ボランティア

2016-07-23 16:00:20 | あれこれ
近頃の若い人は、せっせとボランティアに参加しているようである。
立派なことだなあと思う。
私たちの若いころには、あまり無かったように思う。
それとも私が関心が無かっただけなのか?

ボランティアと言えば、一つ思い出すことがある。
20年くらい前だと思う。
あの頃、時々「アフリカの子供たちに毛布を送ろう」みたいなことで、
家々を訪問して商品を売るというボランティアをしている人の訪問を受けた。
ある日、チャイムが鳴って玄関に出ると、
50代くらいの奥さまが2人いらっしゃって、
小さな箱に入った一箱1,000円のコーヒー豆を3個セットで買ってくれと言う。
我が家ではコーヒーはインスタントばかりだったし、
当時の私には、そんな高いコーヒーはとても買えないと思った。
自分は、恵まれない子供たちに寄付をするという、
そんなこともできないようなちっぽけな人間であるという後ろめたさを感じながらお断りすると、
それなら、ハンカチを買って欲しいと。
ハンカチなら使うからいいかと思って、1,000円くらいだったと思うけど、1枚買う。
その時に、主にお話をされていた奥さまじゃなくて、
横の方に控えているという感じだったもう一人の奥さまがおっしゃる。
「こちらの○○さんは、お医者さまの奥さまなのに、こうしてボランティア活動をなさっている立派な方なんです」。
という意味のこと。
ものすごい不快感だった。
「お医者さまの奥さまなのに」、ボランティア活動をする?
「お医者さまの奥さまだから」、ボランティア活動ができるんじゃないのか!?
大体、お医者さまの奥さまとボランティア活動には何の因果関係もないだろう。

ボランティアは、押し付けられてするものじゃない。
自分のできる範囲で、できることをすればいいのではないか?
(緊急時とかはちょっと違うかもしれない)。
たとえば、ゴミ出しのときに、途中に落ちているゴミを拾いながら歩く。
それだって、立派なボランティアではないだろうか?
(と、行動力のない私は言い訳をする)。
合唱団にいたころは、ボランティアで、幼稚園や学校に歌いに行くこともあった。

今、世の中には様々なボランティアがあるようだ。
難しく考えることなしに、始められそうなこともたくさんありそう。
若い人ばかりでなく、高齢者さんの老化防止にもつながっている様子。
最初の一歩を踏み出せばいいのだ。
でも、私のような人間にはその最初に一歩は難関である。

このごろ、私の中でキーワードになっているボランティア。
本当は、何年も前から気になっていることがあったのだ。
そのころは、自分がそこに足を踏み出すのは、ものすごくがんばらなくてはできないという気がしていた。
最近、私の周りで「ボランティア」という言葉が飛び交う。
Mくんたちがしているというボランティア活動の情報。
久しぶりに連絡を取った友達の「今度ボランティアで、美術展のお手伝いをする」という言葉。
そして、鑑定士さんの言う、「秋から何か新しいことを始めなさい」という言葉。
宇宙が私に催促している気がする。
気になっていた団体さんの情報を調べてみた。
秋までに、心構えをしよう。

善いことをするのに迷ってはいけない。

2016-07-23 15:51:56 | 生い立ち・家族
私と姉は仲が悪かった。
子供のころからずっと悪かった。
私は姉のことが大嫌いだったし、多分あちらも嫌いだっただろうと思う。

でも、私の結婚式のとき、姉が泣いていた。
私も「あれ?」と思ったし、
夫の叔母からも、「お姉さん、泣いてたね?」と言われた。

結婚してからは、あまり接することもなかった。
実家に行けば顔を合わせたし、言葉も交わしたけれど、
母とさえ、必要なとき以外は連絡を取らないような親子関係だったのだから、
姉とはなおさら接触はなかった。

大人になると、「女きょうだいがいるのはいいねぇ」などと言われることもあったが、
我が家の場合はそんなことは全くなかった。

人のことは言えないが、姉は結構性格に問題があり、母もよくこぼしていた。
外ではうまくやっていたと思うが、多分かなり苦労していたのではないだろうか?
結婚してからもずっと姉のことは嫌いだったが、
例のスピリチュアルというやつに関わり出して以来、嫌いではなくなった。
姉は、私以上に生き辛かったのではないかと思う。
嫌いではなくなったが、子供のころからろくな会話もしてこなかった仲である。
今さら、どんな関わり方をしていいのか、それはわからなかった。

私はかなり人づきあいが苦手であるが、姉は私以上だったと思う。
何年か前に従妹に言われた。
「みなみちゃんは、こうして普通に話してくれるけど、お姉ちゃんは何も言ってくれない」。
伯母のところに一人で届け物をしたときも、後で伯母が母に言ったそうだ。
「お姉ちゃんは何も話してくれないけど、みなみちゃんはいろいろ話してくれたよ」。
昔の私なら、「勝った!!」と思うところだろうけど、姉のことが気の毒だった。
姉は、話したくないんじゃなくて、どうやって会話したらいいのかわからないのではないだろうか?

晩年の母が、姉のことで愚痴を言ったときにも、
「でも、お姉ちゃんは偉いと思うよ」と言った。
母も、「そうだね。お姉ちゃんは偉いね」と。

一昨年だったと思うが、伯父の葬儀の後に食事をいただいていたとき、
姉が、お寺さんのところにビールを注ぎに行っていたのを見て驚いた。
私のようなほぼ専業主婦とは違って、社会人として苦労しているんだろうなと思った。

去年、母がもう永くないとわかったときには、姉は頻繁に連絡してきた。
自分が心細いのもあったと思うけれど、
どうやら、私が母の死に目に会えなかったらかわいそうだと思ってくれていたのではないかと思った。

そして、母の葬儀・法要の間、姉はすごかった。
私には頭がこんがらがってしまいそうな事務的なことをさっさとこなし、
さすが、ずっと社会で闘ってきた人だと私に尊敬の念を抱かせたし、
親族の前での挨拶など、すらすらとうまいことを言った。
姉が私以上のコミュ障!?それは私の思いこみに過ぎなかったんだろうか?
さすが、学校の先生!!と思わされた。

そして、母が亡くなってから、姉はいやに優しかった。
相続のことも、私にお金を多めに持っていくか?などと聞いてくれた。
仲の悪かった私たち姉妹だけれど、世に聞く相続争いとは全く無縁だった。

母の七日七日の法要があったころは、私も頻繁に実家に通ったし、
いろいろと事務的な面倒なこともあり、姉もちょくちょく連絡をしてきた。
でも、そういったことがなくなると、以前のようにあまり接触することもなくなる。
一人暮らしになってしまった姉のことが心配ではあるが、
その思いをどうやって表現していいのかわからない。
まあ、姉も仕事をしているうちはいいだろうと思っている。

たまに連絡することがあって、電話がなかなか繋がらないと、メールを送る。
私は、友達とやり取りするように、気さくな感じの文章で送っていたが、
姉からのメールは、敬語で、実に事務的である。
コミュ障が戻ってしまったようだ。
母の葬儀などの時は、気を張っていたのだろう。

前に、話していた時に、私が少々体調が悪かった話をすると、
「何か病気じゃないんだよね?」と心配そうに聞かれた。
そうか。姉には、もう私しかいないんだなと思った。
母が亡くなって、もういつ死んでもいいように思っていたが、そういうわけにはいかないらしい。

一人になってしまった姉に、
「悪い人に騙されないように気をつけて」と言ったら、
「そうだね。気をつけなきゃね」と言っていた。
でも、後から思った。
もしも、姉に、「この人になら騙されてもいい」と思えるような人ができたなら、
「それなら騙されてもいいよ」と、言ってあげたいなと。
とてもそんなことの言えるような姉妹仲ではないのだけれど…。