BR 栽培日記 2023

バーズレストランの栽培日記です

国史とは、日本という国の歴史のこと

2019-01-31 16:46:37 | 日記・エッセイ・コラム


著者である池間哲郎さんは、1954年沖縄県生まれ。米軍統治下時代に生まれ育った池間さんは、反日報道の元で、「日本が侵略した。戦争を仕掛けた」と教えられて、日本の歴史に対して、いわゆる自虐史観を本土の人たち以上に持っていたと言う。

ところが、アジアの子供たちへのボランティア活動で外国を飛び回るようになったら、海外ではいかに日本が愛されているかがわかるようになって、そこから日本の歴史や伝統・文化について、いろいろなことを学ぶようになったという。その間の体験を一冊の本にまとめたのが本書です。

世界で初めて、「すべての人間は平等である」と宣言した日本

世界で初めて、「すべての人間は平等である」と宣言した日本に、私は大きな誇りを持っている。 世は人種差別の真っ只中。有色人種は人間でないと言われていた時代に、「毅然として立ち向かった」国家が私たちの日本である。

大正8年(1919年)4月11日、フランスのパリ講和会議国際連盟委員会において、「すべての人間は平等である」との「人種差別撤廃提案」を日本が世界で初めて出した。
白人至上主義がまかり通り、アフリカ・アジアを植民地とする。差別が当たり前、有色人種は家畜だと考え、奴隷状態に置き搾取する。それが当然だと思っていた当時の世界情勢から見ると、大変な決意と度胸だったと思われる。
有色人種国家の人々は驚愕し、「日本はなんとすごいんだ」と賞賛の声が広がる。賛成多数だったものの、残念ながら議長による否決で成立とはならなかった。

なぜ、このような素晴らしいわが国の歴史を子供たちに教えないのだろうか。なぜ、「日本が悪い事をした」とばかり教えるのだろうか?
世界の有色人種に一筋の希望の光を照らしたのは日本である。欧米列強に対して人間として当たり前のことを発信し、堂々と渡り合った日本。先人による世界初の「人種差別撤廃提案」を日本人は誇りに思ってほしいと願う。    (以上、本文から抜粋しました)


戦後、GHQは日本から去ったが、占領政策は70年経った今でも継続して続いている。押し付け憲法により戦力を放棄させられ、在留米軍基地は日本中にある。勿論、日本を護る為ではなくて、逆らった場合は何時でも再占領する為にである。占領洗脳教育が未だに続いてる状況においては、国史について学ぶ機会はほとんどないと言っても良いのかもしれない。

1200年代にエドワード一世が即位してイギリスという国家が誕生した。その後、産業革命により科学技術が発達して、15世紀から大航海時代が始まった。有色人種にとっては悪夢の始まりである。白人列強による過酷な植民地支配は、第二次世界大戦後に各国が独立を果たすまで、延々と何百年間も続いたのだ。
先の大戦は軍部の独走だったという意見もある、しかし、当時においては、闘わなければ植民地支配を受け入れるしか他に選択肢はなかったのだ。列島は幾つにも分割され、日本民族はとうの昔に滅んでいただろう。日本が、何故勝ち目のない戦争へと進まなければならなかったのか、この視点がスッポリと抜け落ちているのだ。
すべての原因は、白人列強による植民地政策にある。世界の有色人種は殺され文明は破壊され、過酷な植民地政策の下で苦難の生活を強いられていた。アフリカ・南米、更にアジアへとやってきて、最後に残った強敵が日本という国であった。まさに狙い撃ちである。

日本の国土は爆撃で焼け野原にされ、更に原爆投下で止めを刺された。東京裁判で戦犯が処刑され、日本は侵略を繰り返した悪い国という事になった。日本の悪を懲らしめて、世界に平和をもたらしたのは戦勝国である、という話になってしまったのだ。

今は、カレンダーを見ても、祭日が何を祈念する日なのかも解らないようになっている。もちろん、祭日に日の丸の国旗を掲げる家もなくなってしまった。もちろん、学校では国歌を歌わない。こんな状況で日本の国に誇りを持てるだろうか? 日本に生まれた歓びを感じる事ができるだろうか?
 
日本人であるという事に喜びをもち、命まで捧げてお国を護ってくれた幾多の先人に対し、心から感謝の真を捧げる事のできる私たちでありたいと思います。


冬の景色

2019-01-26 16:41:13 | 日記・エッセイ・コラム

朝、10時頃の太陽です。冬であっても太陽が出ると暖かいので、毎朝一時間半ほどの散歩を日課にしています。
しばらくパソコンの調子が悪くて、デジカメの画像をパソコンに取り込む事ができませんでした。なんとか昨日復旧しましたので、久しぶりの写真のUPです。


橋の上から見える、日高の霊峰・日高山脈。白銀に輝く雄姿が神々しいですね。


近所の農園、黒豚を放し飼いにしています。離農跡地に外国人が入植しました。近くにはもう一軒、外国人経営の牧場があります。こんな過疎地に来る日本人は居ないので、土地を買うのはほとんどが外国人です。跡取りの居る家はほとんどないので、もう十年もすると、日本人は誰も居なくなり、外国人居留地の様になってしまうかもしれません。


枯れたイタドリの枝に雪が付き、花が咲いているように見えるスノーフラワー。北海道ならではの景色かもしれませんね。


日の入り。沈む太陽が三角山の左端まできました。冬至の頃は、もっと左側に沈みます。冬至から一ヶ月ほど経って、だいぶ右側に移動してきました。やがて山を越して更に右に移動していきます。春分の日がくるまであと約二ヶ月、長い冬も折り返し地点に来ました。


太陽の国

2019-01-21 14:17:31 | 日記・エッセイ・コラム
かって、この海のかなたに太陽の国がありました。その頃の太陽は、今の太陽よりもはるかに純粋な光を放ち、果実はたわわに実り、花々はかぐわしい芳香を放っていました。われわれは必要なものだけを採り、魚や鳥や動物、海と大地とも調和して暮らしていたのです。
食べ物をめぐる争いごとはなく、われわれは食べ物以外からも、エネルギーを補給する方法を知っていました。あなたがたは食料だけが空腹を満たすとお思いのようですが、それは大きな勘違いでしょう。食事とは異種間のコミュニケーションであり、この惑星上において調和のための儀式でもあるのです。あなたがたは生命のない水を飲み、体内の水路を汚染させ、本来持っていた感覚を、自らの手でせき止めているのです。

われわれは感謝と歓喜を持って、万物に慈しみを抱き、調和を保ちながら暮らしていました。しかし、あなたがたの社会は、これらの習慣を否定し、無視し、排除しています。そこに大きな歪みが生じているのです。あなたがたは所有することにうつつを抜かし、魂の気高さを惜しげもなく手放し、心の深淵に眠る宝物を、目先の金品と交換してしまったのです。
われわれは財産というものを持たず、生活はいたって質素でした。物質に執着をいだくという事は、それだけ個人的な長所がない証拠です。われわれの価値観の中に、自分の内側と外側の世界の区別は存在しませんでした。自分のものと他人のものの厳密な区別はなく、すべてが光からもたらされた共有財産だったのです。それは目に見えるものだけではなく、たとえば夢とか発明と呼ばれるものも例外ではありません。そこには特許権や財力の集中もあるはずがなく、財産などもともとないので失う心配もなく、すべてが循環していました。

われわれにとって、生物と無生物の境界線、心と物質の境界線、時間と空間の境界線はありませんでした。なぜなら、この宇宙に存在するものは、すべて同じ材料から造られた兄弟姉妹だからです。われわれは森羅万象のすべてとコミュニケーションをとることができました。あなたがたは、万物に対して間違った認識を持っているようですね。人間だけが偉いとか、人間が一番偉いとか・・・例をあげればきりがありません。

われわれは、あなた方が言うところのテレパシーというものを駆使し、遠くの人と会話したり、鉱物や植物のネットワークを借りて、太陽系の惑星はもとより、銀河の広範井にまで交信することができました。石は情報を保存するフロッピィのような役目を果たし、その波動に同調できる人へ、メッセージを伝えるためのタイムカプセルにもなるのです。光の糸はエネルギー供給、交通、通信、記録、音楽、芸術、ヒーリングなど多岐にわたる分野で使われていました。エネルギーは宇宙からもたらされる光を利用していたので、悪臭や騒音に悩まされることもなく、一部の化石燃料を枯渇させることも、燃料をめぐる利害関係や権力の集中、それに伴う争いもありませんでした。
われわれは、石の持つ力、色の及ぼす力、音の発する力、言葉のパワー、数字の力、文字の持つ力・・・それらの波動を公式化して、宇宙意識と調和していたのです。

われわれの文明と、あなたがたのものと、最も違う点は、魂に対する考え方です。魂という言葉がわかりにくければ、心や精神、意識やハートやスピリットといった、目には見えないものと考えてもらってもいいですよ。夢や集合意識というものを有効利用し、われわれは美や調和を求め、全ての人が魂の表現者だったのです。個人の才能は押しつぶされることなく、創造の発露を見出すことができました。もちろん、エリア♯13の正しい使い方も、正しい水晶の汲み方も理解していました。自分たちの起源に気づき眠りから目を醒まし、本来持っていた宇宙の民としての誇りを取り戻したのです。あなたがたは、この宇宙には時間と空間の他に「意識」が存在することを認めようとはしません。意識に正しく標準を合わせることができれば、誰でも時空を超えられるのです。極端な表現をすれば、時間や空間など、たいした意味を持たないのです。魂レベルで考えれば、この宇宙には時間も空間もないのです。

思い出してください。あなたがたは、わざわざ今というときを選んで、目的を持ってこの星に生まれたのです。
惑星地球という、この高密度の世界に、勇敢にも飛び込んできた理由が必ずあるはずです。
でも、多次元にわたる知識を三次元に圧縮していくうちに、あなたがたは多くの事を忘れてしまったのかもしれません。高密度に耐え切れず、多くの事を自らの手で引き抜いてしまったのですよ。
人生における数々の試練は、それを誰かのせいにしたり、環境のせいにしたり、自分以外のものに責任転嫁するために降りかかるのではありません。試練とは魂を進化させるための試金石なのです。人は苦しみの中から多くを学ぶのです。すべての出来事に感謝を捧げ、歓びを他者と分かち合えた時、それらの思いは輝く未来へと変換されるのです。命の歓びを知り、地球にやってきた本当の理由を理解した時、大いなる宇宙の意識が、そこに存在し続けていたことに気づくことでしょう。
自分だけで独占しようと思ったら、その歓びはしだいに色褪せ、感謝の気持ちが鈍化していくでしょう。失う事を恐れ、自分だけ得をしようなどと考えていたら、せっかくの歓びは有効利用されないまま、色褪せてしまうのです。もし、あなたが本当に歓びが欲しいと思うなら、自分が持っている喜びを、他の誰かに受け渡せばいいのです。その相手は必ずしも人でなくても、大地や海、植物や水でもかまいません。歓喜を分かち合うことが重要なのですよ。もし、歓びがなくなってしまったなら、その時は惑星や星からもらえばいいのです。からっぽのゼロポイントには、多くのものが流入してくるでしょう。こうやって宇宙の輪は存続しているのですよ。歓喜の輪の中で生きていけば、この命に、この惑星地球に、この太陽に、この宇宙に感謝せずにはいられないことでしょう。

そんな太陽の国が何故滅んでしまったのかという、もっともな疑問ですが、われわれは太陽の国が沈んでしまう事を、もちろん事前に知っていました。惑星の軌道も、軌道上に交差するものの存在も、当然予知していました。そして、再び太陽が東の世界に戻ってくることもわかっていました。
建築家や技術者たちは、未来の自分たちのために、正しい方向を示す目印を建てるべく、測量の縄を持って全世界に飛びました。道標となる建造物には星が交差する数値や暗号が刻まれ、石の中にはホログラムを託しました。そして道標やタイムカプセルを設置し終わると、他の地域への奉仕のために残る者をのぞいて、ほとんどの者が、まもなく海の底に沈む太陽の国に戻ってきたのです。

沈むことがわかっていてもなお、太陽の国に居続けたいと言う、彼ら彼女らの自由意志を奪う事は誰にもできませんでした。われわれは夢を見るために、この惑星にやってきた。われわれ一人ひとりは、自由意志を持った魂の表現者だったのです。

そして、魂は不滅であることをわれわれは知っていました。究極的には、この宇宙に魂は、一つしかない事を理解していました。魂は凶暴な武器にかかっても、決して殺される事はありません。不滅の魂にとって最大の危機とは、肉体の死でも惑星の消滅でもないのです。
夢がなくなることが最大の危機であり、そして、地上に夢がなくなったとき、われわれは違う場所に夢を移したのです。どういう意味かわかりますね。
われわれは3次元領域から周波数を上げて、別の次元へと次元上昇(アセンション)していったのです。

目に見えるものばかりに心を奪われているうちは、とうてい理解できないかもしれませんが、ことの顛末は、こういうことです。


・・・・・地底から青い龍があらわれ天にむかい。天空から黄金の龍があらわれ、地上へとむかう。光と闇の力を束ねることができる者のみが、新たな道を見つけることができるだろう。
ライオンの知恵とライオンの勇気を持つ者のみが、光の道を歩み続けることができるだろう。
二つの力が等しくなったとき、太陽の国への扉が開かれる。そのとき目覚めている者のみが、太陽の国へと、自らの足で歩み入ることができるのだ。・・・・・・

眠っていた記憶が、ときを告げる鐘のように高らかに打ち鳴らされ、太陽の国へのプログラムが、いま作動しはじめた。
時空を超え、多次元の世界へと旅立とう。たとえ道なき道であっても。かって自分が築いた意志を見つけるために。自らの手で封印した未来を開くために。そして、わたしたちは最後の瞬間まで決して諦めない。自分の意志を信じて、強い遺志を信じて。

「時が来る。もうすぐ時は、やってくる!」





ホツマツタエ

2019-01-15 20:28:14 | 日記・エッセイ・コラム
漢字伝来以前に使われていたという「オシテ文字」で書かれた古文書「ホツマツタエ」。昭和41年に発見され、公にはみどめられていませんが、そこには縄文時代の生活や宇宙のはたらきなどがイキイキと書かれています。五七調で綴られたその文献は和歌の大元であり、古事記・日本書紀の原書とも言われ、これを学ぶ事を通して、日本に生まれたことの意味と、神社の大切さに気づくことができます。

ホツマツタエを学ぶとこんなことも解って来ます。
例えば、ミタマ(御霊)のタマを使う言葉に、たましい(魂)という言葉があります。
古代ではタマシヰ(イ)の意味は、人間を表します。シヰとは、「~が欲しい」の゛しい゛のことで欲を意味します。
゛タマ゛とはこの世を楽しむフワフワした存在。このタマという存在は、゛シヰ゛という欲があって、始めて肉体という形を持てるという事を教えてくれます。
例えば、食欲という欲があるからタマが人間としてこの世で体を使って表現する事ができるのです。
そして人間は死を迎えると、タマはシヰから切り離されて大宇宙の中心へ還っていく。そしてまた地上に戻ってきた時にはシヰと一緒になって人間として活動する。
これが輪廻転生という考えに繋がっているんですね。

和の国の原点「ト」の教え

縄文時代に国造りの原点になる教えがありました。それをトの教えといいます。(トと読むオシテ文字は、Yにロを重ねた図形です)

左から入るつくす(尽す)というエネルギー(女・月)と、右から入るやわす(和す)というエネルギー(男・日)をひとつにして国を造ろうという考えです。
例えば、男と女、日と月を一つにする、中庸や中立という考えに近いかもしれないですが、相反する性質のものを否定せず、どちらにも偏らずに一つになる。

ホツマツタエでは、男をオと呼び、女をメと言いました。
夫婦の事をメオトと言いますが、メとオがトの教えの元に一つになるという事を表しているのです。

以上、トータルヘルスデザイン、元気アップ通信から転載しました。


夫婦をメオトと呼ぶその語源が、弥生以前の縄文のホツマツタエにあるというのはとても興味深いですね。
日本建国二千年の歴史と言っても、四千年・五千年の歴史を持つ神社が日本にはゴロゴロありますよ。歴史が修正される事はないと思いますが、神代文字や古文書を勉強する人が増えてきたのはとても喜ばしい事だと思います。神武建国以前は、いきなり神代の時代になるのは誰が考えたっておかしい事です。日本の正しい歴史に光が当たる事によって、縄文の時代も又新たに甦ってくる事でしょう。