暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

紅葉のさんぽみち-1  竹内栖鳳展

2013年12月01日 | 美術館・博物館
               栄摂院の散紅葉


11月30日午後、昨日の夕ざりの茶事の余韻が覚めやらぬまま、
小春日和に誘われてぶらっと散歩へ出かけました。
コースは、京都市美術館「竹内栖鳳展」~金戒光明寺・山門~栄摂院~
真如堂~吉田山荘・真古館~夕陽の近衛坂です。

           
                    京都市美術館

先ずは、気になっていた京都市美術館「竹内栖鳳展」へ。
閉展(12月1日まで)が迫っているせいもあり、思った以上の混雑でした。
京都市美術館80周年記念を謳っているだけあって、京都市美術館はもとより
東京国立博物館、京都国立近代美術館、山種美術館、個人などから
竹内栖鳳の代表的な作品が出品展示されていて、見ごたえがありました。

「斑猫(はんみょう)」(重要文化財、大正13(1924)年、山種美術館)や
「金獅」(明治34(1901)年、株式会社ボークス)なども好かったのですが、
次の2作品が心に残っています(両方とも後期展示)。

           

1点目は、「観花」(個人蔵)。
花を観る・・・という題名の如く、女性らしき骸骨が
舞扇をかざして踊っています。
桜とおもえる花はどこにも描かれていませんが、
花を観て思わず舞い始めてしまった骸骨の、何とも言えない色気、
悲哀、喜びを感じる絵で、深い印象を受け、立ち止まりました。

解説によると、
「観花」  明治30年33才
江戸中期の俳人・上島鬼貫の
  「煩悩あれば衆生あり
   骸骨のうへを粧て花見哉」
の句意を絵画化した作品とあり、
竹内栖鳳は京都府立病院から八十歳を越えた女性の遺骨を借り出して
骨格などを丹念に調べて画いたそうです。

八十歳を越えたときに、この強烈な絵を思い出しながら
「観花の茶会」を催せたら・・・・と、つい妄想を。
身は骸骨になろうとも、うへを精一杯粧て、涙を隠して粗茶一服・・・。
(忘れないように書き記しておきます)

            

            
2点目は、富士図(明治時代、本間美術館蔵)。
雄大な富士が六曲一双の金屏風に画かれています。
右端から歩いて行くと、
原の千本松原か三保の松原を思わせる松が描かれ、
それからゆっくり広い裾野を歩き、次第に高度を増して、
絵筆の動きは野太く生き生きとし、色彩の変化も美しく、
富士の高みを麗しく表わしています。
昇りきると、雪を微かに抱いた山頂が天に向かって聳えていました。

・・・そして、山頂の次の二曲(枚)には何も描かれていません。
富士山の高みを昇りつめ、そこですとーんと潔く終わっています。

             
                     岡崎公園の紅葉   

まるで人生みたい・・・です。
きっと竹内栖鳳は自分の一生をかくありたい・・と
願ったのではないでしょうか。
最後の最後まで目指す高みを究めて己む
・・・そう思いながら「富士」の絵を何度も見直しました。
                                  
 

         紅葉のさんぽみち-2へつづく



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。