余談

2016-07-07 14:47:40 | あれこれ
前回の「先生の娘」という記事に関しての余談である。

何度か話題に出た、私が大人になってから大喧嘩した相手のえりかさん。
思えば、えりかさんと大喧嘩になった直接の原因は「先生」に関することだった。
もちろん、それだけが要因だったわけではない。
それまでに、私たちの中では相手に対する不信とか、諸々の感情が山積されていて、
少なくとも私は限界に近かった。
だから、最初は、その「先生」に関することも、ただのきっかけで、大した問題じゃないと思っていた。
でも、その内容にかなり長い間わだかまっていた。
私にとっては、結構深い意味のある内容だったのかもしれない。

その事件よりも何年も前に、えりかさんから聞いた話に疑問を持ったことがある。
えりかさんがPTAの学級委員をしていたときに、担任の先生が結婚されたことがあったという。
その時に、学級委員だった彼女は、授業参観のおり、お祝いのプレゼントを買うための募金を募ったというのだ。
それを聞いたとき、私は思った。
「先生に無許可で、学校内でそういうお金のやり取りをしてもいいのだろうか?」
まあ、それほど大ごとと思ったわけでもなく、えりかさんに対しても口にしなかったし、
もし、私がそういう場に直面したとして、疑問を感じながらもお金を渡してくるだろうなとも思った。
でも、自分がお金を集める方の立場だったら、絶対にそういうやり方はしないだろうと思ったのである。

そして、大喧嘩のきっかけになった話題も、先生の結婚だった。
えりかさんの当時小学校1年生だった娘さんの担任の先生が、GWに結婚された。
確かその先生は、その春転任してきたばかりの方で、籍は新学期までに入れてみえたようで、
式だけをGWにされて、子供たちや保護者には公表していなかったという話だったと思う。
ところが、それを知った保護者の方がみえて、急遽お祝いをしようという話が一部の保護者の間に広がったのだという。
えりかさんもそれに一生懸命になった保護者の一人だったようだ。
ところが、そのことが学校側の知るところとなり、
ご本人からの強い辞退もあり、今回は見送ってほしいと教頭先生からお話があったという。
それでお祝いは実現されず、えりかさんはそれをとても残念に思っていたようだ。

えりかさんは、娘に先生への「おめでとう」のお手紙を書かせたという。
それは全然問題ないと思うのだけれど、
私がひっかかったのは…。
その娘さんが書いた手紙に、えりかさんからの言葉も添えて、その内容が、
「先生のお嫁さん姿の写真が見たいなー」。だったという。
私には理解できなかった。
先生と保護者の間で、そのようなプライベートな慣れ合い?

子供が産まれるまでは幼稚園の教諭をしていたというえりかさんに聞いてみた。
「えりかさんも、結婚式の写真を保護者に見せたの?」
「見せたよー!!お祝いしてもらって嬉しかった!」
背中がゾクゾクして、嫌悪感が走った。
今の若い先生、若い親ならまだしも、私と同世代のえりかさんがそういう「先生」だったとは!?
どんな親も先生とそんな風に慣れ合えるわけでない。
一部の親と先生がそんなことをしていると知ったら嫌な気持ちのする人だって多いのではないか?

「えこひいき」ではないけれど、
先生というものは、児童・生徒、そして保護者に対して公平・中立な立場でいてほしいのだ。
卒業生の親なら構わないが、先生と保護者は友達ではない。
むやみにプライベートを共有するような態度はいかがなものか!?
もちろん、先生の結婚や出産をお祝いするのはいけないとは思わない。
先生の結婚式に教え子が駆けつける様子などは、微笑ましいものだ。
でも、それとこれとは違うと思う私の感覚は、一般的な人には分かりづらいものだろうか?

えりかさんの言い分はこうだった。
「先生がプライベートを見せてくれれば、こちらからも子供に関する相談などしやすい」。
なるほど。
私が思うのは、古い先生像に固執するゆえのものであって、
時代と共に、先生というものはそんな風に変わっていった方がいいものなのかもしれない。
そう思おうとしたが、なかなか難しい。

例えば、こんなことがあった。
息子が小学校の3年生のとき、担任の先生に年賀状を出した。
返ってきた先生からの年賀状は、お子さんの七五三の写真が全面に印刷されたものだった。
有りか!?

学校とか先生のことを思うと、書きたいことはまだまだたくさんあるけれど、
こんな憤った思い出ばかり書いても何も私にいいことはない。
だから、ここでやめておこうと思う。

ああ、後日えりかさんからもらったメールに触れてあったのだけれど、
その担任の先生からのお返事を読んで、
「みなみさんの言うことが少しわかるような気がした」。とあった。
具体的にどんなことが書いてあったのかはわからないが、
その先生は、「まだまだ捨てたものじゃない先生」のお一人だったのではないかと、
少しほっとした私だった。