近頃の若い人は、せっせとボランティアに参加しているようである。
立派なことだなあと思う。
私たちの若いころには、あまり無かったように思う。
それとも私が関心が無かっただけなのか?
ボランティアと言えば、一つ思い出すことがある。
20年くらい前だと思う。
あの頃、時々「アフリカの子供たちに毛布を送ろう」みたいなことで、
家々を訪問して商品を売るというボランティアをしている人の訪問を受けた。
ある日、チャイムが鳴って玄関に出ると、
50代くらいの奥さまが2人いらっしゃって、
小さな箱に入った一箱1,000円のコーヒー豆を3個セットで買ってくれと言う。
我が家ではコーヒーはインスタントばかりだったし、
当時の私には、そんな高いコーヒーはとても買えないと思った。
自分は、恵まれない子供たちに寄付をするという、
そんなこともできないようなちっぽけな人間であるという後ろめたさを感じながらお断りすると、
それなら、ハンカチを買って欲しいと。
ハンカチなら使うからいいかと思って、1,000円くらいだったと思うけど、1枚買う。
その時に、主にお話をされていた奥さまじゃなくて、
横の方に控えているという感じだったもう一人の奥さまがおっしゃる。
「こちらの○○さんは、お医者さまの奥さまなのに、こうしてボランティア活動をなさっている立派な方なんです」。
という意味のこと。
ものすごい不快感だった。
「お医者さまの奥さまなのに」、ボランティア活動をする?
「お医者さまの奥さまだから」、ボランティア活動ができるんじゃないのか!?
大体、お医者さまの奥さまとボランティア活動には何の因果関係もないだろう。
ボランティアは、押し付けられてするものじゃない。
自分のできる範囲で、できることをすればいいのではないか?
(緊急時とかはちょっと違うかもしれない)。
たとえば、ゴミ出しのときに、途中に落ちているゴミを拾いながら歩く。
それだって、立派なボランティアではないだろうか?
(と、行動力のない私は言い訳をする)。
合唱団にいたころは、ボランティアで、幼稚園や学校に歌いに行くこともあった。
今、世の中には様々なボランティアがあるようだ。
難しく考えることなしに、始められそうなこともたくさんありそう。
若い人ばかりでなく、高齢者さんの老化防止にもつながっている様子。
最初の一歩を踏み出せばいいのだ。
でも、私のような人間にはその最初に一歩は難関である。
このごろ、私の中でキーワードになっているボランティア。
本当は、何年も前から気になっていることがあったのだ。
そのころは、自分がそこに足を踏み出すのは、ものすごくがんばらなくてはできないという気がしていた。
最近、私の周りで「ボランティア」という言葉が飛び交う。
Mくんたちがしているというボランティア活動の情報。
久しぶりに連絡を取った友達の「今度ボランティアで、美術展のお手伝いをする」という言葉。
そして、鑑定士さんの言う、「秋から何か新しいことを始めなさい」という言葉。
宇宙が私に催促している気がする。
気になっていた団体さんの情報を調べてみた。
秋までに、心構えをしよう。
善いことをするのに迷ってはいけない。
立派なことだなあと思う。
私たちの若いころには、あまり無かったように思う。
それとも私が関心が無かっただけなのか?
ボランティアと言えば、一つ思い出すことがある。
20年くらい前だと思う。
あの頃、時々「アフリカの子供たちに毛布を送ろう」みたいなことで、
家々を訪問して商品を売るというボランティアをしている人の訪問を受けた。
ある日、チャイムが鳴って玄関に出ると、
50代くらいの奥さまが2人いらっしゃって、
小さな箱に入った一箱1,000円のコーヒー豆を3個セットで買ってくれと言う。
我が家ではコーヒーはインスタントばかりだったし、
当時の私には、そんな高いコーヒーはとても買えないと思った。
自分は、恵まれない子供たちに寄付をするという、
そんなこともできないようなちっぽけな人間であるという後ろめたさを感じながらお断りすると、
それなら、ハンカチを買って欲しいと。
ハンカチなら使うからいいかと思って、1,000円くらいだったと思うけど、1枚買う。
その時に、主にお話をされていた奥さまじゃなくて、
横の方に控えているという感じだったもう一人の奥さまがおっしゃる。
「こちらの○○さんは、お医者さまの奥さまなのに、こうしてボランティア活動をなさっている立派な方なんです」。
という意味のこと。
ものすごい不快感だった。
「お医者さまの奥さまなのに」、ボランティア活動をする?
「お医者さまの奥さまだから」、ボランティア活動ができるんじゃないのか!?
大体、お医者さまの奥さまとボランティア活動には何の因果関係もないだろう。
ボランティアは、押し付けられてするものじゃない。
自分のできる範囲で、できることをすればいいのではないか?
(緊急時とかはちょっと違うかもしれない)。
たとえば、ゴミ出しのときに、途中に落ちているゴミを拾いながら歩く。
それだって、立派なボランティアではないだろうか?
(と、行動力のない私は言い訳をする)。
合唱団にいたころは、ボランティアで、幼稚園や学校に歌いに行くこともあった。
今、世の中には様々なボランティアがあるようだ。
難しく考えることなしに、始められそうなこともたくさんありそう。
若い人ばかりでなく、高齢者さんの老化防止にもつながっている様子。
最初の一歩を踏み出せばいいのだ。
でも、私のような人間にはその最初に一歩は難関である。
このごろ、私の中でキーワードになっているボランティア。
本当は、何年も前から気になっていることがあったのだ。
そのころは、自分がそこに足を踏み出すのは、ものすごくがんばらなくてはできないという気がしていた。
最近、私の周りで「ボランティア」という言葉が飛び交う。
Mくんたちがしているというボランティア活動の情報。
久しぶりに連絡を取った友達の「今度ボランティアで、美術展のお手伝いをする」という言葉。
そして、鑑定士さんの言う、「秋から何か新しいことを始めなさい」という言葉。
宇宙が私に催促している気がする。
気になっていた団体さんの情報を調べてみた。
秋までに、心構えをしよう。
善いことをするのに迷ってはいけない。