占い

2016-07-04 14:01:17 | あれこれ
最近の私はちょっと占いに凝っている。
いや、別に凝っていると言うほどでもないとは思う。

今までの私は、占いと言えば、
雑誌の「星占い」など、あれば目を通すくらい。
見ても内容はすぐ忘れる。
あと、神社でおみくじを引く。
おみくじは、大吉以外は木の枝に結んでくると言うけれど、私は、必ず持って帰る。
大抵は初詣のときだから、1年の間に何度かそれを読み返して、「ふむふむ」と思う。
次の年の初詣で、前の年のおみくじを枝に結んできたりする。

占いについてよく言われるように、
いいことは信じるけれど、悪いことは気にしない。
注意事項にとどめておく。というような、その程度のスタンス。

親友のMちゃんは、毎朝、新聞の「今日の運勢」を見るのだという。
私もそのノリで、毎朝、ネットの星座占いを見るようになった。
一般的な内容なので、私には全く縁もゆかりもないと思われるような内容が多い。
でも、星座ランキングなどいいとちょっといいことが起こりそうな気になったりする。
ドキドキの「相性占い」ってやつにもちょっと手を出してみる。
いろいろ試してみて、思ったのは、
最近の占いってのは、悪いことは言わないんだなってこと。
ランキング最下位でも、悪いことは書いてない。
せいぜいこういうことに注意しましょうという程度。
まあ、無料占いだからということもあるのかもしれない。

一度、本格的に占い師さんというのに占ってもらいたいなという気持ちもある。
誰だって、ちょっとくらいはそういう気持ち持ってるものじゃないだろうか?
名古屋の地下街とか、たまにはスーパーなどのイベント的なもので、
占い師さんが座っているスペースがある。
ちょっと、気持ちは動くが、なかなか入ることができない。
一番占って欲しいことは何かもよくわからないし。
大体、人生に大きな悩みがあるわけでもないのだ。

私は、手相とか詳しいわけじゃないけれど、
まあ、生命線がどれかくらいは知っている。
昔から、私の生命線ってあまり長くないんじゃないかしら?と思っていた。
でも、それで特に喜んだり悲しんだりしたこともない。
ちょっと前に、友達が言っていた。
「私、生命線が短くって…」。
私の手を見ると、「ああ、私ほどじゃないけど、みなみさんも短いね?」
やっぱり短いんんだと思う。
彼女は、それほど気にしていたわけじゃないけれど、
最近若くして亡くなった人の生命線が短かったとかで、
やっぱりそういうのがあるのかな?という程度の話だった。
それを聞いてちょっと期待がわく。
漠然と、早死にしたいと思っている私は、長生きするんじゃないかと思っていたけれど、
もしかしたら、早く死ねるのかもしれない。

もう一つよく言われるのが、
占いは、誰にでも当て嵌まるようなことを言うのだということ。
確かにそれはあるんだろうと思う。
でも、その誰にでも当て嵌まるようなことが、
時には、その時の心境にピタリとはまってしまうことがあるのである。
そんな時は、なるほどと思う。
当たってるかも?と思う。

まあ、あまりのめり込まないように、
無料占いで止めておけるように気をつけながら、
ちょっとだけ、わくわくを楽しんでいこうと思っている。

ブログを書くということ(その3)

2016-07-04 12:17:38 | あれこれ
私のブログのスタイルは、その喧嘩別れした彼女をお手本にしたようなところがある。

誰か特定の人に読まれているということを前提としないで、
自分だけにわかる内容でいいではないか?
状況など説明せずに、ただその時の気持ちだけをポン!と書いたり。

そう思っていたけれど、
私はどちらかと言えば文学愛好家なので、それなりの文章のまとまりを大事にする。
エッセイでも書いている気分である。
書きたいことを書いて、最後になんだか尻切れトンボだなあと思うと気に入らない。
なんとかまとめようと思う。
でも、うまくいかないと、「まあ、いいか!ブログだし」と思う。

以前少し触れたことがあるが、
このブログは、私の手記であり、心のリハビリの場だと、今は思っている。
でも、そんな定義付けはいらない。
書きたいときに書きたいことを書く。
あくまでも、誰か特定の人に読まれているということを前提としないで。

そうは思っても、あまりに自分で醜いと思う姿は書けない。
こんな場所でも自分を「いい人」に見せたいのかなあ?と思う。
ありのままの自分は表現できないのかなあ?と思う。

たまには、全然知らない人のブログを見に行ったりもする。
ありふれた日常を、さらりと表現されたいいブログだなあと思うものにもいくつかお目にかかった。
いつか私も、そんな穏やかな内容のブログを書けたらいいなあと思う。
でも、今の私には、こんな自分勝手な場がまだまだ必要だと思っている。

補足であるが、
私がブログを参考にさせてもらった彼女さんは、
「自分と同じ考えを持つ人を探しているようだ」と(その2)で書いたけれど。
私は、ちょっと違う。
確かに私の考えに賛同してくれる人がいたら嬉しい。
私もかつては、自分と似た考えの人を探していた、と言うか、
私のことをわかってほしいと思っていたと思う。

でも、今はちょっと違う。
「私は私。他の誰にも似ていない」と思う。
私と全く同じ考え方をする人はいないと思う。
私は、この世にたった一人のユニークな存在だと思っている。
(だからきっと、こんな独りよがりの文章がかけるんだろう)。

ブログを書くということ(その2)

2016-07-04 12:17:23 | あれこれ
私が、直接ブログというものに触れたのは、今から6~7年前だろうか?

私には、いい歳をして大喧嘩をしてしまった友達がいて。
まだ彼女とうまくやっていたころ、私がなにげなくパソコンで日記を書いていると話したことがあった。
そのしばらく後で、彼女が言う。
「みなみさんが、パソコンで日記を書いているって聞いて、私もブログ始めたの。」
私は、「何でブログ?」と思った。
その時私は、私がワードを使って書いている日記と、ブログは全くの別物だと思ったから。
「でも、日記だよ」と念を押すので、
私は、URLを聞いたりしてはいけないんだろうなと思って聞かなかった。
(後々になって、彼女は聞いてほしかったのかもしれないと思ったが)。

日頃、彼女が何を考えているのか知りたいと思っていた私は、彼女のブログが読みたかった。
ちょっと探してみたが、膨大な数あるブログの中から、探し出すのは不可能に思われた。
そして、彼女との仲が険悪になり始めたころ、私はもう一度彼女のブログを探してみた。
慎重に、彼女が使いそうな言葉をよ~く考えて、検索してみた。
一発だった。ヒットしたのは1件だけ。それが彼女のブログだった。

彼女のブログに対する思いはいろいろあるが…。
まずは腹がたった。
彼女の言い分はあまりに身勝手で、それではいい方向に向かわないと思われるようなことばかりだった。
でも、過去の記事を読み漁っているうちに感じた。
彼女は、昔から自分が普通の人とは違った特異な考え方をすると思っていた。
そしていつも、自分と同じ考えの人を探していた。
ブログからもそれが感じられた。
彼女は呼びかけていた。誰か私の考えに同意してくださいと。
どこかに私と同じ考え方をする人がいてくださいと。

彼女は秘密でブログを書き始めたものの、最初から誰にも言わないつもりでもなかったようだ。
でも、誰にも打ち明けられない、でも誰かに打ち明けたい気持ちを綴っていくうちに、
彼女のブログは、どう考えても知り合いに読まれては困るだろうと思われるものになっていった。
そんなブログを私が内緒で読んでいるなんて、彼女は思いもよらなかっただろう。
そう思うと、自分でネット社会の恐ろしさを痛感したりもした。
もしかしたら、誰か(たとえば私)が、悪意を持って、
コメントで彼女の考え方を攻撃したりすることだって、ないとは限らない。

彼女のブログを読んでいると、彼女の言いたいことに反論したい気持ちが募って…。
でも、面と向かって反論はできない。
私が密かに彼女のブログを読んでいることは知られたくなかったし、
彼女の言い分に賛成はできなくても、彼女がそういう考えを持つに至った思いは、
私には少しはわかるから。
それに、私の考えとは違っても、彼女の考えを否定するつもりはなかったから。
だから、私は彼女のブログでの発言に対する裏ブログ?みたいなものを作ろうかと思った。
もちろん、ちょっと思っただけで、本気でそんなことを考えたわけではない。

でも、私が自分でブログを作ろうかと思ったのはそれが最初だった。

その後、何度かブログを書いてみたいと思ったことはあった。
でも、コンセプトと言うか…、どういうことを書きたいかということがはっきりしなかった。
思いつきで始めて続くかも自信がなかった。
どうせ始めるなら、ある程度は続けたいからね。
そうこうするうちに、書きたい気持ちが募ってきて始めたのが、1年前。
その時のブログに対する思いは、最初の方で記事に書いた。
基本的に今も変わってはいないと思う。


ブログを書くということ(その1)

2016-07-04 12:17:04 | あれこれ
ブログというものが世に出て…、と言うか、
ブログを書く人が増えてきたころだろうか?
テレビで誰かが、
「ブログは、人に読まれることを前提としている以上、日記ではない」。
と言っていた。
私は単純に、なるほどと思い、長いこと「ブログ」というものに対して、
そんな思いを持っていた。

確かに、ブログは単純に「日記」とは言えないだろう。
日記と言えば、私は中学生くらいから日記をつけていた。
いやー、毎日書く日記ではなく、書きたいことがある時に書いていたものだから、
「つけていた」ではなくて、「書いていた」だろう。
書きたいときだから、毎日のように続けて書くこともあれば、
半年もとぶこともありで…。
そんな日記帳を実家に残してあったのを、持ち帰ってきたことを書いたのが、
昨年、12月に記事にした『宝箱』であるが。

6年前からは、本当に日記をつけている。
『5年日記』。今年は2冊目に突入した。
これをつけ出した理由は、
いつ何が起こったのか、全く覚えていられないからだ。
子供が学校へ行っていたころは、
「あの子が何年生の時の出来事」という形で思い出すことができたけれど、
子供たちも学校と縁が無くなると、もう何がいつのことなのやら、全くわからない。
私は、歴史が苦手だったということを改めて認識すする。
私には、「○年に○○があった」という覚え方はできないようである。
そう思ってつけ出したのが、『5年日記』。

さて、ブログに話を戻そう。

当初、ブログは、「ネットで書く日記」のように言われていた。
世の中にすっかり馴染んだ今、ブログはもっと広い意味で多くの人に愛されていると思う。

一番下の息子は、いろいろなブログを経験している。
個人のブログだったり、
所属しているバンドのHPの中のブログだったり。
長いこと続いて、たくさんの人に読まれていたものもあったし、
久しぶりにブログを書いてみようと思って始めて、続かなかったものもあったりした。
彼が多分初めて書いたブログは、中学生のときのものだと思う。
お勉強が苦手だった彼が、なかなか上手い文章を書くのに驚いた。

私自身は、ブログを書こうなどと思ったことはずっとなかった。
パソコンはちょっと苦手だったし。