日本庭園にはいくつかの作風があるようだが、日本における禅の庭の発祥の地ともいえる庭である。
カメラの眼は人間の眼ほど上手くできていないので、全体を見渡すのは難しい。輪郭がはっきりと写るところもあるのだが、ぼんやりとしか見えないところが必ず出てしまう。
基本は石の庭だが、色づいた実が少しだけ紅を添える。
多くの石を用いて、饒舌に語らせる感じの作庭は、成程中国の禅僧の発想かと納得できる。
季節としてはやや遅めだが、紅葉もまだ散り果ててはいなかった。石組や背景の常緑樹を主とした庭で僅かの色が華を添える。
船型の石が池の中央に浮かぶ。
石の形も面白いが、長い年月がつけた自然の造形も迫力を感じさせる。
今にも動き出しそうな、頂点の石組。
この寺の仏殿は、奇跡的に16世紀前半の姿を残している。
カメラの眼は人間の眼ほど上手くできていないので、全体を見渡すのは難しい。輪郭がはっきりと写るところもあるのだが、ぼんやりとしか見えないところが必ず出てしまう。
基本は石の庭だが、色づいた実が少しだけ紅を添える。
多くの石を用いて、饒舌に語らせる感じの作庭は、成程中国の禅僧の発想かと納得できる。
季節としてはやや遅めだが、紅葉もまだ散り果ててはいなかった。石組や背景の常緑樹を主とした庭で僅かの色が華を添える。
船型の石が池の中央に浮かぶ。
石の形も面白いが、長い年月がつけた自然の造形も迫力を感じさせる。
今にも動き出しそうな、頂点の石組。
この寺の仏殿は、奇跡的に16世紀前半の姿を残している。
今年も「ドーンと福井in神楽坂」なるイベントが行われた。
クイズラリーのチェックポイントの一つとなった矢来公園。ここには、小浜藩下屋敷の碑が最近建てられたのだが、屋敷の中心は昔の長銀の寮のあたりだと聞く。
福井の物産品を展示販売している。寒い日だったが、それなりの賑わいだ。
本当は神楽坂というと、飯田橋から直ぐの急坂を上がったこの辺りまでを言うらしいのだが、駅名などの影響を受けたのか、大久保通を超えて地下鉄東西線の駅位までを呼ぶようになってきている。
今年も美山町の蕎麦打ち道場の方々が蕎麦を打っていた。伸ばした蕎麦を畳んで、サクサクと切っていく。動作に、無駄やためらいがない。
去年は屋外でプロパンガスの火で茹でていたのだが、今年は喫茶店コパンさんで蕎麦を食べる形になった。今日のように寒い日には有り難い。
クイズラリーのチェックポイントの一つとなった矢来公園。ここには、小浜藩下屋敷の碑が最近建てられたのだが、屋敷の中心は昔の長銀の寮のあたりだと聞く。
福井の物産品を展示販売している。寒い日だったが、それなりの賑わいだ。
本当は神楽坂というと、飯田橋から直ぐの急坂を上がったこの辺りまでを言うらしいのだが、駅名などの影響を受けたのか、大久保通を超えて地下鉄東西線の駅位までを呼ぶようになってきている。
今年も美山町の蕎麦打ち道場の方々が蕎麦を打っていた。伸ばした蕎麦を畳んで、サクサクと切っていく。動作に、無駄やためらいがない。
去年は屋外でプロパンガスの火で茹でていたのだが、今年は喫茶店コパンさんで蕎麦を食べる形になった。今日のように寒い日には有り難い。
鼠宿近くは明治初期の街道整備が行われるまで北國街道でも指折りの難所で、千曲川の川岸まで断崖絶壁がせり出した地形だったようだ。耕雲寺は、街道から急傾斜の参道を登った奥にある禅寺である。
参道には整然とした杉が並ぶが、大変な坂道である。
最後の石段がひときわ厳しい。
ひっそりとした本堂のブザーを押して何とか大黒さんを呼んでいただいたのだが、この寺には特に見せるような大層な庭は無い、と強く謙遜される。「日本庭園鑑賞便覧」に載っておりましたので伺ってみました、と申し上げても、上田の安楽寺や塩山の恵林寺とは違うのだという事をしきりに強調され、なぜそのような案内書にこの庭が掲載されたか、非常に不思議がられていた。
拝見したのは、こちらの池を中心としたお庭。
寺の奥の深い杉の森を背景に、池の庭ならこの場所という感じの位置に作られている。
向かって右手の、池の中から立ち上がる石は江戸の作庭と思われる迫力があると思うのだが・・・。
今回、訪ねたお寺であまり納得していただけなかった感じなので、改めて調べてみました。
まず、参考にしたのは「日本庭園鑑賞便覧」学芸出版社 刊。 編集は「京都林泉協会」。
この本の後半にある「全国庭園ガイド」について京都林泉協会に電話で問い合わせてみました。掲載しているのは重森三玲の「日本庭園史大系」に収載した庭を核として、各地の庭の権威の実地見分を基にした庭だそうです。それなりの目のある方の判断を経た庭が掲載されているようです。
写真は私が撮った拙いものしかありませんが、この庭から江戸時代作庭の名残を感じられたか、率直なご意見を頂ければ幸いです。
参道には整然とした杉が並ぶが、大変な坂道である。
最後の石段がひときわ厳しい。
ひっそりとした本堂のブザーを押して何とか大黒さんを呼んでいただいたのだが、この寺には特に見せるような大層な庭は無い、と強く謙遜される。「日本庭園鑑賞便覧」に載っておりましたので伺ってみました、と申し上げても、上田の安楽寺や塩山の恵林寺とは違うのだという事をしきりに強調され、なぜそのような案内書にこの庭が掲載されたか、非常に不思議がられていた。
拝見したのは、こちらの池を中心としたお庭。
寺の奥の深い杉の森を背景に、池の庭ならこの場所という感じの位置に作られている。
向かって右手の、池の中から立ち上がる石は江戸の作庭と思われる迫力があると思うのだが・・・。
今回、訪ねたお寺であまり納得していただけなかった感じなので、改めて調べてみました。
まず、参考にしたのは「日本庭園鑑賞便覧」学芸出版社 刊。 編集は「京都林泉協会」。
この本の後半にある「全国庭園ガイド」について京都林泉協会に電話で問い合わせてみました。掲載しているのは重森三玲の「日本庭園史大系」に収載した庭を核として、各地の庭の権威の実地見分を基にした庭だそうです。それなりの目のある方の判断を経た庭が掲載されているようです。
写真は私が撮った拙いものしかありませんが、この庭から江戸時代作庭の名残を感じられたか、率直なご意見を頂ければ幸いです。