蓮の花が今年も・・・
(つづき)
☆ 2014年3月
半澤鶴子さん、茶事の道具を車に積み込むんで、いよいよ旅立ちです。
山々に雪が残る早春の頃、新潟県長岡市寺泊を目指し、着物姿で颯爽とバンを走らせていました。
寺泊といえば良寛さんがすぐに浮んできましたが、半澤さんの関心は別の所にありました。
寺泊は江戸時代に北前船の湊として栄えた所、かつて豪商たちが茶の湯を楽しんでいた足跡を訪ねてみたいとやって来たのです。
ところが、商家の茶室、古い茶碗などの足跡は幻の如く掻き消えていて、やっとの思いで住吉屋という旅館の主人から
「古い茶室なら、照明寺(しょうみょうじ)という寺に密蔵院という茶室が残っています」
と教えられ、茶室・密蔵院で茶事ができたら・・・と願いながら、住吉屋さんに案内してもらいます。
寺泊の風景
照明寺は永承2年(1047)の創建、970年の歴史のある寺院でした。
本尊は弘法大師の護持仏と伝わる聖観音、越後三十三観音第二十番札所となっています。
平安時代末期には源義経が平泉へ逃避する際に当寺を訪れたとも、
戦国時代には上杉謙信が戦勝祈願に訪れたとも伝えられています。
良寛さん縁の寺として知られ、享和2年(1802)良寛45歳の時に密蔵院で暮らし、
さらに70歳、72歳と生涯3度居住しています。
密蔵院は天保12年(1840)に焼失し、昭和33年(1958)に茶室風に再建されました。
照明寺の密蔵院(茶室)
密蔵院で和尚さんに
「茶事という世界を失くしたくないのです・・・」とアツイ思いを語る半澤さん。
「念ずれば通ず」でしょうか、和尚さんの許可を得て、住吉屋さんをはじめ4人のお客さまも決まり、2日がかりで準備をします。
茶道具を茶室まで長い石段を運び上げ、茶室や東司の掃除、食材の調達など・・・。
チラつく早春の雪の中で茶事支度に勤しむ半澤さんの姿、とても大変なんだけれど誠にイキイキと嬉しそうに私の目には映ります。
「見えないところで最善を尽くすことを惜しまない・・・それに一歩でも近づくため修練の日々です」
「料理はできるだけ手を加えず、旬の素材の良さを引き出して、そのまんまお人の口へ運ぶ・・・自然の素材を素直に生かすのが茶事の料理と思っています」
土筆とスギナ(緑色の草)(季節の花300)
密蔵院の茶事の様子を想像を交えながら書いておきます。
茶事当日は雪も止み、お客さまは4名様(男性3名女性1名)、蹲踞で身を浄めて席入です。
半澤さんは焦げ茶色の無地の着物に花の刺繍がある銀色の帯、シックな取り合わせがとてもお似合いでした。
ご挨拶のあと、早速に懐石膳が運ばれます。
「たった今、お客様のために焚きあげました」という亭主の心がこもった、熱々の「一文字」、
汁は「蓬(よもぎ)白玉だんごにスギナ素揚げ添え」の白味噌仕立てです。
冬の間、大地の滋養をいっぱい受けて育った蓬やスギナなどの春菜が大活躍、向付は地産地消のヒラメの昆布〆、
「スギナを始めて口にしましたが、美味しいです」とお客様。
「茶事は音と気配で進行していきます。食事が済んだら箸を一斉に落してくださいね。
箸を落とす音が懐石終了の合図になりますので・・・」
点前座・・・我が家の写真ですが
中立となり、いよいよ茶事の神髄ともいうべき濃茶です。
点前座には朝鮮鉄風炉、木地釣瓶が置かれ、茶入と茶碗も見えます。
帛紗を捌き、茶入や茶杓が清められ、黒楽茶碗に濃茶が入れられました。
濃茶を練る音が心地よくリズミカルに聞こえ、ぷ~んと佳い香りが漂ってきました。
じっ~と息を殺すように集中して半澤さんの点前を見つめ、濃茶を飲んで心が満たされていくお客様。
深みのある侘びた黒楽茶碗、中の翠の抹茶がなんて艶やかで美しく、味わい深いのだろう・・・。
濃茶は心と心を通わせる時、主客ともに一期一会の奥ゆきに触れる瞬間でもあります。
「敷居が高いと思っていたお茶が身近に感じられました。
気軽な気持ちで楽しめ、時間を忘れるようでした」
というお客様の感想が我がことのように嬉しかった・・・。
「気軽に楽しんで頂けたら何よりです。
いろいろしてあげたい、したいことはいっぱいあるけれど、限られた時間の中でできることをして悔いずに前へ進む、最善を尽くすのが茶事の本分なので、それが伝わっていたら嬉しい・・・」と半澤さん。
半澤さんにとって記念すべきスタートの茶事になりました。
「女ひとり 70歳の茶事行脚」に寄り添って (その1)へ (その3)へ