かって、この海のかなたに太陽の国がありました。その頃の太陽は、今の太陽よりもはるかに純粋な光を放ち、果実はたわわに実り、花々はかぐわしい芳香を放っていました。われわれは必要なものだけを採り、魚や鳥や動物、海と大地とも調和して暮らしていたのです。
食べ物をめぐる争いごとはなく、われわれは食べ物以外からも、エネルギーを補給する方法を知っていました。あなたがたは食料だけが空腹を満たすとお思いのようですが、それは大きな勘違いでしょう。食事とは異種間のコミュニケーションであり、この惑星上において調和のための儀式でもあるのです。あなたがたは生命のない水を飲み、体内の水路を汚染させ、本来持っていた感覚を、自らの手でせき止めているのです。
われわれは感謝と歓喜を持って、万物に慈しみを抱き、調和を保ちながら暮らしていました。しかし、あなたがたの社会は、これらの習慣を否定し、無視し、排除しています。そこに大きな歪みが生じているのです。あなたがたは所有することにうつつを抜かし、魂の気高さを惜しげもなく手放し、心の深淵に眠る宝物を、目先の金品と交換してしまったのです。
われわれは財産というものを持たず、生活はいたって質素でした。物質に執着をいだくという事は、それだけ個人的な長所がない証拠です。われわれの価値観の中に、自分の内側と外側の世界の区別は存在しませんでした。自分のものと他人のものの厳密な区別はなく、すべてが光からもたらされた共有財産だったのです。それは目に見えるものだけではなく、たとえば夢とか発明と呼ばれるものも例外ではありません。そこには特許権や財力の集中もあるはずがなく、財産などもともとないので失う心配もなく、すべてが循環していました。
われわれにとって、生物と無生物の境界線、心と物質の境界線、時間と空間の境界線はありませんでした。なぜなら、この宇宙に存在するものは、すべて同じ材料から造られた兄弟姉妹だからです。われわれは森羅万象のすべてとコミュニケーションをとることができました。あなたがたは、万物に対して間違った認識を持っているようですね。人間だけが偉いとか、人間が一番偉いとか・・・例をあげればきりがありません。
われわれは、あなた方が言うところのテレパシーというものを駆使し、遠くの人と会話したり、鉱物や植物のネットワークを借りて、太陽系の惑星はもとより、銀河の広範井にまで交信することができました。石は情報を保存するフロッピィのような役目を果たし、その波動に同調できる人へ、メッセージを伝えるためのタイムカプセルにもなるのです。光の糸はエネルギー供給、交通、通信、記録、音楽、芸術、ヒーリングなど多岐にわたる分野で使われていました。エネルギーは宇宙からもたらされる光を利用していたので、悪臭や騒音に悩まされることもなく、一部の化石燃料を枯渇させることも、燃料をめぐる利害関係や権力の集中、それに伴う争いもありませんでした。
われわれは、石の持つ力、色の及ぼす力、音の発する力、言葉のパワー、数字の力、文字の持つ力・・・それらの波動を公式化して、宇宙意識と調和していたのです。
われわれの文明と、あなたがたのものと、最も違う点は、魂に対する考え方です。魂という言葉がわかりにくければ、心や精神、意識やハートやスピリットといった、目には見えないものと考えてもらってもいいですよ。夢や集合意識というものを有効利用し、われわれは美や調和を求め、全ての人が魂の表現者だったのです。個人の才能は押しつぶされることなく、創造の発露を見出すことができました。もちろん、エリア♯13の正しい使い方も、正しい水晶の汲み方も理解していました。自分たちの起源に気づき眠りから目を醒まし、本来持っていた宇宙の民としての誇りを取り戻したのです。あなたがたは、この宇宙には時間と空間の他に「意識」が存在することを認めようとはしません。意識に正しく標準を合わせることができれば、誰でも時空を超えられるのです。極端な表現をすれば、時間や空間など、たいした意味を持たないのです。魂レベルで考えれば、この宇宙には時間も空間もないのです。
思い出してください。あなたがたは、わざわざ今というときを選んで、目的を持ってこの星に生まれたのです。
惑星地球という、この高密度の世界に、勇敢にも飛び込んできた理由が必ずあるはずです。
でも、多次元にわたる知識を三次元に圧縮していくうちに、あなたがたは多くの事を忘れてしまったのかもしれません。高密度に耐え切れず、多くの事を自らの手で引き抜いてしまったのですよ。
人生における数々の試練は、それを誰かのせいにしたり、環境のせいにしたり、自分以外のものに責任転嫁するために降りかかるのではありません。試練とは魂を進化させるための試金石なのです。人は苦しみの中から多くを学ぶのです。すべての出来事に感謝を捧げ、歓びを他者と分かち合えた時、それらの思いは輝く未来へと変換されるのです。命の歓びを知り、地球にやってきた本当の理由を理解した時、大いなる宇宙の意識が、そこに存在し続けていたことに気づくことでしょう。
自分だけで独占しようと思ったら、その歓びはしだいに色褪せ、感謝の気持ちが鈍化していくでしょう。失う事を恐れ、自分だけ得をしようなどと考えていたら、せっかくの歓びは有効利用されないまま、色褪せてしまうのです。もし、あなたが本当に歓びが欲しいと思うなら、自分が持っている喜びを、他の誰かに受け渡せばいいのです。その相手は必ずしも人でなくても、大地や海、植物や水でもかまいません。歓喜を分かち合うことが重要なのですよ。もし、歓びがなくなってしまったなら、その時は惑星や星からもらえばいいのです。からっぽのゼロポイントには、多くのものが流入してくるでしょう。こうやって宇宙の輪は存続しているのですよ。歓喜の輪の中で生きていけば、この命に、この惑星地球に、この太陽に、この宇宙に感謝せずにはいられないことでしょう。
そんな太陽の国が何故滅んでしまったのかという、もっともな疑問ですが、われわれは太陽の国が沈んでしまう事を、もちろん事前に知っていました。惑星の軌道も、軌道上に交差するものの存在も、当然予知していました。そして、再び太陽が東の世界に戻ってくることもわかっていました。
建築家や技術者たちは、未来の自分たちのために、正しい方向を示す目印を建てるべく、測量の縄を持って全世界に飛びました。道標となる建造物には星が交差する数値や暗号が刻まれ、石の中にはホログラムを託しました。そして道標やタイムカプセルを設置し終わると、他の地域への奉仕のために残る者をのぞいて、ほとんどの者が、まもなく海の底に沈む太陽の国に戻ってきたのです。
沈むことがわかっていてもなお、太陽の国に居続けたいと言う、彼ら彼女らの自由意志を奪う事は誰にもできませんでした。われわれは夢を見るために、この惑星にやってきた。われわれ一人ひとりは、自由意志を持った魂の表現者だったのです。
そして、魂は不滅であることをわれわれは知っていました。究極的には、この宇宙に魂は、一つしかない事を理解していました。魂は凶暴な武器にかかっても、決して殺される事はありません。不滅の魂にとって最大の危機とは、肉体の死でも惑星の消滅でもないのです。
夢がなくなることが最大の危機であり、そして、地上に夢がなくなったとき、われわれは違う場所に夢を移したのです。どういう意味かわかりますね。
われわれは3次元領域から周波数を上げて、別の次元へと次元上昇(アセンション)していったのです。
目に見えるものばかりに心を奪われているうちは、とうてい理解できないかもしれませんが、ことの顛末は、こういうことです。
・・・・・地底から青い龍があらわれ天にむかい。天空から黄金の龍があらわれ、地上へとむかう。光と闇の力を束ねることができる者のみが、新たな道を見つけることができるだろう。
ライオンの知恵とライオンの勇気を持つ者のみが、光の道を歩み続けることができるだろう。
二つの力が等しくなったとき、太陽の国への扉が開かれる。そのとき目覚めている者のみが、太陽の国へと、自らの足で歩み入ることができるのだ。・・・・・・
眠っていた記憶が、ときを告げる鐘のように高らかに打ち鳴らされ、太陽の国へのプログラムが、いま作動しはじめた。
時空を超え、多次元の世界へと旅立とう。たとえ道なき道であっても。かって自分が築いた意志を見つけるために。自らの手で封印した未来を開くために。そして、わたしたちは最後の瞬間まで決して諦めない。自分の意志を信じて、強い遺志を信じて。
「時が来る。もうすぐ時は、やってくる!」