12月16日(金)
カウンター席に腰かけ
同期はお茶。
私は薄い焼酎お湯割り。
小路の外れ、昭和40年代の木造2階建て
怪しげな黄色のネオン看板
2階のBAR
知らなければフリーで入れない。
9人入れば、呼吸困難になる。
蟹歩きの厨房 ガス台は一つ。
壁には、愛犬の写真。
煙草で煤けた黒壁。
カラー写真ではなくてもセピア色の昭和にタイムスリップした。
暫くして、中年男性が入る。
そして、見覚えのある老人がきた。
二人は煙草を吸いだす。
同期はディープブルーパッケージのピースを
オイルライターで煙にする。
故郷下関に帰った大学同期応援団長から
電話があった。
ブログで私の前立腺癌入院検査を知り
心配して電話してきたのだ。
ゆったりした時が流れ
ママが盛り上げようと
カラオケで自ら唄う。
美空ひばり港町13番地
老人は70半ば
離婚して一人で年金暮らし。
毎夜 孤独を癒しに店にやって来る。
中年男性が唄った。
とても、上手だ。
元歌手もしたそうで
自分のレコーディングした曲を歌う。
結局 歌手では食えなくて公務員になった。
ママは、言った。
この方は息子さんを交通事故で亡くした。
不躾だったが、詳しく尋ねた。
今年3月、青梅街道でトラックに敷かれた。
即死だった。
その夜、息子と飲んだ。
別れた後だった。
息子は26歳、妻と1歳の子供がいた。
小さなスナックに紫煙が充満したが
5人とも無言だった。
会話が続かなかった。
中年男性は、毎晩 店が閉じるまで飲み続けた。
カラオケをリクエストした。
今年 亡くなった永六輔作詞の曲。
黄昏のビギン
彼女が唄うのを聴きながら
彼女の半生を想った。
日本で勉強が出来ると誘われ
来日したが、騙され全てを失い
自暴自棄になり、気付くと
3日間昏睡状態を助け出された。
上海に帰り
再び来日して学校に通い弊社で働いた。
永住資格を取得してお店を開いたのだ。
お父さんウイグル族、お母さんは漢族。
大陸では差別された。
ご両親を日本に3か月間招いて暮らした。
お父さんは、日中戦争当時台湾にいた。
戦争が終わると、日本のスパイとして
牢屋に10年間入った。
お父さんが深夜倒れて病院に担ぎこんだが
現金を前払いしないと、治療はしない
カードは受け付けないと言われた。
深夜 駆けずり回り現金を用意した。
しかし、父親は亡くなった。
既に母親も他界した。
彼女は大陸が大嫌いだ。
「日本人にお世話になった」
「私は日本の味方です」
彼女の絶望と悲しみを奥深く押し込み
酔客に愛嬌を振りまく笑顔が瞳は寂しげだ。
私が、九段スズキ本店 長野利男
ワイズ鈴木康雄に騙された現実を目の当たり見て
「日本人にもこんな卑怯な人間がいるのね」と泣いた。
そして、息子を心の病にした長野を許せない。
みんな、心の奥底を覗けば悲しみが詰まっている。
酒は、喉、袋、腸を通って吐き出せるが
屈辱は溜まったままだ。
22時 中野始発総武線に乗車。
新宿駅で、若い男女がなだれ込む。
そうか 金曜日 忘年会か!
23時半 自宅に着いた。