長は良い話は要らない。悪い話を報告に来い」と指示しておくべきではなかったのか。

テレビでのネット上でも「強権的な経営方針で臨んでいたのは、実際には息子で専務の宏一氏だった」となっている。その専務は昨日の会見にも出ていなかったが、早稲田大学出身でアメリカに留学してMBAを取得しているとかだ。そうと知れば、このように想像できる。

即ち、アメリカで経営学を学べば「事業部長はその運営に関しては全権(勿論人事権は含まれている)を与えられている」ので、悪く言えば「個人の好き勝手ができる」とも解釈できるのである。宏一氏はもしかするとその辺りと勝手に解釈して、創業者で最大の株主である父親の威光を借りて専横な振る舞いをしたのではなかったと考えられるのだ。

私が見てきた紙流通業界における数々の「おやじ」の会社でも、このような言わば勘違いの息子に出会ったことは極めて希なことだった。ということは、兼重宏行社長はご子息の指導を誤ったのか、息子の能力とMBAを過大評価して、家業の運営を任せてしまったのかな、などと考えている。

昨日のような支離滅裂とでも評したくなるような記者会見になったのは、社内に社長にどのような内容で語るべき加藤の会見の内容を進言できる秘書役というかその人材もおらず、組織もなかったのだと読める。要するに、7,000億円もの売り上げの会社でありながら、それに相応しい組織も態勢も整っていなかったとのだろう。