先生の娘

2016-07-06 14:22:01 | 生い立ち・家族
私の母は、小学校の教員をしていた。
母だけでなく、親戚一同教師であった。
祖父も教師であった。
何でも、祖父は本当は医者になるつもりだったけれど、
祖父の父が、宗教に祖父の学費になるはずだったお金をつぎ込んだため、
医者を諦めて教師になったという。
そうでなければ、祖父は医者になり、親戚一同医者だったかもしれないという話を、
子供のころに聞いたことがあった。

余談であるが、
母の遺品の中から、遠方から私たちでは全くわからない遠い親戚が訪ねてきたことがあり、
その時渡してもらったらしい「家系図」なるものが出てきた。
それを見ると、確かにそちらの家系の方は、お医者さま一族のようだ。
昔聞いた話を思い出す。
やはり、祖父は医者を目指していたらしい。

まあ、とにかく私は「先生の娘」として育った。
今の先生は、それほど尊敬もされていないかもしれないが、
当時はそこそこ崇められて?いた。
「先生の娘だから、お勉強ができて当たり前」。
「先生の娘だから、リーダーシップがとれて当たり前」。
「先生の娘だから、素行が良くて当たり前」。

そう言えば、大学生の時、IGUちゃんがうちに遊びに来たことがあって、
駅から二人で歩いていたとき言われた。
「もっと離れて、他人のふりしなきゃだめ」。
「どうして?」
「あんたは先生の娘だから、みんなに見られている」。
「先生の娘が、男と二人で歩いていたりしたらだめだ」。
「そんなこと気にしないよ」。
「あんたは知らなくても、先生の娘はみんなに知られている」。
IGUちゃんは、何でそんな考え方を持っていたのか?わからないけど。

先生の娘として育った私は、「教師」というものに対するイメージも多少他の人と違ったかもしれない。
子供が学校に行くようになると、先生に対する目は厳しいものがあったかもしれない。
サラリーマン教師という言葉も知っていたし、
先生という職業に対する認識も、昔とは違うと多少は理解していた。
もちろん、素晴らしい先生も何人もみえた。
でも、「学校の先生が、そういうことを言うの!?そういうことをするの!?」という事例にもたくさんお目にかかった。
PTA活動でのおかしな慣習もあって、私は、親になって、学校という場所が大嫌いになった。
先生の娘である私が、先生という職種が大嫌いになった。
その反面、教師という職業が、どんなに大変なものかは理解していた。
ノイローゼになって、休職する先生の話も時々聞いた。

学校という場所は、親方日の丸で、事なかれ主義。
一般企業でこんなミスをしたら始末書もの!と思われるようなことも、
大したことじゃないような扱いだと思っていた。
(でも、それは私が世の中を知らなかっただけで、一般企業でもいい加減なところはいくらでもあると後になって知った)。

中学になると、ぐっと我慢した。
もう小学生じゃないんだから、中学生相手ならそういうのも有りだと、無理矢理自分を納得させた。
モンスターペアレントという方々がいらっしゃるようだが、
私があの時我慢しなかったら、
世間一般に言うのとは違う意味でモンスターペアレントになっていたかもしれない。
本音では、とにかくできるだけ学校とは関わりたくないと思っていた。

それにしても、今の学校の先生はかなりブラックだという。
友達の子供さんで先生になったという人を何人か知っているが、
誰もみな、帰宅時間は早くて11時。日付が変わってからということもザラらしい。
それでも、残業手当はなし。
部活などで、休日出勤は当たり前。
それでも公立の場合はまだまし。
私立校の講師など悲惨なようだ。
姉が教師になったころ、いつも帰りが遅かった。
その時まだ現役だった母は怒っていたものだ。
「要領が悪過ぎる。余分な仕事を押し付けられているだけ」。
確かに姉は、私以上に人づきあいが苦手で、内弁慶で、
外では「いい子」でいることしかできないようなところがある。
「いい子」でいると、ますますいろいろな仕事を頼まれて、
評価は上がるだろうが、仕事の量は膨れ上がる。
でも、今は誰もがそんな状態のようだ。
そんな状態、と言うか、余分な仕事を押し付けられなくても仕事量が多過ぎる?

ちなみに、私自身が「学校の先生」になりたくないと思った直接の理由は、
「教師仲間、生徒、保護者、の三者を相手にしなければならないなんて無理!!」だった。

確かに教師は大変な職業である。
でも、だからと言って、肝心な子供たちにしわ寄せがいくようでは困るのである。
もちろん、先生個人が悪いわけではない。
いつか、友達と「聖職」について話したことがあった。
先生が大嫌いだった私は、「学校の先生はもう聖職ではない」と言った。
でも、すぐに思い直した。
「それでも、先生が子供に与える影響は大きいから、
 先生の一言で人生が変わってしまう子供もいるから、
 だから、やっぱり学校の先生は聖職なんだと思う」。