高崎経済大学大学院の授業で私が提出したレポートを掲載します。
科目:「日本文化特論」 講師:千葉 貢
「現代に生きる家紋」
―CI(コーポレート・アイデンティティ)とブランド戦略―
多田 稔(705-006)2006年1月提出
1 家紋の分類
「家紋」は、正式には「紋章」とよび、
徳川時代には、「紋所(もんどころ)」、「家の紋」
などと呼ばれていた。
紋章学の分類上では下図のように、家紋(紋所)、「神紋」、
「寺紋」、「団体章」と併せて「紋章」と呼ばれる。
(系統図)
(今後このレポート中では、「家紋(紋所)」のほかに、
「神紋」、「寺紋」、「団体章」を含めた意味で「家紋」と呼ぶ)
2 家紋の定義
沼田頼輔(「紋章の研究」昭和15年)によれば、
「紋章とは、目標(めじるし)の目的を以って作られた図像である。
広義に云ふと、商標の如きものも、船印の如きものも、
同じく紋章の種類に属する性質のものである。」
と定義されている。
家紋は古くから日本社会において使用されてきた
美しい図像である。
私たちは、
紋をつけた衣類を着用する機会は少なくなったが、
今でも家紋は、一般家庭のほか、企業の社章や、学校の校章、
自治体にまで県章・市章として使われている。
3 社章の起こり (公家紋)
家紋の起こりは平安時代の貴族の牛車の印や、
武家の旗印といわれているが、
江戸時代には町人文化が栄え、商人はのれんを家紋で飾り、
屋号、商標を作った。
京都町奉行与力の
神沢貞幹によって書かれた「翁草」によると、
デパートの大丸の商標のいわれは次のとおりである。
享保の中ごろ(1720年代)、
尾張の徳川宗春は倹約令を無視して華奢風流にふけった。
そこで尾張はにぎわった。
ぜひここで商売したい小商人、
大文字屋下村彦右衛門は店を出したがうまくいかない。
そこで京の薬屋井筒屋久兵衛の荷札に目をつけた。
井筒屋は尾張に支店を持つ富裕の者。
そこの荷札「丸の内に大の文字」を貸して欲しいと頼んだのだ。
何しろ「丸に大」は大文字屋の商標にぴったり。
その後、安売りで成功した。
さらに彦右衛門は「丸に大」を染めた風呂敷を作り、
今度は江戸で大量に配った。
この風呂敷が喜ばれて、「丸に大」は大丸と人々が認識して、
江戸の出店も成功した。
また、
行き交う人々がこの風呂敷を背中に背負うことで
多くの人の目に触れ、大丸のPRにもなったのである。
しかし、
大丸百貨店では昭和58年の大阪梅田店オープンにあわせ、
「丸に大」のマークを使用しなくなった。
顧客の個性化、多様化に合わせた店作りを行うため、
企業イメージを高める目的で
新しい孔雀のマークを採用したのである。
(なお、「丸に大」マークは、
社章及び商標としてその後も公式な場では使用さていれる。)
多田の個人的な意見としては、
大丸デパートの名称のままであれば、「丸に大」マークのほうが
わかりやすくて、よかったと思う。
さらに、
新しいマークは孔雀だと言われなければ、
何を表すマークかわからないし、
孔雀の首が細長く上に伸びているのは、******ようにさえ見えてしまう。
4 日本の社章とCI(コーポレート・アイデンティティ)
社章には創立者や会社の意志が強く打ち出されている。
タケダ薬品では創立者が北条氏の出であるので、
北条氏の家紋「ミツウロコ」の一つを生かした社章としている。
長い伝統を有する三井・住友財閥系の企業も、
井桁などをグループで使っている。
銀行などでは、
江戸時代の換金の秤である分銅をマークにしているところもある。
社章は歴史と由緒をあらわしているので、
1970年代までは創立以来同じマークを使ってきた企業が多かった。
21世紀を目前に控えた1980年代、
日本では二度にわたるオイルショック、
高度成長期の終焉に伴う経済構造の変換、
技術革新、規制緩和、グローバル化などにより
企業を取り巻く社内外の環境はダイナミックに変化した。
昨日の王者も対応を一歩誤ると
一気にその地位を失う厳しい時代となり、
不確実性の時代と言われた。
このような新たな状況の中で、
市場における自社の企業ポジションや、
企業イメージ、企業理念などを再定義し、
業態変化、経営者の交代、多角化、国際化などの問題に対応するために、
積極的にCI(コーポレート・アイデンティティ)を
導入する企業が増えたのである。
1970年代のCIは、
イトーヨーカドーのハトのマークのように
*シンボル・マークやロゴタイプを
一新したデザイン重視のものであったが、
80年代になると企業におけるCIは、急速に、
デザインから精神的・哲学的なものへと変質していった。
(ヨーカドー)
*社章を「シンボル・マーク」、
その近くにあるデザイン化された文字を「ロゴ・タイプ」といい、
両者をセットにして「シグネチャー」とよぶ。
5 インナー・アイデンティティ
高度経済成長期までは、
整然とした秩序を保ってきた日本経済も、
分散と多様化によりばらばらになり、
組織の意識も能力も事業の多角化により分散状況となった。
人間は自分が所属する組織集団の周辺に
思いがけない大きな変化が起き、
その集団が行き先を見失い、リーダーの統率力も薄れてしまうと、
それに属している自分のインナー・アイデンティティが拡散し、
そのことで自分にも集団にも深刻な問題が発生する。
企業は構成員の意識を再度結びつけるための
融合剤を必要としたのである
企業のアイデンティティは、
人間と同じように二つの領域を持つ。
一つはインナー(内的な)アイデンティテイィであり、
もう一つはアウター(外的な)アイデンティテイィである。
精神分析学者フロイトによれば「インナー・アイデンティティとは、
特定の組織集団の中で培われてきた独自の価値観と、
その価値観を共有することで生まれる、内的な連帯感」である。
企業のインナー・アイデンティティを
形成する要因はさまざまであるが、
その中核には企業理念や信条(belief)、使命(mission)、
役割(role)、規範などがある。
日本企業の1980年代におけるCIに見られる特質は、
このような企業の中心的価値観の創出を
CI計画の中核に位置付けたことである。
そしてCIが企業理念へ偏重する中で
経営者にさらにインパクトを与えたのは、
アメリカから入ってきた
「企業文化(コーポレート・カルチャー)」という概念だ。
外国の企業に比べ日本の経営者は、
経営の風土作りに熱心だと言われるが、漠然と捉えられていた風土が、
企業文化の概念では戦略的にコントロールできるとされたからだ。
企業文化の提唱者スタンレー・M・デービスによれば、
「企業文化とは、組織の構成員に、ある意味を与え、
組織の中での行動ルールを提供する、理念や価値のパターン」
である。
6 CI導入のプロセス
CI導入の契機としては、事業の多角化、イメージの陳腐化、
経営方針の転換、合併、経営不振、周年記念事業などいろいろある。
この中で経営不振に伴うものは、
事業活動の不振だけでなく構成員のモラールも低下させ、
悪循環に陥っていることが多い。
したがって構成員の意識改革も伴ったCIが必要とされる。
深見幸男によればCI計画の流れは、およそ次のとおりである。
(準備段階)
背景(CIの必要性)の明確化、社内体制整備、全社に啓蒙活動
ア 現状把握とアイデンティティ目標設置
調査による現状把握、アイデンティティ目標設置、目標の浸透
イ 名称体系の検討
現名称の評調査、名称開発、名称決定と法的保護
(CIの開発)
ウ 自己表現体系の再構築
デザイン・コンセプトの設定、デザイン・システムの開発、管理手法の開発
エ インナー・アイデンティティの再構築
価値体系(理念)の見直し、新価値体系浸透のための社内
コミュニケーション活動、新価値定着のための
構造変革(制度・組織改正等)
オ 経営戦略の再構築
全体戦略・個別戦略の見直し、戦略の実行と評価システム整備
(成果の監査)
成果の把握とアイデンティティの永続的監査
7 シンボルマークとブランド
シンボルマーク(社章)の開発は、CI計画の中では、
デザイン・コンセプトの設定の中に位置付けられる。
シンボルマークは、
視覚的アイデンティティの中で最も重要な要素である。
企業(または企業の持つブランド)のシンボルマークは、
企業(またはその企業の提供するブランド)の
考え方や姿勢を社内外に表明し、
その実行を約束するしるしである。
シンボルマークを開発することは、
そのマークを通して何を語りたいのかを考えることだ。
現在、
ほとんどの企業の製品はかなり似通っている。
サービスの品質のようにそれが存在していても
伝達することは困難である。
製品やサービスが差別化しにくい場合、
シンボルがブランド・エクイティ(構築)の中心的な要素となる。
シンボルはそれ自体が認知、連想、好感または感情を創造し、
ロイヤルティや知覚品質に影響する。
言葉(名前)よりも
ビジュアルなイメージを学習する方が容易である。
連想に富むシンボルは企業の資産となる。
グラムコ株式会社ブランドマーク研究チームの*調査(1998年)によると、
「すぐに思い浮かぶマーク」ベスト3は、
全て外国産マークであった。
1位はマクドナルド、2位はナイキ、3位はシャネルである。
今日企業のマーク(社章又はブランドマーク)は
ブランドをあらわしており、
欧州では長い間、
大切にブランドコンセプトやイメージが維持されてきた。
米国にもそうした考えは生きている。
マークをつければ価値が上がるのではなく、
そのマークのブランド背景に、
長年にわたって積み上げられてきた信頼があるからこそ、
価値となるのだ。
デービット・A・アーカーによれば、
マーケティングの競争は、ブランド競争、
すなわちブランドによる市場支配の競争である。
ブランドは企業にとっても最も価値ある資産である。
ブランド構築が企業の存続、
高収益の成長を達成するために必要であるという認識は
世界中に広まりつつある。
脆弱なマーケット・ポジションや
不本意な財務パフォーマンスにあえいでいる多くの日本企業は、
これまで体系的なブランド管理を怠り、
ブランドの弱体化を放置してきた。
再生のためには、効果的なブランド戦略が必要なのである。
*グラムコ株式会社ブランドマーク研究チームの調査(1998年)
首都圏で10代後半から50歳代までの男女500人にアンケート。
*アディダスは50~70年代にかけてヨーロッパ-で支配的な
ブランドを確立していたが、
80年代にはナイキの攻勢に躓いてしまった。
ブランドの勢力争いはまるで戦国時代の武将のようである。
ナイキは当初シンボル・マークの下に
「NIKE」のロゴ・タイプを入れていたが、
マークを見た消費者自身に名前を連想させ、
唱えさせるという高度なマーケティング戦略をとった結果、
ロゴ・タイプが廃止された。
*自治体におけるブランドマークの使用例としては、
札幌市交通局や岐阜県などの例がある。
岐阜県は県章とは別に、
カラフルなマークに「GIFU」のロゴ・タイプを組み合わせた
シグネチャ-を使用している。
県章から岐阜県をイメージできないデザインだからかもしれない。
*非常に成功したシンボルの中には、
メトロポリタン生命保険の使用した
「チャーリー・ブラウン」(スヌーピーに出てくる少年)のように、
漫画のキャラクターを使用した例がある。
そのねらいは、
保険に対する暖かみのある、明るい、
脅威とならないアプローチである。
それは深刻で無神経な競争業者のアプローチとは対照的であった。
「人生にであう」というスローガンに向けられる感情に
積極的な影響を与えた。
(チャーリー・ブラウン)
(おわりに)
長い歴史と伝統をもつ家紋であるが、
企業の使う社章は現在においてもCI活動や、
企業イメージ、ブランド価値を
積極的に高めるツールとして使われている。
また、
民間企業ばかりでなく行政機関も家紋(県章・市章等)を使用している。
群馬県庁や高崎市等においても、
少子高齢化や地方分権等の環境の変化に即して
価値体系の見直しを行い、CI戦略やブランド戦略をふまえた、
効果的な家紋の活用を図る必要があるだろう。
(群馬県のマーク類)
参考書籍
・ 丹羽基二「日本家紋総覧」秋田書店、昭和62
・ 沼田頼輔「紋章の研究」創元社、昭和15年
・ 辻合喜代太郎「日本の家紋」保育社、昭和45年
・ 楠戸義昭「家紋 秘められた歴史」毎日新聞社、1991年
・ 島武史「屋号・商標100選」日本工業新聞社、昭和61年
・ 深見幸男「CI入門」日本経済新聞社、1991年
・ 山田敦郎「マーク ブランドの向こうに見えるもの」読売新聞社、1999年
・ デービット・A・アーカー「ブランド・エクイティ戦略」ダイヤモンド社、1994年
・ デービット・A・アーカー「ブランド・リーダーシップ」ダイヤモンド社、2000年
・ 日本CI会議体「21世紀CI展望」自分流文庫、2000年
参考ホームページ
・ 「家紋World」 http://www.harimaya.com/kamon/
科目:「日本文化特論」 講師:千葉 貢
「現代に生きる家紋」
―CI(コーポレート・アイデンティティ)とブランド戦略―
多田 稔(705-006)2006年1月提出
1 家紋の分類
「家紋」は、正式には「紋章」とよび、
徳川時代には、「紋所(もんどころ)」、「家の紋」
などと呼ばれていた。
紋章学の分類上では下図のように、家紋(紋所)、「神紋」、
「寺紋」、「団体章」と併せて「紋章」と呼ばれる。
(系統図)
(今後このレポート中では、「家紋(紋所)」のほかに、
「神紋」、「寺紋」、「団体章」を含めた意味で「家紋」と呼ぶ)
2 家紋の定義
沼田頼輔(「紋章の研究」昭和15年)によれば、
「紋章とは、目標(めじるし)の目的を以って作られた図像である。
広義に云ふと、商標の如きものも、船印の如きものも、
同じく紋章の種類に属する性質のものである。」
と定義されている。
家紋は古くから日本社会において使用されてきた
美しい図像である。
私たちは、
紋をつけた衣類を着用する機会は少なくなったが、
今でも家紋は、一般家庭のほか、企業の社章や、学校の校章、
自治体にまで県章・市章として使われている。
3 社章の起こり (公家紋)
家紋の起こりは平安時代の貴族の牛車の印や、
武家の旗印といわれているが、
江戸時代には町人文化が栄え、商人はのれんを家紋で飾り、
屋号、商標を作った。
京都町奉行与力の
神沢貞幹によって書かれた「翁草」によると、
デパートの大丸の商標のいわれは次のとおりである。
享保の中ごろ(1720年代)、
尾張の徳川宗春は倹約令を無視して華奢風流にふけった。
そこで尾張はにぎわった。
ぜひここで商売したい小商人、
大文字屋下村彦右衛門は店を出したがうまくいかない。
そこで京の薬屋井筒屋久兵衛の荷札に目をつけた。
井筒屋は尾張に支店を持つ富裕の者。
そこの荷札「丸の内に大の文字」を貸して欲しいと頼んだのだ。
何しろ「丸に大」は大文字屋の商標にぴったり。
その後、安売りで成功した。
さらに彦右衛門は「丸に大」を染めた風呂敷を作り、
今度は江戸で大量に配った。
この風呂敷が喜ばれて、「丸に大」は大丸と人々が認識して、
江戸の出店も成功した。
また、
行き交う人々がこの風呂敷を背中に背負うことで
多くの人の目に触れ、大丸のPRにもなったのである。
しかし、
大丸百貨店では昭和58年の大阪梅田店オープンにあわせ、
「丸に大」のマークを使用しなくなった。
顧客の個性化、多様化に合わせた店作りを行うため、
企業イメージを高める目的で
新しい孔雀のマークを採用したのである。
(なお、「丸に大」マークは、
社章及び商標としてその後も公式な場では使用さていれる。)
多田の個人的な意見としては、
大丸デパートの名称のままであれば、「丸に大」マークのほうが
わかりやすくて、よかったと思う。
さらに、
新しいマークは孔雀だと言われなければ、
何を表すマークかわからないし、
孔雀の首が細長く上に伸びているのは、******ようにさえ見えてしまう。
4 日本の社章とCI(コーポレート・アイデンティティ)
社章には創立者や会社の意志が強く打ち出されている。
タケダ薬品では創立者が北条氏の出であるので、
北条氏の家紋「ミツウロコ」の一つを生かした社章としている。
長い伝統を有する三井・住友財閥系の企業も、
井桁などをグループで使っている。
銀行などでは、
江戸時代の換金の秤である分銅をマークにしているところもある。
社章は歴史と由緒をあらわしているので、
1970年代までは創立以来同じマークを使ってきた企業が多かった。
21世紀を目前に控えた1980年代、
日本では二度にわたるオイルショック、
高度成長期の終焉に伴う経済構造の変換、
技術革新、規制緩和、グローバル化などにより
企業を取り巻く社内外の環境はダイナミックに変化した。
昨日の王者も対応を一歩誤ると
一気にその地位を失う厳しい時代となり、
不確実性の時代と言われた。
このような新たな状況の中で、
市場における自社の企業ポジションや、
企業イメージ、企業理念などを再定義し、
業態変化、経営者の交代、多角化、国際化などの問題に対応するために、
積極的にCI(コーポレート・アイデンティティ)を
導入する企業が増えたのである。
1970年代のCIは、
イトーヨーカドーのハトのマークのように
*シンボル・マークやロゴタイプを
一新したデザイン重視のものであったが、
80年代になると企業におけるCIは、急速に、
デザインから精神的・哲学的なものへと変質していった。
(ヨーカドー)
*社章を「シンボル・マーク」、
その近くにあるデザイン化された文字を「ロゴ・タイプ」といい、
両者をセットにして「シグネチャー」とよぶ。
5 インナー・アイデンティティ
高度経済成長期までは、
整然とした秩序を保ってきた日本経済も、
分散と多様化によりばらばらになり、
組織の意識も能力も事業の多角化により分散状況となった。
人間は自分が所属する組織集団の周辺に
思いがけない大きな変化が起き、
その集団が行き先を見失い、リーダーの統率力も薄れてしまうと、
それに属している自分のインナー・アイデンティティが拡散し、
そのことで自分にも集団にも深刻な問題が発生する。
企業は構成員の意識を再度結びつけるための
融合剤を必要としたのである
企業のアイデンティティは、
人間と同じように二つの領域を持つ。
一つはインナー(内的な)アイデンティテイィであり、
もう一つはアウター(外的な)アイデンティテイィである。
精神分析学者フロイトによれば「インナー・アイデンティティとは、
特定の組織集団の中で培われてきた独自の価値観と、
その価値観を共有することで生まれる、内的な連帯感」である。
企業のインナー・アイデンティティを
形成する要因はさまざまであるが、
その中核には企業理念や信条(belief)、使命(mission)、
役割(role)、規範などがある。
日本企業の1980年代におけるCIに見られる特質は、
このような企業の中心的価値観の創出を
CI計画の中核に位置付けたことである。
そしてCIが企業理念へ偏重する中で
経営者にさらにインパクトを与えたのは、
アメリカから入ってきた
「企業文化(コーポレート・カルチャー)」という概念だ。
外国の企業に比べ日本の経営者は、
経営の風土作りに熱心だと言われるが、漠然と捉えられていた風土が、
企業文化の概念では戦略的にコントロールできるとされたからだ。
企業文化の提唱者スタンレー・M・デービスによれば、
「企業文化とは、組織の構成員に、ある意味を与え、
組織の中での行動ルールを提供する、理念や価値のパターン」
である。
6 CI導入のプロセス
CI導入の契機としては、事業の多角化、イメージの陳腐化、
経営方針の転換、合併、経営不振、周年記念事業などいろいろある。
この中で経営不振に伴うものは、
事業活動の不振だけでなく構成員のモラールも低下させ、
悪循環に陥っていることが多い。
したがって構成員の意識改革も伴ったCIが必要とされる。
深見幸男によればCI計画の流れは、およそ次のとおりである。
(準備段階)
背景(CIの必要性)の明確化、社内体制整備、全社に啓蒙活動
ア 現状把握とアイデンティティ目標設置
調査による現状把握、アイデンティティ目標設置、目標の浸透
イ 名称体系の検討
現名称の評調査、名称開発、名称決定と法的保護
(CIの開発)
ウ 自己表現体系の再構築
デザイン・コンセプトの設定、デザイン・システムの開発、管理手法の開発
エ インナー・アイデンティティの再構築
価値体系(理念)の見直し、新価値体系浸透のための社内
コミュニケーション活動、新価値定着のための
構造変革(制度・組織改正等)
オ 経営戦略の再構築
全体戦略・個別戦略の見直し、戦略の実行と評価システム整備
(成果の監査)
成果の把握とアイデンティティの永続的監査
7 シンボルマークとブランド
シンボルマーク(社章)の開発は、CI計画の中では、
デザイン・コンセプトの設定の中に位置付けられる。
シンボルマークは、
視覚的アイデンティティの中で最も重要な要素である。
企業(または企業の持つブランド)のシンボルマークは、
企業(またはその企業の提供するブランド)の
考え方や姿勢を社内外に表明し、
その実行を約束するしるしである。
シンボルマークを開発することは、
そのマークを通して何を語りたいのかを考えることだ。
現在、
ほとんどの企業の製品はかなり似通っている。
サービスの品質のようにそれが存在していても
伝達することは困難である。
製品やサービスが差別化しにくい場合、
シンボルがブランド・エクイティ(構築)の中心的な要素となる。
シンボルはそれ自体が認知、連想、好感または感情を創造し、
ロイヤルティや知覚品質に影響する。
言葉(名前)よりも
ビジュアルなイメージを学習する方が容易である。
連想に富むシンボルは企業の資産となる。
グラムコ株式会社ブランドマーク研究チームの*調査(1998年)によると、
「すぐに思い浮かぶマーク」ベスト3は、
全て外国産マークであった。
1位はマクドナルド、2位はナイキ、3位はシャネルである。
今日企業のマーク(社章又はブランドマーク)は
ブランドをあらわしており、
欧州では長い間、
大切にブランドコンセプトやイメージが維持されてきた。
米国にもそうした考えは生きている。
マークをつければ価値が上がるのではなく、
そのマークのブランド背景に、
長年にわたって積み上げられてきた信頼があるからこそ、
価値となるのだ。
デービット・A・アーカーによれば、
マーケティングの競争は、ブランド競争、
すなわちブランドによる市場支配の競争である。
ブランドは企業にとっても最も価値ある資産である。
ブランド構築が企業の存続、
高収益の成長を達成するために必要であるという認識は
世界中に広まりつつある。
脆弱なマーケット・ポジションや
不本意な財務パフォーマンスにあえいでいる多くの日本企業は、
これまで体系的なブランド管理を怠り、
ブランドの弱体化を放置してきた。
再生のためには、効果的なブランド戦略が必要なのである。
*グラムコ株式会社ブランドマーク研究チームの調査(1998年)
首都圏で10代後半から50歳代までの男女500人にアンケート。
*アディダスは50~70年代にかけてヨーロッパ-で支配的な
ブランドを確立していたが、
80年代にはナイキの攻勢に躓いてしまった。
ブランドの勢力争いはまるで戦国時代の武将のようである。
ナイキは当初シンボル・マークの下に
「NIKE」のロゴ・タイプを入れていたが、
マークを見た消費者自身に名前を連想させ、
唱えさせるという高度なマーケティング戦略をとった結果、
ロゴ・タイプが廃止された。
*自治体におけるブランドマークの使用例としては、
札幌市交通局や岐阜県などの例がある。
岐阜県は県章とは別に、
カラフルなマークに「GIFU」のロゴ・タイプを組み合わせた
シグネチャ-を使用している。
県章から岐阜県をイメージできないデザインだからかもしれない。
*非常に成功したシンボルの中には、
メトロポリタン生命保険の使用した
「チャーリー・ブラウン」(スヌーピーに出てくる少年)のように、
漫画のキャラクターを使用した例がある。
そのねらいは、
保険に対する暖かみのある、明るい、
脅威とならないアプローチである。
それは深刻で無神経な競争業者のアプローチとは対照的であった。
「人生にであう」というスローガンに向けられる感情に
積極的な影響を与えた。
(チャーリー・ブラウン)
(おわりに)
長い歴史と伝統をもつ家紋であるが、
企業の使う社章は現在においてもCI活動や、
企業イメージ、ブランド価値を
積極的に高めるツールとして使われている。
また、
民間企業ばかりでなく行政機関も家紋(県章・市章等)を使用している。
群馬県庁や高崎市等においても、
少子高齢化や地方分権等の環境の変化に即して
価値体系の見直しを行い、CI戦略やブランド戦略をふまえた、
効果的な家紋の活用を図る必要があるだろう。
(群馬県のマーク類)
参考書籍
・ 丹羽基二「日本家紋総覧」秋田書店、昭和62
・ 沼田頼輔「紋章の研究」創元社、昭和15年
・ 辻合喜代太郎「日本の家紋」保育社、昭和45年
・ 楠戸義昭「家紋 秘められた歴史」毎日新聞社、1991年
・ 島武史「屋号・商標100選」日本工業新聞社、昭和61年
・ 深見幸男「CI入門」日本経済新聞社、1991年
・ 山田敦郎「マーク ブランドの向こうに見えるもの」読売新聞社、1999年
・ デービット・A・アーカー「ブランド・エクイティ戦略」ダイヤモンド社、1994年
・ デービット・A・アーカー「ブランド・リーダーシップ」ダイヤモンド社、2000年
・ 日本CI会議体「21世紀CI展望」自分流文庫、2000年
参考ホームページ
・ 「家紋World」 http://www.harimaya.com/kamon/