柿はだいたい個人の庭に生えていて野生のものはあまり見かけない。あっても高くて採りにくい。
手の届く貴重な柿の木を去年さる共同墓地に見つけた。小振りの半渋柿が鈴なりに実っていて誰も採らない。
去年、自転車の前と後ろの籠いっぱいに採った、ちょうど今ごろ。
妻が気に入って柿を布で拭いてへたを取って包丁で二つに割る作業をしてくれた。
天日干しにして2週間のほどで渋が甘さに転化していった。
干しながら食べた。
妻も食べていたようでどんどん減っていった。あの柿は夫婦の好物となった。
今日、掃除の帰りに脚立を自転車に載せて当地へ行ってみると、なんと、柿の木が消えていた。
伐採されたのであった。
去年、一生懸命採ったのだが自分の木ではないので遠慮があった。
すべてを取りつくすことができず木にまだいっぱい実が残っていた。誰か採ればいいだろうという思いがあった。
その仏心がいけなかった。
やはり墓地の半渋柿は望まれないものだったのだろう。
どだい墓地に柿の木は似合わない。
墓地を汚す柿の木は相談のうえ伐られたのだろう。わかりやすい結末となった。
実生の柿だったのだろう。鳥の糞による実生にしてはよくもまああんなに実ったものである。
他人が嫌がる場所の果樹は一つ残らず採ってやるべきだと痛感した。仏心はいけない。
2016年、柿はゲットできそうもない。
来年のために柿の所在を捜す晩秋になりそう。採集できなければあたらしい物件を発掘しなくてはならぬ。
私を句会に誘ってくれたのも仏心!
感謝してまーす(^^♪