今から10年位前の山梨の蕎麦事情を問えば、300年の歴史ある「奥村」本店および暖簾分けが主流をなしていた。
それが最近のガイドには、そのような拘りは見られない。
甲府市の中心街から車では十数分なのだが、県道から入る路地はクルマのすれ違いも難しく、正しく隠れ家的お店である。
小上がりの席に着けば、何も注文しないのに蕎麦カップケーキのようなものが出てくる。器はすべて御主人の作。
十割らしい太さ、よし。蕎麦の香りの塊も素晴らしい。実にはっきりと蕎麦の香りがする。ほのか、どころでは無い。
固すぎない蕎麦の茹で具合も、本当に嬉しい。
更にまた、汁が素晴らしい。十割の田舎に合わせた、醤油が濃すぎない食べ口見事。これこそ、十割にふさわしい、すっきりとした味わい。田舎蕎麦の汁をベースにされていると思うが、その後の思いっきりの洗練の極み。
この蕎麦のためなら、遠路も覚悟で出かけたくなる。
蕎麦湯の姿。画になる。
ご馳走様でした。
それが最近のガイドには、そのような拘りは見られない。
甲府市の中心街から車では十数分なのだが、県道から入る路地はクルマのすれ違いも難しく、正しく隠れ家的お店である。
小上がりの席に着けば、何も注文しないのに蕎麦カップケーキのようなものが出てくる。器はすべて御主人の作。
十割らしい太さ、よし。蕎麦の香りの塊も素晴らしい。実にはっきりと蕎麦の香りがする。ほのか、どころでは無い。
固すぎない蕎麦の茹で具合も、本当に嬉しい。
更にまた、汁が素晴らしい。十割の田舎に合わせた、醤油が濃すぎない食べ口見事。これこそ、十割にふさわしい、すっきりとした味わい。田舎蕎麦の汁をベースにされていると思うが、その後の思いっきりの洗練の極み。
この蕎麦のためなら、遠路も覚悟で出かけたくなる。
蕎麦湯の姿。画になる。
ご馳走様でした。
こういうのが、
自分の中のお蕎麦のイメージです。
器ととても合っているように思います。
まあ、見た目だけですけど。
御主人が、思う蕎麦の形を忠実に現しているお店だと思うのです。
蕎麦の姿をきっちり見せるには、やはり器からなどという御主人の徹底した発想が見えてきます。
全く主観的な言い草ですが、このお店で蕎麦を味わうと、蕎麦と言うものがグッと手に取るように感じられるように思います。