良かったなあ

2016-07-01 22:16:33 | 日記
集金のお客さんの傘屋のおばあちゃん。
髪は真っ白で、糖尿病とかあるそうで、
目がよく見えないとか、歯医者がどうとか、足の具合がどうとか、
体の不具合のことをよく話してくれていたけれど、
それほど暗くもならず、明るい調子であれこれ話してくれた。

そのおばあちゃん、暮にとても調子が悪かったらしく、
今から入院するから、先に集金に来てほしいと連絡があった。
正月を一人で過ごすよりも病院にいた方がいいからと。

それ以来おばあちゃんの店はシャッターが下りたまま。
そのまま入院が続いているのか、
退院しても店を開けられずに奥にいらっしゃるのか、
もしかして具合が悪くなって亡くなってしまったのか、
前を通るたびに心配していた。
隣の床屋のおじさんに聞いてみようかとも思ったけれど、
なんとなく聞きそびれてしまって…。

2日ほど前、そのおばあちゃんの真っ白な頭が、道端で誰かと立ち話しているのを見かけた。
ああ、お元気なんだなと思ってほっとする。
そして今日、自転車に乗っていると、道の先におばあちゃんが立っているのが見えた。
私が来るのが見えて待っていてくださったようだ。

聞くと、それまで抱えていた病気の他に、膠原病?がわかって、
大変だったそうだ。
「一旦は危なかったみたいだよ」と。
手も痛くて、杖を持つのも大変だけど、転ぶといけないので、
と杖をついていらっしゃった。

いろいろと病気を抱えて大変そうだけれど、
お元気そうな顔つきで、明るくお話してくださった。
良かったなあと思う。
自分がその立場だったら、死んだ方がいいと思ってしまうかもしれないけれど。
そんな苦労を抱えながらも、人に嫌な思いもさせず、
明るくふるまっている、というか、彼女にとっては自然な態度なのだろうけれど、
そんなおばあちゃんが、素敵だなと思う。

眠れない

2016-07-01 16:04:12 | あれこれ
私は元々寝付きが悪い。
いつごろからだろう?
高校生の時には、寝付くために世界史の教科書を読んでいた覚えがあるので、
そのころには悪かったのかもしれない。

ずっと夜本を読まないと眠れないと思ってきた。
本を読むと眠れると言っても、どんな本でもいいというわけでもない。
おもしろくて夢中になってしまうような本では逆効果である。
あまりに難しくてチンプンカンプンな本でも先に進まないので無理。
適度にわかりづらい本がちょうどいい。

夫は真っ暗な中でしか眠れない人。
結婚したころ、私が眠りにつくために本を読んでいると、「電気消して」と言われた。
まあ、仕方ない。
本を読まずに眠ろうとするが、眠れない。
寝付きの良い夫は、すぐに隣で寝息をたてる。
恨めしい。

眠れないと、ついついいろいろなことを考える。
根暗人間の私は、考えはどんどん暗い方に向かっていく。
ますます眠れない。
全くの悪循環である。
夫のことを恨んだ日々もあった。
寝付くまでのしばらくの間、枕元のスタンドを点けておいたっていいじゃない!?
あなたのせいで、私の思考はどんどん暗い方に傾いていったのよ!!
そのことを夫にこぼしたのは、もうずいぶん後になってからのことだった。

最近では、私がさっさと布団に入るので、
夫が寝室に来るころには眠っているということが多くなった。
珍しく夫が先に寝てしまうときなどは、「あ~あ!」と思う。
夫もずいぶん寛容になってくれて、しばらくの間ならスタンドを点けていても何も言わなくなった。
でも、あちらにイライラされるのもいやだし、私も気を遣って早めに電気を消すようにしている。

いろいろと、暗い中で本を読まないでも眠りにつくノウハウも覚えたし、
布団の中であれこれ考えることは、極力しないように心がけてもきて、
わりと眠るのに苦労するということもなくなっていた。

ところが、去年の今ごろから眠れないことが多くなってきた。
直接の原因は、恋煩いである。
これはもう仕方ない。どうしようもない。

それに眠れないパターンが少し変わってきたような気がする。
昼間、眠くてしかたないときなど、
1分でも2分でも、ちょっとうとうとするだけで、眠気がとんで頭がはっきりする。
長時間寝てしまうと、返って頭がぼーっとしてしまうものだが。
夜寝るときにも、似たような状態になってしまうのである。

本を読んでうとうとする。眠れると思って電気を消す。
そうすると、もう目が覚めてしまうのである。
そのまま眠れないのである。
これは困った!!!
何度も起きだしてトイレに行ったり、
煙草を1本ふかしてお茶を飲んだり。
その繰り返しである。
そうこうするうちに、今の時期、外が明るくなってくる。
もう眠れない。
次の日、朝から仕事がある日などもう悲惨である。

まあ、毎日そういう状態というわけでもないので、まだなんとかなっているが。

ここのところは、本を読んでいても眠れる気がしない。
もう何度も何度も読み直している本だからいけないのかもしれない。
早めに本を手離して、明りを消すことも多くなった。
本を読んで一度うとうとして目が覚めてしまうより、
暗い中で自然に眠れるなら、その方がいい気もする。

歳をとると、夜眠れなくて朝早く目が覚めるという。
朝が弱い私であるが、確かに昔に比べれば朝ちゃんと起きれるようになった。
(それには、いろいろ理由は考えられるのだけれど)。
単に歳のせいなのだろうか!?
わからないけれど。

今夜は早く眠れるといいな。

宗教

2016-07-01 12:09:14 | 霊性
日本は無宗教の国と言われる。
子供が産まれれば、お宮参りに行き、
宗教に関係なく、結婚式は神前で挙げたり、教会で挙げたり、
年末には外国の神様の誕生日を祝い、
死ぬと、お経をあげてもらって、仏様になる。

私は思う。
そんな国に生まれて良かったと。

私の実家は、日蓮宗の寺の檀家だった。
夫の家は、神道である。
子供のころ、祖父はよく仏壇に向かってお経をあげていた。
特に祖母が亡くなった時は、毎日毎日お経をあげていた。
私も夏の施餓鬼など、祖父についてお寺に行っていた。
でも、私が仏教の教えについて習うとか、そういうことは全く無かった。

外国の小説など読んでいると、子供でも、食前あるいは就寝前など、
神に祈りをささげるシーンが出てくる。
幼いころから、神様を信じることが当たり前のこととして教えられる。
それは、ものすごいことだと思う。

信仰を持つということは、良いことだと思う。
人生には、「信仰」という形で心の拠り所を持つことが必要だと感じるときもある。
ただ、信仰の対象は、人それぞれでいいと思うのである。
既存の宗教の神様・仏様でなくても。

大学生の時、とても心が不安定な時期だったと思う。
一人家にいると、あるキリスト教系の宗教団体の人の訪問を受けた。
(よく聞く『○○○の証人』さんである)。
100円だか200円だかで、小冊子を購入してくれという。
話しているうちに、私が学生だとわかると、
学生さんからはお金を受け取れないので差し上げると。
でも、私はその冊子よりその人が見せてくれたハードカバーの本の方が気になってしまった。
1,000円出してその本を買ってしまう。
それは確か…、人が死後神の国に入ることについて書かれた本だった。

余談だが、後日学校でそのことを友達に話すと、
「私は、宗教には頼らないー!!」と言われた。
数年前、久しぶりに会ったその友達は、何年か前に洗礼を受けたと言っていた。
まあ、人生にはいろいろありますことですね。

その本を読んで感じたのは、
キリスト教の神様が、日本人のこんな私のことも気にかけてくれるのだろうか?
ということだった。
キリスト教はやはり外国の宗教だと思った。

そのことについては、近年になって読んだ本に、
「乾燥した砂漠地帯で発祥したキリスト教と、湿気の多いインドで発祥した仏教なので、
 日本人には風土的に仏教の方が馴染みやすい」
という意味のことが書かれていて、なんだか納得した。

私たちが若いころには、よく街を二人連れの外人のお兄さんが歩いていて、
道行く人に、「あなたは神様を信じますか?」と声をかけている風景に遭遇した。
(よく聞いた『○○○○教』さんである)。
私も一度話したことがある。
話しかけられたのが、その時だけだったのか、
その時は、ちょっとそういう人を相手にしたい気分だったのか覚えていないが。
その時に、
「死後の世界はあると思いますか?」と聞かれ、
「あると思う」と答える。
私は、幽霊は本当にいると思っていたからだ。
「それでは、神様は本当にいると思いますか?」と聞かれ、
「えー?いないんじゃないですか?」と言うと、
「どうして、死後の世界はあるのに、神様はいないと思うのか?」と聞かれた。
その時の私には、死後の世界と神様の関係はわからなかった。
今の私には、少しはわかるかもしれない。
でも、わかるような気がする時と、わからない時があるような気はする。

私は、イエス・キリストも、ゴータマ・シッダールタも、(諸々他の宗教の教祖的な人も)実在した人物で、
彼らは、本物の神のそばにいた人物だったのだろうと思っている。
しかし、既存の組織としての宗教は好きになれない。
好きになれないと言うか、信仰の対象とは思っていない。
神様はいると思っているけれど、
神様は人格を持った存在ではなくて、
自然とか、宇宙とか、そして、私の心の中にいる、そんな存在だと思っている。
キリスト教の神様も、イスラム教の神様も、仏教の神様?も、みんな同じだと思っている。
日本の八百万の神というのが、一番近いかもしれない。

だから、異教徒を否定する宗教というものは信じることができない。

無宗教の日本がいいと言ったのは、
幼いころから、特定の宗教の信者として育ったなら、
人格を形成する上で、その影響が大き過ぎると思うからだ。
神という名のもとで、間違ったことを教え込まれるという例は、世の中いくらでもあるではないか!?
宗教の縛りを受けず、自分が本当に信じられると思える教えに出逢った時、
先入観なしに、その教えと向き合うことができる、
そんな環境の日本は素晴らしいと思う。

もちろん、私は、既存の宗教の信者さんを否定するつもりは全く無い。
(まあ、確かに中には困った宗教団体というのもあると思うが)。
その人が本当に信じているならそれでいいではないか。

仏教では、死ぬと高いお金を出して戒名をつけてもらう。
戒名にも位があって、高い位には、それなりに高い金額が必要だという。
おかしいなとは思うけれど、
死んだ本人がそれを望んで、それによって死後満足がいくのなら、それでいい。
その宗派を信じていなくても、無くなった人、そして先祖を供養することだと思えばいいことなのではないか?
法要も、お参りも、できるだけのことをしてあげればいいと思う。

宗教と言うと、あまりに大きな問題で、私の中にもいろいろな思いがあって、
うまくまとまっていないと思うけれど、
取り敢えず、思いつくことを書いてみた。

今日の言葉(5月・6月)

2016-07-01 09:04:54 | 今日の言葉
さあ、5月は私の季節!(5月1日)

夜帰ってきてくれる家族がいるのはありがたい。(5月3日)

気分が落ち込んだ時はラブレターを書こう。(5月4日)

悪くない。(5月6日)

あなたを信じる。(5月7日)

ごめんなさい。ものすごく好きです。(5月8日)

倖せのおすそわけ!(5月10日)

あなたは、何が人生に起ころうとも、必ず乗り切り、成功するように作られたのです。
それを決して忘れることなく、強くありましょう。
   (『人生の本質』ディーパック・チョプラ)  (5月12日)

僕は不真面目です。(5月13日)

これ以上好きになったら、気持ちがもたない。(5月15日)

もどかしい…。(5月19日)

絶妙なタイミングで押したり引いたり…。(5月20日)

ツンデレ。(5月30日)

愛着障害・トラウマ。(5月31日)

エクストレイル (6月7日)

自分でできないと思っていることを、できるだけ無くす。 (6月16日)

私はバカだ。(6月17日)

吉後大吉(6月18日)

結局は掃除。(6月19日)

まちぶせ。(6月23日)

もう怖いものはない。(6月24日)

大丈夫。失敗を重ねれば、度胸がつく。(6月24日)

他人のふり見て、我がふり直せ。(6月28日)