きんちゃんのぷらっとドライブ&写真撮影

「しんぶん赤旗」の記事を中心に、政治・経済・労働問題などを個人的に発信。
日本共産党兵庫県委員会で働いています。

シリーズ 原発の深層  第四部・蠢(うごめ)く利権集団④ 建設業者に“うまみ”

2011-12-05 22:26:58 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
シリーズ 原発の深層  第四部・蠢(うごめ)く利権集団④ 建設業者に“うまみ”

 自分が電源3法をつくったと豪語する人物がいます。1962年から92年に死去するまで、30年にわたり自民党参院議員を務めた熊谷太三郎氏です。
 熊谷氏は自伝『私の春秋』で「(私の)質問がきっかけとなり、田中総理の主導で直ちに電源三法が生まれたことは周知の事実」だと記しています。

税金で箱モノ
 電源3法は、税金で原子力発電所立地地域に箱モノなどを建設し、現地を原発推進体制に組み入れるしくみです。原発立地の建設業者にうまみをもたらします。熊谷氏は福井県に本拠地をもつ準大手ゼネコン、熊谷組の社長でもありました(40年~67年、その後相談役)。
 73年12月、熊谷氏は参院予算委員会で原発立地が進まないのは、地元に「メリットらしいメリットはほとんど与えられていない」からだとして、対策を求めました。当時の田中角栄首相は「来年1月からはそういう(地元にメリットを与える)方向に向かって、原子力発電というものは国民の理解を得ながら建設を行なうということをスタートしたい」と答弁。これが電源3法につながります。
 76年には、熊谷氏が高速増殖炉「もんじゅ」の立地について、敦賀市白木地区にするよう福井県議会議員に働きかけ、県に事前調査を認めさせています。
 77年11月~78年12月には、原子力行政を取り仕切る科学技術庁長官・原子力委員会委員長に就任。手掛けた78年度原子力開発利用基本計画には、「もんじゅ」建設の「諸準備を行う」ことや、電源3法を活用して「公共用施設の建設を進める」ことなどが明記されました。
 自民党機関誌『月刊・自由民主』82年12月号は、熊谷氏の関西電力美浜原発視察の記事を掲載しています。そこでは築山隆一関電常務(当時)が熊谷氏に、「電源立地の推進には、ひとかたならぬ乙尽力をいただき、感謝にたえません」と述べています。



熊谷組本社ビル(東京都内)


準大手に成長
 原発推進で、熊谷組はどれだけ潤ったのでしょうか。78年発行の『株式会社熊谷組四十年史』にはそれまでに受注した原発と請負総額が記されています。

福島原発 101億8306万円
美浜原発(福井県) 3億6379万円
敦賀原発(福井県) 4億2795万円
島根原発 6億795万円
大飯原発(福井県) 133億150万円
浜岡原発(静岡県) 17億3103万円
福井県若狭湾を「原発銀座」にすることで、熊谷組は地方ゼネコンから準大手まで成長したのです。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年12月3日付掲載


今でこそ、熊谷組は公共事業を担う一連の大企業の一角を占めていますが、元々は福井県の一地方ゼネコンにすぎなかったのですね。それが原発で潤うことによって、全国展開する準大手のゼネコンまで成長したのですね。
意外と知られていない事だと思います。
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シリーズ 原発の深層  第四部・蠢(うごめ)く利権集団③ 過疎対策おきざりに

2011-12-05 21:21:20 | 原子力発電・放射能汚染・自然エネルギー
シリーズ 原発の深層  第四部・蠢(うごめ)く利権集団③ 過疎対策おきざりに

 原発立地地域には国から払われる電源3法交付金のほかに、電力会社からさまざまな寄付がおこなわれてきました。関西電力、中部電力、北陸電力が共同で進めたものの、2003年12月に「凍結」を表明した石川県・珠洲原発も例外ではありませんでした。

寄付金で建設
 勇壮な太鼓の音が響き渡ります。高さ4間半(約8層)の灯籠には色鮮やかな天女が描かれています。能登地方各地でおこなわれているキリコ祭りは巨大な灯籠が特徴です。10月10日には原発予定地だった珠洲市高屋でキリコ祭りがおこなわれました。このキリコを保管するための収納庫は関西電力からの寄付、5500万円でつくられました。
 高屋地域にはほかにも農産物の保冷庫のために3000万円の寄付がされています。
 もう一つの原発予定地、寺家地域ではキリコ保管庫のほかに、農業関係者を対象に中部電力が1億2000万円を寄付して温室を建設。また漁業関係者向けにアズキ貝の養殖施設をつくるために中部電力は1億円の寄付をしています。
 寺家の漁業者は「アズキ貝の養殖ではそこそこもうかった。施設の維持費も電気料金も中部電力が持ってくれたんだから」と話します。



高さ8メートルの灯籠を乗せた山車が出る高屋のキリコ祭り

負担をやめた
 しかし、関西電力、中部電力の寄付で作られた施設はキリコ収納庫をのぞき、すべて破棄されました。原発計画の「凍結」とともに、電力会社が維持管理費の負担をやめたためです。
 高屋のキリコ祭りでは2台の山車が出陣しましたが、収納庫にはあと1台残っていました。「この数年、2台しか祭りに出せません。引き手がいないからです。さびしい話です」。地元の人はこう言って肩を落とします。
 9町村が合併して珠洲市が誕生した翌年、1955年の国勢調査では3万7000人を数えた人口は、いまや1万6000人(2010年国勢調査)と半分以下です。高屋でも00年に70世帯180人いた住民が、昨年は57世帯140人まで減っています。
 地域の日本共産党として原発に反対し、町づくりに取り組んできた坂東正幸さん(69)は「原発にすべてお任せで、まともな産業政策や過疎対策を取ってこなかったツケだ。原発がこなくなり、住民のわだかまりも消えつつある。市民と行政が一体となって珠洲らしい町づくりをするチャンスだ」と話します。
(つづく)

「しんぶん赤旗」日刊紙 2011年12月2日付掲載



珠洲地方でなくっても、能登半島にはキリコがあります。
こちらは輪島のキリコです。1993年5月に輪島キリコ会館で撮りました。

輪島キリコ001
輪島キリコ001 posted by (C)きんちゃん

輪島キリコ002
輪島キリコ002 posted by (C)きんちゃん

輪島キリコ003
輪島キリコ003 posted by (C)きんちゃん

地元の文化・産業を他力(原発)に依存していたというのはよくなかったと。今からでも遅くない。市民と行政が一体となって珠洲らしい町づくりがして行けるのですね。
頑張ってほしいと思います。
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