自遊日記

定年後の備忘録

フレッシュサラダ

2009-06-04 22:08:44 | オヤジの料理

  毎朝、パンを焼くのは家内の仕事ですが、私もたまにはサラダを作ります。
         ドレッシングはその日の気分で
          和風ドレッシングにしたり
         フレンチドレッシングにしたり・・・。
  メジャーカップの中で合わせるだけの簡単ドレッシングですが
         今朝は和風にしました。

     手造りパンに手造り柚子ジャムをつけ・・・
     サラダには手造りドレッシングをかけ・・・
   認知症予防と節約のため、手造りに励む今日この頃です。

明治の元勲・岩倉具視の幽棲宅

2009-06-02 18:07:50 | 京都 街歩き
   先般、京都北部の岩倉にある、実相院門跡を訪れた際
   実相院近くの、岩倉具視の幽棲宅も見学しました。







              塀越しに岩倉邸を覗く。
           木立の間から茅葺の質素な建物が見えます。









        これが岩倉具視が幽居していた屋敷の入り口です。








           茅葺の建物と庭に通じる門
    屋敷内には、古びたテーブルと椅子があり、岩倉具視にまつわる
    遺品なども展示されていましたが、室内は撮影禁止でした。

   ここで坂本竜馬や大久保利通らと王政復古の密議を凝らしたのか・・・
            と思うと感慨無量でした。






      庭の奥に見えているのは、岩倉具視の遺髪塚です。

   そして、庭の中央に少し見えるのは、岩倉具視お手植えの松です。









           遺髪塚の横から屋敷を眺めた図です。

   文久2年(1862年)から慶応3年(1867年)までの5年余り、
           この屋敷に幽居していたそうです。







           屋敷を東側から眺めた図です。

 茅葺の家と右手瓦葺きの家いずれも、岩倉具視が幽居していた住まいです。
        草深い岩倉の面影が、残っていますね。









            瓦葺きの建物。
 この建物の右手にかまどがあり、ここで具視自ら、煮炊きしていたようです。

      岩倉具視は幕末騒乱に際して、公武合体をすすめ
         皇女和宮の将軍家降嫁に尽力したが、
        倒幕急進派の弾劾を受け、ここ岩倉の地で 
        しばらく幽居せざるを得なかったようです。

   その後維新運動の中心になって活躍し、明治新政府の右大臣にまで
        登りつめた事は、皆さんご案内の通りです。