ちょっとだけ・・・

2016-07-26 17:58:16 | ストロベリークォーツ
昨日の夜、Mちゃんに電話するまで、本当はものすごく哀しかったのだ。
早くMちゃんと話したくてたまらなかった。

Mちゃんと話して、かなり気持ちが納まった。
元気になれた。
そして、明日Mくんのことをいっぱいブログに書こうと思った。
それが私の心の拠り所だったみたい。

一気に記事を書いた。五つかな?
最後に書き上げるころには、とても哀しくなった。
Mちゃんに電話することで気持ちを紛らわし、ブログを書くことで気持ちわ紛らわしたのだ。
記事を書き上げたら、気持ちを紛らわす手段を使い尽したということか?
哀しくなった。
大声で泣きたいと思った。
布団でうつ伏せになって、声をあげてみた。
声をあげて、おいおいと泣いてみた。
猫が心配そうに(?)寄ってきた。
声は出るが、涙はなかなか出てこない。
私の涙腺は、いったいどうなっているのか!?
でも、ちょっとだけ、ちょっとだけ、涙も出た。

そして考えていた。
IGUちゃんと最初に別れたとき、私は辛すぎて涙も出ないと思っていた。
でも、今日はちょっとだけ泣いた。
涙は私の心を浄化してくれただろうか?

Mくんとのこの14ヵ月を記録したものを読み返してみた。
Mくんはやっぱり私のことが好きだったんじゃないかと思った。
どうせもう会えないのだから、どう考えても一緒。
だったら、そう思っていた方が楽しいかもしれない。
そして、思った。
この今回の別れが、どんなに急なものだったか。

私とMくんは、とても楽しい5月を過ごした。
6月もその名残りを感じていた。
最後に顔を合わせた日も、言葉は交わせなくても、特別な視線を絡ませ合った。
私は、毎日が楽しかった。
読んでいて思った。
本当に青天の霹靂だったのだと。
神様が特別に、会えなくなる前に、楽しい日々をサービスしてくれたのか?
4月までの状態で、別れを迎えていたら、私はどんな状態だったか想像できない。
とても、昨日のようなふるまいはできなかったかもしれない。

Mくんは言った。
「急だったので。言わなきゃと思ったんですけど」。
「僕が最後に行った日、来なかったから」。
私は、ちょっと不審そうな目で見てしまったけれど、月曜日だったと言われて納得した。
私はMくんのところへ月曜日と金曜日の週2回通っていて、
ちょうど、月曜日に行かなくなった2回目くらいじゃないだろうか?
その後に空白の1ヵ月があるので、もうずっと週1回のような気になっていたけれど。
でも、覚えている。
その月曜日、Mくんの車はなかった。
車はなかったけれど、違う車で来ているかもしれないと思い、
私は、お守りを渡そうと、しばらく出待ちしていたのだ。
あの時会えなかったのも、神様の思し召しだろうか?
それか、Mくんは挨拶か、何か事務的なことで出勤しただけで、早く帰ってしまっていたのかもしれない。

私は何も知らずにMくんを探していた。

時間が解決してくれるだろうか?
Mくんに会えない日々に、慣れることができるだろうか?
またMくんに会える日が来るだろうか?

今年は長い夏になりそうだ。

昨日のできごと

2016-07-26 12:34:31 | ストロベリークォーツ
昨日の出来事を、私は全く後悔していない。

Mくんが私の前から姿を消してしまって…。
最初は強がっていた。
いろいろ不安や心配はあったけれど、
最悪の状況なんてあるはずがないと思っていた。

でも、ちょっとだけ緊張の糸が切れたとき、事故って死んじゃったんじゃないかと思った。
本当にそう思った。
死んでなくても、大怪我をしたとか?
大怪我でなくても、怪我をすれば職業柄仕事には出られないだろう。
そのうち、怪我をしたわけではなさそうだということだけはわかる。
(このときは、本当に安心した)
だったら何だろう?
想像していても仕方ない。彼の同僚さんから情報を入れるしかない。

同僚さんと言っても誰彼構わず聞くわけにもいかない。
週に1回しか行かない場所。
そのチャンスはなかなか訪れない。
今日がだめなら、私はまた1週間このわけがわからず不安な状況を続けなければならない。
自分のコミュ障が呪われる。
さりげなく自然に聞き出すことができるだろうか?
日ごろから、もっと他の人たちとも無駄話をする努力をしてこなければいけなかった。

そして、この人ならと思っていた人と話す機会が訪れる。
彼は、私とMくんのことを少しは知っているのだろうか?
もしかしたら、Mくんからの伝言を預かっていてくれないだろうか?

彼は、私とMくんのことは何も知らなかったと思うし、
Mくんからの伝言も聞いていなかったと思う。
でも、私が敷いておいた伏線に、うまくのってきてくれた。
そのおかげで自然に聞けた。
「Mくんはどうされたんですか?最近お見かけしない気がするんですけど」。
そしてわかった。
Mくんが系列のところに異動になったこと。
そのことを彼(同僚さん)は不満に思っているらしいこと。
「求人して、新しい人を雇えばいいのに。Mさんにはここにいてほしかった」。

ものすごく哀しかった。
さよならも言えなかった。
私は、Mくんがいないのは一時的なもので、すぐに戻ってくるんじゃないのかと思って、
毎日のように、あるはずのないMくんの車を探しに彼の職場の駐車場を見に行っていた。
スタッフさんの写真の中に、まだMくんのものがあるので、辞めたわけではないと思っていた。
でも行くたびに、彼の写真が無くなっているんじゃないかと恐れていた。
同僚さんの言い方では、Mくんがすぐに戻ってくることはないらしい。

その日は普通に過ごそうと思って、予定通りに映画に行った。
でも、どうしても、Mくんの車だけでも見たいと思って、
同僚さんから聞いた彼の新しい職場に行ってみた。
車は無かった。
今日はお休みなのかな?と思った。
車が無いことに、ものすごく落ち込んだ。
私にとって、もうMくんの手掛かりは車しかないのに。
このために、神様が私にMくんの車を特定させてくれたのだと思っていたのに。

こんな中途半端な終わり方には耐えられなかった。
もう会えないのだから、どんな無残な結果に終わったとしても構わない。
何度か逃げ出したいと思った。
でもがんばった。
Mくんが、私の知らない車に乗って、こっちに向かって来るのを見ても堂々と歩いていった。
Mくんが私に気がついた瞬間、チラリと目が合った。
私は一度前を向いて、そしてもう一度Mくんの方を見た。
Mくんが車をバックさせて、車を停めて、私のところへやってくる間、
私はMくんに背を向けて、
「どうしよう?どうしよう?やっちゃったよー!!」とうろたえていた。
でも、Mくんの新しい(?)車のナンバーと車種はしっかりメモした。

すべてが終わってから思った。
今度会えたら、「死んじゃったかと思って、ものすごく心配しました」って言おうと思ってたんだ。
どういうつもりで、あれらの言葉を言ったのか聞こうと思ってたんだ。
でもいいや。
私とMくんの出逢いが運命なら、また聞く機会は訪れるだろう。

そして、すっきりした。
自分の気持ちを伝えなかったことを後悔して、そしてあんな中途半端な別れ方をしたままでいたらと思うとぞっとする。
Mくんに会いに行く前より、ずっと気持ちは落ち着いている。

Mくんが、前の職場に戻ってきても、その時私はもう通っていないだろう。
また通うときがあったとしても、何年も先のことだろう。
その時、私はもうおばあさんだろうと思う。
そして、私はフェイスブックのプロフィールを公開したままだ。
Mくんが私に連絡をくれることはないだろうけど、思いがけない誰かが連絡をくれるかもしれない。

泣くかもしれない。
毎日、Mくんが映っているページを見にいってしまうかもしれない。
泣きたくなったら泣こう。
泣けたらまたすっきりする。

私は今でもMくんの倖せを祈っているし、
Mくんのことが大好きである。
どうしても会いたくなったら、またMくんの車を見に行こう。
そんな私のことを、Mくんは、決してストーカーだとは思わないだろう。

ストロベリークォーツ

2016-07-26 11:24:01 | ストロベリークォーツ
この恋の記念にストロベリークォーツを買おうと思う。

ちょっと前の、ネットの毎日の占いの、ラッキーアイテムが「ストロベリークォーツ」だった。
それまで私は、ローズクォーツに魅かれていたが、
このストロベリークォーツにはピンとくるものがあった。
思わずメモした。

妄想の中で、Mくんと一度だけデートしたいと思った。
記念の品をMくんにおねだりしようと思った。
「本当は指輪が欲しいけど、結婚指輪を無くしちゃったのでぇ、
 さすがに、結婚指輪をしてないのに、他の指輪をしてるのはまずいかと…」。
「結婚指輪無くしちゃったんですか?そのこと旦那さん知ってるんですか?」
「言ってない。でも、私が無くしてからしばらくして、夫も指輪しなくなったから、
 彼が指輪をしまい込む場所も想像できないから、あっちも無くしたのかも?」
(これはもちろん、妄想の中の会話である。そして私が結婚指輪を無くしたのは事実である)。

今なら、ストロベリークォーツをおねだりしようと思う。
ペンダントにして、いつも身に着けよう。

どこで買おうか?
あまり安物でなくて、ちゃんとした物を買おう。

これが私の人生

2016-07-26 11:06:15 | ストロベリークォーツ
どんな現象がやってきても、それを笑顔で受け止めて、
「あー、これが私の人生なんだね」って思って、笑顔で生きていく。

これが私の人生なら、なんて情けない、と思った。

私の55年の人生、
まあ、子供のころのことはよくわからないが、
キラキラと輝いていたのは、恋をしているときだけじゃないか!?

恋をして傷ついて、心に蓋をして、時間を止めて。
そして、また恋をするために時間が動き出して…。

だけど、だけど、
「本当の恋」をしたことがない人に比べたら、よっぽどいいじゃない!?
世の中の人の大半は、恋をしたことがあるだろう。
私のように恋い焦がれたり、せつない想いをしたり、楽しかったり、苦しかったり…。
でも、そんな想いをしたことのない人だっているような気がする。
そんな想いをしたことがなくても、もっともっと貴重な体験をした人ならそれもいいだろう。
でも、恋も含めて、そういった貴重な体験を自覚していない人はいるだろうと思う。
ものすごく貴重な体験をしても、それを不幸な体験だと思っている人もいるだろうと思う。

私の恋は、ただの自分勝手な恋だったとは思わない。
相手の倖せを願うことのできる恋だったと思う。
自分のために相手の倖せを願うんじゃない。
ただ、相手のために、相手の倖せを願う恋である。

Mくんへの想いは、かなり自分勝手な部分が多かったとは思う。
その自分勝手は、将来を望むものではないのだから、
純粋に、彼が存在してくれるだけでいいと思っていた。
そんな「自分勝手」。
でも、常にMくんが倖せであればいいと思ってきた。
Mくんが、家庭で、職場で、倖せであってくれればいいと思ってきた。
Mくんが、私のことで困った思いをしなければいいと思っていた。
Mくんが、私のことを少しだけ好きかもしれないと思ったけれど、
それは、なんと言うか…、
ちょっとだけ心の遊び?
「究極のプラトニックW不倫」。そんな感じ。

そして、私が心の時間を止めていた間も、何もしていなかったわけではない。
その長い時間の間に、
私は、結婚して、人並みに家庭を築いて、人並みに子育てをした。
子供たちは、みんなちゃんと育ってくれた。
世の女性たちは、そんな時間をキラキラした時間だと思うのかもしれない。
私も、ただ単にそれを自覚できないだけのことなのかもしれない。
私にとって、「家族」とは、そんな存在だから。
まるで、若者が、「家族」のありがたさがわからなくて文句ばかり言っている…、
それと同じなのかもしれない。
何と言っても、私の心は良くも悪くも「25歳」のままだから。

神様がくれた時間

2016-07-26 10:53:05 | ストロベリークォーツ
昨夜は眠れるかな?と思った。
眠れる自信はなかった。
布団の中で、「明日はブログにMくんのことをいっぱい書こう」と思っていた。
今日は、朝仕事に行く日だったけれど、「来なくていい」と言われていた。
「またか!」と思ったけれど、
それは、神様が私にブログを書く時間を与えてくれたんだなと思った。

わりと早く眠れたと思う。
目が覚めたとき、感覚的にはよく眠った感じだけど、まだ1時半とかなのかな?と思った。
私にはそういうことがよくある。
でも、4時だった。
一度起きて煙草を吸って、もう一度眠ろうと思ったけれど、眠れそうもない。
じっとしているのが辛くて起き出した。
もう6時に近かった。
夫と娘が出勤するまであと1時間半。
じっとしているのが辛くて、片付けものでもしようと思う。
外に出たくて(前から思っていたのだけれど、我が家の中は負のエネルギーが溜まっているのかも?)、
ちょっと気になっていた先日夫が剪定した木の枝を、ゴミに出せるように束ねる。
家に入ってくると、いつもなら夫が起きている時間なのにまだ起きていない。
一瞬、今日休むと言い出したらどうしよう!?と思う。
夫がいたのでは、こんな風にパソコンに向かえない。
2階にあるパソコンは壊れている。
でも、1本遅い電車だったが夫はちゃんと仕事に出て行った。
そうだよね?これは神様がくれた時間なんだから。

本当なら中島みゆきの音楽をかけたいところだ。
でも、やめておく。
みゆきさんの唄を聴いたら、またカラオケに行きたくなる。
そうしたら、また哀しくなる。
かつて、みゆきさんの唄は、哀しみを通り越して元気をくれたけど、
今は、哀しくなる気がする。

Mくんのことを書くのは未練に違いない。
Mくんのことを書いていれば、みゆきさんの唄を聴かなくても哀しくなるかもしれない。
事実、ちょっと哀しくなってきた。
でも、書く。
30年前、IGUちゃんにさよならした時、私はとにかくIGUちゃんのことを考えないようにした。
心がIGUちゃんの方に引き戻されるのが怖かったのだ。
その結果、私は心に蓋をして時間を止めた。
今度は、心に蓋をしてはいけないのだ。
哀しみは哀しみとして受け止めて、
そして、私はMくんのことを忘れてはいけないのだと思う。

Mくんと会えなくなる日を想像していたころは、その世界はものすごく虚しい世界だろうと思っていた。
生きる、と言うか、毎日を過ごしていく拠り所を無くしてしまうと思っていた。
何を考えて生きていったらいいのかわからないと思っていた。
でも、今はちょっと違う。
Mくんと出逢えたことを、何かに生かさなければと思う。
こうしてしばらくぐずぐずとMくんとのことを書き綴ったら、何かを始めなければと思う。

私は、ものすごく貴重な体験をしたのだ。
誰もができるわけでもない。
この歳になって、本当に純粋な恋をした。
それだけでもすごいのに、Mくんが、あり得ないはずのMくんが、
もしかしたら、Mくんも私のことを好きかも?と思えるような様子を見せてくれた。
それは、決してたまにあるような、悪意をもってされたことでなく、
そう初期のみゆきさんの唄にあるような、
私の恋心につけ込んで、私にちょっかいを出して、私の反応を友達と笑っているような、
そういったものではなかったことは確かだと思う。

夫には感謝している。
Mくんに会った日など、帰宅した夫を見ると、「おじいだなあ…」と思った。
結婚する前、夫とはスキーに行ったくらいで、水族館とか遊園地とか、
そういったキャピキャピしたイメージのデートはしたことがないなと思い、
Mくんとそういったところに行けたら、どんなに楽しいだろうか?とか思った。
でも、最近、Mくんとのやり取りがうまくいっていたころ、
夫のことがものすごくいい人に思えた。
夫の顔は嫌いだが、きれいな目をしてるなとか思った。
もっと大切にしなきゃと思った。
そして、昨日思った。
夫は、2回とも私を助けてくれたんだと。

IGUちゃんとさよならして、少なくとも、私は夫と結婚する気になれた。
それが一つ。
そして、今回、私は独り身だったらどんな気持ちだろう?と思った。
Mくんとの恋を無くしたら、夫の元に帰るしかないと思っていたけれど、
確かに帰るところがあるだけでもありがたいことだと思ってはいたけれど、
それは、なんと言うか、しかたなくと言うか、それしかないと言うか、
そのことが私を救ってくれるとは思っていなかったのだ。
でも、夫がいてくれることに救われる気がした。
独りにならずにすむことに、救われる気がした。