馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず!

2011-08-08 18:31:54 | 日記

86日(土)午後、自宅でマグネットボールペンの荷造り作業

200個入り×30カートン=6.000本を8日に出荷する。

14時半、作業終えて、診療所に向かう。

短パン、Tシャツ、麦藁帽子、暑い!

診療所内の待合室でも汗が吹き出ている。

年寄りだらけの診療所内。

医師と恒例の挨拶交わして、柳橋界隈の料理屋の話をして

血圧の薬を頂戴する。

15時、駅方向に5分歩くと、居酒屋一平がある。U字型テーブルの一番奥の丸椅子に座り、生ビールと名物煮込みを頼む。

  

店主と挨拶、亡くなったあいつの行き着けの店だった。

土曜午後、診療所の帰りには必ず寄るようになった。

無口で孤独だったあいつにこの場所で想いを馳せるのだった。

16時 海老側沿いを歩き、いつもあいつとマーキング(小便)した

木陰に来たが、陽は、まだ落ちていないのでマーキングは止めた。

 

近くに(なか川)と書かれた看板のかかったウナギ店があり

昨年6月初旬、谷津保健病院で目蓋に光がなくなった

あいつの手を握り、「秋になったら海老川沿いの鰻屋で食べて飲んで

川に向かってマーキングしようぜ}!

その時、微かに目が光った。

17時 陽は落ちない。

あいつの住まい郵便受けのチラシ類を整理

玄関に立ちブザーを鳴らし、合掌してつぶやく

「じゃ!又な」

船橋港で暑い陽盛りで網を引く漁師を見る。

毎夏、変わらぬ風景だが、水門を通る道は震災で陥没しているため行けず

釣り人を見ることが出来ない。

親水公園で出船入船を眺める。

 

 

公園入り口に注意書きがあり「台風、高潮の時 ゲートを閉めて

海水の浸入を防ぐ」と掲示されている。

大震災の時、引き波で湾内の底が見えたと言う。

  

三陸の10メートルの防潮堤を乗り越えた津波。

三陸より人口密度の高く東京湾最奥だけに

巨大津波発生したらどのような状況になるか想像できない。

 

公園近く、ららぽーと対面にあるホテルがまもなく閉鎖されると聞いた。

 

長らくホテル宿泊客減少であったが、ディズニーに近いこともあって

中国からの観光客を格安で宿泊させていたが、

大震災で中国人観光宿泊がゼロになり閉鎖に追い込まれる。

別棟式場の十字尖塔が緑葉から寂しげに見える。

この地に住んで30年、ヘルスセンター閉鎖、

ボーリング場の跡地に建ったマンションに横浜から引っ越した。

かろうじてあった東洋一と言われたゴールデンビーチ

赤ちゃんだった息子に水浴びさせた。

まもなくこれも閉鎖され、ららぽーとになった。

ドリフターズ全盛期の頃、船橋ヘルスセンター大劇場

「人気番組、全員集合」生中継されていた。

私が当初住んだマンションの窓辺から楽屋が見えていた。

その場所に常盤殿というスパが出来たが直に閉店。

 1990年京葉線が開通して南船橋駅が出来て

住まいから徒歩6分で行けるようになった。

ショートゴルフ場もあったが巨大迷路になり

その後 屋内スキー場 ザウスとなった。

しかし スキー人口の減少とともに閉鎖 現在はマンション群になった。

私の現在の住まいも山一證券の研修所と運動場であったが、倒産後

メリルリンチに売却、まもなくマンションになった。

ららぽーとがオープンして30年が経った。

ショッピング街のテナントが3年前後のサイクルで入れ替わる。

オープン当初からの店は皆無だ。

時代、流行、景気、高齢化、団塊世代の退職、少子化、グローバル化がぶつかり合い

混ざり合い、郊外ショッピングセンターで熾烈な専門店のサバイバル競争。

移ろいやすい客を懸命に呼び込む。

経済紙、ファッション誌等を読むよりも実感で景気 流行、人気動向が理解できる。

 

 

 

鴨長明 方丈記 鎌倉時代と現代も人々の生活は変わらず

まもなく鎌倉、室町幕府崩壊して群雄割拠の戦国時代になっていくが

今の日本も大震災があって、政治が不安定で将来不安が高まっている。

 

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。玉しきの都の中にむねをならべいらかをあらそへる

 

能力も閃きも無く、コネなし貧乏人はギリギリの状況で生きている。