楽しむこと

2016-07-31 14:49:45 | あれこれ
娘を見ていると、楽しそうだなーと思う。
若いっていうだけで、楽しそうなのかな?と思う。

もちろん、仕事は大変そうだ。
今の子は、私のころのように、誰もただ座ってるだけっていうわけにはいかないみたい。
でも、どんなに仕事で疲れていても、あちこち遊びに行く。
かわいい服を買ってくる。
美容院にも出かけて行く。
何よりも、家族に縛られることなくやりたいことができるのがいい。

若いころ、生きているのが辛かった。
でも、今思えば、辛いながらにも楽しかった。
自分の意志だけで、やりたいことができた。
母にはよく怒られたけど、そこまで気を遣うこともなかった。

結婚したら、好きなことができなくなる。
昔から、結婚することを「年貢の納め時」とか言うじゃないか。
だから、娘には今のうちにできることをして楽しい時間を過ごしてほしいと思う。
でも、そのまま時間がたってしまって結婚できなかったらどうしよう!?とは思うけれど。

好きなことができる娘を羨ましいとは思うけれど、
かと言って、結婚しなかった方が良かったかと言えば、全くそうは思っていない。
結婚したかったし。
子供欲しかったし。
私が育ったのとは違う、家庭らしい家庭を築きたかった。
それらは全部かなっている。
充分倖せじゃないか。
それに、結婚しなかったら、ずっと楽しい生活が続いていたかと言えばそうは思わない。
その「楽しい」だって、今振り返れば、ということで、
当時は楽しんでいるという自覚はなかったはずだ。

それに、私は家族に縛られるということは少ない方だと思う。
ありがたいことだと思う。
私たち夫婦は、あまりお互いを縛らないと思う。
縛られないけれど、自分で遠慮して縛られている気分になる。
そんな感じかもしれない。




9月になったら、髪を切ろう。
前からちょっとやってみたい髪型があった。
それに挑戦してみよう。
髪にメッシュを入れたとき、
そんなことでもして、無理矢理に気持ち持ち上げないとやってられないときもある、と思った。
その時と同じ。
でも、そんなことしてどうするんだろう?
おしゃれしてどこへ行くんだろう?
もうリハビリには行けない。
行ってもMくんはいない。
メッシュを入れたときの私は、やっぱりMくんに見てほしかったんだと思う。


山田くん

2016-07-31 14:40:37 | あれこれ
山田くんは、大学の時のテニスのサークルの後輩である。
2年生のある日、同級生の男の子に言われた。
「1年生の山田が、みなみのこと好きなんだって」。
私は、男の子から「好きだ」と言われると、反応してしまうたちだったが、
この頃には、あまりそういうことも無くなっていたようで、
「ふーん」と思っただけで、山田くんにはあまり興味を持たなかった。
年下の男の子には全く興味がなかった。
でも、その後山田くんとはそこそこに仲良くしていたのは覚えていた。

去年、私はTくんを探していた。
山田くんは、Tくんの同級生である。
フェイスブックを始めてから、Tくんを探した。
当初、私はフェイスブックでの友達の探し方がよくわかっていなくて、Tくんは見つからなかった。
Tくんのことを聞けそうな人で、一番話しやすいと思われたのが山田くんだった。
だから山田くんのことも探してみた。
やっと、Tくんが見つかったけれど、Tくんには友達申請ができない設定になっていて、
今もフェイスブックを使っているのかもわからなかったけれど、
私は迷わずメッセージを送った。
山田くんのフェイスブックも見つかったけれど、やっぱり友達申請はできない設定になっていた。
山田くんには、メッセージを送らなかった。
でも、私が山田くんのページまで行ってしまったので、
山田くんのところに、友達候補として私の情報がいってしまったようだ。
山田くんから私に友達申請がきた。
山田くんは、私の情報が入っていたことについて、あれこれ推測して彼なりの結論を出していたが、
私には、本当の理由がわかっていた。(私が検索したからだよー!!)
そのことは言わなかった。

山田くんとは、長々とメッセージの交換をした。
最初は、山田くんとのやり取りが楽しかった。
何だか気が合うというか、彼の言葉の使い方が楽しかったのだ。
ずっとお互いに、不自然なほどTくんの名前を出さなかった。
山田くんの誘いで、そのサークルのOB会のようなものに参加して、
直接会ったとき、初めてTくんの話をした。
山田くんの学年の男の子は、みんな仲が良くて、今も親しくしているらしいのだが、
Tくんだけは、自然に関係が切れてしまったということだった。
2人ほどが、Tくんの連絡先を知っているだけだということだった。

それ以来、山田くんはメッセージの中に、やたらとTくんの名前を出すようになった。
私は、Tくんからメッセージの返事として、あまりに慇懃無礼なものを受け取って、
その後Tくんとは全く連絡を取っていなかったのだが、
山田くんは、もし私とTくんがメッセージの交換をしていたら、
絶対に危ない関係になっていたと言う。
僕とはそうならないけれど、Tくんとならなる。そういったニュアンスだ。

山田くんの話では、どうやら私は山田くんにちゃんと告白されたらしい。
「みなみさんが大学2年のとき、他に好きな人がいるって言われました」。
「確か海が見える場所だったと思います」。
「私は、さんざん思わせぶりな態度をとった挙句、海の見える場所まで2人でドライブして、
 他に好きな人がいると言ったんでしょうか?」
「思わせぶりではなかったと思います」。

そんなことがあって、1年くらいして、私は山田くんの友達であるTくんとつき合うことになる。
日記によると、私がつき合うことを承諾するためにTくんの家に電話をかけた時、
Tくんの家に山田くんがいたらしい。
何となく覚えている。
「今、山田来てるよ。換わるね!」
そして、山田くんが、「大丈夫!大丈夫!気にしないで」と言ってくれたこと。

Tくんは、ある日突然山田くんの家にやってきて、
「今からみなみとデートなんだけど、お金がないから貸して」と借りていったという。
まるで、山田くんに私とつき合っていることを見せびらかしているみたいじゃないか!?
なんだか、Tくんがすごく嫌なやつに思えてくる。

山田くんは、Tくんが勤めている会社によく仕事で行くのだそうだ。
「Tくんを呼び出してもらえばいいじゃない?」と言うと、
「あんな変な人と知り合いなんですね?と思われたくない」と言う。
「Tくんて、そんなに変な人?」
「考え方が独特で、変わってました」。
「みなみさんだから、上手につき合ってられたんだと思う」。
そうか、確かに、私は、その「変な」Tくんの、さらに上をいく「変な人」だったんだろうな、と納得がいく。

山田くんといろいろな話をして思った。
私は、山田くんのことも、Tくんのことも、いかに覚えていないかと。
山田くんは、私のことをすごく良く覚えていてくれて、
そして、山田くんは以前の私にそっくりだと思った。
虚無的というか、人生を楽しめないところ。
私はちょっとだけ立ち直ったけど、どうやって立ち直ったかなんて、聞く耳持たない感じ。
さわりを言ってみたけど、拒否されたみたい。
立ち直る方法は、本当は自分で見つけるしかないことを私は知っている。
だからそれ以上は言わない。

山田くんは、すぐに不倫の話をふってくる。
「この歳になって、離婚も不倫も面倒くさい。そんなエネルギーはない」。
山田くんは、仕事でも出張だらけであちこち飛び回っていて、
心身共に疲労困憊状態のようで、自殺でもするんじゃないかと心配になる。
「自殺なんて面倒臭い」。
それも私と同じだ。
だから、山田くんは本当に自殺なんてしないと思う。

元々、名古屋に実家のある山田くんだが、
今は、横浜に家を建て、名古屋に単身赴任状態なのだという。
もう単身赴任は6年も続いていて、早く横浜に帰りたいみたい。
私は、山田くんが名古屋からいなくなったらちょっと寂しいなと思う。
別に、会ったりするわけでもないのに。

山田くんは、私のことを「魔性の女」と言う。

山田くんは、今も私に興味があるのかな?と思えるようなことを言うことがある。
今も私に興味があると言うより、
長い年月を経て、また繋がりを持てて、ちょっと懐かしい気持ちになったみたいな。
何でだろう?
それを感じても、私は全く山田くんに対して興味が湧かない。
Tくんだったら、やっぱり少しは、感じるものがあるだろうと思う。
いろいろと山田くんに助けられているのに、本当に申し訳ない。

山田くんとの会話のやり取りは、本当に楽しいので、
ちょっと心が寂しいときなど、私は山田くんにメッセージを送りたくなる。
でも、私は山田くんに甘えてはいけないのだと思う。
だから、こちらからメッセージを送ることはできるだけ控えている。

山田くん、ありがとう。
私は、山田くんも倖せであってほしいと、いつも願っているよ。



コミュニケーション

2016-07-31 14:27:59 | あれこれ
いつから「人の心」は、想像するだけのものになってしまったのだろう?

子供のころは、誰かが泣いていれば、駆け寄って行って、
「どうしたの?大丈夫?」と聞いたものである。
それが「そっとしておいてあげよう」に変わって…。
確かに、そっとしておいてほしい人もいるだろうけど、聞いてほしい人もいるだろう。
辛いときに「辛い」と自分から言えない人もいるだろう。

お互いに心の探り合いだ。
「自分からこんなこと言えない」。
「この人は、本当は私の話なんか聞きたくないのかもしれない」。
「この人は、自分の問題に首を突っ込んでほしくないのだろう」。
「でも、もしかしたら誰かに助けを求めているのかもしれない」。…eic.
好意と好意が空回りしていく。
お互いがお互いを求めていたとしても、それが言葉にされないままに、心は離れていく。

大人になったら、安易に人にSOSを発信できない。
目の前の人がSOSを必要としていることをどうすればわかるだろう?

「あなたがしてほしいと思うことを、周りの人にしてあげなさい」。
でも、私がしてほしいと思うことと、人がしてほしいと思うことは違う。

思えば、えりかさんとの亀裂もそこだ。
私は、えりかさんに、心の中に蓋をして仕舞い込んでいることを、私に話してと、
そう要求してしまったのだ。
結局、私には、その中身を理解できず、えりかさんは傷を広げてしまった。
善意だけではどうしようもないことがある。

人の心は想像しただけでは決してわからないのに。
聞いてみないと決してわからないのに。
無遠慮を気にして、思い過ごし、考え過ぎ。
「そんなこと言ってくれれば良かったのに」。
そんなすれ違いが、いかに多いことだろうかと思う。

ちょっと愚痴りたい。
「私に気を遣うなら、もっと違うところに遣って」!!

ジャスミン

2016-07-31 14:23:13 | あれこれ
みゆきさんの唄で好きなものはたくさんあるが、そのうちの一つに、
『旅人よ、我に帰れ』がある。
この唄は、歌詞の表記が複雑な?形式?になっていて、
そのせいがあるのかないのか、カラオケに入っていない。
この唄をカラオケで歌えないことを、私はとても残念に思っている。

みゆきさんは、自分の書いた歌詞についての解説をしない。
世に出したものは、受け取った人がその人なりの解釈をすればいいというスタンスのはずだ。
だから、みゆきさんがどんな想いでこの唄を書いたのかはわからない。

  私たちはジャスミン 茉莉花(まつりか)の2人
  あなたも1人 私も1人
  さようならジャスミン 私の妹 
  私とは違う人生を生きなさい

この唄を聴いて、えりかさんのことを思い出した。
似た者同士のはずの、えりかさんと私。
全く違う生き方(考え方?)を選んでいる。
「私の妹」は、えりかさんだと思った。

そしてもう一つ。
「私の妹」は、私自身。もう一人の私。
うまく表現できるかわからないが、
何もできずにうじうじしている私の代わりに、
もう一人の私に大きくはばたいて欲しいというような。
生まれ変わって、ちゃんと堂々と生きていって欲しいというような。
そんなイメージ。

待ち受け

2016-07-30 16:34:33 | ストロベリークォーツ
Mくんのことで、心がいっぱいになると、その心を注ぎ込むことがしたくなった。
恋のおまじまいとか。

一番最初にお守りを作った。
Mくんのことを思いながらするそんな作業が楽しかった。

心がもどかしくてたまらなかった時、
他に何かおまじないがないか、ネットで探してみた。
今の子は、どんなおまじないをしているんだろう?

いろいろあったけど、
そこで改めて思う。
私とMくんがいかに特殊な関係であるか?
「今日の占い」とか見るときもいつも思うのだけれど。
週に1回か2回、顔を合わせるだけの関係。
顔を見ても、話もできない。挨拶するだけ。
何よりも、連絡先も知らない。
「片想いの人は、こんなことをしてみましょう」。
そんなことが書いてあっても、私には関係のないことだと思って哀しくなった。

そのころ、彼の誕生日すら知らなかった私には、なかなかできそうなおまじないはなかった。
その中で、一つ見つけたのが、
携帯の待ち受けを「ハート型の雲」にする、というもの。
早速、画像を探して待ち受けにしてみた。
なんか、最初から携帯にインストールされているものみたいで、
ちょっと私らしくないと思ったけれど、その画像自体はかわいいなと思った。
娘に見られると、疑われるかな?と思って、最初警戒していたけれど、
そんな気も抜けてしまっていたころに、言われた。
「なんか、おとなしい待ち受けに変えたんだね?」
「ハート型の雲だよ!かわいいでしょ?」
「なんか、こうすると両想いになれる、とか有りそう…」。
「あー…。確かに!有りそうだね?」
ととぼけていた。

そのうちに、私の25歳のときの写真を携帯に入れた。
その写真が、私はとても好きだった。
ちょどその頃、手に入れたMくんの写真と交互に眺めた。
30歳のMくんと、25歳の私。
25歳の私が、なんだかとても愛おしくて、その写真を待ち受けに変えた。
でも、その時、ハート型の雲をやめてしまうことに、少し後ろ髪を引かれた。
これはおまじないなのに。
でも、その時は、自分自身の写真への想いの方が強かった。

昨日、また待ち受けをハート型の雲に戻した。
やっぱり、変えなければ良かったのかもしれない。
全然関係ないと思うけれど、そんな思いが燻っていたから。
今さらそんなことをしても何も意味もないのだけれど。