暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

喜寿を祝う茶事へ招かれて  

2016年04月26日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)
                                                       


茶友T氏の母上様
の喜寿を祝う茶事へ招かれました。
京都に居るときからこの茶事のことは伺っていて、心待ちにしていました。
巻紙のお手紙に
  四月十八日  十一時席入
  席      真静庵
とあり、不肖暁庵が正客の指名、御連客4名様(Kさま母娘、Fさま、Fさま友人)とは初対面でした。
・・・でも、皆で心を一つにして臨んだ喜寿を祝う茶事は得難い一会となり、未だ余韻が治まりません。
忘れないように少しだけ書いておきます(これから数ヶ月茶事が続くとのことなので・・・)。

徳島から高速バスに乗り、鳴門海峡を渡り、淡路島の真静庵へ向かいました。
最寄バス停までT氏が出迎えてくださり、到着の安堵と共に正客の重圧がのしかかってきます。

                            

待合で連客の皆様と改めてご挨拶を交わすと、口々に
「お茶や茶事のことはよくわかっていませんので、失礼があるかもしれません。
 どうぞ宜しくお願い致します」
・・・と心配そうなご様子でした。
内心、「そうよね! 正客の私もどうなることかしら??ですもの」と思いながら
「今日はお茶の作法うんぬんは抜きにして、間違っても良いことにしましょう。
 皆さまと心を一つにしてS先生の喜寿をお祝いしたいと思いますので、そのことに専念致しましょう」
と申し上げると、皆さまの顔に笑顔が戻りました(ヨカッタ!)。

待合のお軸は寿老人の画と俳句、仙義梵和尚の筆です。
ユーモラスな寿老人にS先生の穏やかなお顔を重ね、楽しい俳句にもニッコリです。
机の上に奉書と硯が置かれていて、バスの中でひねり出した歌を書きました。

      先達の喜寿をことほぎ渡る島
         夢の淡路のあとを慕ひつ     暁庵

                           

真静庵へ席入すると、薄暗い四畳半の茶室に燭台が置かれています。
その灯りを頼りに床のお軸を拝見したのですが、達筆すぎて・・・う~~ん。
喜寿を迎えられたS先生と客5名がお祝いの挨拶を交わし、
記念の茶事へお招き頂いた感慨が各人の胸や言葉に溢れて、S先生も込み上げてくるものがあったようでした。
涙もろい暁庵もすぐにほろり・・・ 

挨拶のあとでS先生にお軸をお読み上げ頂きました。

    諸悪莫作修(衆とも)善奉行(しょあくまくさ しゅぜんぶぎょう)

名前は失念しましたが、宗旦居士時代の大徳寺住職筆、禅機が迫ってくるような力強い書です。
このお軸を掛けられた趣旨をお伺いすると
「なんとか喜寿を迎えるまで来ましたけれど、その道は必ずしも善いことばかりではなく、悪しきこともあり、いろいろ乗り越えてここまで来たように思います・・・」
S先生のお話を伺って
「悪いことはせずに善いことをしなさい」
と単純に理解していた「諸悪莫作修善奉行」が全く違う意味合いで心に迫ってくるではありませんか!
この禅語を選ばれた先生のお心に触れた思いがし、胸が熱くなりました。

・・・もうこれだけでも感動でしたが、これからが・・・・

喜寿の茶事が全て終った頃に続きを書けたら・・・と今は思っています。

                                 


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