万国時事周覧

世界中で起こっている様々な出来事について、政治学および統治学を研究する学者の視点から、寸評を書いています。

ポスト冷戦時代の‘挟み撃ち作戦’-新興宗教団体の利用

2022年09月01日 12時08分29秒 | 統治制度論
 昭和の時代が幕を閉じ年号が平成に代わる頃、即ち、冷戦構造の崩壊期でもある1990年あたりから、日本国の政治も大きく変貌してゆくことになりました。グローバリズムの本格化とも重なるこの時期を境として、上下による「挟み撃ち作戦」のターゲットも、中間層を形成する一般国民へと移り、同作戦は、いよいよ一般の日本国民に対して牙をむくようになるのです。そしてこの流れが、創価学会や世界平和統一家庭連合といった新興宗教団体の政治的台頭と軌を一にするのは、単なる偶然とは思えないのです(もっとも、第一次世界大戦や第二次世界大戦の戦死傷者のほとんどが中間層であったことは、当初より、超国家権力体のターゲットは中間層であったのかもしれません)。

 冷戦終焉が予め計画されていたのか、それとも、計画失敗によるシナリオの変更であるのかは定かではありませんが、超国家権力体は、ポスト冷戦期にあって‘挟み撃ち作戦’の第二ステージに移行する、あるいは、抜本的な再編を試みたようです。日本国にありましても、戦前から冷戦期にかけて「やくざ」を含む極右団体の暴力を対共産主義勢力の口実の元に利用してきたのですが、これらの団体は、ポスト冷戦期にあってはもはや同作戦遂行に適した‘下部’ではなくなります。グローバリズムを推進するに際して、映画や芸能人などによるイメージ操作等によって大衆的な人気を得ており、かつ、‘愛国者’のポジションにある「やくざ」は、一般的な国民との間に心理的な繋がりがある故に‘不適格者’の烙印を押されるのです。

 中間層を挟撃する実行部隊として、次に白羽の矢が立てられる、あるいは、事前に準備されていた組織こそ、新興宗教団体であったのかもしれません。戦前にあっても、大本教や天理教のように新興宗教団体が盛んに設立された時期があったのですが、戦後の冷戦期にも新興宗教団体は数多く設立されています。もっとも、戦後に制定された憲法が定める政教分離の原則もあって積極的な政治活動は控えており、創価学会が1964年に公明党を設立したものの、地方議会並びに国会にあって若干の議席を得るに留まっていました(1964年に公明党を政治団体として許可されるにあたっての経緯が疑わしい・・・)。

 ところが、1990年以降になりますと、新興宗教団体は、箍が外れたかのように積極的に政治の世界に進出してゆきます。1993年には、非自民連立政権が誕生すると、公明党は、与党として政府の一角をなすようになるのです。オウム真理教が衆議院議員選挙に候補者を擁立したのも1990年のことです。その一方で、冷戦期において反共勢力として元より自民党の保守勢力との間に‘共闘関係’のあった世界平和統一家庭連合(元統一教会)は、ポスト冷戦時代に合わせて衣替えを行なっています。1994年5月1日に統一教会の時代の終焉を宣言し、世界平和統一家庭連合と名称の新組織を設立するのです。因みに、5月1日は、イエズス会士であり、かつ、インゴルシュタット大学の教授であったアダム・ヴァイスハウプトが1776年に秘密結社イルミナティを創設した日であり、労働者の祭典であるメーデーであると共に、日本国の今上天皇が2019年に即位した日でもあります。世界平和統一家庭連合のグローバル化、並びに、同時期に推進された創価学会のインターナショナル化は、挟み撃ち作戦の実行部隊として、超国家権力体が両者をバックアップしてきたことを強く示唆していると言えましょう。

なお、極右団体は、神道と言った日本固有の伝統宗教を信奉する傾向にありますので、国家の消滅を目的とする超国家権力体の視点からしますと、なおさらに不適任です。フィリップ・ポンス氏の『裏社会の日本史』は90年年代初頭までの状況しか追っていないのですが、平成の時代に至ると、日本国内の‘裏社会’でも中国系の蛇頭などが台頭すると共に、日本国内の暴力団内部では在日韓国・朝鮮系の勢力が伸張してトップの座につくケースも出現します。すなわち、かつて‘下部’を担った組織も、一般の日本国民との間の距離が開き、グローバルな犯罪マフィアと化してゆくのです。

 このような観点から1990年代以降の日本政治を観察してみますと、二期に及ぶ長期安倍政権を含め、積極的なグローバル化、否、日本国の植民地化政策を可能としたのは、上部の政権に‘代理人’を据える一方で、絶大な動員力を有する新興宗教団体を下部組織とする‘挟み撃ち作戦’であったのかもしれません。自民党は保守政党の看板を掲げる‘偽旗作戦’によって保守層からの支持を保持する一方で、超国家権力体から命じられた売国的な政策については、連立を組む公明党への配慮という口実を得ることができます。連立相手の公明党も、国土交通相のポスト独占によって巨大な利権及び組織票を得ていることは言うまでもありません。信教宗教団体に属する下部の信者達は、周囲の一般国民に関する情報収集のみならず、特定の行動に向けて同調圧力をかけたり、政府に対して批判的な国民を密かに排除しようとしてきたと推測されるのです。もっとも、同権力体が強力にデジタル化を推し進めている現状からしますと、‘挟み撃ち作戦’は今や最終段階を迎えており、もはや新興宗教団体を下部として利用する必要性もないのかもしれません。
 
 果たして、以上に述べてきた本ブログの作業仮説は現実を説明しているのでしょうか。今日の政治状況を見ますと、同仮説を陰謀論として葬り去ることこそ危険なように思えます。安部元首相の暗殺も、その意図がどのようなものであれ、世界平和統一家庭連合が関わっているだけに超国家権力体の関与が強く疑われます(一発で弾丸を6発発射できる手製の散弾銃によって、安部元首相の身体に著しい損傷を負わせることも、周囲の人々を被弾させることもなく、山上容疑者が単独で暗殺を実行することはどのように考えても不可能・・・)。現実世界では、あまりにも不自然、かつ、カルト的な現象ばかりが頻発しているのです。

日本国が健全性、否、正気を取り戻し、民主主義国家として再出発するためには、水面下で進められてきた‘挟み撃ち作戦’の発動を停止させるしかありません。そして、人類が挟撃に遭い、超国家権力体の厳格な支配・監視下に置かれてしまう危機は、日本国のみの問題ではないと思うのです。

この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本国における‘上下挟み撃ち... | トップ | 急がれる公職選挙法等の改正... »
最新の画像もっと見る

統治制度論」カテゴリの最新記事