新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

盛者必衰会者定離

2023-07-13 08:26:30 | コラム
生ある者は必ず滅す:

このところ“America Inside”を取り上げてきていて、思わず件名のような仏教の教え(なのだろうか)を思い出した。その辺りが1972年に転出したMeadと1975年にまさかの二度目の転進となったウエアーハウザーにも当てはまるからである。それがどのようなことだったかを回顧してみよう。

1955年に新卒で採用されたのが旧国策パルプ(現日本製紙)の販売部門だった日比谷商事(現日本紙通商)だが、この会社は戦前の三井物産が戦後の財閥解体でバラバラになった時に、有志が集まって創立した会社だった。その辺りは別途触れるとして、アメリカの大手紙パルプメーカーの栄枯盛衰について振り返ってみよう。

Mead Corp.は当時にはアメリカの紙パルプ業界で上位5社に入る大手だった。私が転進した1972年頃にはパルプ、紙、板紙、パッケージング、文房具類まで手がける安定したメーカーであり、日本の製紙会社に各種のライセンスを下ろしている指導的な立場にあった会社だった。

私はそれ故に業界内に安定した地位にあり続けると思っていた。それが、2000年に入ってからアメリカの紙パルプ業界の再編成に波に呑み込まれて、高級の包装用板紙のメーカーWESTVACOと合併して、MeadWestvacoになっていた。だが、未だMeadの社名は残っていた。

ところが、21世紀に入ってアメリカの紙パルプ産業界がインターネットに圧倒されて印刷媒体が衰退したのに伴って一層の再編成が進み、MeadWestvacoは段ボール原紙と箱を主戦場とするWestRockと合併して、印刷用紙分野から撤退したWestRockとなり、遂にと言うべきかMeadの社名が消えてしまった。あー無情だ。

Weyerhaeuser Companyは1900年に法人化したアメリカ第2のパルプ林産物メーカーだった。21世紀になってからの紙パルプ産業界かIT化とディジタル化の荒波に圧され始めても、まさかウエアーハウザーが今日のような形にまで縮小してしまうとは予測できなかった。即ち、機を見るに敏なウエアーハウザー経営陣は業界に先駆けて、2005年にアメリカ最大級の印刷用紙部門をスピンオフしたのを最初に、紙パルプ分野からの撤退を開始したのだった。

個人的な感情から言えば「私が19年間身も心も捧げた事業部を含めて紙パルプ部門の全体が、2015年だったかで完全に消滅してしまったのだ。ウエアーハウザーはそもそも太平洋岸西北部に森林地を購入して発足した木材会社だったのだが、その事業を縦方向に多角化して紙パルプ分野にも進出したのだった。その会社が創立100年を過ぎてから、元の木材会社に戻ったのだ。故に社名は残っていても、我が事業部は消滅してしまった。

話を新卒で採用された国策パルプ直轄の販社だった日比谷商事に戻そう。親会社の国策パルプも合併に次ぐ合併でなくなってしまい、社名も残っていない。だからと言って別に感傷的にも感情的にもなっている訳ではない。一寸目を他の産業界に転じてみれば、繊維紡績業界の変化も凄まじいものがあったし、戦後に「三白景気」と言われた「紙・砂糖・セメント業界」がどう変わったかなどは言うまでもあるまい。商社や銀行業界の再編成も凄かったと思う。

私などは「製造業界」が最も尊ばれた時代に育ったが、アメリカを見てみれば(そうならざるを得なかったという労働力の質の問題があると言いたいが)古典的な製造業とは無縁であるとも言いたいGAFAMがあの大発展ぶりである。余計なお世話かもしれないが、我が国では未だ未だ鉄鋼のような業界の方が財界を支配しておられた時期が長かったのではなかったかと思う。

一寸、本筋から外れるが、対日輸出最大手のウエアーハウザーの輸出品目が一次産品である紙パルプ・ウッドチップ、材木とその加工品であると、上智大学同期で経済学部教授だった小田原涓一氏に語ったところ「それではアメリカはまるで日本の植民地のようなパタンではないか」と指摘したのが忘れられない。

私が最も考え込まされていることは「私がお世話になった会社が皆社名から何から消えてしまったこと」なのである。視点を変えれば急激な時代と産業構造の変化である。ウエアーハウザーは木材会社としては存続しているのだが、紙パルプ部門がないウエアーハウザーは「私のウエアーハウザー」ではないし、Mead Corp.もそのうちに「そんな会社がありましたか」となりそうで恐ろしいのだ。盛者必衰会者定離なのである。