先般、京都北部の岩倉にある、実相院門跡を訪れた際
実相院近くの、岩倉具視の幽棲宅も見学しました。
塀越しに岩倉邸を覗く。
木立の間から茅葺の質素な建物が見えます。
これが岩倉具視が幽居していた屋敷の入り口です。
茅葺の建物と庭に通じる門
屋敷内には、古びたテーブルと椅子があり、岩倉具視にまつわる
遺品なども展示されていましたが、室内は撮影禁止でした。
ここで坂本竜馬や大久保利通らと王政復古の密議を凝らしたのか・・・
と思うと感慨無量でした。
庭の奥に見えているのは、岩倉具視の遺髪塚です。
そして、庭の中央に少し見えるのは、岩倉具視お手植えの松です。
遺髪塚の横から屋敷を眺めた図です。
文久2年(1862年)から慶応3年(1867年)までの5年余り、
この屋敷に幽居していたそうです。
屋敷を東側から眺めた図です。
茅葺の家と右手瓦葺きの家いずれも、岩倉具視が幽居していた住まいです。
草深い岩倉の面影が、残っていますね。
瓦葺きの建物。
この建物の右手にかまどがあり、ここで具視自ら、煮炊きしていたようです。
岩倉具視は幕末騒乱に際して、公武合体をすすめ
皇女和宮の将軍家降嫁に尽力したが、
倒幕急進派の弾劾を受け、ここ岩倉の地で
しばらく幽居せざるを得なかったようです。
その後維新運動の中心になって活躍し、明治新政府の右大臣にまで
登りつめた事は、皆さんご案内の通りです。
実相院近くの、岩倉具視の幽棲宅も見学しました。
塀越しに岩倉邸を覗く。
木立の間から茅葺の質素な建物が見えます。
これが岩倉具視が幽居していた屋敷の入り口です。
茅葺の建物と庭に通じる門
屋敷内には、古びたテーブルと椅子があり、岩倉具視にまつわる
遺品なども展示されていましたが、室内は撮影禁止でした。
ここで坂本竜馬や大久保利通らと王政復古の密議を凝らしたのか・・・
と思うと感慨無量でした。
庭の奥に見えているのは、岩倉具視の遺髪塚です。
そして、庭の中央に少し見えるのは、岩倉具視お手植えの松です。
遺髪塚の横から屋敷を眺めた図です。
文久2年(1862年)から慶応3年(1867年)までの5年余り、
この屋敷に幽居していたそうです。
屋敷を東側から眺めた図です。
茅葺の家と右手瓦葺きの家いずれも、岩倉具視が幽居していた住まいです。
草深い岩倉の面影が、残っていますね。
瓦葺きの建物。
この建物の右手にかまどがあり、ここで具視自ら、煮炊きしていたようです。
岩倉具視は幕末騒乱に際して、公武合体をすすめ
皇女和宮の将軍家降嫁に尽力したが、
倒幕急進派の弾劾を受け、ここ岩倉の地で
しばらく幽居せざるを得なかったようです。
その後維新運動の中心になって活躍し、明治新政府の右大臣にまで
登りつめた事は、皆さんご案内の通りです。