西園寺公望(1849~1940)の秘書官中川小十郎(1866~1944)は,
明治33(1900)年5月,法律・政治の二科を置く,
私立京都法政学校(立命館大学の前身)を開校した。
料亭清輝楼を仮校舎として講義が行われ,
翌年12月,広小路河原町の新校舎に移転した。
この石標はその仮校舎跡を示すものである。
なお清輝楼は,桂小五郎(木戸孝允)と幾松(のちの木戸夫人)の逸話
で知られる吉田屋のあとを受け継いだ料亭といわれ,
その後平成8(1997)年まで大和屋旅館として存続した。
料亭 吉田屋
昔 このあたりは花街だった